清見潟親方(きよみがたおやかた)は、元関脇・栃煌山として活躍した元大相撲力士です。本名は影山雄一郎。1987年3月9日生まれ、高知県安芸市出身で、2026年11月現在は39歳です。現役時代は最高位の関脇まで昇進し、生涯戦歴661勝598敗19休という実績を残しました。
2020年7月15日に現役を引退し、年寄「清見潟」を襲名。その後は春日野部屋に所属する親方として後進の指導に携わっています。日本相撲協会の2026年の職務分掌では、委員として審判部・指導普及部・社会貢献部を担当しています。現役時代の歩みから、引退の経緯、現在の役職まで公式プロフィールと報道資料を基に整理します。
【清見潟親方とは?】元関脇・栃煌山で本名は影山雄一郎

清見潟親方の現役時代の四股名は、栃煌山(とちおうざん)です。力士として15年以上にわたり土俵に立ち、関脇まで昇進した実力者として知られています。
日本相撲協会の公式プロフィールでは、年寄名を清見潟雄一郎、現役時代の四股名を栃煌山雄一郎と記載しています。本名は影山雄一郎です。
つまり、清見潟親方と元関脇・栃煌山は別人ではありません。現役引退後に年寄名跡を襲名したことで、呼び名が変わっています。
現役時代の栃煌山は、右四つからの寄りを得意とする力士でした。身長187センチ、体重151キロという体格を生かし、前に出る相撲を持ち味としていました。
引退時の報道では、長年にわたって自分の相撲を貫いてきた姿勢も紹介されています。大関昇進こそ実現しなかったものの、三役を通算25場所務め、幕内上位で長く活躍した力士です。
【年齢・本名・出身地】清見潟親方のプロフィールを公式情報で確認
清見潟親方の基本情報は、日本相撲協会の年寄プロフィールで確認できます。2026年11月時点の年齢は39歳です。
1987年3月9日生まれのため、2026年3月9日に39歳の誕生日を迎えました。出身地は高知県安芸市です。
高知県は伝統的に相撲との結び付きが深い地域として知られています。栃煌山も地元で相撲に取り組み、明徳義塾高校を経て春日野部屋に入門しました。
プロフィール上の重要項目を
- 現在の親方名:清見潟雄一郎
- 現役時代の四股名:栃煌山雄一郎
- 本名:影山雄一郎
- 生年月日:1987年3月9日
- 年齢:39歳(2026年11月現在)
- 出身地:高知県安芸市
- 所属部屋:春日野部屋
- 現役時代の最高位:関脇
- 得意技:右四つ・寄り
- 現役引退:2020年7月
- 協会での役職:委員
ここで押さえておきたいのが、本名と年寄名の違いです。影山雄一郎は本名、栃煌山雄一郎は現役時代の四股名、清見潟雄一郎は引退後の年寄名です。それぞれ役割が異なります。
また、春日野部屋は現役時代から所属していた相撲部屋です。引退後も同部屋に所属し、親方として相撲界に残っています。
【栃煌山の経歴・生涯戦歴】最高位は関脇!現役時代の成績を年表で解説
栃煌山の現役生活は2005年1月場所の初土俵から始まりました。順調に番付を上げ、2007年3月場所には新入幕を果たします。その後、2009年5月場所に新三役となり、2010年代には幕内上位の常連として活躍しました。
日本相撲協会の公式記録によると、生涯戦歴は661勝598敗19休。幕内では573勝563敗19休を記録しています。
栃煌山の主な経歴と転換点| 時期 | 出来事 | 主な実績・内容 |
|---|---|---|
| 1987年3月 | 誕生 | 高知県安芸市出身 |
| 2005年1月 | 初土俵 | 春日野部屋から力士人生をスタート |
| 2006年9月 | 新十両 | 関取に昇進 |
| 2007年3月 | 新入幕 | 幕内力士として活躍を開始 |
| 2009年5月 | 新三役 | 小結に昇進 |
| 2012年5月 | 夏場所 | 優勝決定戦に進出 |
| 2019年1月 | 初場所 | 横綱・稀勢の里を破る |
| 2020年7月15日 | 現役引退 | 年寄「清見潟」を襲名 |
栃煌山の現役時代を語るうえで欠かせないのが、安定した幕内での実績です。
日本相撲協会の公式プロフィールに掲載されている主な成績は以下のとおりです。
- 生涯戦歴:661勝598敗19休(91場所)
- 幕内戦歴:573勝563敗19休(77場所)
- 最高位:関脇
- 幕内優勝:0回
- 三段目優勝:1回
- 殊勲賞:2回
- 敢闘賞:2回
- 技能賞:2回
- 金星:6個
三賞は合計6回。殊勲賞・敢闘賞・技能賞をそれぞれ2回ずつ受賞しています。加えて、横綱を破った力士に与えられる金星も6個獲得しました。
