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岡山恭崇の現在と経歴を徹底解説!身長230cmの伝説と1981年NBAドラフト指名の真相

桂木 洋 桂木 洋 • 更新: • 公開: • 読了約 19 分
目次

岡山恭崇(おかやま・やすたか)さんは、身長230cmの日本人バスケットボール選手として知られ、1981年には日本人として初めてNBAドラフトで指名された歴史的な人物です。指名したのはゴールデンステート・ウォリアーズ。全体171位、8巡目という順位でしたが、実際にNBAでプレーすることはありませんでした。

九州学院高校時代までは柔道に打ち込み、大阪商業大学でバスケットボールに転向。その後、住友金属で日本リーグの新人王やMVP、得点王を獲得し、日本代表の中心選手として活躍しました。では、なぜNBA入りを実現しなかったのでしょうか。2026年現在の年齢や仕事、八村塁との関係も含め、これまでの歩みを振り返ります。

【プロフィール】岡山恭崇とは?身長230cmの日本バスケ界の伝説

岡山恭崇

岡山恭崇さんは、熊本県出身の元バスケットボール選手です。現役時代のポジションはセンター。日本人選手として初めてNBAドラフトで指名された人物として、現在もバスケットボールの歴史に名を残しています。

岡山恭崇の基本プロフィール
項目内容
氏名岡山恭崇
読み方おかやま・やすたか
生年月日1954年11月29日
年齢71歳(2026年11月3日時点)
出身地熊本県益城町
身長230cm(国内報道での代表的な表記)
ポジションセンター
出身高校九州学院高等学校
出身大学大阪商業大学
所属チーム住友金属工業
NBAドラフト1981年・8巡目・全体171位
指名球団ゴールデンステート・ウォリアーズ

生年月日やドラフト順位については、Basketball-Referenceの選手データにも記録されています。身長については、日本のスポーツ報道では230cmという表記が定着していますが、同データベースでは7フィート8インチ(約234cm)と登録されています。資料によって数値に差がある点も特徴です。

身長230cmという規格外の体格

岡山さんの最大の特徴は、やはり230cmという圧倒的な身長です。

バスケットボールでは、ゴール付近で相手選手と競り合うセンターにとって、身長やリーチの長さは大きな武器になります。特にリバウンドやゴール下の守備では、高さそのものが試合展開を左右することもあります。

岡山さんは、その恵まれた体格を生かして日本リーグで活躍。単に背が高い選手というだけではなく、得点王やリーグMVPを獲得する実績を残しました。

1981年のNBAドラフトでウォリアーズから指名された背景にも、この圧倒的なサイズと日本国内での実績がありました。

【異色の経歴】九州学院高校では柔道、大阪商業大学からバスケに転向

岡山恭崇さんの経歴で興味深いのは、最初からバスケットボール一筋だったわけではないことです。

九州学院高校時代は柔道に打ち込む

熊本県の九州学院高校に進学した岡山さんは、中学・高校時代に柔道を続けていました。柔道は二段の腕前で、競技者としても実力を備えていたと報じられています。

高校卒業時には柔道選手として複数の大学から勧誘を受けていたと、2018年のJ-CASTニュースが紹介しています。

しかし、岡山さんが進んだのは柔道の道ではありませんでした。選んだ進学先は大阪商業大学。ここで、それまで本格的な経験がなかったバスケットボールを始めます。

230cmという身長を考えれば、バスケットボールへの転向は大きな可能性を秘めた選択でした。ただし、競技を始めたばかりの選手が、すぐに全国レベルで活躍できるわけではありません。

