「マツケンサンバII」の振付師は、愛称「マジー」で親しまれた真島茂樹(まじま・しげき)さんです。日劇ダンシングチームのトップダンサーとして活躍した経歴を持ち、俳優・松平健さんとの長年の交流から、あの華やかで独創的な振り付けが誕生しました。
実は、マツケンサンバIIは2004年に突然生まれたヒット曲ではありません。1994年から舞台で披露され、1997年ごろに真島さんが振り付けを担当。アメリカ公演に向けた演出の刷新を経て、2004年に全国的なブームを巻き起こしました。加えて、2024年5月22日には真島さんが77歳で亡くなっています。2026年現在も、その振り付けは松平さんのコンサートなどで受け継がれています。
- 振付師は真島茂樹さん。愛称はマジーで、日劇ダンシングチームのトップダンサー出身。
- 松平健さんとの旧知の関係から、1997年ごろに振り付けを依頼され、アメリカ公演を機に演出を一新した。
- 2004年の神宮外苑花火大会などをきっかけに全国的な人気を獲得した。
- 2024年5月22日、虚血性心不全のため77歳で死去。
- 2026年現在も、真島さんが残した振り付けは松平健さんのステージで継承されている。
【人物プロフィール】マツケンサンバIIの振付師・真島茂樹とは?

【人物紹介】マジーこと真島茂樹の本名・経歴・プロフィール
(まじま・しげき)
1947年3月22日~2024年5月22日
- 愛称:マジー
- 出身:栃木県
- 職業:ダンサー・振付師・俳優・歌手
- 代表的な仕事:マツケンサンバIIの振り付け
- 所属:日劇ダンシングチーム出身
真島茂樹さんは、華やかなレビューの世界で長年活躍した日本を代表するダンサー・振付師の一人です。
1947年3月22日生まれで、2024年5月22日に77歳で亡くなりました。
愛称の「マジー」は、テレビ出演などを通じて広く知られるようになった呼び名です。マツケンサンバIIの間奏で圧倒的なダンスを披露する姿も印象的で、単に振り付けを考えるだけでなく、自らステージに立つパフォーマーでもありました。
真島茂樹の本名は?検索では「真島茂樹 本名」という疑問も多く見られます。
所属事務所の公式発表や主要な人物プロフィールでは、真島茂樹という名前で紹介されています。「マジー」は愛称です。
本名については、公式発表で別の名前が明示されているわけではありません。そのため、ネット上のプロフィール転載などに見られる別名を、確定した本名として扱うことはできません。
日劇ダンシングチームのトップダンサーだった真島さんのキャリアを理解するうえで欠かせないのが、日劇ダンシングチームです。
1972年、高校卒業後に同チームへ入団。日本を代表するレビューの舞台で、ダンサーとして経験を積みました。
日劇ダンシングチームは、華やかな衣装や大人数による群舞、洗練された舞台演出で知られた存在です。
真島さんはその中でトップダンサーとして活躍しました。
1981年の日劇閉館後は、活動の場をミュージカルやダンス講師、振付師へと広げています。
出演した主な舞台には、次のような作品があります。
- 『屋根の上のヴァイオリン弾き』
- 『王様と私』
- 『シカゴ』
- 『ラ・カージュ・オ・フォール』
バレエ、タップダンス、ジャズダンス、モダンダンス、日本舞踊など幅広いジャンルに精通していたことも特徴です。
こうした経験が、後に和装と洋風のレビューを融合させたマツケンサンバIIの振り付けに生かされました。
【キャリア年表】真島茂樹と松平健を結んだ運命の出会い
【経歴・関係者一覧】松平健との出会いから1998年のアメリカ公演まで