幕内優勝はありませんが、2012年5月場所では優勝決定戦まで進出しています。優勝には届かなかったものの、賜杯を争う位置まで勝ち上がったことは、栃煌山の実力を示す代表的な出来事です。
稀勢の里との一番も記憶に残る栃煌山の印象的な取組として知られるのが、2019年1月場所での横綱・稀勢の里との対戦です。
初場所3日目、栃煌山は稀勢の里を寄り切りで破りました。この取組は、稀勢の里にとって現役最後の一番となったことでも知られています。
同世代の力士として競い合ってきた両者の関係もあり、栃煌山にとって特別な一番として報道されました。
関脇という最高位だけを見ると大関には届かなかった力士ですが、長期にわたる幕内在位、三賞6回、金星6個という実績を踏まえると、上位陣と互角に渡り合った実力者だったことが分かります。
【2020年7月に引退】栃煌山が清見潟親方になった理由とその後
栃煌山が現役引退を発表したのは、2020年7月15日です。同日、年寄「清見潟」を襲名し、力士から親方へと立場を変えました。
日本相撲協会の公式チャンネルも、2020年7月18日に引退と襲名を紹介する映像を公開しています。現役生活は2005年1月場所の初土俵から約15年間に及びました。
引退を決断した背景引退の背景には、番付の変動と成績の低迷がありました。
栃煌山は2019年九州場所で十両に陥落した後、翌2020年初場所で幕内に復帰しました。しかし、2020年3月場所では3勝12敗と大きく負け越し、再び十両への陥落が決まりました。
日本相撲協会の公式プロフィールでは、引退場所は令和2年7月場所と記録されています。7月場所の直前となる7月15日に引退を発表しました。
引退会見では、十両陥落を決断のきっかけとして挙げています。報道によれば、本人は現役生活に一つの区切りがついたという心境を語っていました。
現役時代に貫いた相撲への姿勢日刊スポーツの引退会見報道では、栃煌山が自分の相撲について次のように語ったことが紹介されています。
「前に出る、それが自分の相撲。」
この言葉は、栃煌山の相撲人生を象徴するものです。右四つから寄る正攻法を軸に、相手に向かっていく取り口を長年貫いてきました。
器用な技に頼るのではなく、基本を繰り返し、身体に覚え込ませるという姿勢も引退時の報道で紹介されています。
引退後は春日野部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたることになりました。自らが長年経験してきた稽古や取組の感覚を、次の世代に伝える立場へ移ったのです。
【2026年最新】清見潟親方の現在の役職は?審判部・指導普及部で活動
2026年11月現在、清見潟親方は日本相撲協会の委員を務めています。
日本相撲協会の公式サイトに掲載されている職務分掌では、清見潟雄一郎の担当として、審判部・指導普及部・社会貢献部の3つが記載されています。
これは、現役引退後に親方として協会運営に携わり、複数の分野で役割を担っていることを示しています。
審判部の委員として担う役割審判部は、本場所における勝敗の判定や取組の編成を担当する部署です。
大相撲では、力士同士の取組を公平に裁き、勝敗を正しく判断することが欠かせません。また、番付や力士の状況を踏まえた取組の作成も重要な仕事です。
清見潟親方は、公式の職務分掌で審判部に所属する委員として掲載されています。
ただし、審判部長や副部長という役職ではありません。公式資料上の役職はあくまで「委員」です。この違いを理解しておくと、現在の立場を正確に把握できます。
指導普及部では相撲文化の継承に関わる指導普及部は、相撲の伝承を目的として、相撲技術の研修や指導、普及活動、相撲道に関する出版物の刊行などを担う部署です。
現役時代に関脇まで昇進した清見潟親方にとって、長年の実戦経験は相撲の技術や基本動作を伝えるうえで生かせる財産です。
相撲の技術は、映像や記録だけでは伝わりにくい身体の使い方や間合い、稽古の積み重ねによって身に付く部分もあります。実際に幕内で戦ってきた親方が指導や普及に携わることには、大きな意味があります。
社会貢献部も担当2026年の職務分掌では、清見潟親方は社会貢献部にも名前が掲載されています。
このように、現在の役割は春日野部屋での後進指導だけにとどまりません。協会全体の運営に関わる複数の部署を担当している点が、2026年時点での特徴です。
【親方としての評価】栃煌山の経験は次世代の力士にどう生きる?
