俳優・歌手・司会者として昭和から平成にかけて幅広く活躍した高島忠夫さんは、2019年6月26日、88歳で亡くなりました。所属事務所の東宝芸能が同月28日に発表した死因は老衰で、亡くなった場所は東京都内の自宅でした。1930年7月27日生まれの高島さんは、映画俳優としての実績だけでなく、妻・寿美花代さんとの料理番組『ごちそうさま』や『ゴールデン洋画劇場』の映画解説、明るく親しみやすい司会ぶりでも知られています。
私生活では、1963年に寿美花代さんと結婚し、長男の道夫さんを生後5か月で亡くすという悲しい事件も経験しました。その後、髙嶋政宏さん、髙嶋政伸さんが生まれ、芸能一家として広く知られるようになります。加えて、1998年のうつ病発症、芸能活動への復帰、パーキンソン病などの闘病を経て、晩年を迎えました。2026年には妻の寿美花代さんも亡くなっています。ここでは、死去の経緯から俳優としての代表作、家族の歴史、晩年までを時系列で整理します。
【死去はいつ?】高島忠夫は2019年6月26日に老衰で88歳で亡くなった

高島忠夫さんが亡くなったのは、2019年6月26日午後1時01分です。88歳でした。
2019年6月28日、所属事務所の東宝芸能が報道各社に訃報を発表しました。発表によると、死因は老衰で、最期は自宅で迎えたとされています。
死去の経緯と公式発表の内容訃報が公表された6月28日には、すでに家族による密葬が執り行われていました。葬儀は6月27日に家族のみで行われ、妻の寿美花代さんの「最期は家族で見送りたい」という意向が反映されたと報じられています。
所属事務所は、お別れの会などを予定していないことも発表しました。長年にわたりテレビや映画で親しまれてきた人物の訃報でしたが、最後の別れは家族を中心に静かに行われました。
高島忠夫の死因は何だったのか公表された死因は老衰です。
高島さんは晩年、うつ病やパーキンソン病などの健康問題を抱えていました。1998年には重いうつ病を発症し、芸能活動を休止。その後、一度は仕事に復帰しましたが、再び療養生活を送ることになります。
また、2010年には不整脈の手術を受けたことも報じられています。
ただし、これらの病歴と2019年の死因は区別する必要があります。所属事務所が公表した死亡原因は老衰であり、うつ病やパーキンソン病が直接の死因だったという発表はありません。
享年88歳、生年月日は1930年7月27日高島忠夫さんは1930年7月27日、兵庫県武庫郡御影町(現在の神戸市東灘区御影)に生まれました。
本名は髙嶋忠夫。芸名では「高島」の表記を使用し、俳優、歌手、タレント、司会者、映画解説者として活動しました。
1930年7月27日生まれで2019年6月26日に亡くなっているため、満年齢では88歳です。昭和5年に生まれ、昭和、平成という二つの時代を芸能界の第一線で過ごした人物でした。
【俳優・歌手・司会者としての経歴】新東宝から東宝芸能までの活躍
高島忠夫さんの芸能人生は、映画俳優として始まりました。しかし、活動領域は映画だけにとどまりません。ミュージカル、歌手活動、テレビ番組の司会、映画解説まで、複数の分野で実績を残しています。
1951年、新東宝第1期ニューフェイスに合格芸能界入りのきっかけは、1951年の新東宝第1期ニューフェイスへの採用でした。
関西学院大学在学中に芸能界入りし、翌1952年には井上梅次監督の映画『恋の応援団長』で映画デビューを果たします。
当時はジャズ音楽にも親しみ、映画俳優としてだけでなく、歌や音楽の素養を持つエンターテイナーとして注目されました。二枚目俳優としての華やかさと、歌える俳優という個性が、その後の活動の幅を広げていきます。
東宝への移籍とミュージカルでの成功その後、東宝へ移籍した高島さんは、映画や舞台で活躍の場を広げました。
