ホーム スポーツ 木村昇吾の現在2026年|プロ野球733試合からクリケット転向、IPL挑戦の壁まで徹底解説

木村昇吾の現在2026年|プロ野球733試合からクリケット転向、IPL挑戦の壁まで徹底解説

高峰 弦 高峰 弦 • 更新: • 公開: • 読了約 23 分
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2026年11月現在、元プロ野球選手の木村昇吾は46歳。横浜ベイスターズ、広島東洋カープ、埼玉西武ライオンズでプレーした野球人生を終え、現在はクリケット選手として世界最高峰のインディアン・プレミアリーグ(IPL)を目指している。2026年には国内のジャパン・プレミア・リーグ(JPL)で優勝を経験し、日本クリケットリーグ(JCL)Div1では181点ノットアウトという歴史的な記録も残した。

一方、IPLへの挑戦は順風満帆ではない。2026年8月のインタビューでは、技術面の成長に加えて、インドで活動するためのビザや雇用制度が新たな課題になっていることも明らかになった。プロ野球で通算733試合に出場した男は、なぜ別競技への転身を決断し、46歳になった今も世界最高峰を追い続けるのか。球団遍歴、戦力外通告の背景、日本代表としての実績、2026年の最新成績までを時系列で整理する。

【2026年最新】木村昇吾の現在は?クリケット選手として活躍する46歳の挑戦

木村昇吾

木村昇吾は1980年4月16日生まれ、大阪府出身。2026年11月現在46歳だ。

プロ野球時代の知名度から、現在は引退して解説者や指導者になっていると考える人もいるかもしれない。しかし、本人が選んだ道は、野球とは異なる競技で現役アスリートを続けることだった。

現在の活動の中心は、日本国内のクリケットリーグへの出場と、インドでのプロ契約を目指す海外挑戦である。

2026年JPLで優勝に貢献

2026年5月2日から5日まで開催されたジャパン・プレミア・リーグ(JPL)では、木村は東関東サンライズザーズの一員としてプレーした。

日本クリケット協会(JCA)の公式大会記録によると、5月5日の決勝戦では南関東スーパー・キングズと対戦。東関東サンライズザーズが132対131で勝利し、6ウィケット差で優勝を決めた。

この試合で木村は33球で30得点を記録。チームの勝利に貢献している。

東関東サンライズザーズはこれでJPL3連覇を達成。木村にとっても、国内トップレベルの大会で競技者としての存在感を示す結果となった。

なお、木村の公式プロフィールには「西関東サンライズ」という表記がある。しかし、JCAの2026年公式大会記録では、優勝チームは「東関東サンライズザーズ」、西関東のチームは「西関東ハリケーンズ」となっている。チーム名については、実際の大会記録に基づく東関東サンライズザーズという表記が正確だ。

JCL Div1で181点ノットアウトを記録

2026年の大きな話題となったのが、JCL Div1での打撃成績だ。

木村の公式プロフィールと2026年8月15日付のOCEANSのインタビュー記事によると、木村はJCLで181点ノットアウトを記録。歴代2位に相当する記録として紹介されている。

クリケットにおける「not out」とは、打者がアウトにならないままイニングを終えることを意味する。

181点という数字だけでも高い得点能力を示すが、最後までアウトにならずに得点を積み重ねた点にも価値がある。

OCEANSの同インタビューでは、当時のJCL得点ランキングでも首位に立っていたと報じられた。プロ野球時代の経験を生かしながら、クリケット選手としても国内上位の実力を身につけていることがうかがえる。

IPL挑戦は実現したのか?

