第62代横綱・大乃国は、昭和の大相撲を代表する力士の一人です。本名は青木康。北海道河西郡芽室町で生まれ、花籠部屋への入門を経て、1987年(昭和62年)11月に横綱へ昇進しました。1988年(昭和63年)11月には、横綱・千代の富士の53連勝を止め、昭和最後の一番を勝利で飾ったことでも知られています。
2026年11月現在は64歳。現役引退後は年寄・芝田山を襲名し、東京都杉並区にある芝田山部屋の師匠として後進の育成に携わっています。日本相撲協会では役員待遇委員を務め、生活指導部副部長や野見宿禰神社担当としても活動しています。現役時代の輝かしい実績だけでなく、放駒親方との師弟関係、結婚と離婚、親方としての評価など、現在につながる歩みを整理します。
【人物像】大乃国とはどんな力士だったのか?第62代横綱の基本プロフィール

大乃国は、恵まれた体格と右四つからの寄りを持ち味とした元横綱です。単に大きな体を生かして押し切るだけではなく、相手のまわしを確保し、腰を落として前に出る正攻法の相撲を得意としていました。
日本相撲協会の歴代横綱プロフィールによると、横綱在位は昭和62年11月から平成3年7月まで。横綱として23場所を務め、幕内優勝2回を達成しています。
大乃国の基本プロフィール- 四股名:大乃国 康(おおのくに やすし)
- 本名:青木 康(あおき やすし)
- 生年月日:1962年10月9日
- 出身地:北海道河西郡芽室町
- 現役時代の所属部屋:花籠部屋から放駒部屋
- 最高位:第62代横綱
- 身長:189cm
- 体重:188kg(日本相撲協会掲載プロフィール)
- 得意技:右四つ、寄り、吊り
- 幕内優勝:2回
- 引退:1991年7月場所
- 現在の年寄名:芝田山
注目したいのは、現役時代の四股名と現在の親方名が異なる点です。大乃国は力士としての名前であり、引退後に襲名した年寄名が芝田山です。そのため、現在の活動を調べる際には「大乃国」と「芝田山親方」の両方の名前が使われています。
2026年現在も日本相撲協会の公式プロフィールには芝田山康として掲載され、現役時代の最高位が第62代横綱だったことも明記されています。
【生い立ち】北海道芽室町で育った少年が花籠部屋に入門するまで
大乃国の強さを理解するうえで欠かせないのが、北海道芽室町で過ごした少年時代です。
1962年10月9日、北海道河西郡芽室町に生まれました。実家は農業と酪農を営んでおり、青木家の長男として幼い頃から家業を手伝っていました。
小学生の頃から農作業で鍛えられた足腰本人が杉並区の地域情報メディア「すぎなみ学倶楽部」のインタビューで振り返ったところによると、小学校3年生の頃にはトラクターを動かし、刈り取った豆を脱穀機まで運ぶ作業をしていました。
小学校4年生になると、牛の世話も日常の仕事になりました。実家で飼育する牛だけでなく、近所の農家から預かった牛にも水を与え、サイロから餌を取り出して牛舎まで運んでいたといいます。
当時の生活は、現在の子供たちが想像するような一般的なスポーツ少年の環境とは異なります。学校から帰宅すれば農作業があり、自然の中で体を動かす毎日でした。
こうした生活は、相撲に必要な足腰や持久力を育てる土台になったと考えられます。本人も、幼少期からの農作業によって身体と精神が鍛えられたと振り返っています。
一方、少年時代から相撲一筋だったわけではありません。野球、水泳、スキー、スケートなどにも親しんでいました。スキーでは小学校6年生で3級を取得するほどの腕前だったと紹介されています。
15歳で花籠部屋に入門したきっかけ大乃国が相撲界に進む転機となったのは、中学3年生だった15歳の頃です。
北海道芽室町で大相撲の夏巡業が行われた際、巡業に参加していた元大関・魁傑(後の放駒親方)と出会いました。魁傑に声をかけられたことがきっかけとなり、花籠部屋への入門を決意します。
