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くいしん坊万才の歴代リポーターと番組の歴史、2026年の現在を徹底解説

高峰 弦 高峰 弦 • 更新: • 公開: • 読了約 20 分
目次

2026年現在、フジテレビの長寿料理ミニ番組『くいしん坊!万才』は、50年にわたる歴史に幕を下ろしている。1975年6月30日から2025年11月16日まで続いたレギュラー放送は、全6,599回。初代・渡辺文雄から11代目・松岡修造まで、合計11人のリポーターが全国各地の郷土料理や名物料理を紹介してきた。

番組を語るうえで欠かせないのが、フジテレビと共同テレビによる制作体制、リポーターを固定する独特の番組形式、そして2015年8月22日に放送された40周年記念特番だ。松岡修造、竜崎勝、梅宮辰夫、山下真司、高島彩らの関係や、東京・芝の「とうふ屋うかい」で行われた特番収録も、番組の歴史を知る重要な手がかりとなる。

- 番組の歴史: 1975年6月30日から2025年11月22日の最終特番まで、約50年間にわたり放送された。
- 歴代リポーター: 渡辺文雄、竜崎勝、梅宮辰夫、山下真司、松岡修造ら計11人が担当した。
- 40周年記念特番: 2015年8月22日に放送。松岡修造と高島彩が司会を務め、梅宮辰夫と山下真司も出演した。
- 収録場所: 40周年特番の収録は、東京・芝の会席料理店「とうふ屋うかい」で行われた。
- 2026年現在: 2025年11月22日の50周年記念特番をもって番組は終了している。

【2026年現在】くいしん坊万才は放送終了?最後の放送と現在の状況

くいしん坊万才

『くいしん坊!万才』は、2025年に放送開始50周年を迎えたことを節目として、レギュラー放送と特別番組の歴史に区切りをつけた。

フジテレビが2025年10月16日に公表した番組終了の発表によると、同番組は2025年1月26日から放送を休止していた。その後、10月26日に関東ローカルで放送を再開し、鹿児島県各地の食を巡る4回の放送を経て、11月22日の特別番組で最終回を迎えることになった。

最終的な放送スケジュールは次のとおりだ。

- 2025年10月26日:放送再開
- 2025年11月2日:鹿児島のかまぼこ店を訪問
- 2025年11月9日:鹿児島の黒酢料理を紹介
- 2025年11月16日:レギュラー放送最終回
- 2025年11月22日:50周年記念特別番組を放送

最終回の特別番組は『50年間ありがとう!くいしん坊!万才 一生忘れられない味SP』。フジテレビの関東ローカルで13時30分から14時30分まで放送された。

50年間で紹介した料理は約2万6000食

フジテレビの最終回に関する公式情報では、番組のレギュラー放送回数は合計6,599回、歴代リポーターが食べた料理は約2万6,000食と紹介されている。

単なる料理紹介番組ではなく、全国各地の生産者、料理人、地域住民と交流しながら、その土地に根付く食文化を記録してきたことが特徴だ。

最終特番では、歴代リポーターが選んだ「一生忘れられない味」や思い出の料理を振り返った。松岡修造も、自身の25年間の出演を支えた料理に再会するため、長崎県を再訪している。

2026年現在、松岡修造が現役の番組リポーターとして出演しているわけではない。11代目として25年間番組を支え、最後のレギュラー放送まで担当した人物という位置づけになる。

【番組の歴史】放送開始はいつ?フジテレビと共同テレビの制作体制

『くいしん坊!万才』の大きな特徴は、短い放送時間のなかで料理と地域の魅力を伝える構成にある。

番組の基本テーマは「いい味、いい旅、いい出会い」。全国の郷土料理、名物料理、特産品などを訪ね、料理そのものだけでなく、誕生した背景や土地の歴史、作り手の思いを紹介してきた。

放送開始は1975年6月30日

フジテレビの公式略歴では、初代リポーター・渡辺文雄の出演開始日である1975年6月30日が、歴代リポーター制の起点として掲載されている。

なお、番組の源流を1974年10月とする資料も存在する。1975年という年が50周年の基準として用いられているのは、リポーターを固定した現在につながる番組形式が始まった時期だからだ。

