2026年11月現在、日本航空(JAL)の代表取締役社長執行役員・グループCEOを務めているのは、鳥取三津子(とっとり・みつこ)氏です。2024年4月に就任した鳥取氏は、客室乗務員としてキャリアをスタートさせた人物で、日本航空初の女性社長としても注目を集めました。2026年6月23日時点の役員一覧でも、引き続き代表取締役社長執行役員として掲載されています。
日本航空の社長という役職を理解するうえで、避けて通れないのが1985年8月12日に発生した日本航空123便墜落事故です。乗客・乗員524人のうち520人が亡くなったこの事故は、航空機の整備や運航だけでなく、経営陣が安全にどう向き合うべきかという問題を社会に突きつけました。その後の国土交通省による事業改善命令、安全推進本部の設置、安全啓発センターの開設までをたどると、社長に求められる責任の重さが見えてきます。
【2026年最新】日本航空の社長は鳥取三津子!名前・経歴・プロフィールを解説

日本航空の公式会社概要および役員一覧によると、2026年11月現在の社長は鳥取三津子氏です。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 氏名 | 鳥取三津子(とっとり・みつこ) |
| 生年月日 | 1964年12月31日 |
| 現職 | 日本航空代表取締役社長執行役員 |
| 役職 | グループCEO |
| 社長就任 | 2024年4月1日 |
| 入社 | 1985年4月 |
| 主な経歴 | 客室乗務員、客室安全推進部長、客室本部長など |
鳥取氏は1985年4月、旧東亜国内航空に入社しました。同社はその後、日本エアシステム(JAS)へと社名を変更し、2004年にJALと経営統合しています。
つまり、鳥取氏は日本航空の客室乗務員として現場経験を積み重ねた後、経営の中枢へと進んだ人物です。
特に注目したいのは、現場での経験が安全管理と顧客サービスの両方に結び付いている点です。
鳥取三津子氏の経歴と社長就任まで日本航空が公表している役員略歴では、次のようなキャリアが確認できます。
- 1985年4月: 旧東亜国内航空に入社。
- 2015年5月: 成田第1客室乗員部第2客室乗員室長。
- 2016年5月: 成田第2客室乗員部長。
- 2019年4月: 客室安全推進部長。
- 2020年4月: 執行役員・客室本部長。
- 2022年4月: 常務執行役員・客室本部長。
- 2023年4月: 専務執行役員・カスタマー・エクスペリエンス本部長。
- 2023年6月: 代表取締役専務執行役員・グループCCO。
- 2024年4月: 代表取締役社長執行役員・グループCEO。
2024年の社長就任は、JALにとって初の女性社長誕生という歴史的な人事でした。客室乗務員出身者が経営トップに就任したことも、大きな転換点です。
鳥取氏の経歴で重要なのは、客室業務だけでなく、安全推進や人材育成、顧客体験の改善にも携わってきたことです。日本航空の公式な選任理由でも、安全運航とサービスに関する知見、現場経験、人材育成への貢献が挙げられています。
日本航空の歴代社長一覧日本航空は1951年に設立されて以来、複数の経営者によって率いられてきました。
歴代社長を時代順に整理すると、次のとおりです。
| 代 | 社長名 | 主な在任時期 |
|---|---|---|
| 初代 | 柳田誠二郎 | 1951~1960年 |
| 2代 | 松尾静麿 | 1961~1971年 |
| 3代 | 朝田静夫 | 1971~1981年 |
| 4代 | 高木養根 | 1981~1985年 |
| 5代 | 山地進 | 1985~1990年 |
| 6代 | 利光松男 | 1990~1995年 |
| 7代 | 近藤晃 | 1995~1998年 |
| 8代 | 兼子勲 | 1998~2004年 |
| 9代 | 新町敏行 | 2004~2006年 |
| 10代 | 西松遥 | 2006~2010年 |
| 11代 | 大西賢 | 2010~2012年 |
| 12代 | 植木義晴 | 2012~2018年 |
| 13代 | 赤坂祐二 | 2018~2024年 |
| 14代 | 鳥取三津子 | 2024年~現在 |
※在任時期は歴代社長の年次整理による概略です。
歴代社長の変遷を見ると、日本航空は航空需要の拡大、経営危機、経営再建、そして安全とサービスの再構築という複数の局面を経験してきました。
