三億円事件は、単に大金が盗まれた事件ではない。犯人が警察官になりすまし、白昼の道路で現金輸送車を奪うという大胆な手口が、当時の社会に大きな衝撃を与えた。
犯行はわずか約3分間1968年12月10日午前9時20分ごろ、東京都府中市の府中刑務所北側を走行していた現金輸送車が、白バイに乗った警察官姿の男に停止を命じられた。
輸送車には、東芝府中工場の従業員約4525人に支給する冬のボーナスとして、2億9430万7500円が積まれていた。
犯人は、車に爆弾が仕掛けられている可能性があると説明。さらに車体の下から白煙を発生させ、爆発の危険を訴えた。
銀行員4人が車から離れた隙に、犯人は現金輸送車を運転して逃走した。
犯行に要した時間は約3分。現場に残された白バイも偽物だった。
その後、逃走に使われた車両やジュラルミンケースなどが発見されたものの、犯人の特定には至らなかった。
事件当時の報道をまとめた資料やフジテレビの事件年表でも、犯行の巧妙さと捜査の難航が確認できる。
三億円事件の基本データ| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 発生日時 | 1968年12月10日午前9時20分ごろ |
| 発生場所 | 東京都府中市・府中刑務所北側 |
| 被害金額 | 2億9430万7500円 |
| 被害対象 | 東芝府中工場の従業員向けボーナス |
| 犯行方法 | 白バイ警察官への偽装 |
| 犯行時間 | 約3分 |
| 公訴時効 | 1975年12月10日 |
| 事件の結末 | 犯人未検挙・未解決 |
【核心検証】警察官の息子・19歳の少年Sが犯人候補になった経緯

三億円事件の犯人説のなかでも、とりわけ関心を集めてきたのが、警察官の息子だった19歳の少年Sである。
この人物については、2021年のテレビ東京の報道と、2026年3月の文春オンラインによる別冊宝島編集部の取材記事で、詳しい経緯が紹介されている。
少年Sが容疑者として浮上した理由文春オンラインの2026年3月24日掲載記事によると、少年Sが捜査線上に浮上したのは、事件発生から5日後だった。
当時のSについて、同記事では次のような背景が紹介されている。
- 年齢は19歳。
- 父親は現職の白バイ隊員。
- 地元の非行グループに所属していた。
- 鑑別所から逃走し、当時は指名手配されていた。
- 同じグループが1968年3月に発煙筒を使った強盗事件を起こしていた。
注目されたのは、以前の強盗事件と三億円事件の犯行手口に共通点があったことだ。
発煙筒を使って相手を混乱させる方法は、三億円事件でも確認されている。
また、父親が白バイ隊員だったという家庭環境も、警察車両や警察官の行動に関する知識を得る機会があったのではないかという推測につながった。
しかし、警察官の家庭で育ったことと、実際に犯罪を実行したことは別問題である。非行歴や過去の事件との類似性だけで犯人と断定することはできない。
事件から5日後、少年Sに何が起きたのか少年S説が長年語り継がれる最大の理由は、事件発生直後に起きた死亡事件にある。
2026年3月の文春オンライン掲載記事によれば、立川署の刑事が国分寺市にあったSの自宅を訪問した。
対応した母親は、息子は家にいないと説明。刑事はその場を引き揚げたとされる。
しかし、同記事によると、Sは実際には自宅におり、その夜、天井裏に隠されていた青酸カリを飲んで死亡したという。
死亡日は1968年12月15日。三億円事件の発生からわずか5日後だった。
テレビ東京の2021年の番組紹介記事でも、事件当時19歳の少年が12月15日に青酸カリによる不可解な死を遂げたという、ジャーナリスト近藤昭二氏の取材内容が紹介されている。
加えて、同番組では父親と青酸カリの入手経路についても近藤氏の調査内容が取り上げられた。
ここで注意したいのは、少年Sの死亡と三億円事件への関与は、別々に検証しなければならない事柄だという点だ。
事件直後の死亡は確かに不自然な状況として語られている。しかし、死亡したことだけで犯行を認めたことにはならない。
また、青酸カリによる死亡についても、今回確認できる報道は書籍やジャーナリストの取材に基づくものであり、一般公開された検視資料や司法判断によって三億円事件との関係が証明されたわけではない。
警察官の息子犯人説を支えるとされる3つの状況証拠少年S説を主張するジャーナリストの近藤昭二氏は、テレビ東京の番組で、長年の取材から得られた複数の状況証拠を紹介している。
特に注目されたのが、次の3点だ。
1.偽白バイのメガホンに付着していた新聞紙片
犯行に使用された偽白バイには、トランジスタメガホンが取り付けられていた。
近藤氏の説明によると、メガホンに塗られた白いペンキを調べたところ、新聞紙の切れ端が見つかったという。
その紙片は、事件発生の4日前に発行された産経新聞の「食品情報」という見出しの一部と判明したとされる。