この違いを理解すると、放送開始年について1974年と1975年の両方の情報が見つかる理由も分かりやすい。

フジテレビと共同テレビによる共同制作

番組はフジテレビと共同テレビが関わる共同制作体制で長年制作されてきた。

2015年の40周年特番でも、公式番組ページには共同テレビ所属のプロデューサーやディレクター、カメラマンの名前が掲載されている。

また、2025年の50周年特番でも制作は共同テレビと発表されている。

制作面で注目したいのは、番組の基本構成が長期間維持されてきたことだ。

本編は約2分30秒という短さ。限られた時間のなかで、料理の紹介、現地の人との交流、食べる場面をまとめる必要があった。

この制約は、番組の特徴を形づくる要素でもあった。大規模なスタジオセットや長時間のトークを中心にするのではなく、リポーターが現地に出向き、食べる姿を通じて地域の魅力を伝える形式が定着した。

放送頻度も時代とともに変化

放送開始当初は週5回の放送形式だったが、その後、週4回を経て週1回へと変化した。

特に1999年4月以降は週1回の放送となり、日曜日の短時間番組として定着していった。

長い歴史を持ちながらも、放送枠や制作環境に合わせて形式を調整してきた点は、番組の継続を支えた背景の一つだ。

【歴代リポーター11人】出演者一覧と担当期間・放送回数

『くいしん坊!万才』では、初代から11代目まで、俳優やタレントなど幅広い分野の人物がリポーターを務めてきた。

歴代出演者を確認すると、初期は1〜3年程度で交代するケースが多く、2000年から担当した松岡修造が25年間という突出した長さを記録している。

以下はフジテレビの公式発表に基づく歴代リポーター一覧だ。

代 リポーター 担当期間 通算放送回数
初代 渡辺文雄 1975年6月30日〜1977年7月3日 515回
2代目 竜崎勝 1977年7月4日〜1978年12月31日 390回
3代目 友竹正則 1979年1月1日〜1981年12月31日 794回
4代目 宍戸錠 1982年1月1日〜1983年12月30日 509回
5代目 川津祐介 1984年1月4日〜1984年12月30日 228回
6代目 梅宮辰夫 1985年1月1日〜1987年12月30日 623回
7代目 村野武範 1988年1月3日〜1990年12月30日 617回
8代目 辰巳琢郎 1991年1月6日〜1993年12月29日 606回
9代目 山下真司 1994年1月4日〜1997年12月30日 782回
10代目 宍戸開 1998年1月4日〜1999年12月27日 284回
11代目 松岡修造 2000年1月10日〜2025年11月16日 1,251回

レギュラー放送の総回数は6,599回。 上記11人の担当回数を合計すると、公式発表の総回数と一致する。

歴代リポーターから分かる番組の特徴

注目したいのは、俳優として知名度のある人物が多く起用されていることだ。

食べることを中心にした番組では、料理の知識だけでなく、初めて口にするものに対する自然な反応や、作り手との会話も重要になる。

そのため、リポーター個人の人柄や表情が番組の印象を左右する。

また、7代目の村野武範は、出演当時「村野武憲」の芸名で活動していた。8代目の辰巳琢郎については、フジテレビの公式資料で「琢」の字に点の入る旧字体が正式表記と説明されている。

こうした細かな変遷も、50年間の出演者一覧を整理する際に押さえておきたいポイントだ。

【松岡・竜崎・梅宮・山下・高島彩】番組を彩った人物の関係

歴代リポーターのなかでも、検索されることが多いのが松岡修造、竜崎勝、梅宮辰夫、山下真司、そして高島彩だ。

それぞれ番組との関係や出演した時期が異なり、40周年特番と50周年特番を通じて、そのつながりが改めて紹介された。

松岡修造:25年間担当した11代目

松岡修造は2000年1月10日に11代目リポーターに就任した。

2025年11月16日のレギュラー放送終了まで、約25年間にわたって担当。通算1,251回という歴代最多の出演回数を記録している。

松岡の出演期間は、歴代リポーターのなかでも特に長い。

最終特番では、長崎県を再訪し、25年間の番組人生を振り返った。食べ物を紹介するだけではなく、料理を作る人や地域の人との関係を大切にしてきたことが、番組の締めくくりにも表れている。