本人の回想によれば、当初は力士になるつもりがなく、相撲取りになることは考えていなかったそうです。東京見物を兼ねて部屋を訪れ、説得を受けて内弟子として入門するという、予想外の人生の転換でした。
入門後は稽古だけでなく、部屋の雑用、ちゃんこ番、兄弟子の付け人など、相撲部屋での生活を一から学びました。農家で培った几帳面さや働く習慣も、こうした修業に生かされたといいます。
その後、師匠となる魁傑が独立して放駒部屋を創設したことに伴い、1981年に放駒部屋へ移籍しました。ここから、大乃国の本格的な出世物語が始まります。
【現役時代】第62代横綱への昇進と昭和最後の横綱と呼ばれる理由
大乃国は1978年3月場所で初土俵を踏みました。その後、着実に番付を上げ、1982年3月場所に新十両、1983年3月場所に新入幕を果たします。
新入幕から2年ほどで大関へ昇進し、さらに1987年には横綱の地位を手にしました。若くして最高位に到達した実力者でした。
幕内初優勝は1987年の15戦全勝大乃国の出世を決定づけたのが、1987年5月場所です。
当時、大関だった大乃国は15日間を一度も敗れることなく、15戦全勝で幕内初優勝を達成しました。横綱昇進への期待を高めた圧巻の成績です。
その後、1987年9月場所まで大関として好成績を残し、同年11月場所に第62代横綱へ昇進しました。昇進時は25歳でした。
昭和最後の横綱という呼び名の正確な意味大乃国が「昭和最後の横綱」と呼ばれるのには、明確な理由があります。
1987年11月場所に横綱へ昇進した大乃国は、昭和時代に新横綱となった最後の力士です。その後、第63代横綱となる旭富士が横綱に昇進したのは、平成2年(1990年)9月場所でした。
つまり、大乃国は昭和に誕生した最後の横綱という意味で「昭和最後の横綱」と呼ばれています。昭和時代に最後に引退した横綱という意味ではありません。
千代の富士の53連勝を止めた歴史的な一番大乃国を語るうえで欠かせないのが、1988年11月場所の千秋楽です。
当時、横綱・千代の富士は圧倒的な強さを誇り、53連勝を記録していました。加えて、同場所の14日目には優勝を決めており、連勝記録をどこまで伸ばすかが大きな注目を集めていました。
その千秋楽の結びの一番で対戦したのが大乃国です。
大乃国は立ち合いから相手に先手を取らせず、自分の形を作って前に出ました。最後は千代の富士を寄り倒し、歴史的な連勝を53で止めました。
この取組は、結果的に昭和最後の一番となりました。翌1989年1月7日に昭和天皇が崩御し、元号が平成に変わったためです。
昭和最後の横綱という称号と、昭和最後の一番で千代の富士を破った実績。この2つが重なっていることが、大乃国の歴史的な存在感を際立たせています。
大乃国の主な戦績と引退まで日本相撲協会の公式記録によると、大乃国の生涯戦歴は560勝319敗107休。幕内では426勝228敗105休を記録しています。
- 幕内優勝:2回
- 十両優勝:1回
- 殊勲賞:5回
- 敢闘賞:2回
- 技能賞:0回
- 金星:4個
1988年3月場所には、横綱として2度目の幕内優勝を達成しました。北勝海との優勝決定戦を制した優勝です。
一方、横綱在位中には苦しい時期もありました。1989年9月場所では7勝8敗と負け越し、横綱として厳しい評価を受けることになります。その後もけがなどに悩まされ、1991年7月場所で現役引退を決断しました。
28歳での引退でした。横綱在位23場所、幕内優勝2回という記録を残し、14年に及ぶ土俵人生に幕を下ろしました。
【人間関係・相関図】大乃国と放駒親方、千代の富士、芝田山部屋の関係
大乃国の人生を理解するには、本人の実績だけでなく、周囲の人物や相撲部屋との関係も重要です。特に放駒親方との師弟関係は、現役時代の成長だけでなく、引退後の指導者としての考え方にも大きな影響を与えています。
大乃国を取り巻く主要人物・組織の関係| 人物・組織 | 大乃国との関係 | 主な出来事・意味 |