特に2010年の経営破綻と、その後の再建を経た植木義晴氏、赤坂祐二氏の時代は、現在の経営体制を理解するうえでも重要です。
なお、2026年6月23日時点では、赤坂祐二氏は取締役会長、鳥取三津子氏は代表取締役社長執行役員という体制になっています。前社長が会長に就き、鳥取氏が経営の執行を担う構図です。
【社長の役割と責任】日本航空の経営トップは何を決めるのか
航空会社の社長は、一般企業の社長以上に重い責任を負っています。
航空機の安全運航は、操縦士や整備士だけで実現するものではありません。整備予算、人員配置、教育訓練、運航規程、事故対応、組織文化など、経営判断が安全に直結するためです。
1. 安全運航に対する最終責任JALの公式サイト「安全管理の体制」では、安全管理システムを遂行するうえで、各グループ航空会社の社長が安全に関する最終責任を有すると説明されています。
社長に求められるのは、単に安全を宣言することではありません。
- 安全方針を明確に示す。
- 方針を全社員に浸透させる。
- 安全管理に必要な人材や予算を確保する。
- 安全上の問題を経営判断に反映する。
- 安全管理システムが適切に機能しているか確認する。
航空法第103条の2に基づく安全統括管理者の選任も、この体制を支える仕組みの一つです。
安全統括管理者は、安全施策や安全投資などの重要な経営判断に関与し、安全に関する重要事項を社長へ報告します。
つまり、社長が安全管理の実務を一人で行うわけではありませんが、組織全体が安全を実現できる環境を整える責任を負っています。
2. 経営戦略と安全投資の両立日本航空の経営トップには、航空事業の収益性を高めながら、安全に必要な投資を維持する判断も求められます。
航空機の整備、人材教育、機材更新、システム開発などには多額の費用が必要です。
短期的な利益だけを優先すれば、必要な人員や設備への投資が後回しになる危険があります。
そのため、安全は経営計画の一部ではなく、事業を継続するための前提条件として扱わなければなりません。
3. 不祥事や事故が起きた際の説明責任事故や重大インシデントが発生した場合、経営トップには原因究明と再発防止を主導する役割があります。
加えて、国土交通省などの監督官庁への対応、利用者や遺族への説明、社員への情報共有も重要です。
事故が発生したときだけ謝罪するのではなく、平時から問題を報告できる組織文化をつくることも経営責任に含まれます。
JALの安全管理体制でも、社長、安全統括管理者、安全推進本部、各業務部門が連携する仕組みが示されています。
【日本航空123便墜落事故】1985年8月12日に520人が犠牲となった原因と経緯
日本航空の安全経営を語る際、1985年の123便墜落事故は最も重要な歴史的出来事の一つです。
事故は1985年8月12日、東京・羽田空港から大阪・伊丹空港へ向かっていた日本航空123便で発生しました。
事故機はボーイング747SR-100型、機体記号JA8119です。
乗客509人、乗員15人の合計524人が搭乗していました。
事故発生から墜落までの時系列日本航空の安全啓発センターが公開している事故概要と、当時の航空事故調査報告書の解説を基に、事故の流れを整理します。
17時台:羽田空港で出発準備
事故機は同日、複数の飛行を行った後、123便として大阪へ向かう準備を進めました。
18時12分:羽田空港を離陸
乗客509人と乗員15人を乗せ、伊丹空港へ向けて出発しました。
18時24分35秒:異常事態が発生
伊豆半島東岸付近の上空で大きな異常音が発生しました。
後部圧力隔壁が破壊され、客室内の与圧空気が機体後部へ流れ込みました。
その結果、APU(補助動力装置)や機体後部が損壊し、垂直尾翼の相当部分が失われました。
加えて、操縦に必要な油圧系統がすべて機能を失い、通常の操縦が極めて困難な状態になりました。
18時24分以降:約32分間の飛行
機体は激しい上下動や左右への蛇行を繰り返しました。
乗員は管制機関と交信しながら飛行を続けましたが、機体を正常な状態に戻すことはできませんでした。
18時56分ごろ:群馬県上野村の山中に墜落
機体は御巣鷹山南方の尾根付近に墜落しました。
結果は、乗客・乗員524人中520人死亡、4人重傷で救出という極めて深刻なものでした。
この事故は日本国内で発生した航空事故として、現在も重大な歴史的教訓として記憶されています。