真島さんと松平健さんの関係は、マツケンサンバIIの振り付けを依頼した時点から始まったわけではありません。
二人には、若いころからの交流がありました。
松平健との出会いは10代のころ松平さんは若いころからレビューや舞台が好きで、日劇の公演にも足を運んでいました。
そこで日劇ダンシングチームのダンサーだった真島さんと知り合い、合同ミュージカルなどを通じて親交を深めていきます。
日刊スポーツの2024年8月のお別れ会報道でも、松平さんと真島さんの出会いは松平さんが10代だったころと紹介されています。
松平さんにとって真島さんは、単なる仕事上の振付師ではなく、舞台芸術をともに作り上げてきた旧知の仲間でした。
1997年ごろ、振り付けの依頼が舞い込む転機となったのは、1997年ごろの再会です。
日本香堂のインタビューで真島さん本人が語ったところによると、国立劇場で日本舞踊の公演に出演した後、松平さんが楽屋を訪ねてきました。
その後、一緒に食事に出かけた際、松平さんはバッグから楽曲の音源を取り出します。
それがマツケンサンバでした。
松平さんは、真島さんに日劇風の振り付けを自由に作ってほしいと依頼します。
真島さんは宮川彬良さんが作曲した音楽を気に入り、ほぼ1日で振り付けを完成させたと振り返っています。
依頼からわずか4日後には、築地のお寺にある稽古場でダンサーへの指導が始まっていたそうです。
1998年のアメリカ公演で振り付けを一新した理由1998年のアメリカ公演は、マツケンサンバIIの演出が大きく変わる重要な転換点でした。
それまでのマツケンサンバは、日本舞踊を中心とした振り付けで、手ぬぐいや桜の枝などを使う和風の演出が特徴でした。
しかし、海外公演に向けて、より視覚的なインパクトを持つショーへと変える必要がありました。
そこで真島さんが取り入れたのが、次のような要素です。
- 腰を大きく使う大胆な動き
- サンバをイメージした華やかな群舞
- スパンコールをあしらった豪華な着物
- 主役の登場を際立たせる舞台構成
特に大きな変更だったのが衣装です。
松平さんは後年のインタビューで、アメリカ公演に合わせてスパンコールの着物へ変更したことを明かしています。
また、腰を振る振り付けについては、最初は少し恥ずかしさもあったと振り返っています。
ところが、実際に踊ってみると観客の反応は上々でした。
帰国後、日本の舞台でも同じスタイルを取り入れるようになり、現在知られる華やかなマツケンサンバIIの原型が定着していきました。
真島茂樹と松平健のキャリア年表| 時期 | 出来事 | 関係・功績 |
|---|---|---|
| 1947年 | 真島茂樹誕生 | 栃木県出身 |
| 1972年 | 日劇ダンシングチーム入団 | トップダンサーとして活躍 |
| 1981年 | 日劇閉館 | ミュージカル・振付・指導へ |
| 1994年 | マツケンサンバIIが舞台で披露される | 松平健の舞台フィナーレ曲 |
| 1997年ごろ | 真島さんに振り付けを依頼 | 松平健との旧交から実現 |
| 1998年 | アメリカ公演に向けた演出刷新 | 華やかな和洋折衷のスタイルへ |
| 2004年 | 全国的な大ブーム | 神宮外苑花火大会などが転機 |
| 2021年 | NHK紅白歌合戦 | 腰元ダンサーズの振り付けを担当 |
| 2024年5月22日 | 真島さん死去 | 77歳、虚血性心不全 |
| 2024年8月 | お別れの会 | 関係者約600人が参列 |
| 2026年 | 松平健のステージで継承 | 振り付けが現在も活用される |
【振り付けの秘密】マツケンサンバIIはなぜ誕生した?