|---|---|---|
| 放駒親方(元大関・魁傑) | 師匠 | 芽室町の巡業で出会い、花籠部屋への入門を後押し。後に放駒部屋で厳しく指導。 |
| 千代の富士 | 横綱同士のライバル | 1988年11月場所、大乃国が53連勝を止めた歴史的な一番の対戦相手。 |
| 北勝海 | 横綱時代のライバル | 1988年3月場所の優勝決定戦で対戦し、大乃国が勝利。 |
| 花籠部屋 | 最初の所属部屋 | 15歳で内弟子として入門し、相撲界での修業を開始。 |
| 放駒部屋 | 現役時代の所属部屋 | 1981年に移籍。横綱昇進までの重要な修業の場となった。 |
| 芝田山部屋 | 引退後の自らの部屋 | 1999年6月に創設。現在も師匠として後進を育成。 |
| 北海道芽室町 | 故郷・地域活動の拠点 | 夏合宿や芝田山杯子供相撲大会を通じて地域との交流を続ける。 |
放駒親方の本名は西野嘉一郎。現役時代の四股名は魁傑です。大関まで昇進し、引退後は放駒部屋を創設した人物で、日本相撲協会の理事長も務めました。
大乃国は、2023年に掲載されたインタビューで、師匠について「弟子からすれば鬼」と表現しています。
周囲からは優しい印象を持たれていた師匠でしたが、弟子に対しては非常に厳格でした。稽古は朝5時から正午頃まで続き、ほかの部屋へ出稽古に行って疲れ切って帰ってきても、さらに稽古を課されることがあったと振り返っています。
稽古だけではなく、日常生活の指導にも妥協がありませんでした。大乃国にとって、相撲部屋は単なる練習施設ではなく、生活習慣や人間性まで鍛える場所だったのです。
千代の富士戦の前夜にあった師匠の言葉1988年11月場所、千代の富士の連勝を止める前夜にも、放駒親方の厳しい言葉がありました。
当時の大乃国は成績が振るわず、千代の富士の勢いとは対照的な状態でした。師匠は大乃国に、今の状態では勝てないという趣旨の厳しい言葉を投げかけます。
その言葉に刺激を受けた大乃国は、翌朝早くから稽古場に下り、立ち合いのタイミングや相手より先にまわしを取る方法を考えました。
結果として、師匠の言葉を受けて準備した一番で千代の富士を破ります。このエピソードは、師弟関係が単なる上下関係ではなく、勝負の局面で弟子の力を引き出す関係でもあったことを示しています。
放駒親方は2014年に66歳で亡くなりましたが、大乃国は師匠への尊敬を繰り返し語っています。自分が親方になった後も、師匠の教えが指導の根幹に残っていると明かしています。
【2026年最新】大乃国の現在は芝田山親方!部屋の師匠としての活動
1991年7月場所で引退した大乃国は、年寄・大乃国を経て、1993年3月に芝田山を襲名しました。
引退後しばらくは放駒部屋の部屋付き親方として後進の指導に携わり、1999年6月に芝田山部屋を創設しました。それ以来、師匠として力士の育成に取り組んでいます。
2026年現在の日本相撲協会での役職2026年の日本相撲協会公式の職務分掌では、芝田山康は役員待遇委員として掲載されています。担当は生活指導部副部長と野見宿禰神社です。
ここで注意したいのは、過去の報道で広報部長として紹介されていたことです。芝田山親方は以前、日本相撲協会の広報部長を務めていましたが、2026年3月に決定した新しい職務分掌では、広報部長は藤島親方(元大関・武双山)となっています。
したがって、2026年現在の芝田山親方の肩書を調べる際は、以前の広報部長という情報と、現在の役員待遇委員という立場を区別する必要があります。
芝田山部屋で弟子を育てる現在芝田山部屋は東京都杉並区高井戸東にあります。日本相撲協会の部屋紹介では、芝田山親方が師匠として登録され、所属力士や行司、呼出、床山などの情報も掲載されています。
芝田山親方が指導で重視しているのは、相撲の技術だけではありません。
