ダンプ松本と長与千種といえば、1980年代の女子プロレス史を語るうえで欠かせないライバル同士だ。1985年8月28日、大阪城ホールで行われた敗者髪切りデスマッチでは、長与千種が敗北し、リング上で髪を切られるという衝撃的な結末を迎えた。しかし、2人の関係は単なるリング上の敵対関係ではなかった。実は全日本女子プロレスの同期であり、若手時代には互いに苦しい時期を過ごした仲間でもあった。
さらに1986年11月7日の再戦では長与が雪辱を果たし、1988年2月25日のダンプ松本の引退試合では、2人がタッグを組んで共闘している。2026年現在、かつて激しく憎み合った2人はどのような関係なのか。抗争が生まれた本当の理由から、Netflixシリーズ『極悪女王』と実際の出来事の違いまで、当時の試合記録や本人の証言をもとに振り返る。
【関係の真相】ダンプ松本と長与千種は本当に仲が悪かったのか?

最初に押さえておきたいのは、ダンプ松本と長与千種がもともと敵同士だったわけではないという事実だ。
2人は全日本女子プロレスで同じ時代にデビューした同期。1980年にデビューした長与と、同年にデビューしたダンプは、厳しい練習環境や全国を回る興行生活を共有していた。
若手時代は「落ちこぼれ仲間」だったテレビ朝日のインタビューで、ダンプ松本は長与千種について、自分と同じように若手時代に苦労した仲間だったと振り返っている。
長与は当初から圧倒的な人気選手だったわけではない。同期のライオネス飛鳥が身体能力やルックスに恵まれた優等生タイプだったのに対し、長与とダンプは自分たちを落ちこぼれと感じることもあったという。
その後、長与はライオネス飛鳥とクラッシュ・ギャルズを結成。2人のコンビは女子中高生を中心に爆発的な人気を獲得し、女子プロレスブームの中心的存在になった。
一方、ダンプは1984年にリングネームを松本香からダンプ松本に変更。クレーン・ユウらと極悪同盟を結成し、クラッシュ・ギャルズの対抗勢力として本格的にヒールの道を歩み始めた。
かつて同じ立場で苦労した2人が、女子プロレス界を代表する善玉と悪役に分かれたのである。(テレビ朝日「テレ朝POST」のダンプ松本インタビュー、ベースボール・マガジン社『週刊プロレス』関連記事)
現在は親友と呼べる関係にリング上では激しい抗争を繰り広げた2人だが、現在の関係はまったく異なる。
2024年9月12日に後楽園ホールで開催されたNetflixシリーズ『極悪女王』の配信記念イベントでは、ダンプ松本と長与千種がそろって登場。2人が手を取り合い、観客の声援に応える姿が報じられた。
さらに2025年6月、ダンプは自身のブログで、入院中に見舞いに来た長与への感謝を表明。報道では、長与を「今は大好きな親友」と表現したことが伝えられている。
つまり、現在の2人は単に昔の抗争を水に流したというだけではない。長い年月を経て、互いの人生を理解し合う戦友であり、親友と呼べる関係になっている。(シネマトゥデイ、東スポWEB・2025年6月4日)
【1985年8月28日】大阪城ホールの髪切りデスマッチで何が起きた?
