櫛部静二(くしべ・せいじ)さんは、山口県宇部市出身の元陸上競技選手で、2026年現在は城西大学経営学部教授と男子駅伝部監督を務める人物です。1971年11月11日生まれで、現役時代には1時間走の日本記録を樹立。早稲田大学時代には箱根駅伝で区間新記録を打ち立て、大学の総合優勝にも貢献しました。
宇部鴻城高等学校から早稲田大学人間科学部スポーツ科学科、日本体育大学大学院へと進んだ学歴も特徴的です。競技者として培った経験に加え、スポーツ科学の研究を指導に取り入れていることでも知られています。2026年の城西大学男子駅伝部の箱根駅伝成績や、2027年大会に向けたチームの状況も含め、これまでの歩みを整理します。
【プロフィール】櫛部静二の生年月日・出身地・現在の肩書を紹介

櫛部静二さんは、陸上競技の第一線で活躍した経験を持ち、現在は大学教員と駅伝監督という2つの立場から長距離選手の育成に取り組んでいます。
城西大学の研究者総覧によると、所属は経営学部マネジメント総合学科で、職名は教授です。2019年4月に教授へ就任し、2026年5月20日更新の大学公式プロフィールでも現職として掲載されています。
櫛部静二の基本プロフィール| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 氏名 | 櫛部静二(くしべ・せいじ) |
| 生年月日 | 1971年11月11日 |
| 年齢 | 54歳(2026年11月2日時点) |
| 出身地 | 山口県宇部市 |
| 出身高校 | 宇部鴻城高等学校 |
| 出身大学 | 早稲田大学人間科学部スポーツ科学科 |
| 大学院 | 日本体育大学大学院保健体育研究科修士課程 |
| 学位 | 修士(体育学) |
| 現在の職業 | 城西大学経営学部教授 |
| 指導者としての役職 | 城西大学男子駅伝部監督 |
| 代表的な記録 | 1時間走20,410m(日本記録) |
生年月日や出身地は、アスリートマネジメント情報にも掲載されています。2026年11月11日に55歳を迎えることになります。
また、櫛部さんは2025年2月に宇部市の「宇部ふるさと大使」に任命されました。2026年4月1日現在の宇部市公式名簿にも名前が掲載されています。競技や大学での活動だけでなく、出身地とのつながりも現在の活動の一部になっています。
なお、櫛部さんの経歴を調べる際には、現役時代の競技者としてのプロフィールと、大学教員・監督としての現在のプロフィールを分けて見ることが大切です。両方のキャリアが、現在の指導スタイルにつながっています。
【学歴と生い立ち】宇部鴻城高校から早稲田大学、日本体育大学大学院へ
櫛部静二さんの陸上人生の出発点は、山口県宇部市です。地元の宇部鴻城高等学校で長距離種目を中心に実績を積み、高校時代から全国レベルのランナーとして知られるようになりました。
宇部鴻城高校時代に3000m障害で高校記録を樹立櫛部さんの高校時代を語るうえで欠かせないのが、3000m障害での活躍です。
1989年、宇部鴻城高校3年時にインターハイの3000m障害で優勝。記録は8分44秒77で、当時の日本高校記録を樹立しました。
この記録は長年にわたって高校陸上界の重要な記録として残りました。しかし、現在も保持しているわけではありません。2019年に三浦龍司選手が8分39秒49を記録し、櫛部さんの記録を約30年ぶりに更新しています。
つまり、櫛部さんは現在の高校記録保持者ではありませんが、長く破られなかった歴史的な記録の持ち主です。この実績が、早稲田大学への進学につながる競技者としての評価を支えました。
早稲田大学人間科学部スポーツ科学科で競技力を磨く高校卒業後は早稲田大学人間科学部スポーツ科学科へ進学しました。大学公式研究者総覧によれば、1994年3月に卒業しています。
大学時代の櫛部さんは、箱根駅伝に4年連続で出場しました。ただし、最初から順調だったわけではありません。
1年時の第67回箱根駅伝では2区を担当しましたが、本人が2025年の早稲田スポーツ新聞会のインタビューで振り返ったところによると、先頭で受け取ったタスキをつなぐまでに大きく順位を落とす悔しい結果となりました。
2年時も期待どおりの走りができず、本人にとって苦しい時期が続きます。しかし、3年時の第69回大会では1区を任され、状況を一変させました。
1993年の第69回箱根駅伝では1時間2分9秒で1区区間賞を獲得。当時の区間新記録を樹立し、早稲田大学の総合優勝に勢いを与えました。