竜崎勝:2代目リポーターで高島彩の父

竜崎勝は1977年7月4日から1978年12月31日まで、2代目リポーターを務めた俳優だ。

1984年に亡くなっており、娘は元フジテレビアナウンサーの高島彩である。

この親子の関係が番組の歴史と結び付いたのが、2015年の40周年特番だった。

高島彩は、父親が『くいしん坊!万才』に出演していた当時の姿を見たことがなかった。そこで特番では、竜崎勝の出演名場面をまとめた映像が紹介された。

番組の歴史を振り返る企画であると同時に、2代目リポーターの姿を次の世代へ伝える場面にもなった。

梅宮辰夫:6代目として623回出演

梅宮辰夫は1985年1月1日から1987年12月30日まで、6代目リポーターを担当した。

通算623回の出演を記録し、2015年8月22日の40周年特番にも登場している。

同特番では、歴代リポーターの代表として松岡修造、山下真司とともに出演。40年間の映像を振り返りながら、日本の食文化を紹介する企画に参加した。

山下真司:9代目として4年間担当

山下真司は1994年1月4日から1997年12月30日まで、9代目リポーターを務めた。

担当期間は約4年間で、通算782回。歴代出演者のなかでも比較的多い出演回数を残している。

2015年の40周年特番では梅宮辰夫とともに出演し、当時の思い出や食の魅力を振り返った。

高島彩:40周年・50周年の両特番で進行役

高島彩は、2代目リポーター・竜崎勝の娘であり、元フジテレビアナウンサーとしても知られる人物だ。

2015年8月22日の40周年特番では松岡修造とともに司会を担当。2025年11月22日の50周年最終特番でも進行役として出演した。

40周年と50周年の両方に関わったことからも、番組の歴史をつなぐ重要な存在だったことが分かる。

【2015年8月22日】くいしん坊万才40周年スペシャルの出演者と収録場所

2015年8月22日には、放送40周年を記念した番組初の1時間拡大特番が放送された。

正式な番組名は『チャンネルΣ・くいしん坊!万才40周年スペシャル 世界に広めたい日本食』。

通常のミニ番組とは異なり、歴代リポーターが集まり、40年間の映像や食の思い出を振り返る特別な内容だった。

40周年特番の出演者

当日の出演者は次の4人が中心となった。

- 松岡修造: 11代目リポーター。司会を担当。
- 高島彩: 竜崎勝の娘。松岡とともに司会を担当。
- 梅宮辰夫: 6代目リポーター。
- 山下真司: 9代目リポーター。

番組では、歴代リポーター3人が「世界に広めたい日本食」をテーマに、それぞれが推薦する料理を紹介した。

当時の貴重な映像を交えながら、料理の魅力を語り、いくつかの料理を再現して実際に食べる企画も行われた。

また、高島彩に向けて、父・竜崎勝の出演時代の名場面を紹介するサプライズ企画も実施された。

単なる周年記念のトーク番組ではなく、歴史のアーカイブと出演者の個人的なつながりを組み合わせた構成だった点が特徴的だ。

収録場所は東京・芝の「とうふ屋うかい」

40周年特番の収録場所として知られるのが、東京都港区芝公園にあった会席料理店「とうふ屋うかい」だ。

東京タワーの近くに位置する同店は、豆腐料理を中心とした会席料理で知られ、落ち着いた和の空間を備えた店舗だった。

番組が扱ってきた日本各地の食文化や伝統料理というテーマにも通じる場所であり、歴代リポーターが集まる周年特番の舞台として印象に残る。

なお、2026年現在の店舗状況には変化がある。

東京・芝のとうふ屋うかいは、公式発表によると2026年3月31日をもって営業を終了した。したがって、40周年特番の収録場所としての歴史的な意味と、現在の営業状況は分けて考える必要がある。

【50周年記念特番】2025年11月22日の最終回と出演者

番組の最後を飾ったのは、『50年間ありがとう!くいしん坊!万才 一生忘れられない味SP』だった。

2025年11月22日、関東ローカルで1時間にわたって放送された。

出演した歴代リポーターは次の5人。

- 村野武範(7代目)
- 辰巳琢郎(8代目)
- 山下真司(9代目)
- 宍戸開(10代目)
- 松岡修造(11代目)