木村が最終目標として掲げているのは、インドの世界最高峰プロリーグ、Indian Premier League(IPL)だ。

本人の公式サイトでも、日本人初のIPLプレーヤーを目指す挑戦が紹介されている。

ただし、2026年11月現在、IPLとの契約や実際の出場が成立したと確認できる公表情報はない。

2026年8月15日のOCEANSのインタビューでは、インドで長期間プレーするためのビザや雇用条件など、制度上の問題が渡航の障壁になっていると説明された。

つまり、国内リーグで結果を残していることと、IPLへの出場が決まったことは別の話だ。現在の木村は、国内で実績を積みながら、海外でプレーするための環境を整えようとしている段階にある。

【横浜・広島・西武】木村昇吾のプロ野球時代と通算成績

クリケットへの転身を理解するには、まずプロ野球時代のキャリアを振り返る必要がある。

木村は2002年のドラフト11巡目で横浜ベイスターズから指名された。尽誠学園高校で甲子園に出場し、愛知学院大学では遊撃手として活躍した内野手だった。

NPBの公式年度別成績によると、プロ野球での通算成績は以下のとおりだ。

項目 成績
プロ入り 2002年ドラフト11巡目
主なポジション 内野手
所属球団 横浜・広島・西武
一軍出場試合数 733試合
通算安打 294本
通算本塁打 3本
通算打点 71打点
通算盗塁 34盗塁
通算打率 .261
投打 右投左打

