ザ・ピーナッツの姉・伊藤エミさんと妹・伊藤ユミさんは、どちらもすでに亡くなっています。2026年現在、姉妹が芸能活動を再開したり、デュオとして復活したりすることはありません。
姉妹は1941年4月1日生まれ。愛知県出身の一卵性双生児で、1959年から1975年まで約16年間、歌手として活動しました。引退後は二人とも芸能界から距離を置き、表舞台に姿を見せる機会はほとんどありませんでした。
姉・伊藤エミさんは2012年6月15日に死去姉の伊藤エミさんは、2012年6月15日、71歳で亡くなりました。訃報が報じられたのは同月27日から28日にかけてです。
スポーツニッポンの報道によると、エミさんは晩年に病気療養中で、引退後は公の場にほとんど姿を見せていませんでした。最期の時期には妹のユミさんと生活をともにしていたことも伝えられています。
日刊スポーツは2012年の訃報記事で、検査によってがんが見つかり、入院していたと報じています。一方、スポニチは死因などの詳細は非公表と伝えています。そのため、がんに関する当時の報道と、親族などからの公式な死因発表は区別して理解する必要があります。
妹・伊藤ユミさんは2016年5月18日に死去妹の伊藤ユミさんは、2016年5月18日、75歳で亡くなりました。訃報は同年7月11日に所属事務所の発表を受けて報道されました。
所属事務所の発表によると、ユミさんは以前から病気療養中でした。葬儀・告別式と四十九日の法要は、親族の意向により近親者のみで執り行われています。
ユミさんについては、日刊スポーツが親族の意向で死因は公表されていないと報じています。病気療養中だったことは明らかになっていますが、具体的な病名や亡くなった原因を確定情報として扱うことはできません。
姉妹の死因は同じだったのか?検索では「ザ・ピーナッツ姉妹の死因は同じ?」「二人とも病気だったの?」という疑問も見られます。
公表された情報を整理すると、二人とも晩年に病気療養中だったことは報道されています。しかし、姉妹が同じ病気を患っていたという公的な情報は確認できません。
特にエミさんについては、当時の一部報道にがんの記述があるものの、ユミさんの死因については親族の意向で非公表とされています。姉妹の死因を一括して同じ病気だったと説明するのは正確ではありません。
【なぜ引退した?】ザ・ピーナッツが1975年に芸能界を去った理由

ザ・ピーナッツの引退は、昭和歌謡史における大きな転換点でした。テレビやレコードで圧倒的な人気を誇っていた二人が、突然のように表舞台から去ったためです。
引退発表は1975年2月18日キングレコードの公式アーカイブによると、ザ・ピーナッツは1975年2月18日に芸能界引退を発表しました。
そして、同年4月5日、NHKホールで「さよなら公演」を開催。これを最後に16年間に及ぶ歌手活動に幕を下ろしました。
引退当時、姉妹はともに34歳。まだ十分に歌手として活動できる年齢であり、人気も衰えていたわけではありません。
引退の理由を考えるうえで注目したいのが、姉のエミさんが当時語ったと日刊スポーツが報じた言葉です。
「惜しまれる時にやめたかった」
出典:日刊スポーツ・2012年6月28日付の伊藤エミさん訃報記事
この言葉からは、人気が落ちてから活動を終えるのではなく、ファンに求められている時期に自ら区切りをつけたいという考えが読み取れます。
引退は沢田研二さんとの結婚だけが理由ではないエミさんは引退後の1975年6月に、歌手の沢田研二さんと結婚しました。そのため、インターネット上では「結婚を機にザ・ピーナッツを解散した」という説明も見られます。
しかし、引退発表は1975年2月18日、さよなら公演は4月5日、結婚は6月です。つまり、結婚よりも前に引退は決まっていました。
エミさんの結婚は引退後の人生における大きな出来事ですが、姉妹が芸能界を去った理由を結婚だけに結びつけるのは適切ではありません。
16年間の活動を終え、自分たちの人生に新しい区切りをつける選択をしたことが、引退を理解するうえで重要です。
【年表で整理】ザ・ピーナッツ姉妹の経歴と関係者一覧
ここでは、姉妹の誕生からデビュー、代表作、引退、結婚、そしてそれぞれの訃報までを時系列で整理します。
主な出典:キングレコード公式アーカイブ、集英社イミダス、日刊スポーツ、スポーツニッポン。
この年表から分かるのは、ザ・ピーナッツの活動期間が約16年間である一方、引退後の二人の人生はそれぞれ異なる道を歩んだということです。