大学では基本技術を身につけ、体格だけに頼らない選手として成長していきました。

大学時代にはアメリカでのプレーも経験

岡山さんは大学時代にアメリカへ渡り、NCAAの舞台でプレーした経験もあります。

日刊スポーツの2019年のインタビュー記事によれば、20歳のときに先端巨大症と診断され、アメリカでのプレーを続けることが難しくなり帰国しました。

この経験は、NBA挑戦を考えるうえでも重要な背景です。大きな可能性を持ちながら、身体的な事情や競技環境の違いに向き合わなければならなかったからです。

帰国後は住友金属に所属し、治療を続けながら競技生活を送ることになります。

住友金属で日本リーグのスター選手へ

1979年、岡山さんは住友金属工業に入社し、実業団チームの住友金属でプレーを始めます。

注目すべきは、バスケットボールを始めてからわずか数年で、日本リーグを代表する選手に成長したことです。

日本リーグの歴代表彰データでは、1979年に新人王、1981年と1982年に得点王、1982年にはレギュラーシーズンMVPを獲得した記録が残っています。

特に1982年は、所属する住友金属がリーグ優勝を果たし、岡山さん自身もMVPと得点王に輝いたシーズンでした。

230cmという体格に加え、ゴール下で得点を重ねる能力が評価され、日本代表の中心選手としても存在感を示しました。

岡山恭崇の経歴・年代別年表
時期所属・出来事主な実績・関係性
1954年熊本県に生まれる益城町出身
高校時代九州学院高校柔道に取り組み二段を取得
大学時代大阪商業大学バスケットボールに転向、米国でのプレーも経験
1979年住友金属工業に入社日本リーグ新人王、日本代表入り
1981年NBAドラフトウォリアーズから8巡目・全体171位で指名
1982年住友金属日本リーグ優勝、MVP、得点王
1990年現役引退その後、指導者としても活動
1993~1995年住友金属アシスタントコーチを務めたとされる
1996~1999年大阪商業大学母校のアシスタントコーチを務めたとされる
2016年関根床用鋼板専務取締役として講演に登壇
2019年NBAドラフト関連取材八村塁についてコメント

この年表から分かるのは、岡山さんのキャリアが選手生活だけで終わっていないことです。現役引退後も指導や普及活動、企業での仕事を通じてバスケットボールとの関わりを続けてきました。

【最大の謎】1981年NBAドラフトでウォリアーズに指名されても入団しなかった理由

岡山恭崇さんの名前が現在も検索される最大の理由は、1981年のNBAドラフトです。

日本人初のNBAドラフト指名という歴史的な出来事でありながら、なぜNBAでプレーしなかったのか。この疑問を解くには、当時のバスケットボール界の国際ルールを理解する必要があります。

ゴールデンステート・ウォリアーズから8巡目171位で指名

1981年6月、NBAドラフトで岡山さんはゴールデンステート・ウォリアーズから指名されました。

指名順位は8巡目の10番目、全体171位です。当時のNBAドラフトは現在とは仕組みが異なり、10巡目まで指名が行われていました。

NBAのドラフト記録を掲載するBasketball-Referenceにも、Yasutaka Okayamaの名前が全体171位として登録されています。

ウォリアーズには、かつて日本代表の技術顧問を務めたピート・ニューウェル氏が関係していました。スポニチの2019年の取材記事では、岡山さん自身が、身長の大きさに注目して一度見てみようと考えたのではないかと振り返っています。

しかし、本人に事前の打診はありませんでした。ドラフト指名を知らされたときも、驚きの方が大きかったといいます。

「向こうが勝手に選んだだけ。聞いたときは寝耳に水」

――日刊スポーツ、2019年6月21日掲載の岡山氏のインタビューより

最大の理由は1984年ロサンゼルス五輪への思い

岡山さんがNBA入りを実現しなかった大きな理由は、オリンピックへの出場を目指していたことです。

1981年当時、国際バスケットボール連盟(FIBA)は、プロ選手の国際大会出場を認めていませんでした。NBA選手になることは、当時の制度上、日本代表としてオリンピックや世界選手権などに出場できなくなることを意味していました。

岡山さんは日本代表の中心選手として、1984年のロサンゼルス五輪を目指していました。スポニチの取材では、五輪予選に3度挑戦したものの、出場はかなわなかったことも明かされています。

NBA入りを選ぶか、日本代表としてオリンピックを目指すか。岡山さんにとって、これは単純な海外移籍の問題ではありませんでした。

当時の住友金属からも、NBAとの交渉をしないように言われていたといいます。会社側は、国際大会への出場資格を失うことを懸念していました。

つまり、NBA挑戦を断念した背景には、本人の五輪への思いと、所属企業のチーム運営上の判断が重なっていたのです。

FIBAのルール変更は1989年、NBA選手の五輪参加は1992年から

岡山さんの選択を理解するうえで重要なのが、1989年のFIBAによるルール変更です。

FIBAは1989年4月8日の世界会議で、アマチュアとプロフェッショナルを区別する制度を撤廃し、プロ選手にも国際大会への参加資格を認める方針を決定しました。

その後、1992年のバルセロナ五輪ではNBA選手がアメリカ代表として出場。マイケル・ジョーダン、マジック・ジョンソン、ラリー・バードらが参加した、いわゆるドリームチームが誕生しました。