加えて、当該新聞の配布地域には少年Sが住んでいた地域が含まれていたという。
ただし、特定地域に新聞が配達されていたことと、少年S本人が新聞を使用したことは同じではない。
2.ジュラルミンケースに付着した土
もう一つの注目材料は、現金を入れていたジュラルミンケースに付着していた土である。
近藤氏の説明では、その土の成分が少年Sの自宅周辺の土と似ていたという。
仮に土壌の特徴が一致していたとしても、それだけでケースが少年Sの自宅に運ばれたとは断定できない。
比較対象の採取条件や分析方法、証拠品の保管状況なども、証拠価値を判断するうえで欠かせない。
3.事件前からの交友関係と犯行手口の類似性
少年Sが所属していたとされるグループには、過去に発煙筒を使った強盗事件を起こした経緯があった。
このため、犯行方法を知っていた可能性や、事件に関する情報を持っていた可能性が注目された。
ただし、グループの過去の犯罪と三億円事件を直接結びつける物証が公に示されたわけではない。
テレビ東京の報道でも、これらの材料は状況証拠にとどまり、真相は確定していないと説明されている。
【証拠と推測を比較】少年S説の根拠はどこまで確かなのか?
ここまでの情報を整理すると、少年S説には複数の興味深い状況証拠がある一方、犯人と確定するために必要な裏付けが不足していることが分かる。
特に重要なのは、報道で紹介された取材情報と、警察の捜査によって確定した事実を混同しないことだ。
少年S説の検証一覧この表から分かるように、少年S説には複数の状況証拠が存在するものの、いずれも単独で犯行を立証するものではない。
特に新聞紙片と土壌の話は、犯人説を考えるうえで興味深い一方、科学的な鑑定資料や完全な証拠保全記録が公開されていなければ、第三者が証拠の強さを独立して評価することは難しい。
したがって、少年Sを有力な捜査対象として語ることと、真犯人と認定することの間には、依然として大きな隔たりがある。
【捜査の転換点】モンタージュ写真と平塚八兵衛が残した謎
三億円事件を語るうえで欠かせないのが、犯人のモンタージュ写真と、捜査に加わった刑事・平塚八兵衛の存在である。
この2つは、事件の捜査がどのように進み、なぜ迷走したのかを理解する重要な手掛かりになる。
モンタージュ写真はなぜ問題になったのか1968年12月21日、警察は犯人のモンタージュ写真を公開した。
事件発生から約2週間という早い段階での公開だった。
一般市民からの情報提供を促す目的だったが、後年、この写真の作成経緯に疑問が呈されるようになる。
近藤昭二氏の取材内容を紹介したテレビ東京の記事や、2026年の文春オンラインの記事では、モンタージュ写真に実在の男性の写真がほぼそのまま使用されていたという説が取り上げられている。
加えて、その男性は事件発生前に死亡していたとされる。
つまり、公開された写真が犯人の顔を正確に再現していたとは限らないのである。
2026年1月のNHK「未解決事件 File.10 三億円事件」でも、事件の象徴だったモンタージュ写真が改めて検証対象となった。
この問題が深刻なのは、写真が市民の記憶や情報提供だけでなく、捜査側の容疑者選定にも影響した可能性があることだ。
一度公開された顔写真が、事件の犯人像を固定する役割を果たしてしまったのである。
平塚八兵衛は少年Sをどう判断したのか平塚八兵衛は、帝銀事件や下山事件などにも関わったことで知られる警視庁の刑事である。
三億円事件では、1969年4月24日に捜査へ加わった。
当初から少年Sを犯人とみる捜査関係者がいた一方、平塚はSについて別の判断をしたと、2026年の文春オンライン記事で紹介されている。
同記事では、平塚がSを事件とは無関係と判断し、それまでの捜査を見直す方向へ進んだ経緯が記されている。
この判断は少年S説を考えるうえで見逃せない。
もしSが真犯人だったなら、平塚の判断は誤りだった可能性がある。
一方で、Sに犯行を裏付ける決定的な証拠がなかったため、事件から距離を置いた可能性も考えられる。
ただし、平塚八兵衛の判断そのものを、Sの無実を司法的に確定したものと解釈することもできない。
平塚八兵衛の捜査と事件の重要な年表| 年月日 | 出来事 |
|---|---|
| 1968年12月10日 | 三億円事件発生 |
| 1968年12月15日 | 少年Sが死亡したと報道 |
| 1968年12月21日 | 犯人のモンタージュ写真公開 |
| 1969年4月9日 | 逃走用カローラとジュラルミンケースを発見 |
| 1969年4月24日 | 平塚八兵衛が捜査に加わる |
| 1970年12月 | メガホンから新聞紙片が発見されたとされる |
| 1975年3月31日 | 平塚八兵衛が退職 |
| 1975年12月10日 | 公訴時効成立 |
| 1988年12月10日 | 民事時効成立 |