清見潟親方の現在を理解するうえで注目したいのが、現役時代の競技経験と引退後の仕事とのつながりです。
栃煌山は横綱や大関を相手に何度も取組を経験し、関脇として上位の土俵で戦ってきました。生涯戦歴661勝598敗19休という数字は、長期間にわたって勝負の世界に身を置いてきた証拠でもあります。
その経験は、親方としての指導や協会の職務に生かせるものです。
特に、右四つ・寄りを得意とした栃煌山の取り口は、基本動作を徹底する相撲の一例として捉えられます。自らの得意な型を磨き続けてきた経験は、若い力士が自分の相撲を確立する際にも参考になるでしょう。
また、審判部の仕事は、現役時代のように自分が勝つことを目指すものではありません。取組全体を見渡し、公平な判断と円滑な本場所運営を支える立場です。
現役力士から親方へという転身は、単なる職業の変更ではありません。土俵上で培った経験を、相撲界全体に還元する段階に入ったということです。
なお、協会の職務分掌に掲載されているのは担当部署と役職です。個々の取組での審判担当や、日々の指導内容すべてが公表されているわけではありません。現在の活動を知る際は、公式プロフィールと職務分掌を基準にするのが確実です。
【清見潟親方に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:清見潟親方の本名は何ですか?
A1:本名は影山雄一郎です。現役時代は栃煌山雄一郎の四股名で活躍し、2020年7月15日の引退後に年寄「清見潟」を襲名しました。
Q2:清見潟親方は2026年現在何歳ですか?
A2:1987年3月9日生まれで、2026年11月現在39歳です。出身地は高知県安芸市です。
Q3:元栃煌山の最高位と生涯戦歴は?
A3:最高位は関脇です。日本相撲協会の公式プロフィールによる生涯戦歴は661勝598敗19休(91場所)、幕内戦歴は573勝563敗19休(77場所)です。
Q4:清見潟親方は現在どこの相撲部屋に所属していますか?
A4:春日野部屋です。現役時代も春日野部屋に所属し、引退後も同部屋に所属する親方として後進の指導に携わっています。
Q5:清見潟親方は現在どのような役職に就いていますか?
A5:2026年11月時点の日本相撲協会の職務分掌では委員です。審判部・指導普及部・社会貢献部を担当しています。審判部長や副部長ではありません。
Q6:栃煌山は幕内優勝を経験していますか?
A6:幕内優勝はありません。ただし、2012年5月場所では優勝決定戦に進出しています。また、殊勲賞2回、敢闘賞2回、技能賞2回、金星6個という実績を残しています。
清見潟親方は、元関脇・栃煌山として長年にわたって幕内上位で活躍した人物です。本名は影山雄一郎、1987年3月9日生まれで、2026年11月現在39歳。高知県安芸市出身で、春日野部屋に所属しています。
現役時代の最高位は関脇。生涯戦歴661勝598敗19休、幕内在位77場所、三賞6回、金星6個という実績を残し、2020年7月15日に現役を引退しました。
2026年現在は年寄・清見潟として、審判部・指導普及部・社会貢献部を担当する委員を務めています。現役時代に培った経験を、後進の育成や相撲協会の運営に生かす立場です。
清見潟親方について調べる際は、元栃煌山という現役時代の名前、本名の影山雄一郎、引退後の年寄名である清見潟を区別すると理解しやすくなります。また、2026年の役職を確認する場合は、親方個人のプロフィールだけでなく、日本相撲協会の職務分掌も併せて見ることが大切です。
関脇まで上り詰めた元力士が、今度は相撲界を支える側としてどのような役割を果たしていくのか。春日野部屋での指導と協会での活動、その両面が今後も注目されます。
主な根拠資料: 日本相撲協会公式プロフィール、2026年職務分掌、協会組織案内、2020年7月15日の引退会見に関する日刊スポーツ・デイリースポーツの報道。