ホーム 芸能人プロフィール・現在 本多平直の経歴と現在は?2021年発言問題から2026年衆院選落選まで徹底解説

本多平直の経歴と現在は?2021年発言問題から2026年衆院選落選まで徹底解説

黒木 穂乃花 黒木 穂乃花 • 更新: • 公開: • 読了約 25 分
目次

本多平直(ほんだ・ひらなお)氏は、北海道大学法学部を卒業後、松下政経塾や枝野幸男氏の政策担当秘書を経て、衆議院議員を3期務めた政治家です。立憲民主党に所属し、内閣総理大臣補佐官や経済産業大臣政務官なども歴任しました。しかし、2021年の性交同意年齢をめぐる発言問題をきっかけに、立憲民主党を離党し、衆議院議員を辞職。その後、本人による説明や2024年の復党を経て、2026年には中道改革連合から大阪13区に立候補しました。

2026年11月現在、本多氏は現職の国会議員ではありません。2026年2月8日の衆議院選挙では大阪13区から出馬したものの、26,573票で落選しました。注目すべきなのは、2021年に報道された発言について、当時の謝罪・撤回と、後年の本人による全面否定、立憲民主党側の調査結果が必ずしも同じ内容を示していない点です。経歴から議員辞職、復党、2026年の選挙結果までを時系列で整理します。

【本多平直とは何者?】北海道大学から松下政経塾、枝野幸男氏の秘書を経た政治家人生

本多平直

本多平直氏は、北海道出身の元衆議院議員です。政治家としての専門分野は安全保障、行政改革、医療・福祉政策など。民主党政権時代には政府の要職も経験しています。

政治家としての出発点は、一般的な世襲政治家や地方議員とは異なります。大学で政治学を学び、松下政経塾で研修を積み、政党の政策スタッフや国会議員秘書として政治の実務を経験してから選挙に挑戦しました。

北海道大学法学部で学び、政治の道へ

本多氏は1964年、北海道札幌市生まれ。札幌南高校を経て、1988年に北海道大学法学部を卒業しました。

大学では主に政治学を学び、フランス社会党やミッテラン政権の誕生などを研究。本人の公式プロフィールでは、大学時代に政権交代への関心を強めたことが紹介されています。

1992年には松下政経塾を卒塾。現場を重視する研修を経験し、安全保障政策についても議論を重ねました。松下政経塾の卒塾生プロフィールでは第9期生として掲載されています。

枝野幸男氏の政策秘書として約10年間活動

1994年、本多氏は新党さきがけの政策調査会スタッフとなり、同年、衆議院議員だった枝野幸男氏の政策担当秘書に就任しました。

その後、約10年間にわたり枝野氏の政策活動を支援。特に薬害エイズ問題では、厚生省内の資料発見につながった質問主意書の作成など、政策秘書として重要な役割を担ったと本人の公式プロフィールに記されています。

この経験は、本多氏の政治家としての専門性を考えるうえで重要です。単に選挙で議席を獲得した人物ではなく、国会質問や政策立案の実務を長く経験してきた政治家だったからです。

衆議院議員3期と政府要職

2003年に民主党から埼玉12区で初めて衆院選に挑戦しましたが、落選。2004年に比例北関東ブロックで繰り上げ当選し、初めて国会議員となりました。

2009年の衆議院選挙では埼玉12区で当選。民主党政権下では内閣総理大臣補佐官や経済産業大臣政務官を歴任しています。

2015年には故郷の北海道で再挑戦するため北海道4区へ選挙区を移し、2017年の衆院選では小選挙区で敗れたものの、比例北海道ブロックで当選しました。

このように、北海道と埼玉を政治活動の拠点としてきた本多氏ですが、2021年の問題によって政治家としてのキャリアは大きな転換点を迎えます。

【2021年の発言問題】性交同意年齢をめぐる報道から離党・議員辞職まで

本多平直氏を検索する人が特に知りたいのが、2021年に発生した性交同意年齢をめぐる発言問題です。

この問題は、立憲民主党内で進められていた性犯罪に関する刑法改正の議論から発生しました。問題となったのは、成人と中学生の性的関係をどのように法律で規制するかという論点です。

問題の発端は2021年5月10日の党内会議

2021年5月10日、立憲民主党の性犯罪刑法改正に関するワーキングチーム(WT)で、性交同意年齢を引き上げる案について議論が行われました。

当時の刑法では、13歳未満との性交等は同意の有無にかかわらず処罰対象でした。これを16歳未満に引き上げることが検討されており、法改正に慎重な立場と、子どもの保護を強化すべきだという立場の間で議論が続いていました。

