飯塚幸三(いいづかこうぞう)は、元通商産業省工業技術院長であり、東京大学工学博士として計量学・計測工学の研究に携わった人物です。一方、2019年4月19日に発生した池袋暴走事故の運転者としても知られています。この事故では、松永真菜さんと長女の莉子ちゃんが亡くなり、9人が重軽傷を負いました。
飯塚氏は2021年9月に禁錮5年の実刑判決が確定し、2015年に受章した瑞宝重光章も褫奪(ちだつ)されました。その後、服役中の2024年10月26日に93歳で老衰のため亡くなったことが、同年11月25日に報道されました。2026年現在、本人の死亡は報道によって確認されており、刑事裁判もすでに終了しています。
【飯塚幸三の経歴・学歴】東京大学工学博士から通商産業省技官へ

飯塚幸三氏は1931年6月1日生まれ。東京都出身の研究者で、専門分野は計量学と計測工学です。
一般的には池袋暴走事故の加害者として記憶されていますが、事故以前には日本の計量標準や国際的な計測技術の発展に関わってきました。行政官としての経歴だけでなく、研究者として国際的な活動を行っていた点も特徴です。
東京大学までの学歴と研究への関心飯塚氏は旧制浦和高等学校を経て東京大学へ進学しました。東京大学では工学部応用物理学科の計測分野を学び、1953年に卒業しています。
2008年に計測自動制御学会の学会誌『計測と制御』に掲載されたオーラルヒストリーでは、幼少期から光学に関心を持っていたことや、大学で光の波動性を利用した位相差顕微鏡の性能評価に取り組んだことが紹介されています。
同資料によれば、学生時代に測定の基準となる標準器について学んだことが、後の計量研究につながりました。
東京大学工学博士としての専門性は、単に大学の学歴を示すものではありません。測定値の正確性を確保し、異なる場所や国で得られたデータを比較可能にするという、産業や科学の基盤に関わるものでした。
通商産業省工業技術院での研究者時代1953年、大学卒業と同じ年に工業技術院の中央計量検定所へ入所。その後、計量研究所を中心に研究活動を続けました。
専門としていたのは、硬さの標準、精密形状計測、物性計測などです。製造業では、製品の寸法や硬さを正確に測定できなければ、品質の安定や国際的な取引が難しくなります。こうした測定技術の基準づくりは、日本の工業技術を支える重要な仕事でした。
1958年には英国の国立物理学研究所(NPL)に留学。国際的な研究機関で計量標準の研究や組織運営に触れたことも、その後のキャリアに影響を与えました。
1983年には工業技術院計量研究所長、1986年には工業技術院長に就任しています。研究現場から研究機関の運営、さらに行政組織のトップへと役割を広げていきました。
クボタや国際計測組織での活動官公庁を離れた後も、飯塚氏は技術分野で活動を続けました。1989年には機械振興協会の副会長、1991年にはクボタの常務取締役を経て副社長を務めています。
国際的には国際法定計量委員会(CIML)や国際度量衡委員会(CIPM)などに関わり、国際計測連合(IMEKO)でも要職を歴任しました。1992年には計測自動制御学会の会長にも就任しています。
2002年には日本計量振興協会会長に就任しました。2008年の学会誌に掲載された経歴では、計量標準の国際化に携わってきた歩みが記録されています。
こうした実績から、飯塚氏は事故以前には計測・計量分野の専門家として一定の評価を受けていた人物でした。ただし、専門分野での功績と、後に起こした交通事故の刑事責任は、別々に評価されるべき問題です。
【池袋暴走事故】2019年4月19日に何が起きたのか
飯塚幸三氏の名前が全国的に知られるようになった最大のきっかけは、2019年4月19日に東京都豊島区東池袋で発生した自動車暴走事故です。
事故は昼ごろ、東池袋4丁目付近の都道で発生しました。飯塚氏が運転する乗用車が交差点に進入し、横断歩道を渡っていた人々を次々とはねました。
この事故で、松永真菜さん(当時31歳)と長女の莉子ちゃん(当時3歳)が死亡。さらに9人が重軽傷を負いました。事故現場では車が約150メートルにわたって暴走し、複数の交差点を通過しています。
事故直後から刑事裁判までの経緯事故直後、飯塚氏は自身も負傷して病院へ搬送されました。当初、本人は車のブレーキが利かなかったという趣旨の説明をしていました。