ダンプ松本と長与千種の因縁を語るうえで、絶対に外せないのが1985年8月28日の大阪城ホール大会だ。
この日、全日本女子プロレスは長与千種とダンプ松本による敗者髪切りデスマッチを開催した。敗者が髪を切られるという、女子プロレスラーにとって非常に大きな覚悟を必要とする試合だった。
観客1万1000人が見届けた歴史的な一戦当日の大阪城ホールには1万1000人の観客が詰めかけた。
クラッシュ・ギャルズの人気は絶頂期にあり、長与と飛鳥は試合だけでなく、レコードやテレビ番組でも活躍していた。女子プロレスは従来の男性中心のファン層を超え、若い女性や中高生まで巻き込む大きなブームになっていた。
その人気者である長与千種と、日本中から嫌われることを覚悟したダンプ松本の対決。試合前から会場には異様な緊張感が漂っていた。
試合結果はダンプ松本のKO勝ち試合は時間無制限1本勝負。フォール、ギブアップ、ノックアウトなどによって勝敗を決める特別ルールが採用された。
長与は紋付袴姿で登場。ダンプの凶器攻撃を受けて流血しながらも反撃を続けた。セコンドからタオルが投入される場面でも、長与はそれを投げ返して戦い続けた。
しかし、ダンプの強烈なイス攻撃を受け、長与はついに10カウントを聞くことになる。
試合時間は11分4秒。勝者はダンプ松本だった。
敗れた長与はリング上で髪を切られることになった。バリカンによって髪を刈られる姿は、会場の観客に大きな衝撃を与えた。テレビ中継にも抗議が殺到したと『週刊プロレス』編集部の記事は伝えている。
試合後にはクラッシュ・ギャルズのファンが極悪同盟のバスを取り囲み、ダンプが身の危険を感じるほどの騒ぎになったという。テレビ朝日のインタビューでは、ダンプ本人が当時の状況を振り返っている。
長与千種は本当に完全な丸坊主になったのかここには興味深い後日談がある。
当時の試合は一般に「長与千種が丸坊主になった試合」と紹介されている。しかし、ダンプ松本は2023年、ブル中野のYouTubeチャンネルに出演した際、長与は最後まで完全に坊主にしたわけではなく、半分ほど刈ったところでタオルをかけて退場したと振り返った。
つまり、試合記録上の「丸刈り」という表現と、実際にリング上で行われた髪切りの細かな状況には違いがある。
このエピソードからも、1985年の試合が単なる勝敗記録ではなく、当事者の記憶に強く刻まれた出来事だったことが分かる。(ベースボール・マガジン社、スポニチアネックス・2023年5月12日、テレビ朝日)
【1986年11月7日】髪切りマッチ再戦の勝敗は?今度はダンプ松本が丸坊主に
1985年の髪切りデスマッチで敗北した長与千種にとって、ダンプ松本への雪辱は大きな意味を持っていた。
そして約1年3か月後の1986年11月7日、大阪城ホールで髪切りマッチの再戦が実現する。
長与千種が驚異的な粘りを見せる再戦でもダンプは徹底したヒールファイトを展開した。
額へのフォーク攻撃で長与を流血させ、一斗缶による攻撃やパイルドライバーなどを繰り出す。さらにドラム缶攻撃まで加え、長与を追い込んでいった。
誰もがダンプの勝利を確信しかけた場面で、長与は驚異的な粘りを見せる。カウント8で立ち上がると、最後はダンプを丸め込んで逆転勝利を収めた。
敗者はダンプ松本。潔く髪を切られる再戦の結果は、長与千種の勝利、ダンプ松本の敗北だった。
前年は自分が長与の髪を切ったダンプが、今度は敗者として髪を刈られる立場になった。
しかし、ダンプはリング上のイスに座り、両腕を組んで髪切りを受け入れた。試合後の取材でも、長与とは違って堂々と刈られるという趣旨の発言をしている。
この再戦によって、2人の髪切りマッチは単なる一方的な勝利と敗北の物語ではなくなった。1985年はダンプ、1986年は長与。互いに髪をかけて戦い、最終的には1勝1敗という結果になったのである。
Netflixシリーズ『極悪女王』を見て1985年の試合を知った人にとって、ぜひ覚えておきたいのがこの再戦だ。実際の女子プロレス史には、ドラマのクライマックスの先に、長与が雪辱を果たすもう一つの大きな出来事があった。(ベースボール・マガジン社『週刊プロレス』2021年5月31日公開記事)
【因縁の真相】ダンプ松本と長与千種が本当に仲が悪かった理由
2人の抗争について、現在でもよく検索されるのが「本当に仲が悪かったのか」「すべてプロレスの演出だったのか」という疑問だ。
答えは単純ではない。もともとは仲間だった2人が、抗争の過程で実際に強い怒りや憎しみを抱くようになったというのが、ダンプ本人の証言から見えてくる経緯だ。
松永高司会長の言葉が憎悪を増幅させた2021年のテレビ朝日のインタビューで、ダンプ松本は抗争が激化した背景について重要な証言をしている。