この会議で、本多氏が成人と14歳の子どもの性的関係について問題視される発言をしたと報道されました。

報道された内容は、成人と中学生の恋愛関係を想定し、同意があっても処罰されることへの疑問を示したというものでした。

6月の謝罪・撤回と党内調査

2021年6月、問題の発言が報道されると、党内外から批判が広がりました。

6月7日、本多氏は発言について不適切だったとして謝罪し、撤回するコメントを公表したと報じられています。立憲民主党も同氏に厳重注意を行いました。

しかし、問題は収束しませんでした。立憲民主党はハラスメント防止対策委員会に調査を依頼し、関係者へのヒアリングや会議の録音・録画資料などを確認しました。

7月13日の福山哲郎幹事長の記者会見では、調査報告書の内容が説明されました。党側によると、報告書は本多氏の言動について、類似する発言が複数回確認されたことや、5月10日の出席者複数の証言などを踏まえて事実認定したとしています。

また、外部講師への対応や、異なる意見を封じるような議論の進め方についても厳しい指摘があったと説明されました。

立憲民主党は本多氏に対する1年間の党員資格停止処分を倫理委員会に諮問する方針を決定しました。

7月27日の離党、翌28日の議員辞職

2021年7月27日、本多氏は立憲民主党に離党届を提出しました。同日の常任幹事会で離党届は受理され、党側は党員資格停止処分を実施せず、離党を受け入れると説明しています。

本多氏は比例代表で当選していたことから、離党後の7月28日に衆議院議員辞職願を提出し、許可されました。

本人は当時、党を離れる以上、議員辞職することも決断したと説明しています。これによって、2017年に比例代表で当選した本多氏の議員活動は終了しました。

なお、離党と辞職は、刑事事件による有罪判決や議員資格の剥奪によるものではありません。党内の調査と処分をめぐる政治的な問題の中で、本人が離党・辞職を決断したという経緯です。

【本人は発言を否定している?】報道・党の調査・本多平直氏の主張を比較

2021年の問題を理解するうえで、最も注意したいのが「報道された発言」と「本人が後年説明している内容」の違いです。

本多氏は2022年5月、文藝春秋に手記を寄稿し、問題となった発言をしていないと主張しました。さらに2026年1月に公表した文書でも、改めて発言を否定しています。

2022年の手記で本人が説明したこと

本多氏は2022年5月10日付の文藝春秋への寄稿で、問題となった発言について、次のように主張しました。

「私はこの『発言』をしていない。」

本人の説明によると、2021年5月10日の会議では、外部講師だった大阪大学の島岡まな教授との間で、年齢差の大きな恋愛が存在し得るかという議論があったといいます。

本多氏は、教授の「年齢差の大きな恋愛は絶対に存在し得ない」という趣旨の説明に疑問を持ち、50代の自分と14歳の子どもの恋愛が存在するという仮定を質問として提示した、と説明しています。

つまり本人の説明では、問題となったのは成人と中学生の性的関係を積極的に肯定する発言ではなく、年齢差のある恋愛の可能性や、刑法改正における例外規定をめぐる議論だったということです。

また、本多氏は、当初問題の発言を認める形で謝罪したことについて、当時の党執行部との協議の中でそのような対応を選んだと説明しています。本人は、発言を認めたこと自体が誤りだったと振り返っています。

2021年の党調査結果と本人の説明はどう違う?

ここで重要なのは、立憲民主党の調査報告と本多氏の主張が、単純に同じ結論を示しているわけではないことです。

党側の調査では、報道された一文だけでなく、会議での類似発言や複数の関係者の証言、外部講師への対応などが検討されました。一方、本多氏は報道された具体的な発言をしていないと主張し、会議での質問の文脈を説明しています。