2025年のインタビューでは、当時は2区を走りたい気持ちがあったものの、1・2年時の結果を受けて瀬古利彦さんから1区を指示されたことが、好成績につながったと振り返っています。
この経験は、後に監督として学生を指導する際にも大きな意味を持ちました。期待された結果を出せなかった選手が、環境や役割を変えることで成長する。その過程を自身が経験しているからです。
日本体育大学大学院でスポーツ科学を学ぶ早稲田大学卒業後は実業団で競技を続け、その後、日本体育大学大学院保健体育研究科修士課程を修了しました。
修了時期は2004年3月。取得した学位は修士(体育学)です。
競技者としての経験だけに頼らず、大学院でスポーツ科学を学んだことは、その後の指導者人生を考えるうえで重要な転換点です。
現在の櫛部さんは、選手の走力や体力を感覚だけで判断するのではなく、トレーニングの内容や強度、身体の変化を論理的に捉える指導を実践しています。
【陸上競技実績】1時間走の日本記録と早稲田時代の活躍
櫛部静二さんの競技者としての実績は、箱根駅伝だけではありません。高校時代の3000m障害、大学駅伝、実業団でのトラック競技、そして1時間走まで、幅広い種目で実績を残しています。
1時間走20,410mの日本記録を樹立櫛部さんの代表的な記録として知られているのが、1時間走の日本記録です。
日本陸上競技連盟の日本記録一覧には、男子1時間走の記録として、櫛部静二さんの20,410mが掲載されています。
記録を樹立したのは1996年10月20日。代々木で開催された記録会でのことです。
1時間走とは、決められた60分間にどれだけ長い距離を走れるかを競う種目です。マラソンのように決まった距離を走り切る競技とは異なり、時間内に走った距離が記録になります。
20,410mという記録は、1時間で20km以上を走り続けたことを意味します。一定のペースを維持する持久力だけでなく、スピードと持久力を両立させる能力が大切です。
この記録は日本陸連の公式記録一覧でも確認でき、櫛部さんを代表する競技実績の一つです。
1993年の箱根駅伝で早稲田大学の総合優勝に貢献箱根駅伝での活躍も、櫛部さんの競技人生を象徴する出来事です。
早稲田大学競走部の記録や箱根駅伝公式記録によると、1993年の第69回大会で櫛部さんは1区を担当。1時間2分9秒という当時の区間新記録で区間賞を獲得しました。
この大会では早稲田大学が往路・復路ともに1位となり、総合優勝を達成しています。
一方、4年時の第70回大会では9区を走り、区間3位を記録しました。1年時の失敗から始まり、3年時の区間新、4年時のチームへの貢献という流れは、櫛部さんの競技人生を理解するうえで重要です。
実業団時代には全日本実業団対抗選手権でも優勝1994年に早稲田大学を卒業した櫛部さんは、ヱスビー食品に入社。長距離選手として競技を続けました。
1998年には全日本実業団対抗選手権の10000mで優勝。同年のバンコクアジア大会では5000mの日本代表にも選ばれています。
学生時代の駅伝で培った実力を、実業団のトラック競技でも発揮したことが分かります。
こうした経験は、後に城西大学で選手を育成する際、大学駅伝だけでなく、その先の日本代表や世界大会を見据えた指導を行う土台になりました。
【経歴年表】櫛部静二の競技者から指導者への転換点
櫛部さんのキャリアを整理すると、高校時代の記録樹立、大学駅伝での成功、実業団での競技継続、大学院での学び、そして指導者への転身という流れが見えてきます。
以下に、主な経歴と関係する人物・組織をまとめました。
| 時期 | 所属・出来事 | 主な実績・意味 |
|---|---|---|
| 1971年11月11日 | 山口県宇部市で生まれる | 陸上競技人生の出発点 |
| 1989年 | 宇部鴻城高校 | 3000m障害で8分44秒77の高校記録を樹立 |
| 1991年 | 早稲田大学・箱根駅伝 | 1年時に2区を担当 |
| 1992年 | 早稲田大学・箱根駅伝 | 2年時に2区で区間9位 |
| 1993年 | 早稲田大学・箱根駅伝 | 1区区間賞・区間新、大学総合優勝 |
| 1994年3月 | 早稲田大学卒業 | 人間科学部スポーツ科学科を卒業 |
| 1994年4月~2001年4月 | ヱスビー食品 | 実業団選手として競技を継続 |
| 1996年10月20日 | 1時間走 | 20,410mの日本記録を樹立 |
| 1998年 | 実業団・日本代表 | 10000m優勝、バンコクアジア大会5000m代表 |
| 2001年 | 城西大学駅伝部 | コーチに就任 |
| 2004年3月 | 日本体育大学大学院 | 修士課程修了、修士(体育学)取得 |