本人のインタビューによると、弟子には相撲界を離れた後でも社会で通用する人間になってほしいという思いがあります。日常生活の礼儀や周囲への感謝、食事や生活習慣も含めて教育する考え方です。
これは、放駒親方から受けた指導を、自分の弟子たちへ受け継ごうとする姿勢でもあります。
故郷・芽室町で続ける芝田山杯子供相撲大会芝田山親方の活動は、相撲部屋の中だけにとどまりません。
毎年夏には弟子たちを連れて故郷の北海道芽室町で合宿を行い、その地域交流の一環として「芝田山杯子供相撲大会」を開催しています。
大会は芽室神社前の土俵で行われ、子供たちの心身の健全な育成を目的としています。芽室町の観光物産協会も、芝田山部屋の夏合宿と子供相撲大会を地域の話題として紹介しています。
また、故郷への訪問に合わせて老人ホームや障害者支援施設への慰問にも取り組んでいます。
こうした活動には、相撲を通じて子供たちに挑戦する機会を与えたいという思いと、自分を育ててくれた故郷への恩返しという意味が込められています。
スイーツ親方としてのもう一つの顔芝田山親方には「スイーツ親方」という親しみやすい愛称もあります。
甘いもの好きとして知られ、テレビやメディアで食に関する話題を取り上げられることもありました。現役時代の厳しい横綱というイメージとは異なる、柔らかな一面です。
ただし、甘いものを好む親しみやすい人物像と、弟子に対して厳しい指導をする師匠としての姿は矛盾しません。芝田山親方には、食を楽しむ一面と、相撲の伝統や規律を守る指導者としての一面が共存しています。
【結婚・離婚と相撲界での評判】大乃国の私生活と親方としての評価
大乃国については、現役時代の実績だけでなく、結婚や離婚、親方としての指導方法にも関心が集まっています。
1988年9月に結婚、その後離婚大乃国は1988年9月に結婚しています。横綱として活躍していた時期の出来事です。その後、結婚生活は離婚という形で終わっています。
ただし、離婚に至った具体的な理由や元配偶者の詳しい情報、現在の家庭生活については、広く確認できる本人の公表情報が限られています。
そのため、離婚の理由を特定の出来事や夫婦間のトラブルに結び付けることはできません。結婚と離婚の経歴と、公開されていない私生活の詳細は分けて考える必要があります。
子供の有無や人数についても、確かな公表情報を前提にしないまま断定するのは適切ではありません。
芝田山親方の評判は厳格な指導者という一面だけではない芝田山親方は、相撲界で厳しい指導者として知られています。本人が放駒親方の教えを重視していることもあり、師匠と弟子の関係を大切にする姿勢を明確にしています。
一方、親方としての評価を考える際には、過去の部屋運営をめぐる問題も切り離せません。
2010年には、元十両・大勇武への傷害容疑で書類送検されました。東京地検は2011年1月に起訴猶予処分としています。大勇武側は親方と日本相撲協会に損害賠償を求める訴訟を起こしましたが、2014年の報道では和解したことが伝えられています。
加えて、2016年3月には別の元力士が兄弟子の暴行によって失明状態になったとして起こした民事訴訟で、東京地裁が芝田山親方と兄弟子に約3200万円の支払いを命じました。判決では、親方の弟子に対する安全配慮義務違反も認定されています。芝田山親方側は判決を不当として控訴する意向を示しました。
この2つは別々の事案です。前者は芝田山親方自身の傷害容疑に関する刑事手続き、後者は兄弟子による暴行と師匠の安全配慮義務をめぐる民事訴訟です。
親方の評判を語る際には、師弟関係を重視する教育方針だけでなく、弟子の安全を守る責任や部屋の管理体制も評価の対象になります。
一方で、現在も日本相撲協会の役員待遇委員として生活指導に携わっていることは、協会内で役割を担っているという客観的な事実です。現役時代の実績、指導者としての理念、過去の部屋運営上の問題をそれぞれ分けて見ることが、芝田山親方を理解するうえで大切です。
【プロの結論】大乃国の本当の功績は横綱の実績と次世代への継承にある