両者の説明を整理すると、次のようになります。



報道・2021年当時の説明

成人と14歳の子どもの性交について、同意があっても処罰されるのはおかしいという趣旨の発言があったと報じられ、本多氏は当初、不適切として謝罪・撤回した。


立憲民主党の調査

関係者への聞き取りなどから類似発言が複数回確認されたと説明。会議の進行や外部講師への対応についても問題を指摘した。


2022年以降の本人の説明

報道された発言そのものはしていないと主張。会議での質問の趣旨や、当初の謝罪に至った経緯について独自の説明を公表した。


2026年1月の本人声明

問題の発言をした事実は一切ないと改めて表明。当時の対応によって誤解を与えたことについて謝罪した。

2026年1月の声明で再び否定

2026年1月、本多氏は大阪13区から中道改革連合公認で立候補するにあたり、過去の離党・議員辞職の経緯について説明する文書を公表しました。

「私はあのような『発言』をした事実は一切ありません。」

加えて、当時の自身の対応によって報道を含め多くの人に誤解を与えたことを申し訳なく思っていると述べ、2024年に立憲民主党へ復党した経緯にも触れています。

また、2026年1月に公表された立憲民主党大阪府連の前代表・森山浩行氏の説明文書では、立憲民主党側が本人の「発言はなかった」という主張をおおむね認め、復党を認めたとの説明が記されています。

ただし、これは森山氏による説明であり、2021年の調査報告書そのものが撤回されたことを意味するわけではありません。2021年当時の党の調査結果と、2024年の復党、2026年の本人の説明は、それぞれ分けて理解する必要があります。

性交同意年齢はその後どう変わった?

この問題の背景となった刑法改正についても、現在の法律を知っておく必要があります。

2023年7月13日、性犯罪に関する刑法改正が施行され、いわゆる性交同意年齢は従来の13歳未満から16歳未満へ引き上げられました。

ただし、13歳以上16歳未満の場合、年齢要件によって処罰されるのは、行為者が相手より5歳以上年長の場合です。5歳未満の年齢差なら何をしても合法という意味ではありません。同意しない意思の形成・表明・全うが困難な状態を利用した性的行為などは、別の要件によって処罰対象となり得ます。

法務省は、この改正の趣旨について、13歳以上16歳未満の子どもは相手との関係が対等でなければ、性的行為について自由な意思決定をする前提となる能力が十分ではないと考えられることを説明しています。

したがって、2021年の本多氏の問題を単なる党内の人間関係だけで捉えることはできません。子どもの性的自己決定権、年齢差による力関係、刑罰の範囲、法改正をめぐる政治家の説明責任が交差した問題でした。

【本多平直の経歴と選挙歴】2021年の辞職から2024年復党、2026年の再挑戦まで

議員辞職後、本多氏は政治活動から完全に姿を消したわけではありません。2024年には立憲民主党に復党し、衆議院選挙の比例東京ブロックから立候補しました。

さらに2026年には新党・中道改革連合に参加し、大阪13区から再び国政を目指しています。政治活動の拠点を北海道から東京、そして大阪へと移してきた点も特徴です。

本多平直氏の経歴・転換点を年表で整理
時期 出来事・経歴 関係者・所属など 1964年 北海道札幌市生まれ 札幌南高校 1988年 北海道大学法学部卒業 政治学を専攻 1992年 松下政経塾卒塾 第9期生 1994年 新党さきがけ政策スタッフ、枝野幸男氏の政策秘書 薬害エイズ問題などに取り組む 2004年 比例北関東ブロックで繰り上げ当選 衆議院議員初当選 2009年 埼玉12区で当選 内閣総理大臣補佐官などを歴任 2015~2017年 北海道4区へ移り、2017年に比例復活当選 立憲民主党 2021年7月 離党・衆議院議員辞職 性交同意年齢をめぐる発言問題 2024年10月 立憲民主党から比例東京ブロックに立候補、落選 復党後の国政復帰への挑戦 2026年1月 中道改革連合の大阪13区公認候補となる 東大阪市を中心に活動 2026年2月8日 大阪13区で26,573票を獲得、落選 衆議院議員への復帰はならず

2024年の立憲民主党復党と東京比例区への出馬

本多氏は2024年の衆議院議員総選挙において、立憲民主党の比例東京ブロック単独候補として出馬しました。

本人の2026年1月の説明によると、2024年に立憲民主党への復党が認められ、その後、比例代表東京ブロックから立候補したとのことです。

選挙では当選できませんでしたが、2021年の離党・議員辞職から約3年を経て、立憲民主党の公認候補として再び選挙に参加したことになります。

この復党は、本多氏の政治経歴における大きな転換点です。2021年の問題をめぐる本人の説明が、党への復帰や公認候補としての活動につながったことを示しています。

2026年は中道改革連合から大阪13区へ

2026年1月、本多氏は中道改革連合の公認候補として大阪13区から出馬することを決断しました。

中道改革連合の2026年1月22日付の第1次公認候補者一覧にも、本多氏の名前が大阪13区の候補者として掲載されています。大阪13区は東大阪市を選挙区とする地域です。