| 2009年4月 | 城西大学男子駅伝部 | 監督に就任 |
| 2019年4月 | 城西大学経営学部 | 教授に就任 |
| 2025年2月 | 宇部市 | 宇部ふるさと大使に任命 |
| 2026年 | 城西大学男子駅伝部 | 第102回箱根駅伝総合7位 |
特に注目したいのは、2001年の城西大学駅伝部コーチ就任と2009年の監督就任です。箱根駅伝公式サイトの監督・コーチ経歴にも、この2つの節目が記載されています。
競技者としての経験を持ちながら、大学での研究と教育にも携わるようになったことで、櫛部さんのキャリアは選手として記録を残す段階から、選手を育てる段階へと移っていきました。
【現在の活動】城西大学経営学部教授・男子駅伝部監督としての実績
2026年現在の櫛部静二さんは、城西大学経営学部教授と男子駅伝部監督を兼任しています。
大学教員としてはスポーツ科学に関する研究に携わり、監督としては学生ランナーの競技力向上とチーム強化を担っています。
2009年から城西大学男子駅伝部を指揮櫛部さんは2001年に城西大学駅伝部のコーチに就任し、2009年4月から監督としてチームを率いています。
監督就任後、城西大学は箱根駅伝への出場を重ね、大学駅伝の上位争いに加わるチームへと成長しました。
2010年の箱根駅伝では総合6位となり、大学初のシード権獲得につながりました。その後も出場とシード権獲得を重ね、2024年の第100回大会では総合3位という過去最高順位を記録しています。
2024年3位、2025年6位、2026年7位の成績城西大学男子駅伝部の近年の箱根駅伝成績を見ると、上位進出を続けていることが分かります。
- 2024年・第100回大会:総合3位。過去最高順位を更新。
- 2025年・第101回大会:総合6位。3年連続のシード権を獲得。
- 2026年・第102回大会:総合7位。10時間46分17秒のチーム最高タイムを記録。
加えて、城西大学の公式男子駅伝部ページでは、2027年の第103回箱根駅伝についても出場権獲得が掲載されています。これにより、5年連続21回目の出場となる予定です。
2026年11月時点では、2024年の過去最高順位から2年連続で順位を下げているものの、シード権を維持し、次回大会への出場を確保しています。
世界で活躍する選手の育成にも取り組む櫛部監督の指導実績は、箱根駅伝の順位だけでは評価できません。
育成した選手の中には、村山紘太選手、山口浩勢選手、鈴木涼太選手など、国内外の舞台で活躍したランナーがいます。
村山紘太選手は2014年仁川アジア大会5000mで5位に入り、2015年の日本選手権5000mで優勝。世界陸上北京大会の日本代表にも選ばれました。
また、2022年の世界陸上オレゴン大会には、城西大学の門下生である山口浩勢選手や鈴木涼太選手らが出場しています。
大学駅伝で結果を残すことと、卒業後も競技を続けられる選手を育てること。この2つを両立させる姿勢が、櫛部監督の指導実績の特徴です。
宇部ふるさと大使として地元への貢献も2025年2月には、出身地である山口県宇部市から宇部ふるさと大使に任命されました。
任命を伝えたKRY山口放送の報道では、櫛部さんが地元の子どもたちに陸上競技の楽しさや走る喜びを伝えたいという意向を示しています。
宇部市では、企業版ふるさと納税を活用したスポーツ人口拡大の取り組みの一環として、櫛部さんが講師を務める陸上教室も企画されました。
現役選手、大学教員、駅伝監督という経験を生かし、地元のスポーツ振興にも関わっている点は、現在の活動を理解するうえで見逃せません。
【指導哲学と専門性】櫛部静二の運動生理学・スポーツ科学を生かした育成方法
櫛部さんの指導者としての特徴は、現役時代の経験だけに依存しないことです。
日本体育大学大学院で体育学の修士号を取得し、城西大学ではスポーツ科学に関する研究を継続。研究者と監督の両方の立場を生かして選手を育成しています。
低酸素環境を利用した持久力トレーニングの研究城西大学の研究者総覧には、櫛部さんの研究経歴として「常圧低酸素環境下におけるトレーニングの効果」が掲載されています。
これは、気圧を大きく変えずに酸素濃度を低くした環境を利用し、持久系種目のトレーニング効果を検討する研究です。
長距離走では、単純に練習量を増やせば記録が伸びるとは限りません。身体への負荷、回復、筋力、持久力などを総合的に考える必要があります。
こうしたスポーツ科学の知識は、選手のコンディションを考慮したトレーニング設計に生かせるものです。