大乃国の歩みを振り返ると、単純な勝敗だけでは説明できない特徴が見えてきます。
現役時代には、15戦全勝の初優勝、2度の幕内優勝、横綱昇進という実績を残しました。加えて、千代の富士の53連勝を止めた一番は、昭和相撲を象徴する名勝負として現在も語り継がれています。
しかし、横綱としての歩みは決して順風満帆ではありませんでした。横綱在位中の負け越しやけが、28歳での引退など、苦しい経験も重ねています。
その経験があるからこそ、引退後は弟子の育成に力を注いできました。放駒親方から受け継いだ厳しい指導と、相撲を通じて社会で通用する人間を育てるという考え方は、芝田山部屋の教育方針にも表れています。
また、故郷・芽室町での夏合宿や芝田山杯子供相撲大会は、相撲界の伝統を地域や次世代につなぐ活動です。
2026年の大乃国を理解するための判断基準は、次の3点です。
- 横綱としての評価:第62代横綱としての昇進経緯、2度の幕内優勝、千代の富士戦の歴史的価値。
- 指導者としての評価:放駒親方から受け継いだ師弟関係の考え方と、部屋運営に求められる責任。
- 現在の活動への評価:芝田山部屋での育成、協会での職務、故郷での子供相撲大会などの地域貢献。
横綱として頂点を経験した人物が、引退後も相撲の世界に残り、次の世代を育て続ける。その歩みこそが、大乃国という力士を理解するための大切な視点です。
大乃国に関するよくある質問(FAQ)
Q1:大乃国は2026年現在、何歳ですか?
A1:1962年10月9日生まれのため、2026年11月2日現在で64歳です。現在は芝田山親方として活動しています。
Q2:大乃国はなぜ昭和最後の横綱と呼ばれるのですか?
A2:1987年11月に第62代横綱へ昇進し、昭和時代に誕生した最後の横綱となったためです。なお、1988年11月場所の千代の富士戦は、昭和最後の一番としても知られています。
Q3:大乃国の本名は何ですか?
A3:青木康です。四股名は青木、大ノ国、大乃国と変遷しました。
Q4:大乃国の師匠は誰ですか?
A4:元大関・魁傑の放駒親方です。芽室町での巡業をきっかけに出会い、花籠部屋への入門を勧められました。その後、放駒部屋で厳しい指導を受けました。
Q5:大乃国は現在も相撲部屋の師匠をしていますか?
A5:はい。2026年現在も芝田山部屋の師匠を務めています。日本相撲協会では役員待遇委員として、生活指導部副部長などの職務を担当しています。
Q6:大乃国は結婚していますか?離婚したというのは本当ですか?
A6:1988年9月に結婚し、その後離婚しています。離婚の具体的な理由や現在の家族関係については、詳細な公表情報が限られています。
Q7:大乃国が千代の富士の連勝を止めたのはいつですか?
A7:1988年11月場所の千秋楽です。大乃国は千代の富士の53連勝を止め、この取組は昭和最後の一番となりました。
大乃国は、北海道芽室町の農業・酪農家庭に生まれ、15歳で花籠部屋に入門した元大相撲力士です。第62代横綱として幕内優勝2回を達成し、千代の富士の53連勝を止めた歴史的な一番によって、昭和相撲を代表する存在となりました。
1991年の引退後は芝田山親方を襲名し、1999年には芝田山部屋を創設。2026年現在も師匠として弟子を育てながら、日本相撲協会の役員待遇委員として活動しています。
放駒親方から受け継いだ厳しい師弟関係、故郷で続ける子供相撲大会、そして親方としての経験。現役時代の名勝負だけでなく、引退後の活動にも目を向けることで、大乃国という人物の歩みをより立体的に理解できます。
昭和最後の横綱として記憶される大乃国。その名前は、現在も芝田山親方として相撲界の次世代を育てる人物の歩みとともに受け継がれています。
主な確認資料:日本相撲協会の歴代横綱プロフィール、年寄プロフィール、2026年職務分掌、芝田山部屋紹介、芽室町観光物産協会、すぎなみ学倶楽部、BBMスポーツ、日刊スポーツの報道。