その後の捜査では、車両に暴走を引き起こす異常があったかどうかが調べられました。警視庁は2019年11月12日、飯塚氏を過失運転致死傷の疑いで書類送検しています。
2020年2月6日には東京地検が在宅起訴。同年10月8日に初公判が開かれました。
飯塚氏は法廷で遺族に謝罪する一方、アクセルを踏み続けたことはないと説明し、車両側の異常を主張して無罪を求めました。
一方、検察側はアクセルとブレーキの踏み間違いが事故原因だと主張。被害の大きさや過失の内容を踏まえ、禁錮7年を求刑しました。
裁判所が認定した事故原因2021年9月2日、東京地方裁判所は飯塚氏に禁錮5年の実刑判決を言い渡しました。
判決では、飯塚氏がブレーキペダルと間違えてアクセルペダルを踏み込み、そのまま踏み続けたことが事故につながったと認定されています。
つまり、法廷で争われた車両の故障という主張は認められず、運転操作上の過失が事故の原因と判断されたのです。
この判決は、単に重大事故が起きたという事実だけでなく、事故原因を客観的な証拠に基づいて判断する刑事裁判の役割を示すものでもありました。
【飯塚幸三が逮捕されなかった理由】上級国民批判と実際の捜査
池袋暴走事故では、事故直後に飯塚氏が逮捕されなかったことも大きな社会問題になりました。
飯塚氏が元通産省の幹部であり、工業技術院長を務めた経歴を持っていたことから、インターネット上では「上級国民」という言葉が広まりました。一般の交通事故では逮捕されるケースもあるなか、なぜ飯塚氏は逮捕されないのかという疑問が、社会的な批判につながったのです。
逮捕と起訴は同じ意味ではない刑事手続きでは、逮捕は被疑者の身柄を拘束するための手続きです。逮捕するかどうかは、犯罪の疑いだけでなく、逃亡や証拠隠滅のおそれなど、身柄拘束の必要性も踏まえて判断されます。
飯塚氏は事故で重傷を負い、病院に入院していました。退院後も警察は任意で事情聴取を行い、証拠収集を進めています。
2019年の報道で紹介された弁護士の解説でも、入院中の身柄拘束の難しさや、証拠隠滅・逃亡のおそれの判断が、逮捕の有無に関係すると説明されています。
その後、飯塚氏は書類送検され、在宅起訴を経て公開の刑事裁判で審理されました。逮捕されなかったことと、刑事責任を問われなかったことは同じではありません。
「上級国民」という言葉が広がった背景社会的な反発が強まった背景には、被害の重大さに加え、加害者の経歴や事故直後の捜査対応に対する不信感がありました。
特に、被害者側が家族を突然失った一方、飯塚氏が事故直後に逮捕されず、報道で元院長という肩書きが使われたことは、社会的な公平性に対する疑問を呼びました。
ただし、「上級国民」は法律上の身分や制度ではありません。逮捕されなかったという一点だけで、政治的・社会的な特別扱いがあったと断定することもできません。
この事件を理解するには、捜査手続きへの批判と、最終的に裁判所が認定した刑事責任を分けて考える必要があります。社会的な疑問が残ったとしても、刑事裁判では過失が認定され、実刑判決が確定しました。
【裁判・判決確定・瑞宝重光章の褫奪】飯塚幸三事件の重要年表
池袋暴走事故は、2019年の発生から2021年の実刑確定まで約2年5か月を要しました。その後、勲章の褫奪や民事裁判など、刑事判決以外にも重要な動きがありました。
以下に、飯塚氏の経歴から事故、裁判、死去までの主要な出来事を整理します。
| 年月日・時期 | 出来事 | 内容・意味 |
|---|---|---|
| 1931年6月1日 | 飯塚幸三が誕生 | 東京都出身。2024年に93歳で死去。 |
| 1953年 | 東京大学を卒業 | 工学部応用物理学科で計測分野を専攻し、工業技術院へ入所。 |
| 1983年・1986年 | 研究所長・工業技術院長に就任 | 計量研究所長を経て工業技術院長を務める。 |
| 2015年 | 瑞宝重光章を受章 | 元工業技術院長として秋の叙勲で受章。 |
| 2019年4月19日 | 池袋暴走事故 | 松永真菜さんと莉子ちゃんが死亡。9人が重軽傷。 |
| 2019年11月12日 | 書類送検 | 警視庁が過失運転致死傷の疑いで送検。 |