感覚だけに頼らず、トレーニングの過程を説明する2022年に公開されたスポーツ専門メディア「スポトリ」のインタビューでは、櫛部監督が選手に対して論理的な説明を重視していることが紹介されています。
例えば、スピードを伸ばすためには筋力が必要であり、その筋力を高めるにはどのようなトレーニングが必要なのかを考える。加えて、トレーニングの強度や回数を設定し、その結果として記録がどう変化するかまで考えるという方法です。
選手が単に監督の指示に従うだけではなく、練習の目的や必要性を理解することを重視しています。
自身の挫折を選手育成に生かす櫛部さんの指導哲学を理解するうえで重要なのが、早稲田大学時代の経験です。
1年時の箱根駅伝では大きく順位を落とし、2年時も期待に応えられませんでした。しかし、3年時には1区で区間新記録を樹立しています。
この経験から、選手の成長には時間が必要であり、一度の失敗で将来を決めつけるべきではないという考え方につながっています。
スポトリのインタビューでも、選手が伸び悩んだり故障しやすくなったりした場合には、練習方法やトレーニングメニューを変えて軌道修正すると説明しています。
また、2025年の早稲田スポーツ新聞会のインタビューでは、個人の能力だけでなく、日々の生活を通じてチームとして結束することの重要性を語っています。
これは、強い個人を集めるだけでは駅伝で勝てないという、競技経験に基づいた考え方です。
櫛部さんの指導を特徴づけるのは、科学的なトレーニング、選手自身の理解、チームとしての結束を組み合わせている点にあります。
【よくある疑問】櫛部静二に関するよくある質問(FAQ)
Q1:櫛部静二の生年月日と年齢は?
A1:1971年11月11日生まれです。2026年11月2日時点では54歳で、同月11日に55歳を迎えます。出身地は山口県宇部市です。
Q2:櫛部静二の学歴は?
A2:宇部鴻城高等学校を卒業後、早稲田大学人間科学部スポーツ科学科に進学し、1994年3月に卒業しました。その後、日本体育大学大学院保健体育研究科修士課程を2004年3月に修了しています。
Q3:櫛部静二の1時間走日本記録は何メートル?
A3:20,410mです。1996年10月20日に代々木で開催された記録会で樹立しました。日本陸上競技連盟の日本記録一覧にも掲載されています。
Q4:櫛部静二は現在も城西大学の駅伝監督?
A4:はい。2026年現在、城西大学経営学部教授と男子駅伝部監督を務めています。2026年の第102回箱根駅伝ではチームを総合7位に導きました。
Q5:櫛部静二は現在も3000m障害の高校記録保持者?
A5:現在の高校記録保持者ではありません。櫛部さんが1989年に樹立した8分44秒77は、2019年に三浦龍司選手が8分39秒49を記録したことで更新されました。ただし、約30年間にわたって残った歴史的な記録です。
Q6:櫛部静二の指導者としての代表的な実績は?
A6:城西大学男子駅伝部を箱根駅伝の上位校へ成長させたことです。2024年には総合3位という過去最高順位を記録し、2025年は6位、2026年は7位となりました。また、村山紘太選手など日本代表として活躍する選手の育成にも携わっています。
櫛部静二さんは、山口県宇部市で生まれ、宇部鴻城高校、早稲田大学、日本体育大学大学院で学びながら、陸上競技の実績を積み上げてきました。
高校時代には3000m障害で8分44秒77の日本高校記録を樹立。早稲田大学では1993年の箱根駅伝で1区区間賞を獲得し、大学の総合優勝に貢献しました。実業団時代には10000mで優勝し、1996年には1時間走20,410mの日本記録を打ち立てています。
その後、2001年に城西大学駅伝部のコーチとなり、2009年から監督としてチームを指揮。2019年には経営学部教授に就任しました。
【プロの結論】
櫛部さんのキャリアで特に注目したいのは、競技者としての成功だけでなく、失敗や挫折を選手育成の考え方に結びつけていることです。
大学時代の箱根駅伝で思うような結果を残せなかった経験が、後に選手の成長を長期的に捉える指導へとつながっています。加えて、スポーツ科学の研究を通じて、感覚的な指導を論理的なトレーニングへと発展させてきました。
櫛部静二という人物を理解する際には、1時間走の日本記録保持者という競技実績だけを見るのではなく、教授としての研究活動と、城西大学男子駅伝部を育ててきた指導実績を合わせて見ることが重要です。
2026年は箱根駅伝総合7位、2027年大会への出場権も獲得しています。今後はチームのさらなる上位進出に加え、世界で戦える長距離選手をどのように育てていくのかにも注目が集まります。