事故原因は後部圧力隔壁の修理不良123便墜落事故の直接的な原因として、航空事故調査委員会が公表したのは、後部圧力隔壁の不適切な修理に起因する疲労破壊です。
ここで重要なのは、事故の発生が1985年8月12日だったとしても、原因につながる問題は7年前にさかのぼることです。
1978年6月2日、事故機は大阪国際空港への着陸時に尾部を滑走路へ接触させる事故を起こしました。
いわゆる「尻もち事故」です。
この際、機体後部や後部圧力隔壁などが損傷し、修理が必要になりました。
修理を担当したのは、機体の製造元である米国のボーイング社でした。
問題となったのは、後部圧力隔壁の上下部分を接合する作業です。
FAA(米国連邦航空局)の事故教訓資料によると、修理チームは本来の修理指示から逸脱し、接合用の継ぎ板を分割して取り付けました。その結果、設計どおりに荷重を分散できず、修理箇所の一部で中央のリベット列に負荷が集中する状態になりました。
運輸安全委員会の解説でも、事故機の後部圧力隔壁の接合部分に1列リベットの結合部分が確認され、その部分に多数の疲労亀裂が発見されたことが説明されています。
加えて、修理後の点検でも亀裂が発見されず、問題が長期間残りました。
つまり、単なる一度の作業ミスだけではありません。
- 1978年の修理で接合部に不具合が生じた。
- 飛行による与圧と減圧の繰り返しで疲労亀裂が発生した。
- 亀裂が徐々に進展した。
- その後の点検でも亀裂が発見されなかった。
- 1985年8月12日、後部圧力隔壁が破壊した。
この連鎖が事故の原因として推定されています。
特に注目すべきなのは、FAAの資料が、修理部分の外観はシーラントによって覆われ、正しい施工と不適切な施工を目視だけで区別することが困難だったと説明している点です。
事故の背景には、修理作業の不具合だけでなく、検査や整備の限界という構造的な問題もありました。
【事故後の安全改革】国土交通省の事業改善命令とJAL安全啓発センター設置の経緯
123便墜落事故の後、日本航空は安全に対する取り組みを継続してきました。
ただし、ここでは歴史上の重要な区別があります。
1985年の123便事故と、2005年の国土交通省による事業改善命令は、直接の発生原因が異なります。
両者を混同すると、日本航空の安全改革がどのように進んだのかを正しく理解できません。
事故から安全改革までの関係を時系列で整理2005年3月17日、国土交通省は日本航空インターナショナルに対して「航空輸送の安全確保に関する事業改善命令」を発出しました。
背景には、2004年12月から2005年3月にかけて続いた安全上のトラブルがありました。
具体的には、次のような問題です。
- 2005年3月16日、JAL1021便で客室乗務員が非常口扉の脱出スライド自動展開モードへの変更操作を失念した。
- B747貨物機の主脚部品の誤使用事案。
- 韓国・仁川国際空港での管制指示誤認事案。
- 新千歳空港での管制指示違反など、グループ内で複数の安全上の問題が発生していた。
国土交通省は、これらの再発防止と運航安全の確保を目的として、原因究明の徹底、一斉安全点検、安全組織体制の見直し、従業員への安全意識の再徹底を求めました。
ここで押さえておきたいのは、2005年の事業改善命令は、1985年の123便墜落事故に対して出された処分ではないということです。
約20年後に発生した別の安全上のトラブルに対する行政措置でした。
この区別は、日本航空の安全改革の歴史を理解するうえで非常に重要です。
安全アドバイザリーグループによる組織改革事業改善命令を受けた日本航空は、2005年8月に安全アドバイザリーグループを設置しました。
外部有識者が安全上の問題を検証し、会社の安全文化や組織運営について改善提言を行う仕組みです。
JALの公表資料によれば、メンバーは発足後約5か月間にわたり、現場視察や関係者へのヒアリングを実施しました。
調査は計30回に及び、ヒアリング時間は130時間を超えました。
2005年12月には、日本航空がより高い安全水準を持つ企業として再生し、社会からの信頼を回復するための最初の提言が行われています。
また、2006年4月1日には安全推進本部が設置され、安全に関する専門的な組織体制も強化されました。
経営陣が安全を現場任せにせず、組織として管理する体制への転換が進められたのです。
JAL安全啓発センターはなぜ設置されたのか日本航空は2006年4月24日、東京都内に安全啓発センターを開設しました。