| 2020年2月6日 | 在宅起訴 | 東京地検が飯塚氏を起訴。 |
| 2020年10月8日 | 刑事裁判の初公判 | 飯塚氏は車両の異常を主張し、無罪を求める。 |
| 2021年9月2日 | 禁錮5年の実刑判決 | 東京地裁が運転操作上の過失を認定。 |
| 2021年9月17日 | 判決確定・勲章褫奪 | 双方が控訴せず判決確定。瑞宝重光章が褫奪される。 |
| 2023年10月27日 | 民事裁判の判決 | 東京地裁が被告側に約1億4,000万円の支払いを命じる。 |
| 2024年2月 | 松永拓也さんに手紙 | 飯塚氏が事故の原因について自身の過失を認め、謝罪する内容を伝える。 |
| 2024年5月 | 松永さんとの面会 | 高齢ドライバーに早く免許を返納するよう伝えてほしいと話したと報道される。 |
| 2024年10月26日 | 飯塚幸三が死去 | 収容先で老衰のため93歳で死亡。 |
| 2024年11月25日 | 死亡報道 | 飯塚氏の死去がTBSなどの報道機関から伝えられる。 |
2021年9月2日の判決に対して、検察側と弁護側の双方が控訴しませんでした。
控訴期限を過ぎた9月17日、禁錮5年の実刑判決が確定。飯塚氏はその後、刑務所に収容されました。
判決が確定したということは、刑事裁判における通常の不服申立ての手続きが終了したことを意味します。事故原因についての司法判断が確定した点は、この事件を振り返るうえで欠かせません。
瑞宝重光章は返上ではなく褫奪飯塚氏は2015年秋、長年の公務などに関する功績によって瑞宝重光章を受章していました。
しかし、2021年9月17日に禁錮5年の実刑判決が確定したことを受け、勲章は褫奪されました。
褫奪とは、授与されていた勲章などを取り上げることです。今回のケースでは、本人が自ら勲章を返上したのではありません。
2021年9月29日、弁護士ドットコムニュースの取材に対し、内閣府賞勲局は飯塚氏の勲章について、刑の確定時点で褫奪されたと説明しました。加えて、2021年10月27日発行の官報にも褫奪に関する記載が掲載されています。
瑞宝重光章の褫奪は、事故に対する世論の反発によって個別に決められた処分というより、勲章褫奪令に基づく制度上の措置でした。
民事裁判では約1億4,000万円の賠償命令刑事裁判とは別に、松永さんら遺族は飯塚氏らに対して損害賠償を求める民事訴訟を起こしていました。
2023年10月27日、東京地方裁判所は被告側に合計約1億4,000万円の支払いを命じました。遺族側の請求額は約1億7,000万円でした。
この民事判決によって、刑事上の責任だけでなく、被害に対する金銭的な賠償についても司法判断が示されました。
【松永拓也さんへの手紙と2024年10月26日の死去】最後に何があったのか
飯塚幸三氏の死去をめぐっては、死亡報道の時期や、松永拓也さんとの最後のやり取りに関心が集まりました。
特に重要なのは、飯塚氏が亡くなる前の2024年に、松永さんへ謝罪の手紙を送り、実際に面会していたことです。
2024年2月、松永拓也さんに謝罪の手紙を送る事故から約5年が経過した2024年2月、松永拓也さんは飯塚氏からの手紙を受け取りました。
TBS NEWS DIGの報道によると、手紙には、暴走の原因が自身の勘違いによるものだったと理解したことや、心から謝罪する趣旨の内容が記されていました。
これは重要な変化でした。刑事裁判では、飯塚氏は車両の異常を主張し、運転操作上の過失を否定していました。しかし、手紙ではアクセルとブレーキの踏み間違いを認める内容が伝えられたのです。
松永さんにとって、この手紙は単なる形式的な謝罪ではなく、長く続いていた加害者との向き合い方を考えるきっかけになったと報じられています。
2024年5月の面会で交わされた最後の言葉同年5月には、松永さんと飯塚氏の面会が実現しました。
当時の飯塚氏は体調が悪化しており、自由に話すことも難しい状態だったとTBS NEWS DIGは伝えています。
その面会で飯塚氏が伝えた言葉として報道されたのが、「高齢ドライバーに早く免許を返すよう伝えてほしい」という趣旨の発言です。
この言葉には、自身が起こした事故への後悔と、高齢運転者による事故を防いでほしいという思いが表れていたと受け止められています。