【誕生秘話】マジーが作った振り付けの特徴と独創的な演出
マツケンサンバIIの魅力は、音楽だけではありません。
真島さんの振り付けによって、楽曲そのものが一つの完成された舞台エンターテインメントへと進化しました。
① 和と洋を大胆に融合した振り付け最大の特徴は、日本舞踊と洋風レビューの融合です。
日本の時代劇を象徴する着物やちょんまげ姿で、サンバをイメージした華やかなダンスを踊る。
この組み合わせには、従来の歌謡ショーにはない意外性がありました。
しかも、単に珍しいだけではありません。
真島さんは日劇ダンシングチームで培ったレビューの技術を取り入れ、舞台全体を一つのショーとして構成しました。
② 腰の動きと大きな身振りマツケンサンバIIを象徴するのが、松平さんの大胆な腰の動きです。
日本舞踊の所作を基礎としながらも、洋風のリズムに合わせて身体を大きく動かすことで、観客の目を引くパフォーマンスが完成しました。
松平さんが「僕も腰を振るの?」と尋ねた際、真島さんは積極的に踊ってもらうよう伝えたといいます。
このやり取りは、真島さんの演出に対する自信と、松平さんとの信頼関係を象徴するエピソードです。
③ 腰元ダンサーズとサンバ棒もう一つの特徴が、バックダンサーの存在です。
腰元ダンサーズは、松平さんの登場を盛り上げる重要な役割を担っています。
真島さんは、ダンサーが手に持つ従来の和風の道具を、チアガールのように華やかな房を付けた「サンバ棒」に変更するアイデアも出しました。
また、群舞でサンバらしい雰囲気を作り、主役の松平さんが後から登場する構成を採用しています。
スターを最初から登場させず、期待感を高めてから登場させる。
これはレビューの舞台演出を熟知した真島さんならではの工夫でした。
④ 誰もが楽しめる振り付けマツケンサンバIIは、プロのダンサーだけが楽しめる作品ではありません。
観客も一緒に踊れることが大きな特徴です。
2004年の神宮外苑花火大会では、真島さんが観客に振り付けを教える時間が設けられました。
会場全体で踊るという演出は大きな盛り上がりを生み、その後のテレビ出演にもつながりました。
つまり、真島さんの振り付けは、ステージ上のパフォーマンスを観客参加型のエンターテインメントへ変えたのです。
【2004年の大ヒット】マジーの振り付けが全国に広がった理由
【ブレークの真相】2004年にマツケンサンバIIが大ヒットした理由
マツケンサンバIIは、振り付けが完成してすぐに全国的なブームになったわけではありません。
実際には、劇場での公演を重ねながら少しずつ人気を獲得していきました。
劇場公演で育てられた楽曲マツケンサンバIIは、もともと松平健さんの舞台公演のフィナーレを飾るための曲でした。
松平さんの舞台は、第一部が時代劇、第二部が歌謡ショーという構成です。
観客に楽しい気持ちで帰ってもらうため、フィナーレで披露されていたのがマツケンサンバIIでした。
その前には「松健音頭」や「マツケンマンボ」などもあり、観客を楽しませるための試行錯誤が続いていました。
1994年から舞台で歌われていた楽曲が、長い時間をかけて成長していったのです。
CD化をめぐる苦労と地道な宣伝意外なのは、当初からレコード会社が積極的にCD化を進めていたわけではないことです。
松平さんは、舞台を見た観客からCDを求める声が上がったことを受けて、レコード会社に発売を相談しました。
しかし、当初は実現しませんでした。
そこで自主制作したCDを公演会場で販売するなど、地道な取り組みを続けます。
加えて、名古屋の新聞社や放送局の関係者らが紅白歌合戦への出場を目標に宣伝活動を行いました。
ラジオで楽曲を流してもらったり、新聞で紹介したりする取り組みが、全国的な認知につながっていきます。
神宮外苑花火大会がブレークの転換点に大きな転機は、2004年8月の神宮外苑花火大会でした。
それまでの主な観客は劇場に足を運ぶ人たちでしたが、花火大会には若い世代を含む幅広い観客が集まります。
真島さんは、その場で観客に振り付けを教え、一緒に踊る演出を実施しました。
翌日の新聞で大きく取り上げられ、その3日後には初めてテレビ出演を果たします。
同年10月には新宿コマ劇場で「暴れん坊将軍~唄って踊って八百八町」が上演され、サンバを中心にしたコンサートツアーにも発展しました。
こうして、舞台で育てられた作品が全国的な人気を獲得していったのです。