出典は日本野球機構(NPB)の個人年度別成績。以下、各球団での特徴を見ていこう。

横浜ベイスターズ時代:2002年ドラフト11巡目でプロ入り

2002年、木村は横浜ベイスターズからドラフト11巡目で指名を受けた。

当時は一軍に定着するまでに時間を要したものの、内野の複数ポジションを守れる守備力と俊足が持ち味だった。

2003年には一軍21試合に出場。2004年、2006年、2007年にも一軍出場を記録している。

特に守備面での対応力は、後の広島時代に大きく評価されることになる。

広島東洋カープ時代:ユーティリティープレーヤーとして台頭

2007年オフ、交換トレードで広島東洋カープへ移籍した。

この移籍が木村のプロ野球人生における大きな転機となった。

2008年には代走として36試合、守備固めとして46試合に出場。いずれも同年のセ・リーグ最多だったと週プレNEWSが報じている。

単純に打撃成績だけで評価される選手ではなく、試合終盤の走塁や守備を任せられる存在だった。

2011年には、故障で長期離脱した梵英心に代わって遊撃のレギュラーを務めた。

この年は自己最多となる106試合出場、76安打、17打点、37犠打を記録している。

また、2010年には打率.324、2013年には打率.325をマーク。限られた出場機会の中でも結果を残していた。

広島時代の木村を語るうえで欠かせないのは、複数のポジションを守れる柔軟性と、チームの状況に応じて役割を変えられる対応力だ。

レギュラーとして出場するだけでなく、ベンチから試合を支える仕事にも価値を見いだしていた選手だった。

埼玉西武ライオンズ時代:FA移籍と右膝の大けが

2015年オフ、木村は国内FA権を行使して広島を退団した。

移籍先がすぐには決まらず、西武の入団テストを受けて契約を勝ち取った。

しかし、西武移籍1年目の2016年に右膝前十字靱帯を断裂。長期離脱を余儀なくされた。

翌2017年には支配下登録に復帰したものの、一軍出場はわずか3試合。打席も7打席にとどまった。

そして、2017年シーズン終了後、球団から戦力外通告を受ける。

NPBの公式記録にも、2017年の一軍出場が3試合、打率.167と残されている。

14年間の実働を経て、プロ野球選手としてのキャリアは大きな転換点を迎えた。

【2017年戦力外通告】なぜ木村昇吾は野球を離れてクリケットに転向したのか

木村昇吾の転身が珍しいのは、単にプロ野球を引退したからではない。

野球以外の競技を本格的に経験したことがない元プロ選手が、まったく異なるスポーツで現役続行を選んだからだ。

その決断には、本人の競技者としてのこだわりがあった。

戦力外後も現役続行を希望してトライアウトへ

2017年の戦力外通告後、木村は12球団合同トライアウトに参加した。

本人には、まだ野球選手としてプレーできるという手応えがあった。

しかし、実際にはNPB球団から契約のオファーが届かなかった。

週プレNEWSの2018年4月のインタビューによると、社会人野球や独立リーグからの話はあったものの、いずれも選手兼任コーチという条件が付いていた。

木村が望んでいたのは、指導者としてではなく、100%プレーヤーとして競技を続けることだった。

この点が重要だ。

木村にとって、現役続行は単にスポーツに関わり続けることではなかった。自ら試合に出て、選手として勝負することに意味があったのである。

クリケットとの出会いは日本クリケット協会からの提案

転機となったのは、日本クリケット協会からの打診だった。

週プレNEWSの報道によると、同協会はプロ野球選手会を通じて、クリケットに適性のある選手を探していた。

そこで候補となったのが木村だった。

評価されたのは、プロ野球で培った身体能力と高い守備技術。打撃や走塁、ボールへの反応といった部分にも競技を越えて応用できる可能性があった。

木村はクリケットについて詳しく知らなかったにもかかわらず、提案を受けて早い段階で挑戦を決断した。

2018年の同インタビューでは、競技者として続けられることへの喜びや、新しいスポーツに挑戦することへの好奇心を語っている。

つまり、転向の理由は単にプロ野球で契約が得られなかったからではない。

野球を続けられない状況でも、アスリートとしての人生を終わらせたくなかったことが、最大の動機だった。

なぜクリケットだったのか?

野球とクリケットには、ボールを打つ、捕球する、走るといった共通点がある。

しかし、実際の競技性は大きく異なる。

クリケットでは、投手に相当するボウラーが投げるボールを、バットの平たい面で打つ。加えて、地面にバウンドしてから打者へ向かう球への対応も求められる。

木村は、野球で培った技術を生かせる可能性がある一方、クリケットを一から習得する必要があった。

2018年の転向時には、本人もクリケットについて名前を知っている程度だったと週プレNEWSが伝えている。

それでも、知らない競技だからこそ挑戦する価値があると判断した。

プロ野球からクリケットへの転身は、日本のスポーツ界でも前例の少ない選択だった。

【日本代表への道】2018年からスリランカ・オーストラリアで積んだ経験

クリケットに転向した木村は、日本国内だけで練習を続けたわけではない。

本場の競技環境を求めてオーストラリアやスリランカへ渡り、現地クラブで実戦経験を重ねた。

2018年:クリケット男子日本代表強化選手団に選出

2018年3月、日本クリケット協会は男子日本代表強化選手団20人を発表した。

そのメンバーに木村が選ばれた。

日刊スポーツによると、元プロ野球選手が日本代表強化選手団に選出されるのは初めてだった。

その後、木村は日本代表としての試合経験を重ね、2018年の香港で開催された東アジアカップにも出場。日本は同大会で優勝した。

同年7月にはオーストラリアのダーウィンでストライクリーグに参加。10月からはメルボルンのセントキルダ・クリケットクラブ、12月からはトゥーラック・プラーラン・クリケットクラブに所属した。

日本とは異なる競技環境で、技術を磨く日々が始まった。

2019~2021年:スリランカのクラブでプレー

2019年8月には、スリランカのシンハラ・スポーツ・クラブ(SSC)で練習に参加した。

2020年2月からは同クラブのリーグ戦にも参加。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大によって海外での活動を中断し、日本へ帰国することになった。

2021年2月末には再びスリランカへ渡航。SSCのプロチームに登録され、プレーする機会を得た。

しかし、海外での競技生活は新型コロナウイルスの影響を受け続けた。

2021年4月には再び日本へ帰国している。

2022~2023年:日本代表として国際大会へ

2022年5月、木村は日本代表選手団に選出された。

同年10月にはワールドカップ東アジア太平洋地区予選に出場。

加えて、2023年9月には中国・杭州で開催されたアジア競技大会にも日本代表として参加した。

クリケット選手としての国際経験は、転向直後の挑戦から着実に積み重ねられていった。

なお、代表経験と現在の代表登録は区別する必要がある。

Cricbuzzの選手記録では、木村のT20インターナショナル出場は5試合、通算35得点で、最後の出場は2023年10月1日の香港戦となっている。また、2026年8月にJCAが発表したアジア大会男子日本代表15人の名簿には、木村の名前は掲載されていない。