本多氏は自身の公式サイトで、出馬理由として物価高への対応や最低賃金の引き上げ、非正規雇用から正規雇用への転換など、生活を重視する政策を掲げました。

テレビ朝日の2026年1月25日の選挙取材では、大阪13区への擁立が急きょ決まり、選挙事務所の準備も整わない中で活動していた様子が報じられています。

東京比例区から大阪13区への転換は、単なる立候補地域の変更ではありません。北海道で政治家として活動を始めた本多氏が、再び地域に根差した選挙戦を選んだという意味でも注目されました。

【本多平直は2026年衆院選で落選】大阪13区の得票数と選挙結果

2026年2月8日投開票・落選

2026年の衆議院選挙で、本多平直氏は大阪13区から中道改革連合公認で出馬しました。

大阪13区では、日本維新の会、自民党、中道改革連合、参政党、日本共産党、れいわ新選組の候補者が争いました。

TBS NEWS DIGの開票結果によると、本多氏は26,573票を獲得しました。しかし、小選挙区での当選には届かず、比例代表での復活当選も果たせませんでした。

大阪13区の選挙結果
候補者 政党 得票数 結果 岩谷良平氏 日本維新の会 77,433票 当選 宗清皇一氏 自由民主党 65,193票 比例当選 本多平直氏 中道改革連合 26,573票 落選 立岡昭是氏 参政党 14,949票 落選 宝井晃美氏 日本共産党 10,197票 落選 八幡愛氏 れいわ新選組 10,097票 落選

出典:TBS NEWS DIGの2026年衆院選大阪13区開票結果。

なぜ大阪13区で議席を獲得できなかったのか

今回の選挙結果を考えるうえで注目したいのは、岩谷良平氏と宗清皇一氏がそれぞれ65,000票を超える支持を獲得したことです。

本多氏の得票は26,573票で、当選した岩谷氏とは50,860票の差がありました。2位の宗清氏とも38,620票の差があります。

また、比例近畿ブロックでは中道改革連合が5議席を獲得しましたが、本多氏は比例復活に至りませんでした。

テレビ朝日の選挙報道では、本多氏が東大阪市の中小企業や物価高の問題を重点的に訴えていたことが紹介されています。一方、選挙直前の候補者擁立だったことや、事務所の準備が十分に整っていなかったことも報道されています。

ただし、落選の理由を過去の発言問題だけに求めることはできません。候補者の知名度、地元での活動実績、政党への支持、選挙戦の準備、競合候補の強さなど、複数の要因を考える必要があります。

【本多平直の評判と現在】政治家としての評価はどう変わった?

本多平直氏の評判を考える際には、政治家としての実績と、2021年の問題に対する評価を分けて見る必要があります。

本多氏には、薬害エイズ問題への取り組みや、民主党政権時代の政府要職、国会での政策活動といった実績があります。一方で、2021年の発言問題は、子どもの性被害やジェンダー平等という社会的に重要なテーマに関わるものであり、党内外から強い批判を受けました。

本多平直氏の評価をめぐる3つの視点

1.政策実務を経験した政治家としての経歴

枝野幸男氏の政策担当秘書として約10年間活動し、薬害エイズ問題などに関わった経験は、本多氏の政治家としての専門性を示すものです。また、内閣総理大臣補佐官や経済産業大臣政務官を務めた経歴もあります。

2.2021年の問題に対する説明責任

当時の謝罪・撤回と、後年の本人による否定の間には、説明の変化があります。本人は報道された発言をしていないと主張していますが、立憲民主党の調査報告では類似発言や会議での対応が問題視されました。この経緯そのものが、現在も本多氏の政治的評価を考える際の重要な論点です。

3.復党と再出馬に対する有権者の判断

2024年に立憲民主党へ復党し、2026年には中道改革連合から大阪13区に出馬したことは、政治活動を再開・継続する意思を示す動きでした。しかし、2026年の選挙では議席を獲得できませんでした。

選挙結果は有権者の投票行動を示す客観的な数字ですが、それだけで本多氏に対する評価のすべてを説明することはできません。

本多平直氏の現在の活動は?