もし1981年の時点で現在と同じ制度が存在していたなら、岡山さんのNBA挑戦は違う展開になっていた可能性があります。

ただし、本人は2019年のスポニチの取材で、8巡目という順位ではNBA契約に至る可能性は低く、キャンプに参加しても契約できなかったと思うと振り返っています。

ここは見落とせない点です。ドラフトで指名されたことと、NBA球団から正式な契約を獲得したことは別の出来事です。岡山さんの場合、指名後に交渉やキャンプ参加に進んだわけではなく、NBAの公式戦に出場した記録もありません。

したがって、「NBAとの契約を結んだのに五輪のために破棄した」という理解は正確ではありません。実際には、ドラフト指名を受けながらも、交渉そのものに進まなかったという経緯です。

【現在】岡山恭崇は何をしている?会社員・指導者としてのその後

岡山恭崇さんの現在を知りたい人にとって、現役引退後の歩みは気になるところです。

NBAドラフトの話題が再び注目された2019年には、すでに現役を引退して長い年月が経過していました。しかし、競技との関係が完全に途切れたわけではありません。

現役引退後は指導者として活動

岡山さんは1990年に現役を引退した後、アメリカでコーチングを学び、住友金属のアシスタントコーチや大阪商業大学のアシスタントコーチを務めた経歴があります。

川崎フロンターレが2003年に公表したミニバスケットボール教室の案内でも、岡山さんは元全日本選手、元住友金属籠球団選手として紹介されています。同案内には、アメリカでのコーチ留学を経て、大阪商業大学のアシスタントコーチを務めたことも記載されています。

また、子ども向けのバスケットボール教室など、競技の普及に関わる活動も行ってきました。

関根床用鋼板での仕事

現役引退後の仕事として知られているのが、関根床用鋼板株式会社での勤務です。

2016年には鶴岡工業高等専門学校の公式発表で、同社の専務取締役として講演に招かれたことが確認できます。「スポーツと私」というテーマで、元日本代表としての経験を伝えました。

加えて、2019年のSPREADの記事では、関根床用鋼板で営業の仕事をしながら、バスケットボールの普及活動にも取り組んでいる人物として紹介されています。

このように、現役引退後は企業での仕事とスポーツ活動を組み合わせた生活を送ってきたことが分かります。

2026年現在の年齢と近況

1954年11月29日生まれとされる岡山さんは、2026年11月3日時点で71歳です。

2019年には八村塁選手のNBAドラフト指名を受けて、スポーツ紙の取材に応じ、自身の経験を語りました。八村選手の海外挑戦についても前向きな評価を示しています。

一方、2026年時点での具体的な役職、勤務状況、日常的な活動については、本人や勤務先からの新しい公表情報が限られています。2016年の講演記録や2019年の報道から、その後の職務が変わらず続いているとまでは判断できません。

現在については、元日本代表選手としての実績、企業での勤務歴、指導・普及活動の経歴を中心に理解するのが適切です。

【八村塁との関係】岡山恭崇は日本人初のNBAドラフト指名選手

岡山恭崇さんの名前が再び大きく取り上げられたきっかけの一つが、2019年の八村塁選手のNBAドラフト指名でした。

八村選手が日本人として初めてNBAドラフト1巡目で指名されたニュースを受け、1981年にウォリアーズから指名された岡山さんの存在にも注目が集まりました。

岡山恭崇と八村塁の違い
比較項目岡山恭崇八村塁
ドラフト年1981年2019年
指名球団ゴールデンステート・ウォリアーズワシントン・ウィザーズ
指名順位8巡目・全体171位1巡目・全体9位
日本人としての記録NBAドラフト指名第1号日本人初の1巡目指名
NBAでのプレーNBA公式戦出場なしNBA公式戦に出場
主なポジションセンターフォワード