松永さんも、面会が実現したことについて、飯塚氏の死後の取材で、怒りや憎しみだけではない感情で生きていくきっかけになったという趣旨を語りました。
飯塚幸三の死亡報道は本当?2024年10月26日に93歳で死去飯塚氏の死亡については、2024年11月25日にTBS NEWS DIGやテレビ朝日などが報道しました。
報道によると、飯塚氏は2024年10月26日、収容先で老衰のため亡くなりました。享年93歳です。
つまり、死亡日と死亡が報じられた日は異なります。
- 死亡日:2024年10月26日
- 死亡時の年齢:93歳
- 死因:老衰
- 死亡場所:服役中の収容先
- 報道日:2024年11月25日
そのため、「飯塚幸三は2024年10月26日に死亡した」という情報と、「2024年11月25日に死亡が報道された」という情報は矛盾していません。
また、飯塚氏は禁錮5年の刑期を終えて出所したのではありません。実刑判決が確定した後に服役し、刑の執行中に亡くなりました。
死亡が報道されたことで、刑事裁判の再開や本人への追加の刑事責任追及が行われる状況ではなくなりました。一方、交通事故によって家族を失った遺族の苦しみや、事故の再発防止という社会的課題が消えたわけではありません。
【飯塚幸三の人物像と事件の評判】研究者としての功績と加害責任
飯塚氏をめぐる評価は、事故以前の研究者・行政官としての実績と、池袋暴走事故による刑事責任という二つの側面に分けて考える必要があります。
研究者としては、計量標準の整備や国際的な計測技術の発展に携わり、国内外の学術組織で活動しました。一方、池袋暴走事故では2人の命が失われ、多くの人が負傷する重大な結果を招きました。
計量学の研究者として何を残したのか計量学は、長さ、重さ、温度、硬さなどを正確に測定するための基準や方法を研究する分野です。
例えば、同じ製品を日本と海外で測定したとき、測定結果が大きく異なれば、製品の品質や取引の信頼性に影響します。そのため、国際的に共通する計量標準の整備が欠かせません。
飯塚氏は硬さ標準や精密形状計測などの研究に携わり、国際的な標準化活動にも関与しました。こうした経歴は、2008年の計測自動制御学会誌に掲載された本人への聞き取り記録にも残されています。
また、2015年には瑞宝重光章を受章しており、事故以前に公的な功績が評価されていたことも確認できます。
事故後の評判が大きく変わった理由事故後、飯塚氏に対する社会の評価は大きく変化しました。
元官僚という肩書きや逮捕されなかった経緯に注目が集まり、インターネット上では「上級国民」という批判的な呼称が広がりました。加えて、初公判で車両の故障を主張したことも、遺族感情や世論に影響を与えました。
ただし、この事件を単純に社会的地位の問題だけで説明することはできません。刑事裁判では事故原因が審理され、運転操作上の過失が認定されました。判決確定後には勲章も褫奪されています。
社会的な批判、刑事司法による判断、専門家としての過去の功績は、それぞれ異なる評価軸です。研究者としての経歴があるからといって事故の責任が軽くなるわけではなく、重大事故を起こしたからといって過去の研究活動の記録が消えるわけでもありません。
この事件が高齢ドライバー問題に残した課題池袋暴走事故が社会に突きつけた課題の一つは、高齢者の運転能力と免許返納の問題です。
年齢を重ねると、視力や反応速度、身体機能などに変化が生じる場合があります。しかし、年齢だけで運転能力を一律に判断することもできません。
大切なのは、本人や家族が運転能力の変化を認識し、必要に応じて運転を控える判断ができる環境を整えることです。医療機関での相談、運転適性の確認、公共交通機関の利用環境など、複数の対策を組み合わせる必要があります。
飯塚氏が松永さんとの面会で高齢ドライバーの免許返納について言及したことは、事故を経験した当事者の言葉として報道されました。
この事件を単なる個人の失敗として終わらせず、同様の事故を防ぐために社会全体で何ができるのかを考えることが、現在も残されている課題です。
【飯塚幸三に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:飯塚幸三は現在どうしている?すでに亡くなった?