したがって、木村は日本代表経験を持つクリケット選手だが、2026年アジア大会の代表メンバーだったわけではない。

【年代別キャリアと関係者一覧】木村昇吾の転換点を時系列で整理

木村のキャリアは、単純なプロ野球選手から元選手への変化ではない。

横浜でのプロ入り、広島でのレギュラー獲得、西武での故障と戦力外、そしてクリケットへの転向という複数の転換点がある。

主要な所属先と競技上の実績を

時期 所属・関係先 主な出来事・実績
2002年 横浜ベイスターズ ドラフト11巡目で入団
2007年オフ 広島東洋カープ 交換トレードで移籍
2011年 広島東洋カープ 自己最多106試合出場
2015年オフ 埼玉西武ライオンズ FA権行使後、入団テストを経て移籍
2016年 埼玉西武ライオンズ 右膝前十字靱帯を断裂
2017年 埼玉西武ライオンズ 戦力外通告を受ける
2018年 日本クリケット協会 男子日本代表強化選手団に選出
2018年 オーストラリア ダーウィン、メルボルンで競技経験を積む
2019~2021年 スリランカ・SSC 海外クラブで練習・試合に参加
2022~2023年 クリケット日本代表 国際大会、杭州アジア大会に出場
2026年5月 東関東サンライズザーズ JPL優勝、決勝で30得点
2026年 JCL Div1 181点ノットアウトを記録
2026年 IPL挑戦 ビザ・雇用条件などの課題に直面

出典はNPB公式記録、木村昇吾公式プロフィール、日本クリケット協会、週プレNEWS、OCEANSなど。

この年表から見えてくるのは、木村が野球時代に培った経験を土台にしながら、クリケットでは新しい競技者としてキャリアを積み直していることだ。

特に2018年の日本代表強化選手団入りは、転向から短期間で競技者として評価された重要な節目だった。

一方、2026年のJPL優勝やJCLの181点記録は、単なる話題性だけでなく、長年にわたる競技継続が実績に結びついたことを示している。

【野球からクリケットへの転身理由】2026年に見えた技術的な壁とIPLへの可能性

木村昇吾のクリケット挑戦を評価するうえで、特に注目したいのは、野球の経験が必ずしもクリケットで有利に働くとは限らない点だ。

2026年8月15日付のOCEANSのインタビューでは、本人が転向後に直面した技術的な問題を詳しく語っている。

野球の打撃フォームがクリケットでは障害になった

木村はプロ野球で長年左打者としてプレーしてきた。

そのため、体には野球特有の打撃動作が染みついていた。

しかし、クリケットではバットの平たい面を使ってボールを打つ。ボールがワンバウンドしてから打者に到達するため、タイミングの取り方やバットの角度、手首の使い方なども異なる。

OCEANSの取材で木村は、野球で身につけた打ち方がかえって邪魔になり、体の動きを修正する必要があったと説明している。

プロ野球選手としての経験が豊富であっても、新しい競技では初心者に戻る。

これは木村の挑戦における大きな壁だった。

日本国内の練習環境にも課題があった

技術だけでなく、練習環境の問題もあった。

OCEANSのインタビューによれば、2018年当時、日本では平日に練習できる機会が週1回程度で、十分な練習場所も限られていた。

競技人口が少ない日本では、野球のように全国各地に練習施設や専門的な指導環境が整っているわけではない。

木村は練習量を重視しており、海外で経験を積む必要性を感じていた。

2025年にはインドに渡り、現地で約3か月間の強化トレーニングを実施。

クリケットに人生を懸ける現地の若い選手たちと練習し、競技への向き合い方にも刺激を受けたという。

同インタビューでは、現地で急きょ出場した試合において、7~8番打者ながらチーム最多の50点超えを記録。5試合で3度のハーフセンチュリーを達成したことも紹介されている。

IPL挑戦を阻むのは競技力だけではない

2026年8月のOCEANSの取材では、木村の新たな課題として、インドで長期的に活動するためのビザや雇用条件が挙げられた。

海外で練習するだけなら、短期渡航によって経験を積める場合もある。しかし、現地に長期間滞在して継続的にプレーするには、滞在資格や雇用条件などを整える必要がある。

ここに、国内での競技成績だけでは解決できない問題がある。

木村は同インタビューで、ビザの問題で渡航できていない現状を説明し、インドで2年間集中して練習と試合を続けられればプロになれる自信があるという趣旨の考えを示した。

つまり、IPLへの道は技術面だけで決まるわけではない。

- 国内リーグで継続的に結果を残すこと
- インドの競技環境で実戦経験を積むこと
- 現地で長期活動できる滞在・雇用条件を整えること
- IPLのチームと契約できる実力と機会を得ること