代表的な作品の一つが、1962年公開の『キングコング対ゴジラ』です。日本映画史に残る特撮映画への出演は、幅広い世代に名前を知られるきっかけにもなりました。
舞台では、1963年のミュージカル『マイ・フェア・レディ』でヒギンズ教授役を務めました。日本のミュージカル史においても重要な作品で、映画俳優とは異なる舞台人としての実力を示しています。
また、『坊ちゃん』シリーズや『嵐を呼ぶ楽団』『君も出世ができる』などにも出演。コミカルな役からミュージカル作品まで幅広い役柄を演じました。
テレビでは『ごちそうさま』『ゴールデン洋画劇場』が代表的な実績に映画ファン以外にも高島さんの名前を広めたのが、テレビでの活動です。
特に知られているのが、日本テレビ系の料理番組『ごちそうさま』です。1971年から1996年まで、妻の寿美花代さんとともに司会を担当しました。
料理を紹介するだけでなく、出演者との会話や夫婦の掛け合いを楽しめる番組として長く親しまれました。高島さんの明るい話し方と、寿美さんとの自然なコンビネーションが番組の魅力でした。
加えて、フジテレビ系『ゴールデン洋画劇場』では映画解説者としても活躍。映画の内容を分かりやすく伝える語り口で、25年間にわたり視聴者に親しまれました。
映画を演じる側だけでなく、映画の魅力を紹介する側にも立ったことが、高島忠夫さんの大きな特徴です。
【家族と関係者一覧】寿美花代・髙嶋政宏・髙嶋政伸との関係
高島忠夫さんを語るうえで欠かせないのが、妻の寿美花代さんと二人の息子です。家族それぞれが芸能界で活動しており、いわゆる「高島ファミリー」として知られていました。
また、弟は音楽プロデューサーの髙嶋弘之さん、姪はヴァイオリニストの高嶋ちさ子さんです。芸能や音楽に関わる人物が多い家系でもあります。
高島忠夫を中心とした人物・作品の関係| 人物・作品 | 高島忠夫との関係 | 主な接点・実績 |
|---|---|---|
| 寿美花代 | 妻・女優 | 1963年に結婚。『ごちそうさま』で夫婦共演。 |
| 髙嶋道夫 | 長男 | 1964年、生後5か月で殺害される事件に遭う。 |
| 髙嶋政宏 | 次男・俳優 | 1993年の『ゴジラVSメカゴジラ』で父と共演。 |
| 髙嶋政伸 | 三男・俳優 | 父の死去に際して、所属事務所を通じて追悼コメントを発表。 |
| 髙嶋弘之 | 弟 | 音楽プロデューサーとして活動。 |
| 高嶋ちさ子 | 姪 | ヴァイオリニスト、タレントとして活動。 |
| 『ごちそうさま』 | 代表的な出演番組 | 寿美花代と夫婦で司会を務めた料理番組。 |
| 『ゴールデン洋画劇場』 | 映画解説者として出演 | 長期間にわたって映画の魅力を紹介。 |
寿美花代さんは、宝塚歌劇団の元星組男役トップスターで、退団後も女優やタレントとして活躍した人物です。
二人が知り合ったきっかけは、1962年の東宝創立30周年記念公演のミュージカル『君にも金儲けができる』での共演でした。
交際を経て、1963年に結婚。その後、夫婦で『ごちそうさま』の司会を担当するようになり、テレビを通じて仲の良い夫婦として親しまれました。
高島さんの明るく快活なキャラクターと、寿美さんの華やかで落ち着いた雰囲気は相性が良く、芸能界を代表する夫婦として知られるようになります。
息子は髙嶋政宏と髙嶋政伸高島さんと寿美さんの間には、長男の道夫さん、次男の髙嶋政宏さん、三男の髙嶋政伸さんがいました。
長男の道夫さんは幼い時期に亡くなりましたが、その後に生まれた二人の息子は俳優として芸能界で活躍しています。
髙嶋政宏さんは映画、ドラマ、舞台など幅広い分野で活動。1993年公開の『ゴジラVSメカゴジラ』では父との共演も実現しました。
髙嶋政伸さんも俳優として数多くのドラマや映画に出演し、独自の演技スタイルを確立しています。