A1:飯塚幸三氏は2024年10月26日、服役中の収容先で老衰のため93歳で亡くなりました。死亡は同年11月25日に報道されています。2026年現在、すでに故人です。
Q2:飯塚幸三の学歴と経歴は?
A2:旧制浦和高等学校を経て東京大学工学部応用物理学科を卒業しました。1953年に工業技術院の中央計量検定所へ入所し、計量研究所長、工業技術院長などを歴任。東京大学工学博士として計量学・計測工学の研究にも携わりました。
Q3:池袋暴走事故で飯塚幸三にどのような判決が出た?
A3:2021年9月2日、東京地裁は過失運転致死傷罪で禁錮5年の実刑判決を言い渡しました。双方が控訴しなかったため、同年9月17日に判決が確定しています。
Q4:飯塚幸三の瑞宝重光章はなぜ取り上げられた?
A4:2015年に受章した瑞宝重光章は、禁錮5年の実刑判決が確定した2021年9月17日に褫奪されました。本人による自主的な返上ではなく、勲章褫奪令に基づく措置です。
Q5:飯塚幸三は松永拓也さんに手紙を送った?
A5:はい。2024年2月、飯塚氏は松永拓也さんに謝罪の手紙を送りました。手紙にはアクセルとブレーキの踏み間違いを認める趣旨の内容が記されていたとTBS NEWS DIGが報じています。同年5月には面会も実現しました。
Q6:飯塚幸三が死亡したという報道はいつ出た?
A6:死亡日は2024年10月26日です。TBS NEWS DIGなどが2024年11月25日に死亡を報じました。死亡日と報道日を混同しないことがポイントです。
飯塚幸三氏は、東京大学工学部を卒業し、通商産業省工業技術院で計量学の研究に携わった人物でした。研究所長や工業技術院長を務め、国際的な計測標準の整備にも関与した経歴があります。
しかし、2019年4月19日の池袋暴走事故によって、松永真菜さんと莉子ちゃんの命が失われ、9人が重軽傷を負いました。刑事裁判ではアクセルとブレーキの踏み間違いによる過失が認定され、2021年9月に禁錮5年の実刑判決が確定。瑞宝重光章も褫奪されました。
その後、2024年2月には松永拓也さんへの謝罪の手紙が送られ、5月には面会が実現。そして10月26日、飯塚氏は93歳で亡くなりました。
2026年現在、この事件をめぐる刑事裁判はすでに終了しています。しかし、事件が社会に残した問題は終わっていません。
高齢ドライバーの運転能力をどのように確認するのか。免許返納を本人や家族がどう判断するのか。重大事故の被害者と遺族を社会がどのように支えるのか。こうした課題は、今後も交通安全を考えるうえで重要です。
飯塚幸三氏の経歴だけを見るのでも、事故後の批判だけを見るのでも、事件の全体像は理解できません。研究者としての歩み、司法が認定した責任、被害者遺族の思い、そして再発防止への取り組みを合わせて振り返ることが、この事件を正しく理解するための出発点になります。
主な根拠資料
- 計測自動制御学会誌「計量標準の日本における確立と進展」飯塚幸三氏インタビュー。
- 産業技術総合研究所「平成27年秋の叙勲受章者が決定されました」。
- 日刊スポーツ「池袋暴走事故発生から2年5カ月で飯塚幸三被告実刑確定」。
- 弁護士ドットコム「飯塚幸三氏の勲章『瑞宝重光章』が剥奪されていた」。
- TBS NEWS DIG「池袋暴走事故の飯塚幸三受刑者(93)が死亡」。手紙、面会、死亡日についての報道。
- スポニチ「東京・池袋暴走事故の飯塚幸三受刑者 老衰で死亡 93歳」。
- テレビ朝日「池袋暴走事故巡り飯塚受刑者に1億4000万円の賠償命令」。