大ヒットを生んだ4つの要素| 要素 | 内容 | 人気につながった理由 |
|---|---|---|
| 音楽 | 宮川彬良の楽曲 | 耳に残る明るいメロディー |
| 衣装 | スパンコールの和装 | 一目で分かる強烈な視覚的印象 |
| 振り付け | 真島茂樹による和洋折衷ダンス | 見ても踊っても楽しい |
| 舞台演出 | 腰元ダンサーズと主役の登場 | 大人数で盛り上がれる構成 |
2004年にはNHK紅白歌合戦への出場も実現しました。
加えて、日本レコード大賞の特別賞を受賞し、松平健さんの代表曲として定着します。
【評判と功績】真島茂樹はなぜ多くの人に愛されたのか
【マジーの評価】振付師としての実力と知られざる功績
真島さんの評価は、マツケンサンバIIの振り付けだけにとどまりません。
舞台芸術の世界で培った技術と、観客を楽しませるサービス精神が、多くの関係者から高く評価されていました。
振付師としての厳しさと優しさ所属事務所が公表した松平健さんの追悼コメントでは、真島さんの仕事ぶりについて、次のように紹介されています。
「一旦振り付けとなるとプロフェッショナルな厳しい指導、終われば明るく元気な優しい人柄でした」 松平健さんの公式追悼コメントより
振り付けの稽古では妥協せず、出演者に対して厳しく指導する一方、稽古が終わると周囲を明るくする人柄だったといいます。
2025年6月に放送された日本テレビの番組でも、松平さんと真島さんが二人三脚でステージを作り上げてきた歴史が紹介されました。
華やかな舞台の裏側には、こうした地道な指導と信頼関係があったのです。
2021年の紅白歌合戦でも存在感を発揮真島さんは、2004年のブーム以降もマツケンサンバIIに関わり続けました。
2021年の第72回NHK紅白歌合戦では、特別企画として披露されたマツケンサンバIIの腰元ダンサーズの振り付けを担当。
自身も腰元ダンサーズの一員として出演しました。
振付師でありながら、自分自身も踊り手としてステージに立つ。
この二つの役割を両立できたことが、真島さんの大きな個性でした。
マツケンサンバ以外の仕事も幅広い真島さんは、振付師としての活動以外にも多彩な実績を残しています。
- 2005年:シングル「花吹雪 不夜恋」で歌手デビュー
- テレビ番組『おネエMANS』などに出演
- ミュージカル作品への出演
- ダンス講師として後進を指導
- 美川憲一さんの「さそり座の女」スペシャルバージョンの振り付け
- 2021年:紅白歌合戦でマツケンサンバIIに出演
明るく華やかなキャラクターだけでなく、ダンサーとしての高い技術と幅広い表現力を持った人物だったことが分かります。
【訃報と現在】真島茂樹の死去・死因と2026年の評価
【2024年5月22日】真島茂樹の死因は虚血性心不全だった
2024年5月23日、真島茂樹さんの所属事務所である三喜プロモーションが訃報を発表しました。
発表によると、真島さんは2024年5月22日午後10時38分、虚血性心不全のため77歳で亡くなりました。
公式発表には、亡くなる前日まで仕事をしていたことも記されています。
突然の訃報は、松平さんをはじめ多くの芸能関係者やファンに大きな衝撃を与えました。
死因の虚血性心不全とは?虚血性心不全とは、心臓の筋肉への血液供給が不足する虚血性の病態に関連して、心臓が十分なポンプ機能を果たせなくなる状態を指します。
一般的には、冠動脈の血流障害などが関係することがあります。
ただし、真島さん個人について、具体的な発症経緯や基礎疾患、詳しい病状が公表されているわけではありません。
所属事務所の発表で確認できる死因は、虚血性心不全です。
松平健が語った真島茂樹への思い真島さんの死去後、松平さんは公式コメントで、長年一緒に仕事をしてきた相棒への敬意を示しました。
2024年8月8日には、東京都内のホテルニューオータニでお別れの会が開かれました。
関係者約600人が参列し、真島さんが着用した衣装や写真、振り付けの資料などが展示されました。
松平さんはこの場で、マジーから仕事を引き継いで頑張りたいという決意を語っています。
また、2025年のテレビ番組では、真島さんとの別れについて、2024年の神宮外苑花火大会のステージに立つ直前まで写真を見ていたことを明かしました。
二人の関係が単なる仕事仲間ではなく、長年にわたって舞台を作り続けた同志だったことが伝わるエピソードです。