二人は2019年の父の訃報に際して、それぞれ追悼コメントを発表しました。政宏さんは晩年の父の体調や最期の様子に触れ、政伸さんは父が最後まで明るく笑い、話していたことを伝えています。
【長男殺害事件とは】1964年に高島夫妻を襲った悲しい出来事
高島忠夫さんと寿美花代さんの人生には、芸能一家として知られる以前に、家族の歴史を大きく変えた悲しい事件がありました。
それが、1964年8月24日に発生した高島忠夫長男殺害事件です。
生後5か月の長男・道夫さんが亡くなる事件が起きたのは、東京都世田谷区にあった高島夫妻の自宅です。
当時、生後5か月だった長男の道夫さんが自宅で行方不明になり、夫妻が家の中を捜索した結果、浴槽内で発見されました。病院に搬送されましたが、助かりませんでした。
当初は外部から侵入した人物による犯行も疑われましたが、警察の捜査によって、当時17歳だった住み込みの家政婦による犯行であることが判明しました。
この事件は当時の社会にも大きな衝撃を与え、芸能人の家庭で起きた重大事件として報道されました。
事件後も家族が抱え続けた悲しみ事件から約49年後の2013年、フジテレビのドキュメンタリー番組『独占密着!真実の高島ファミリー「忠夫さん、死ぬまで一緒やで」~寿美花代 献身愛で闘う夫の病~』で、寿美さんが長男の事件について語りました。
この番組では、事件が家族に残した影響や、夫の闘病を支えてきた寿美さんの姿が紹介されました。
当時の報道や番組で明らかになったのは、事件が単なる過去の出来事ではなく、長い年月を経ても家族の心に残り続けていたということです。
その後、政宏さんと政伸さんが誕生し、家族は新たな生活を築いていきました。しかし、長男を失った悲しみが消えたわけではありません。芸能界で見せていた明るい家族の姿の背景には、こうした苦難もありました。
【晩年・現在】うつ病からの復帰とパーキンソン病などの闘病
高島忠夫さんは、長年にわたってテレビの第一線で活躍していましたが、1990年代後半から健康問題に直面するようになります。
特に大きな転機となったのが、1998年に発症した重度のうつ病でした。
1998年に重度のうつ病を発症当時の高島さんは、『ゴールデン洋画劇場』など複数のレギュラー番組を抱え、芸能活動の絶頂期にありました。
しかし、1998年に重度のうつ病を発症し、番組を降板。長期間にわたる療養生活に入ります。
明るく元気な司会者というテレビでのイメージが強かっただけに、突然の活動休止は大きな出来事でした。
その闘病経験は、後に著書『「うつ」への復讐―絶望から六年目の復活』にもまとめられています。
2007年に芸能活動へ本格復帰療養を続けた高島さんは、徐々に仕事へ戻り、2007年春には完全復帰を果たしました。
うつ病との闘いは、日本テレビのドラマ『うつへの復讐~絶望からの復活~』としても取り上げられています。
自身の経験を公にしたことは、当時まだ社会的な理解が十分とはいえなかったうつ病について、広く知ってもらう機会にもなりました。
パーキンソン病や不整脈など、その後の健康問題復帰後も健康問題は続きました。スポーツ紙の報道によると、その後はパーキンソン病を患い、2010年には不整脈の手術も受けています。
2013年にはフジテレビのドキュメンタリー番組で約5年ぶりにテレビ出演。寿美さんが夫の療養生活を支える様子も紹介されました。
次男の政宏さんは2019年の父の訃報に際し、亡くなる数か月前には寝たきりの状態が多くなり、呼吸も弱まっていたことを明かしています。
一方、三男の政伸さんは、父が最後まで明るく声を出して笑ったり話したりしていたことを伝えました。
こうした家族のコメントからは、晩年まで高島さんらしい明るさが残っていたことがうかがえます。