この年表はフジテレビの事件年表などに基づく。なお、少年Sの死亡については後年の報道による情報である。
【未解決の理由】なぜ警察は7年間捜査しても犯人を捕まえられなかったのか
三億円事件の不思議な点は、犯人が現場に多くの遺留品を残していたにもかかわらず、逮捕に至らなかったことだ。
一般的に、犯罪現場に多くの証拠品が残されていれば、犯人の特定につながる可能性が高くなる。
しかし、この事件では必ずしもそうならなかった。
1.遺留品が多すぎても犯人にはたどり着けなかった事件現場には偽白バイ、発煙筒、帽子、メガホンなど、多数の遺留品が残されていた。
警察が時効成立までに扱った遺留品は124点に上ったとする資料もある。
ところが、その多くは市販品や大量生産品だった。
商品そのものから購入者を割り出すことは難しく、犯人を特定する固有の手掛かりになりにくかった。
また、当時は現在のようなDNA型鑑定技術が実用化されていなかった。
現場に指紋などが残っていても、それを膨大な記録と照合する作業には時間と人員が必要だった。
2.初動捜査のつまずき2026年1月10日放送のNHK「未解決事件 File.10 三億円事件」では、捜査資料や関係者への取材を通して、初動捜査の問題点が検証された。
NHKオンデマンドの番組紹介によると、取材班は捜査に関わる資料を入手し、180人以上の関係者に取材したという。
番組で焦点となったのは、事件発生当初に得られていた証言や情報が十分に活用されなかった可能性である。
特に、現場から離れた場所で得られていた偽白バイに関する重要な証言が見落とされていたことなど、捜査のつまずきが取り上げられた。
3.誤った犯人像が捜査を混乱させたモンタージュ写真の問題も、捜査が長期化した理由の一つとして挙げられる。
警察が公開した写真に似ているかどうかが、容疑者の選定に影響を与えた可能性がある。
しかし、そもそも写真の作成過程に問題があったとすれば、その写真を基準に犯人を探すこと自体が適切だったのかという疑問が生じる。
加えて、事件発生から1年後には26歳の元運転手が重要参考人として報道されたが、犯行当日のアリバイが確認され、三億円事件との関与は否定された。
この報道によって、本人が長期間にわたり世間の注目を浴びることになったと、2026年の文春オンライン記事でも紹介されている。
犯人を早く見つけようとする焦りが、誤った容疑者情報を広げてしまう危険性を示した出来事だった。
【2026年最新情報】三億円事件の真犯人は判明したのか?
2026年は三億円事件の再検証が進んだ年でもある。
特に注目されたのが、NHKによるドキュメンタリー番組と、少年S説を改めて紹介した出版・報道記事だ。
NHK「未解決事件 File.10 三億円事件」の再検証2026年1月10日、NHK総合で「未解決事件 File.10 三億円事件」が放送された。
番組では、当時の捜査資料や関係者の証言をもとに、事件の深層に迫った。
主な取材内容は次のとおり。
- 事件に関わった捜査員や報道記者への取材。
- 180人以上の関係者への聞き取り。
- モンタージュ写真の作成経緯の検証。
- 初動捜査で見落とされた情報の再検証。
- 少年Sをめぐる捜査と関係者の証言。
番組の放送内容を紹介した情報によると、少年Sは重要な捜査対象だったものの、事件への関与を裏付ける確かな証拠はなく、平塚八兵衛は事件とは無関係と判断したとされる。
この点は、少年S犯人説を検討する際に重要な反対材料となる。
2026年3月には少年S説を再び取り上げた記事も登場2026年3月24日、文春オンラインは宝島社の書籍『日本の未解決事件100 犯罪から読み解く「昭和」「平成」「令和」史』から、少年Sに関する記事を掲載した。
内容は、Sが容疑者として浮上した経緯、青酸カリによる死亡、モンタージュ写真の問題、平塚八兵衛の捜査判断などを扱っている。
この報道によって、警察官の息子という背景や、事件直後の死亡をめぐる疑問が改めて注目された。
ただし、これは新たに犯人が特定されたという発表ではない。過去の捜査情報や取材内容を再整理したものである。
2026年11月現在の結論現時点で、三億円事件の犯人が公式に特定されたという発表は確認できない。
少年Sについても、犯人だったと確定する司法判断はない。
1975年12月10日に公訴時効が成立しているため、現在、新たな犯人説が登場したとしても、それだけで刑事責任を追及できるわけではない。
また、2026年の再検証で新たに注目されたのは、犯人個人の特定だけではなく、警察の初動捜査やモンタージュ写真が事件の解明に与えた影響だった。
事件から長い年月が経過した今も、三億円事件は捜査のあり方を考える重要な歴史的事例として残っている。
【よくある質問】三億円事件の警察官の息子犯人説に関するFAQ
Q1:三億円事件の犯人は警察官の息子だったのですか?