これらが重なって初めて、目標に近づく。

【プロの結論】木村昇吾の挑戦はセカンドキャリアの可能性を示している

木村昇吾の経歴を単純に「プロ野球を戦力外になり、別のスポーツへ移った選手」と捉えると、その本質を見誤る。

プロ野球時代には、内野の複数ポジションを守る守備力や走塁能力を評価され、チームを支える役割を担っていた。

一方、クリケットでは、これまでの経験がそのまま通用するわけではない。技術を組み替え、競技環境の違いを乗り越え、再び実績を積み上げる必要があった。

2026年のJPL優勝やJCL Div1の181点ノットアウトは、その積み重ねが結果として表れたものだ。

ただし、国内リーグでの成功とIPL契約は別の評価軸である。

読者が木村の現在を判断するときには、次の3点を区別すると分かりやすい。

1. プロ野球時代の実績: NPB通算733試合、294安打という確かなキャリア。
2. クリケット選手としての実績: 日本代表経験、2026年JPL優勝、JCL Div1の181点記録。
3. 海外プロ契約の実現状況: IPLは現在も目標であり、契約・出場の成立は確認できていない。

この3つを混同しないことが、木村昇吾の現在を正しく理解するための判断基準となる。

【木村昇吾の現在】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:木村昇吾は2026年現在、何歳ですか?

A1:1980年4月16日生まれの46歳です。プロ野球引退後もクリケット選手として競技を続けています。

Q2:木村昇吾のプロ野球時代の通算成績は?

A2:NPB公式記録では、一軍733試合出場、294安打、3本塁打、71打点、34盗塁、通算打率.261です。横浜ベイスターズ、広島東洋カープ、埼玉西武ライオンズの3球団でプレーしました。

Q3:木村昇吾はなぜクリケットに転向したのですか?

A3:2017年に西武から戦力外通告を受けた後も、選手として競技を続けたいという思いがあったためです。日本クリケット協会からの提案を受け、野球経験を生かせる新しい競技への挑戦を決断しました。

Q4:木村昇吾は2026年にIPLでプレーしていますか?

A4:2026年11月現在、IPLとの契約や出場が実現したという公表情報は確認できません。2026年8月の取材では、ビザや雇用条件などがインドでの長期活動の障壁になっていると説明されています。

Q5:木村昇吾のクリケットでの181点とは何ですか?

A5:JCL Div1で記録した181点ノットアウトのことです。打者がアウトにならずに181得点を挙げた記録で、2026年8月の報道では歴代2位と紹介されています。

木村昇吾は、横浜ベイスターズでプロ入りし、広島東洋カープでユーティリティープレーヤーとして台頭。埼玉西武ライオンズでは故障と戦力外通告を経験した。

2017年にプロ野球を離れた後は、クリケットという未知の競技に挑戦。日本代表強化選手団への選出、オーストラリアやスリランカでの海外経験、国際大会への出場を経て、2026年にはJPL優勝とJCL Div1の181点ノットアウトという実績を残した。

現在の最大の目標は、インディアン・プレミアリーグ(IPL)への挑戦だ。

ただし、国内で結果を残したことと、世界最高峰のプロリーグで契約を勝ち取ることの間には、競技力や制度面の壁が残されている。

46歳になっても競技者としての可能性を追い続ける木村の姿は、プロスポーツ選手のセカンドキャリアに新しい選択肢を提示している。

プロ野球で培った経験を終着点にせず、別の競技で新しい実績に変えていく。 木村昇吾の挑戦は、IPLという目標に到達するまで、まだ続いている。

主な参照資料:日本野球機構(NPB)個人年度別成績、日本クリケット協会(JCA)2026年大会公式記録、木村昇吾公式プロフィール、週プレNEWS(2018年4月29日)、日刊スポーツ(2018年2月・3月)、OCEANS(2026年8月15日)、Tarzan(2026年3月23日)。

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コンテンツディレクター 高峰 弦
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