【代表曲・出演作品】今も語り継がれるザ・ピーナッツの功績
ザ・ピーナッツが現在も昭和歌謡を代表する存在として語られる理由は、ヒット曲の多さだけではありません。歌手、テレビタレント、映画出演者という複数の顔を持ち、テレビ創生期の大衆文化を支えた点にもあります。
1. 『恋のバカンス』は代表的な昭和歌謡の名曲『恋のバカンス』は、ザ・ピーナッツを代表する楽曲の一つです。
1963年に発表されたこの曲は、軽快なリズムと二人の美しいハーモニーが特徴。明るく華やかな楽曲でありながら、歌唱には二人ならではの繊細な表現が感じられます。
姉妹の声が重なり合うことで生まれる独特の響きは、ソロ歌手とは違った魅力を持っていました。現在も懐かしの歌番組や昭和歌謡の特集で取り上げられる代表曲です。
2. 『恋のフーガ』で見せた圧倒的な歌唱力『恋のフーガ』も、ザ・ピーナッツを語るうえで欠かせない楽曲です。
タイトルにある「フーガ」は、複数の旋律が追いかけるように重なり合う音楽形式を意味します。二人の歌声が織りなす構成と相性がよく、デュオとしての技術を印象づけました。
1960年代後半の代表曲として知られ、現在もザ・ピーナッツのベスト盤や作品紹介で必ず名前が挙がる楽曲です。
3. 映画『モスラ』の小美人と『モスラの歌』ザ・ピーナッツは、音楽活動だけでなく映画にも出演しています。
代表的なのが、1961年公開の東宝映画『モスラ』です。姉妹は劇中で、モスラを呼び寄せる双子の妖精「小美人」を演じました。
劇中で歌われた『モスラの歌』は、映画を象徴する楽曲として知られています。独特の響きを持つ歌声と印象的なメロディーが、作品の幻想的な世界観を支えました。
この出演によって、ザ・ピーナッツは歌謡界だけでなく、日本の特撮映画の歴史にも名前を残しています。
4. 『シャボン玉ホリデー』でテレビの人気者に1961年に始まった日本テレビ系の音楽バラエティー番組『シャボン玉ホリデー』も、姉妹の代表的な出演作品です。
二人は番組のレギュラー出演者として、歌だけでなく司会やコントにも挑戦しました。ハナ肇とクレージーキャッツらとの共演もあり、音楽と笑いを組み合わせた番組の中心的な存在でした。
当時はテレビが家庭に普及していく時代。歌手が歌番組だけでなくバラエティーにも出演するスタイルは、現在のテレビタレントの活動にも通じるものがあります。
ザ・ピーナッツは、歌唱力を持つ女性デュオという枠を超え、テレビ時代のスターとして活躍したのです。
姉妹の歌声を支えた役割分担二人の歌唱スタイルについて、日刊スポーツは、妹のユミさんがメロディーを担当し、姉のエミさんがハーモニーを担当していたと紹介しています。
一卵性双生児ならではの声の近さに加え、旋律とハーモニーの役割分担があったことが、ザ・ピーナッツ特有の一体感につながっていました。
単に声が似ている二人が一緒に歌っていたのではなく、それぞれの役割が組み合わさることで完成する音楽だったのです。
【伊藤エミと沢田研二】結婚から離婚までの12年間
ザ・ピーナッツの姉・伊藤エミさんの引退後の人生を語る際、欠かせないのが歌手・沢田研二さんとの結婚です。
二人は当時の人気歌手同士として注目され、結婚は大きな芸能ニュースになりました。
1975年6月4日に結婚日刊スポーツなどの報道によると、エミさんと沢田研二さんは7年間の交際を経て、1975年6月4日に結婚しました。
ザ・ピーナッツの引退発表は同年2月、最後の公演は4月5日です。結婚は、その約2か月後にあたります。
人気歌手同士の結婚だったこともあり、当時は大きな注目を集めました。結婚後、エミさんは芸能活動に復帰することなく、家庭を中心とした生活を送るようになります。
1987年1月に離婚が成立二人の結婚生活は約12年間続きましたが、1987年1月に離婚が成立しました。
当時の報道では、1986年に別居が明らかになり、その後、離婚に至ったと伝えられています。沢田さんは後年、女優の田中裕子さんと再婚しています。
離婚の詳細については当時さまざまな報道がありましたが、エミさん自身が離婚後の私生活を積極的に語ることはほとんどありませんでした。
引退後に公の場へ戻ることなく、芸能活動とは距離を置いた生活を続けたことも、エミさんの人生の特徴です。
なお、沢田研二さんとの結婚・離婚はエミさん個人の経歴であり、妹ユミさんの結婚歴と混同してはいけません。姉妹は双子であっても、それぞれ別の人生を歩んでいました。
【2026年最新】ザ・ピーナッツの歌声は今も聴ける?