2026年現在、マツケンサンバIIはどう受け継がれている?2026年現在、真島さん本人が新たな振り付けや舞台活動を行っているわけではありません。
しかし、彼が残したマツケンサンバIIの振り付けは、松平さんの公演で大切に受け継がれています。
注目したいのは、2025年12月7日に行われた松平健さんのインタビューです。
松平さんは、真島さんが亡くなった後も、コンサートでマジーの振り付けを大切に継続していると語っています。
加えて、2026年1月の明治座公演に関するインタビューでも、マツケンサンバIIを披露することを明言しました。
同公演では、観客が一緒に立ち上がって踊る企画も紹介され、舞台と客席の一体感が大きな魅力となっていました。
真島さんが作り上げた振り付けが、今も観客参加型の演出として生きているのです。
【プロの結論】真島茂樹の功績とマツケンサンバIIが残したもの
真島茂樹さんの功績を考えるとき、単純に「有名な曲の振り付けを担当した人」という評価だけでは不十分です。
真島さんが作り上げたのは、音楽、衣装、ダンス、舞台演出、観客参加を一つにしたエンターテインメントでした。
特に注目したいのは、次の3点です。
1. 異なる文化を組み合わせる発想力
日本舞踊とサンバ、時代劇とレビューという、一見すると相性がよくない要素を組み合わせました。その意外性が作品の強い個性になっています。
2. 観客を主役にする演出力
マツケンサンバIIは、見ているだけでも楽しい作品ですが、実際に踊ることでさらに盛り上がります。観客を巻き込む仕組みが、世代を超えて愛される理由の一つです。
3. 振付師自身がスターになれる表現力
真島さんは振り付けを提供するだけでなく、ステージにも立ちました。間奏で見せるキレのあるダンスや独特の存在感が、マジーというキャラクターを確立しました。
この3つが組み合わさったことが、マツケンサンバIIを一時的な流行に終わらせなかった大きな要因です。
【よくある質問】マツケンサンバの振付師に関するFAQ
【マツケンサンバの振付師】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:マツケンサンバIIの振付師は誰ですか?
A1:振付師は真島茂樹さんです。愛称はマジー。日劇ダンシングチームのトップダンサーとして活躍した後、松平健さんから依頼を受けて振り付けを担当しました。
Q2:真島茂樹さんの本名は何ですか?
A2:公表されている主要なプロフィールや所属事務所の訃報では、真島茂樹という名前で紹介されています。マジーは愛称です。
Q3:真島茂樹さんはいつ亡くなりましたか?
A3:2024年5月22日午後10時38分です。虚血性心不全のため77歳で亡くなりました。
Q4:松平健さんと真島茂樹さんはどのように出会ったのですか?
A4:松平さんが若いころから日劇のレビューを見に行っていたことなどを通じて知り合いました。その後、舞台やミュージカルを通じて交流を深め、1997年ごろにマツケンサンバの振り付けを依頼しました。
Q5:マツケンサンバIIの振り付けはいつ完成しましたか?
A5:真島さんのインタビューによると、1997年ごろに依頼を受け、ほぼ1日で振り付けを完成させたそうです。1998年のアメリカ公演に向けて演出が刷新されました。
Q6:真島茂樹さんは2026年現在も活動していますか?
A6:2024年5月に亡くなっているため、本人の活動はありません。ただし、振り付けは松平健さんのコンサートや舞台で受け継がれています。
マツケンサンバIIの振付師である真島茂樹さんは、日劇ダンシングチームのトップダンサーとして培った経験を生かし、日本舞踊と洋風レビューを融合させた独創的なパフォーマンスを生み出しました。
松平健さんとの長年の交流、1997年ごろの振り付け依頼、1998年のアメリカ公演に向けた演出の刷新、そして2004年の全国的な大ブーム。
その背景には、長年の舞台経験と観客を楽しませたいという真島さんの情熱がありました。
2024年5月22日に77歳で亡くなりましたが、彼が残した振り付けは2026年現在も松平さんのステージで受け継がれています。
マツケンサンバIIが今も世代を超えて愛される理由は、単に耳に残る音楽や豪華な衣装だけではありません。
真島茂樹という一人のダンサーが、観客全員を笑顔にするために作り上げた舞台芸術そのものが、今も生き続けているのです。