ダンプによれば、松永高司会長は試合前になると控室を訪れ、長与やライオネス飛鳥がダンプを嫌っているという趣旨の話を伝えていたという。
一方で、クラッシュ・ギャルズ側にも同じように、ダンプが2人を嫌っているという趣旨の話が伝えられていたとダンプは説明している。
ダンプは後になって、それらの話が松永会長による作り話だったと分かったと振り返った。
もともと同期として苦労を共有していた相手だからこそ、相手が自分を嫌っていると聞かされれば、普通以上に怒りが増幅する。こうした伝達の積み重ねが、2人の関係を本当に険悪なものへ変えていったというのだ。
もちろん、これはダンプ本人が後年語った回想であり、当時の関係者全員の証言を網羅したものではない。しかし、少なくとも抗争の裏側に、単純な台本だけでは説明できない感情のもつれがあったことを示す証言だ。(テレビ朝日「テレ朝POST」2021年9月3日)
クラッシュ・ギャルズと極悪同盟という対立構造もう一つ重要なのが、当時の女子プロレスを取り巻く興行環境だ。
クラッシュ・ギャルズは長与千種とライオネス飛鳥による人気タッグチーム。正統派のファイトスタイルと圧倒的なファン人気を武器に、女子プロレスブームを牽引した。
対する極悪同盟は、ダンプ松本を中心とするヒール軍団。竹刀やチェーン、フォークなどの凶器を使った過激なファイトで観客を挑発した。
この対立は、単なるチーム同士の勝負ではなかった。観客が感情移入できるヒーローと、徹底的に憎まれる悪役を明確にすることで、試合そのものに強烈な物語性を与えていた。
特にダンプは、リングを降りても悪役のイメージを崩さないようにしていたとテレビ朝日のインタビューで語っている。実家への嫌がらせやファンからの罵声を受けても、ヒールとしての立場を貫いたという。
極悪同盟のブル中野も、この抗争を語るうえで欠かせない人物だ。ダンプとともに活動したブルは、後年、自身のYouTubeチャンネルでダンプと髪切りマッチの舞台裏を振り返っている。
つまり、長与とダンプの因縁は、個人的な感情だけでなく、クラッシュ・ギャルズと極悪同盟という二つの勢力、そして当時の女子プロレスの興行構造が重なって生まれたものだった。(テレビ朝日、スポニチアネックス、ベースボール・マガジン社)
2人の関係を時系列で整理ここまでの出来事を整理すると、2人の関係がどのように変化したのかが分かりやすい。
| 時期 | 人物・団体 | 関係と主な出来事 | 要点 |
|---|---|---|---|
| 1980年 | ダンプ松本・長与千種 | 全日本女子プロレスでデビュー | 同期として下積み時代を共有 |
| 1983年 | 長与千種・ライオネス飛鳥 | クラッシュ・ギャルズ結成 | 女子プロレスブームの中心へ |
| 1984年 | ダンプ松本・極悪同盟 | ダンプ松本に改名し、ヒールとして活動 | クラッシュ・ギャルズとの抗争が激化 |
| 1985年8月28日 | ダンプ松本・長与千種 | 大阪城ホールで敗者髪切りデスマッチ | ダンプがKO勝ち。長与が髪を切られる |
| 1986年11月7日 | ダンプ松本・長与千種 | 大阪城ホールで髪切りマッチ再戦 | 長与が逆転勝利。ダンプが丸坊主に |
| 1988年2月25日 | ダンプ松本・長与千種・ライオネス飛鳥・大森ゆかり | ダンプの引退試合で共闘 | 長与とダンプがタッグを組み、試合後に握手 |
| 2024年9月 | ダンプ松本・長与千種 | 『極悪女王』配信記念イベントに登場 | 公の場で手を取り合う姿を披露 |
| 2025年6月 | ダンプ松本・長与千種 | 長与がダンプを見舞い、ダンプが感謝を発信 | 長与を大好きな親友と表現 |
この年表からも分かるように、1985年の髪切りマッチは2人の関係の終着点ではない。1986年の再戦、1988年の共闘を経て、長い時間をかけて関係が変化していった。(ベースボール・マガジン社、テレビ朝日、シネマトゥデイ、東スポWEB)
【1988年2月25日】ダンプ松本の引退試合で長与千種と共闘!感動の結末
1988年2月25日、全日本女子プロレスの川崎大会で、ダンプ松本は引退試合に臨んだ。
対戦相手はクラッシュ・ギャルズの長与千種とライオネス飛鳥。ダンプのパートナーは、同じく引退試合だった大森ゆかりだった。
最初の試合は13分50秒で無効試合引退試合は、ダンプ&大森組と長与&飛鳥組による対戦となった。
試合は激しい乱闘となり、4人全員が流血。13分50秒で無効試合となった。
しかし、会場の熱気はそこで終わらなかった。
試合後、ダンプがマイクを手に取り、長与に呼びかけた。
「今日で終わりだ。長与、来い!」