姉妹が亡くなった現在も、ザ・ピーナッツの音楽は過去の作品として保存されるだけでなく、デジタル配信を通じて新しい世代にも届けられています。
2022年にシングル作品が全世界配信キングレコードのアーカイブプロジェクト「SOUND FUJI」によると、ザ・ピーナッツのシングル作品は2022年に全世界でストリーミング配信が開始されました。
加えて、2024年8月21日にはオリジナルアルバム21作品の全世界ストリーミング配信も始まりました。当時のジャケットデザインを生かした形で、1950年代から1970年代に発表された作品群がデジタルで再び紹介されています。
作品数と売上から見る音楽史への影響キングレコードの公式プロフィールによれば、ザ・ピーナッツは活動期間中にシングル70枚、アルバム28枚を発売し、累計売上は1,000万枚以上に達しました。
また、1959年から1974年までNHK紅白歌合戦に16年連続で出場。1966年にはアメリカの『エド・サリバン・ショー』や『ダニー・ケイ・ショー』にも出演し、海外でも活動しました。
日本の歌謡曲を海外へ紹介した先駆的な存在だったことも、二人の功績として評価されています。
2026年に改めて評価したい3つの功績ザ・ピーナッツの活動を振り返ると、単なる懐メロ歌手という枠には収まりません。
第一に、双子デュオとしての完成度です。二人の声質と役割分担によって、独自のハーモニーを確立しました。
第二に、テレビと映画を横断した活動です。『シャボン玉ホリデー』でバラエティーに出演し、『モスラ』では映画の象徴的な役柄を演じました。音楽をテレビや映画の世界へ広げた存在です。
第三に、海外展開です。アメリカのテレビ番組への出演や海外公演など、日本のポップスが国外へ広がる過程にも足跡を残しました。
こうした実績があるからこそ、姉妹が亡くなってから10年以上が経過した2026年現在も、楽曲や映像が再評価され続けているのです。
【ザ・ピーナッツの現在】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:ザ・ピーナッツは2026年現在も活動していますか?
A1:活動していません。姉の伊藤エミさんは2012年、妹の伊藤ユミさんは2016年に亡くなっています。現在は過去の音源や映像作品を通じて歌声を楽しめます。
Q2:伊藤エミさんと伊藤ユミさんの死因は何ですか?
A2:ユミさんは病気療養中だったことが報道されていますが、死因は親族の意向で公表されていません。エミさんについては当時がんが見つかったという報道がある一方、死因などの詳細は非公表と伝えられています。
Q3:ザ・ピーナッツはなぜ1975年に引退したのですか?
A3:姉のエミさんは「惜しまれる時にやめたかった」と語ったと報じられています。1975年2月18日に引退を発表し、4月5日のNHKホールでのさよなら公演を最後に芸能界を引退しました。
Q4:伊藤エミさんは沢田研二さんといつ結婚し、いつ離婚しましたか?
A4:1975年6月4日に結婚し、1987年1月に離婚が成立しました。二人は7年間の交際を経て結婚しています。
Q5:ザ・ピーナッツの代表曲には何がありますか?
A5:『恋のバカンス』『恋のフーガ』『情熱の花』『ウナ・セラ・ディ東京』『モスラの歌』などがあります。テレビ番組『シャボン玉ホリデー』や映画『モスラ』への出演も有名です。
Q6:ザ・ピーナッツの曲は現在も聴けますか?
A6:はい。キングレコードは2022年にシングル作品、2024年8月にオリジナルアルバム21作品の全世界ストリーミング配信を開始しています。
ザ・ピーナッツの現在を振り返ると、姉の伊藤エミさんは2012年6月15日に71歳で、妹の伊藤ユミさんは2016年5月18日に75歳で亡くなっています。2026年現在、姉妹ともに故人であり、デュオとしての活動は終了しています。
1959年に『可愛い花』でレコードデビューした二人は、『恋のバカンス』『恋のフーガ』などのヒット曲を生み出し、『シャボン玉ホリデー』や映画『モスラ』でも活躍しました。そして1975年、惜しまれる人気のなかで16年間の芸能活動に幕を下ろしました。
引退後、エミさんは沢田研二さんとの結婚と離婚を経験し、ユミさんも姉とともに芸能界を離れました。姉妹の晩年や死因については、報道されている内容と公式に公表された情報を分けて理解することが大切です。
そして、2026年現在も二人の歌声はデジタル配信などを通じて聴くことができます。人がいなくなっても作品は残り、時代を越えて新しいリスナーに届いていく。ザ・ピーナッツは、昭和歌謡の歴史にそのことを示した特別な存在です。