設置の大きな目的は、1985年の123便墜落事故の教訓を風化させず、社員一人ひとりが安全運航の重要性を再認識することです。
センターは主に展示室と資料室で構成されています。
展示室では、事故の実物資料を通じて教訓を伝えています。
主な展示内容は以下のとおりです。
- 事故機の後部圧力隔壁。
- 後部胴体などの残存機体。
- コックピット・ボイスレコーダー。
- 乗客の遺品や遺書。
- 当時の新聞報道や事故現場の写真。
資料室では、航空事故の歴史や安全対策の改善について学べます。
世界の主な航空事故とその教訓、事故による被害拡大を防いだ事例、日本航空の安全への取り組みなどが紹介されています。
この施設は、単なる事故資料の保管場所ではありません。
新人社員から経営幹部までが、航空会社の仕事にどれほど重い責任が伴うのかを学ぶ教育施設です。
事故の悲惨さを知識として理解するだけでなく、実物資料を通じて安全運航の意味を受け止める。その教育的な役割に大きな意味があります。
JAL自身も安全啓発センターを「安全の礎」と位置付けています。
【2026年の日本航空】安全改革と経営体制はどう変わったのか
2026年の日本航空は、過去の事故の教訓を引き継ぎながら、新たな経営課題にも直面しています。
現在の鳥取三津子社長に求められるのは、安全管理の継続と、航空事業を取り巻く環境変化への対応です。
JALグループ経営ビジョン20352026年3月、日本航空は新たな成長戦略として「JALグループ経営ビジョン2035」を策定しました。
10年先を見据えた経営方針であり、社会価値の創出、持続的な成長、事業ポートフォリオの強化などを目指しています。
鳥取社長は2026年3月のメッセージで、技術が進歩しても安全の最後の砦は「人」であるという考え方を示しています。
AIなどの新技術は航空安全の向上に役立つ可能性がある一方、デジタル技術への過度な依存が新しいリスクになることにも注意を促しています。
航空会社にとって、技術導入だけで安全を完成させることはできません。
現場の判断力、異常を報告できる環境、整備や運航に関わる社員の専門性を維持することが欠かせません。
2025年度にも安全上の問題が発生一方、2026年の日本航空がすべての安全課題を解決したわけではありません。
鳥取社長が2026年3月に公表した安全に関するメッセージでは、2025年度に次の問題があったことが説明されています。
- 運航乗務員による飲酒問題。
- グループ航空整備部門における不適切事案。
- 航行中の揺れによる負傷事故。
- 重大インシデントの発生。
これらについて行政指導を受けた事実を重く受け止め、経営が先頭に立って再発防止に取り組む姿勢が示されました。
また、2026年7月24日には、2025年度JALグループ安全報告書が公表されています。
対象期間は2025年4月1日から2026年3月31日までです。
安全報告書は、事故やインシデントの有無だけでなく、会社がどのような安全管理体制を構築し、どのような改善を進めているかを把握するための重要な資料です。
鳥取社長の経営を評価する3つの視点2026年の日本航空の経営を評価する際には、単純な売上高や利用者数だけでは不十分です。
次の3点が重要な判断基準になります。
1. 安全上の問題を早期に発見できるか
重大事故を防ぐには、小さな異常や現場の違和感を見逃さないことが大切です。
社員が問題を報告できる仕組みと、報告を受けた経営陣が改善につなげる能力が問われます。
2. 安全投資と収益性を両立できるか
整備や教育に必要な予算を確保しながら、航空事業の競争力を維持できるかが重要です。
経営の効率化によって現場の安全管理が弱くなるようでは、本来の改革とはいえません。
3. 事故の教訓を次世代に継承できるか
1985年の事故を経験していない社員が増えるなか、安全啓発センターなどを通じて教訓を伝え続ける必要があります。
過去の事故を知識として記憶するだけでなく、日々の業務に反映できるかが問われます。
鳥取社長は客室乗務員から経営トップに至った経歴を持ちます。現場と経営をつなぐ立場として、その経験を安全文化の維持や人材育成にどのように生かすかが注目されます。
【日本航空社長に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:2026年現在の日本航空の社長は誰ですか?