この言葉は、もう一度敵として戦えという意味ではなかった。長年の因縁に区切りをつけ、長与と一緒にリングに立ちたいという呼びかけだった。
長与とダンプが初めてタッグを結成長与もマイクで応じ、今度は自分たちにしかできないプロレスを見せるという趣旨の言葉を返した。
さらに大森が飛鳥に呼びかけ、4人のパートナーを交換する形で、急きょ5分間のエキシビションマッチが実現した。
長与千種&ダンプ松本対ライオネス飛鳥&大森ゆかりという、当時のファンにとっては夢のような組み合わせだった。
長与とダンプはダブルのラリアットなどの合体技を披露。かつて激しく敵対した2人が、今度は同じチームとして戦った。
試合は時間切れ引き分け。終了後、長与とダンプは握手を交わし、ダンプは長与を抱きかかえて観客の声援に応えた。
ベースボール・マガジン社の『週刊プロレス』編集部による試合回顧記事では、当日の観衆は4000人で超満員と記録されている。
この1988年2月25日の出来事こそ、2人の関係を理解するうえで非常に重要な場面だ。1985年に長与の髪を切ったダンプが、3年後には長与と手を取り合い、同じチームとしてリングに立ったのである。(ベースボール・マガジン社『週刊プロレス』2021年12月31日公開記事)
【現在の関係とNetflix『極悪女王』】実話との違いを徹底検証
Netflixシリーズ『極悪女王』の配信によって、ダンプ松本と長与千種の関係に初めて関心を持った人も多いはずだ。
本作は1980年代の女子プロレス界を舞台に、ダンプ松本が日本を代表するヒールへと成長していく姿を描いた作品。ダンプ役をゆりやんレトリィバァ、長与役を唐田えりか、ライオネス飛鳥役を剛力彩芽が演じている。
『極悪女王』で描かれた出来事と実際の違い作品は実在の人物や歴史的な試合を題材にしているが、ドキュメンタリーではなく、ドラマとして再構成されたフィクションだ。
Netflixの公式発表でも、1980年代の女子プロレスブームを背景にしたダンプ松本の物語として紹介されている。
特に長与千種はプロレススーパーバイザーとして制作に参加し、俳優たちへのプロレス指導や当時の状況の再現に協力した。CINRAの長与千種と白石和彌総監督の対談では、リングシーンの多くを俳優自身がスタントなしで演じたことも紹介されている。
一方、実際の歴史とドラマの間には、次のような違いがある。
① 1986年の髪切りマッチ再戦が描かれていない
実際には1985年だけでなく、1986年11月7日にも大阪城ホールで髪切りマッチが行われている。この再戦では長与が勝利し、ダンプが髪を切られた。しかし、ドラマではこの重要な試合が描かれていない。
② ダンプ松本がヒールになるまでの過程はドラマ向けに再構成されている
白石総監督はCINRAのインタビューで、実際のダンプがヒールとして生きることを決めた背景には、ドラマで描き切れない多くの要因や流れがあったと説明している。
ドラマでは視聴者に伝わりやすいよう、松本香からダンプ松本への変化を強いコントラストで描いている。
③ 最終盤の握手には1988年の実際の引退試合とのつながりがある
ドラマの終盤では、ダンプ松本や長与千種、ライオネス飛鳥、大森ゆかりら同期の関係に焦点が当てられる。実際にも1988年の引退試合で4人がリング上に集まり、パートナーを交換して戦う場面があった。
岩波書店のウェブ岩波に掲載されたプロレス評論では、ドラマのラストで描かれる同期の握手と、1986年の再戦がドラマに登場しない点が指摘されている。
したがって、作品の最終場面は実際の出来事をそのまま再現した映像というより、長い抗争と引退をめぐる物語を凝縮した演出として見ると理解しやすい。(Netflix公式発表、CINRA・2024年9月28日、岩波書店・2025年4月)
2026年現在、2人はどのような活動をしている?長与千種は女子プロレス団体Marvelousを設立し、代表として団体の運営や興行のプロデュース、後進の育成に携わっている。現役時代の経験を次の世代へ伝える立場でもある。
一方のダンプ松本も、女子プロレスラーとしての活動を続けながら、テレビ出演やイベント、トーク企画など幅広い分野で活動してきた。
2026年1月には膝の手術を受けることを自身のSNSで報告し、リハビリを頑張ってリングに戻りたいという意向を示したことが報じられた。
2人の現在の関係を示す具体的な出来事としては、2024年の『極悪女王』イベントでの共演、2025年の長与による見舞い、ダンプからの感謝の発信が挙げられる。
特に2025年6月の「大好きな親友」という表現は、かつての激しい抗争を知るファンにとって印象的なものだったはずだ。