2026年11月現在、本多氏は衆議院議員ではありません。2026年2月の衆院選で落選しており、国会議員としての現職復帰は実現していません。

本人の公式サイトでは、政治活動や政策についての情報発信、YouTubeでの動画配信が案内されています。また、松下政経塾の卒塾生プロフィールにも、元衆議院議員としての経歴が掲載されています。

一方、2026年の選挙後に新たな国政選挙への立候補や、別の公職への就任が正式に決まったという情報は、確認できる公開資料には見当たりません。

そのため、現時点での本多氏については、政治経験を持つ元衆議院議員であり、2026年の選挙では国政復帰を果たせなかった人物と整理できます。

【プロの結論】本多平直氏を評価するときに押さえたいポイント

本多氏の政治経歴には、政策秘書から国会議員、政府要職、そして離党・辞職と復党を経た再挑戦という大きな変化があります。

特に重要なのは、2021年の問題を「本人が問題発言を認めた」という一つの情報だけで理解しないことです。当時の謝罪・撤回、党の調査報告、2022年の本人の手記、2026年の声明には、それぞれ異なる説明があります。

政治家の評価を判断する際には、次の3点を確認すると理解しやすくなります。

- 政策実績: どのような政策に携わり、どのような行政・国会での実績を残したか。
- 問題への対応: 批判を受けた際にどのような説明を行い、その後どのように説明を修正したか。
- 選挙での評価: 公認や復党という政党の判断と、実際に投票した有権者の判断を区別すること。

本多氏の場合、政策実務の経験は長い一方、2021年の問題をめぐる説明の変化が政治的な評価に影響しています。2024年の復党と2026年の再出馬は政治活動の再開を示しましたが、選挙で議席を取り戻すには至りませんでした。

今後の評価は、本人がどのような政治活動を続けるのか、過去の問題についてどこまで説明を尽くすのか、そして有権者がその姿勢をどう受け止めるのかによって変わっていくはずです。

【本多平直に関するよくある質問(FAQ)】

Q1:本多平直氏は現在、国会議員ですか?

A1:いいえ。2026年2月8日の衆議院選挙で中道改革連合から大阪13区に出馬しましたが、26,573票で落選しました。2026年11月現在、現職の衆議院議員ではありません。

Q2:本多平直氏はなぜ立憲民主党を離党したのですか?

A2:2021年の性交同意年齢をめぐる発言問題が理由です。党の調査報告を受けて1年間の党員資格停止処分が倫理委員会に諮問される方針となり、本人は2021年7月27日に離党届を提出しました。

Q3:本多平直氏は問題となった発言を認めているのですか?

A3:2021年6月には不適切な発言として謝罪・撤回したと報道されています。しかし、2022年の手記では報道された発言そのものを否定し、2026年1月の声明でも「あのような発言をした事実は一切ありません」と主張しています。

Q4:本多平直氏は2024年に立憲民主党へ復党したのですか?

A4:はい。本人の2026年1月の説明や2026年の報道によると、2024年に復党が認められ、同年の衆院選で立憲民主党の比例東京ブロックから出馬しました。ただし、選挙では落選しています。

Q5:本多平直氏は2026年衆院選の大阪13区で何票獲得しましたか?

A5:26,573票です。日本維新の会の岩谷良平氏が77,433票で当選し、自民党の宗清皇一氏が65,193票を獲得しました。本多氏は比例復活もできませんでした。

Q6:本多平直氏の出身大学と松下政経塾での経歴は?

A6:北海道大学法学部を1988年に卒業し、1992年に松下政経塾を卒塾しています。その後、新党さきがけの政策スタッフや枝野幸男氏の政策担当秘書を務めました。

本多平直氏は、北海道大学法学部と松下政経塾を経て政治の世界に入り、枝野幸男氏の政策秘書、衆議院議員、内閣総理大臣補佐官などを歴任した政治家です。

2021年の性交同意年齢をめぐる問題では、当初の謝罪・撤回、立憲民主党の調査、離党と議員辞職という経緯をたどりました。その後、本人は報道された発言を否定し、2024年に立憲民主党へ復党。2026年には中道改革連合から大阪13区に出馬しました。

しかし、2026年2月8日の衆議院選挙では26,573票で落選し、国政復帰は実現していません。

本多氏を理解するうえで大切なのは、長年の政策実務の実績と、2021年の問題をめぐる説明・調査・政治的責任をそれぞれ検討することです。2026年11月現在、政治家として次の段階に進めるかどうかは、今後の活動と有権者からの信頼回復にかかっています。

同じカテゴリの記事

黒木 穂乃花
トレンドリサーチャー 黒木 穂乃花
プロフィールを見る →

人物プロフィールの事実確認を担当。公式プロフィール、過去報道、本人発信を照合し、更新日を明記して掲載します。

おすすめの関連記事