A1:警察官の息子だった19歳の少年Sが容疑者として浮上したという報道があります。しかし、犯人だったと確定したわけではありません。平塚八兵衛が事件との関係を否定したとする報道もあります。
Q2:少年Sは何歳で亡くなったのですか?
A2:事件当時19歳でした。文春オンラインの2026年の記事では、事件発生から5日後の1968年12月15日に青酸カリを飲んで死亡したと紹介されています。
Q3:少年Sが犯人と疑われた根拠は何ですか?
A3:過去の強盗事件との手口の類似性、偽白バイのメガホンに付着した新聞紙片、ジュラルミンケースの土壌などが、ジャーナリストの近藤昭二氏によって紹介されています。ただし、いずれも犯行を確定する証拠ではありません。
Q4:三億円事件のモンタージュ写真は本物ですか?
A4:写真の作成経緯には疑問が残されています。後年の報道では、事件前に死亡していた実在男性の写真が流用されたとする説が紹介されています。犯人本人の顔を正確に再現した写真と断定することはできません。
Q5:平塚八兵衛は少年Sを犯人だと考えていたのですか?
A5:2026年の文春オンラインの記事では、平塚八兵衛は少年Sを事件とは無関係と判断したと紹介されています。Sを有力視した一部捜査関係者とは異なる見方でした。
Q6:三億円事件は2026年現在も未解決ですか?
A6:はい。2026年11月現在も犯人は公式に特定されていません。2026年1月にはNHKが事件を再検証しましたが、新たな犯人逮捕や公式な犯人認定が発表されたわけではありません。
Q7:三億円事件の公訴時効はいつ成立しましたか?
A7:1975年12月10日です。事件発生から7年後に公訴時効が成立しました。民事時効は1988年12月10日に成立しています。
三億円事件の犯人として語られる警察官の息子・少年Sには、事件発生直後に容疑者として浮上した経緯や、青酸カリによる死亡、新聞紙片や土壌をめぐる状況証拠など、長年にわたり注目されてきた材料がある。
しかし、それらは少年Sが犯人だったと確定する証拠ではない。
むしろ、2026年のNHKによる再検証や文春オンラインの報道を比較すると、事件の本質は一人の容疑者をめぐる謎だけではなく、初動捜査、証拠の扱い、モンタージュ写真の問題など、複数の要因が絡み合っていたことにある。
【プロの結論】
少年S犯人説を評価する際に押さえておきたいのは、次の3点だ。
1. 状況証拠と決定的証拠を区別すること。 新聞紙片や土壌の類似性は興味深いが、本人の犯行を直接証明するものではない。
2. 捜査当局の判断も検証対象にすること。 平塚八兵衛がSを事件と無関係と判断した経緯は、犯人説を考えるうえで重要な材料になる。
3. 2026年の新しい報道を犯人特定と混同しないこと。 NHKの再検証や書籍の再取材は、事件の理解を深めるものであり、新たな犯人認定ではない。
三億円事件は、警察官の息子が犯人だったという一つの説だけでは説明しきれない。
1968年12月10日に何が起き、なぜ7年間の捜査でも犯人を特定できなかったのか。その問いを追い続けることこそ、半世紀以上にわたって未解決事件として残る三億円事件の真相に近づくための重要な手掛かりとなる。
主な参考資料
- NHKオンデマンド「未解決事件 File.10 三億円事件」(2026年1月10日放送)
- 文春オンライン・別冊宝島編集部「容疑者に浮上した『警察官の息子S』は青酸カリを飲んで自殺」(2026年3月24日)
- テレビ東京「三億円事件」真犯人説・ジャーナリスト近藤昭二氏の取材紹介(2021年7月2日)
- フジテレビ「新証言!三億円事件」事件年表
- 中日映画社「ついに時効―三億円強奪事件―」