2026年現在の2人を理解するうえで大切なのは、過去の憎しみを否定することではない。実際にぶつかり合った時代を共有したからこそ、現在の信頼関係が生まれているという点だ。(長与千種のプロフィール・2025年11月のインタビュー、スポニチアネックス・2026年1月29日、東スポWEB・2025年6月4日)
【プロの結論】ダンプ松本と長与千種の因縁から分かる女子プロレスの本質
ダンプ松本と長与千種の関係を振り返ると、1980年代の女子プロレスがなぜこれほど多くの人を熱狂させたのか、その理由が見えてくる。
最大の要点は、リング上の対立とリング外の人間関係を単純に切り離せないほど、2人が本気で自分の役割を生きていたことだ。
長与はクラッシュ・ギャルズの人気を背負い、正統派のレスラーとしてファンの期待に応えた。一方、ダンプは日本中から嫌われることを覚悟し、極悪同盟のリーダーとして徹底的に悪役を演じた。
その対立の背景には興行上の役割だけでなく、本人たちの感情や周囲の人間関係もあった。
1985年の髪切りマッチはダンプが勝利し、1986年の再戦では長与が勝利。そして1988年には2人がタッグを結成した。この流れを知らずに1985年の試合だけを見ると、2人の関係の本当の意味を見落としてしまう。
また、Netflix『極悪女王』を見る際も、次の3点を意識すると理解が深まる。
- 1985年の髪切りマッチだけで物語を完結させない。翌年の再戦で勝敗が逆転したことを知っておく。
- ヒールとベビーフェイスの役割を理解する。ダンプの悪役としての徹底した覚悟と、長与のスター性が抗争を支えた。
- 1988年の引退試合まで振り返る。敵対していた2人が同じチームで戦う姿に、長い年月をかけた関係の変化が表れている。
1985年の大阪城ホールで生まれた衝撃は、単なる残酷な試合の記憶ではない。互いに譲れない信念を持ち、時には本気で憎み合い、それでも最後には同じリングに立った2人の人生そのものが刻まれた出来事だった。
【ダンプ松本と長与千種の関係】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:ダンプ松本と長与千種は昔から仲が悪かったのですか?
A1:いいえ。2人は全日本女子プロレスの同期で、若手時代には同じ苦労を経験した仲間でした。その後、クラッシュ・ギャルズと極悪同盟の抗争が激しくなるなかで、実際に強い憎しみを抱くようになったとダンプ本人が証言しています。
Q2:1985年8月28日の髪切りデスマッチはどちらが勝ちましたか?
A2:ダンプ松本が勝利しました。大阪城ホールで行われた試合は11分4秒でダンプのKO勝ちとなり、敗れた長与千種はリング上で髪を切られました。
Q3:1986年11月7日の髪切りマッチ再戦の結果は?
A3:長与千種が勝利しました。ダンプ松本は敗者となり、今度は自分がリング上で髪を刈られることになりました。
Q4:1988年の引退試合でダンプ松本と長与千種はタッグを組んだのですか?
A4:はい。1988年2月25日の全日本女子プロレス川崎大会で、ダンプ松本と長与千種がタッグを結成しました。ライオネス飛鳥と大森ゆかりを相手に5分間のエキシビションマッチを行い、試合後には握手を交わしています。
Q5:2026年現在、ダンプ松本と長与千種は仲良しですか?
A5:はい。2025年6月にはダンプが長与を大好きな親友と表現したことが報じられています。かつての抗争を経て、現在は互いを大切にする関係になっています。
Q6:Netflix『極悪女王』は実話ですか?
A6:実在の人物や歴史的な試合を題材にしたフィクションです。1985年の髪切りマッチなど実際の出来事が描かれていますが、人物の心理描写や時間の流れにはドラマとしての脚色があります。1986年11月の髪切りマッチ再戦も作品には描かれていません。
ダンプ松本と長与千種は、1980年代の女子プロレスを象徴するライバルだった。
1985年8月28日の大阪城ホール大会ではダンプが勝利し、長与が髪を切られた。1986年11月7日の再戦では長与が勝ち、ダンプが丸坊主になった。そして1988年2月25日の引退試合では、2人が初めてタッグを組み、観客の前で握手を交わした。
この3つの出来事をつなげると、2人の関係が単なる敵対関係ではなかったことが分かる。若手時代の仲間意識、抗争によって生まれた本物の怒り、そして長い年月を経て取り戻した信頼。それぞれの時代に違う顔を持つ関係だった。
2026年現在も、2人の名前が並ぶと1985年の髪切りマッチを思い出す人は多い。しかし、その試合だけでなく、1986年の再戦や1988年の共闘まで知ることで、ダンプ松本と長与千種の物語はより深く理解できる。
リング上では宿敵、人生では戦友。2人が歩んできた歴史は、日本の女子プロレスが生んだ忘れがたい人間ドラマの一つである。