進行は高島彩が担当した。

初代から11代目までの全員がスタジオに集まったわけではないが、歴代リポーターを代表する顔ぶれがそろい、番組の50年間を振り返る構成になった。

最終回で取り上げられた「一生忘れられない味」

特番では、歴代リポーターがこれまで訪問した地域や食べた料理のなかから、特に思い出深い味を紹介した。

番組が蓄積してきた約2万6,000食の記録と、50年間のアーカイブ映像が活用された。

なかでも注目されたのが、松岡修造の長崎県再訪だ。

松岡は、自分が25年間番組を続けられたきっかけとなった料理を求め、かつて訪れた場所へ戻った。25年ぶりに当時の関係者と再会し、思い出の料理を味わう内容となった。

食材や調理方法だけではなく、その料理を作る人や地域との関係まで振り返る構成は、番組が長年大切にしてきたテーマを象徴していた。

最終回で示された番組の本質

フジテレビが公表した最終特番の出演者コメントでは、松岡修造は番組を「一食一会」と表現している。

一回一回の食事に人の思いが込められ、出会いの記憶が残るという意味合いだ。

また、山下真司は各地で出会った人々との交流を自身の財産として振り返り、宍戸開も食べ物だけではなく、人とのふれあいを大切にしてきたことを語っている。

50年の歴史を振り返ると、『くいしん坊!万才』は料理を評価するだけの番組ではなかった。地域の人々が受け継いできた食文化を、リポーターの視点から伝え続けた番組だった。

『くいしん坊!万才』を調べる際には、単純に出演者の名前を並べるだけでは、番組の本当の歴史は見えてこない。

特に重要なのは、次の3点だ。

1. 1975年の放送開始と固定リポーター制を区別する

1974年を番組の源流とする資料と、1975年を放送開始の基準とするフジテレビの公式略歴は、必ずしも矛盾するものではない。

1975年6月30日は、渡辺文雄を初代とする固定リポーター制の起点として理解すると正確だ。

2. 松岡修造の25年間は番組史の大きな転換点

歴代11人のなかで、松岡修造の25年間という担当期間は際立っている。

初期のリポーターが比較的短い期間で交代していたのに対し、松岡は長期にわたって番組の顔を務めた。

その結果、視聴者にとって番組名と松岡の印象が強く結び付く時代が生まれた。

3. 40周年と50周年では特番の役割が異なる

2015年の40周年特番は、歴代リポーターと番組の歩みを振り返りながら、日本食の魅力を再発見する内容だった。

一方、2025年の50周年特番は、番組の最終回として、半世紀にわたる記録と出演者の思い出を締めくくる役割を担った。

両方の特番を比較すると、同じ周年記念でも、番組が置かれた状況によって企画の意味が変わっていることが分かる。

【よくある質問】くいしん坊万才に関するFAQ

Q1:くいしん坊万才はいつから放送されていた?

1975年6月30日から固定リポーター制で放送されていた。番組の源流を1974年秋とする資料もあるが、フジテレビは1975年を50周年の基準としている。

Q2:くいしん坊万才は2026年現在も放送している?

放送していない。2025年11月16日にレギュラー放送が終了し、同年11月22日の50周年記念特番をもって番組の歴史に幕を下ろした。

Q3:歴代リポーターは全部で何人?

初代の渡辺文雄から11代目の松岡修造まで、合計11人。竜崎勝、梅宮辰夫、山下真司、辰巳琢郎、宍戸錠、宍戸開らも担当した。

Q4:2015年の40周年特番には誰が出演した?

松岡修造、高島彩、梅宮辰夫、山下真司の4人が中心となって出演した。松岡と高島が司会を務め、梅宮と山下が歴代リポーターとして参加した。

Q5:40周年特番の収録場所はどこ?

東京都港区芝公園にあった会席料理店「とうふ屋うかい」。なお、同店は2026年3月31日に営業を終了している。

『くいしん坊!万才』は、1975年から2025年まで、11人のリポーターによって受け継がれてきたフジテレビの長寿料理ミニ番組だ。

初代・渡辺文雄から2代目・竜崎勝、6代目・梅宮辰夫、9代目・山下真司を経て、11代目・松岡修造が25年間にわたり番組を支えた。

2015年8月22日の40周年特番では、高島彩が父・竜崎勝の出演映像と向き合い、梅宮辰夫や山下真司らが日本食の魅力を紹介した。収録場所となった東京・芝のとうふ屋うかいも、番組の周年企画を語るうえで欠かせない場所である。

そして2025年11月22日、50周年記念特番によって番組は最終回を迎えた。

6,599回の放送、約2万6,000食、11人の歴代リポーター。

これらの数字が示しているのは、単なる長寿番組の記録ではない。日本各地の料理と、それを作り、守り、伝えてきた人々の記録でもある。

番組の放送は終了したが、紹介された郷土料理や地域の食文化がなくなるわけではない。『くいしん坊!万才』の50年間は、テレビ番組が食を通じて地域の歴史や人々の暮らしを記録できることを示した、貴重なアーカイブとして残っている。

主な事実確認資料: フジテレビの公式番組終了発表・最終回情報・2015年40周年特番の番組ページ、共同テレビの制作記録、とうふ屋うかいの営業終了告知。

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コンテンツディレクター 高峰 弦
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