両者の違いは、ドラフト順位だけではありません。

岡山さんが指名された1981年は、NBAのドラフトが10巡目まで実施されていた時代です。現在のように1巡目と2巡目の計60人を指名する制度とは大きく異なります。

八村選手は2019年に全体9位という高い順位で指名され、日本人初の1巡目指名を達成しました。

一方、岡山さんは日本人初のドラフト指名という先駆的な記録を持っています。NBA選手として公式戦に出場した日本人の第1号は田臥勇太さんであり、NBAドラフト指名第1号の岡山さんとは区別する必要があります。

八村塁へのエールに込められた先駆者の思い

2019年6月、八村選手の指名後に日刊スポーツやスポニチの取材に応じた岡山さんは、後輩の快挙を喜びました。

スポニチの記事では、八村選手の取り組み方や目標設定を評価し、NBAでの活躍に期待を寄せています。

「八村君には先駆者としてNBAで活躍してほしい」

――スポニチ、2019年6月22日掲載記事より

岡山さん自身は、NBAでプレーするという夢を実現できませんでした。しかし、1981年のドラフト指名は、日本人選手がNBAから評価された歴史的な出来事です。

その38年後、八村選手が1巡目で指名されたことは、日本のバスケットボール界にとって大きな節目となりました。

【よくある疑問】岡山恭崇に関するFAQ

Q1:岡山恭崇の身長は本当に230cmですか?

A1:日本の主要スポーツ報道では230cmと紹介されています。一方、海外のBasketball-Referenceでは234cmと登録されており、資料によって表記に差があります。

Q2:岡山恭崇はNBAでプレーしたことがありますか?

A2:NBAの公式戦には出場していません。1981年にゴールデンステート・ウォリアーズから8巡目・全体171位で指名されましたが、交渉や契約には進みませんでした。

Q3:岡山恭崇がNBAに行かなかった理由は何ですか?

A3:1984年ロサンゼルス五輪を目指しており、当時のプロ選手に対する国際大会の出場資格が障壁となっていました。また、所属していた住友金属からもNBAとの交渉をしないように言われていました。

Q4:岡山恭崇は八村塁より先にNBAドラフトで指名されたのですか?

A4:はい。岡山さんは1981年、八村選手は2019年に指名されました。岡山さんが日本人初のドラフト指名選手で、八村選手は日本人初の1巡目指名選手です。

Q5:岡山恭崇は現在何歳ですか?

A5:1954年11月29日生まれとされ、2026年11月3日時点で71歳です。

Q6:岡山恭崇の現在の仕事は何ですか?

A6:関根床用鋼板株式会社で勤務してきたことが報道や講演記録で確認できます。2016年には同社の専務取締役として紹介され、2019年には営業の仕事をしていると報じられました。2026年現在の具体的な役職については、新しい公表情報が限られています。

Q7:岡山恭崇はバスケットボールを始める前に何をしていましたか?

A7:中学・高校時代は柔道に取り組んでおり、二段を取得しています。大阪商業大学への進学を機にバスケットボールへ転向しました。

岡山恭崇さんは、身長230cmという規格外の体格を持ちながら、大学からバスケットボールを始め、日本リーグの新人王、得点王、MVPを獲得した実力者です。

1981年にはゴールデンステート・ウォリアーズからNBAドラフト8巡目・全体171位で指名され、日本人初のNBAドラフト指名選手となりました。

しかし、当時の国際大会におけるプロ選手の出場資格や、1984年ロサンゼルス五輪への思い、所属企業の意向などが重なり、NBAでプレーする道は選びませんでした。

この出来事を単純に「NBAを断った選手」と捉えると、その背景にあった時代の制度や本人の競技人生を見落としてしまいます。ドラフト指名を受けたことと、NBA契約を獲得したことの違いも押さえておきたいポイントです。

2019年には八村塁選手のドラフト指名を喜び、先駆者として後輩にエールを送りました。岡山さんが1981年に残した記録と、八村選手が2019年に切り開いた道は、日本バスケットボール界の発展をつなぐ歴史でもあります。

2026年現在、岡山さんは71歳。NBAでプレーすることはありませんでしたが、日本人選手が世界最高峰の舞台を目指す歴史の出発点に、その名前が刻まれています。

主な事実照合資料: 日刊スポーツ、スポニチ、J-CASTニュース、FIBA公式資料、Basketball-Reference、日本リーグ歴代表彰データ、鶴岡工業高等専門学校の講演記録など。

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