A1:2026年11月現在、日本航空の代表取締役社長執行役員・グループCEOは鳥取三津子氏です。2024年4月1日に就任しました。日本航空初の女性社長で、客室乗務員出身です。
Q2:日本航空123便墜落事故の原因は何ですか?
A2:1978年の尻もち事故後に行われた後部圧力隔壁の不適切な修理が主な原因とされています。修理箇所に疲労亀裂が発生・進展し、1985年8月12日に隔壁が破壊。その結果、機体後部や垂直尾翼、油圧操縦系統が損壊し、群馬県上野村の山中に墜落しました。520人が亡くなり、4人が生存しました。
Q3:国土交通省が日本航空に事業改善命令を出したのはなぜですか?
A3:2005年3月17日、国土交通省は相次ぐ安全上のトラブルを受け、日本航空インターナショナルに事業改善命令を出しました。原因究明、一斉安全点検、安全組織の見直し、社員の安全意識の再徹底などを求めたものです。1985年の123便墜落事故に対する処分ではありません。
Q4:JAL安全啓発センターはいつ設置されましたか?
A4:2006年4月24日に開設されました。1985年の123便墜落事故の教訓を風化させず、安全運航に対する社員の意識を高めることが主な目的です。事故機の残存機体や後部圧力隔壁、遺品などが展示されています。
Q5:日本航空の社長には安全に関する最終責任がありますか?
A5:はい。JALの安全管理体制では、各グループ航空会社の社長が安全に関する最終責任を負います。安全方針の浸透、必要な資源の確保、安全統括管理者との連携などを通じて、安全管理システムを機能させる役割があります。
2026年現在、日本航空を率いているのは鳥取三津子社長です。
客室乗務員として航空業界の現場を経験し、安全推進部門や客室本部長、顧客サービス部門などを歴任して経営トップに就任しました。
日本航空の歴史を振り返ると、1985年8月12日の123便墜落事故は、企業経営と航空安全の関係を考えるうえで欠かせない出来事です。
520人が亡くなった事故の原因は、1978年の機体修理における不具合と、その後の疲労亀裂の進展、点検での未発見という連鎖にありました。
その後も2005年の事業改善命令や2006年の安全推進本部・安全啓発センターの設置など、日本航空は組織的な安全改革を進めてきました。
しかし、2025年度にも飲酒問題や整備部門の不適切事案が発生しており、安全管理に終わりはありません。
今後の日本航空の経営を評価するうえで大切なのは、社長の知名度や企業の業績だけではなく、現場の声を経営に反映できているか、安全上の問題を隠さず改善できているか、そして過去の事故の教訓を次世代へ継承できているかという点です。
航空会社にとって、安全は利益を生み出すための手段ではなく、事業を続けるための絶対条件です。
日本航空の歴代社長が受け継いできた経営責任は、2026年の鳥取三津子社長にも引き継がれています。123便墜落事故の教訓を未来の安全運航にどう生かすのか。その取り組みこそ、これからの日本航空の経営を判断する重要な基準となります。