2026年現在、高島忠夫の家族はどうなっている?高島忠夫さんは2019年に亡くなりましたが、家族については2026年に大きな節目がありました。
妻の寿美花代さんが2026年8月3日、老衰のため94歳で亡くなりました。所属事務所の東宝芸能が同月6日に発表しています。
寿美さんは1948年に宝塚歌劇団へ入団し、星組のトップスターとして活躍した人物です。高島さんと結婚してからは、夫婦で『ごちそうさま』の司会を務めるなど、長年にわたって芸能界で活動しました。
寿美さんの訃報に際して、政宏さんと政伸さんはそれぞれ母への感謝と追悼のコメントを発表しました。
したがって、2026年11月現在、高島忠夫さんと寿美花代さんはともに亡くなっています。一方、息子の髙嶋政宏さん、髙嶋政伸さんは俳優として活動を続けています。
【よくある質問】高島忠夫の死去に関するFAQ
Q1:高島忠夫が死去したのはいつですか? A1:2019年6月26日午後1時01分です。所属事務所の東宝芸能が6月28日に発表しました。
Q2:高島忠夫の死因は何ですか? A2:公表された死因は老衰です。うつ病やパーキンソン病などの闘病歴もありましたが、死亡原因として発表されたのは老衰です。
Q3:高島忠夫は何歳で亡くなりましたか? A3:享年88歳です。1930年7月27日生まれで、2019年6月26日に亡くなりました。
Q4:高島忠夫の妻は誰ですか? A4:妻は元宝塚歌劇団星組トップスターで女優の寿美花代さんです。1963年に結婚し、夫婦で料理番組『ごちそうさま』の司会を務めました。寿美さんも2026年8月3日に94歳で亡くなっています。
Q5:高島忠夫の息子は誰ですか? A5:次男が俳優の髙嶋政宏さん、三男が俳優の髙嶋政伸さんです。長男の道夫さんは1964年に生後5か月で殺害される事件に遭いました。
Q6:高島忠夫の代表的な出演番組は何ですか? A6:日本テレビ系の料理番組『ごちそうさま』や、フジテレビ系の『ゴールデン洋画劇場』が代表的です。また、『クイズ・ドレミファドン!』の司会でも知られています。
Q7:高島忠夫はうつ病を患っていたのですか? A7:はい。1998年に重度のうつ病を発症し、芸能活動を一時休止しました。その後、療養を続けて2007年春に本格復帰しています。
高島忠夫さんは、1930年7月27日に生まれ、2019年6月26日に88歳で亡くなりました。死因は老衰で、最期は自宅でした。
1951年の新東宝ニューフェイスへの採用を出発点に、映画俳優、ミュージカル俳優、歌手、テレビ司会者、映画解説者として長年にわたって活躍しました。
特に『ごちそうさま』での寿美花代さんとの夫婦共演や、『ゴールデン洋画劇場』での解説は、昭和から平成にかけてのテレビ文化を振り返るうえで欠かせない実績です。
一方、長男の殺害事件や1998年のうつ病発症など、人生には大きな苦難もありました。それでも療養を経て芸能活動に復帰し、家族に支えられながら晩年を過ごしました。
2026年には妻の寿美花代さんも94歳で亡くなり、夫婦で歩んだ長い人生に一つの区切りが訪れました。
高島忠夫さんの功績を振り返る際に大切なのは、単に「明るい司会者」「芸能一家の父親」というイメージだけで人物像を捉えないことです。映画、音楽、舞台、テレビという複数の分野で実績を残し、病気や家族の悲劇とも向き合ってきた一人の表現者として、その歩みを見つめる必要があります。
出演映画や番組、本人の著書、家族が語った記録をたどることで、高島忠夫という人物が日本の芸能史に残した仕事と、その人生の奥行きを改めて知ることができます。
主な事実確認資料: 東宝芸能の訃報発表を伝えたオリコンニュース、日本映画専門チャンネルの追悼記事、スポーツニッポンの闘病報道、日刊スポーツの経歴・出演歴、2026年8月の寿美花代さんの訃報を伝えたTBS NEWS DIGなど。