将棋界を代表する棋士として活躍する藤井聡太は、どこの高校に通っていたのでしょうか。出身高校は、愛知県名古屋市にある国立の名古屋大学教育学部附属高等学校です。しかし、2021年1月31日付で自主退学しており、卒業を目前に控えた高校3年生の時期に学校を去ったことが大きな話題になりました。
退学の理由として本人が明らかにしたのは、将棋に専念したいという意思です。一方、平日に行われる公式戦と通学の両立や出席日数不足、成績不振など、さまざまな説もインターネット上で取り上げられてきました。2026年現在の藤井聡太の活躍を踏まえながら、小学校・中学校から高校進学、そして自主退学に至るまでの経緯を整理します。
【結論】藤井聡太の高校は名古屋大学教育学部附属高校!どんな学校だった?

藤井聡太の出身高校は、正式名称を名古屋大学教育学部附属高等学校といいます。一般には「名大附属高校」と略されることもある学校です。
愛知県名古屋市千種区不老町に位置し、名古屋大学東山キャンパス内にあります。国立大学法人が設置する併設型中高一貫校で、普通科を設置しています。
日本将棋連盟や共同通信などの報道によれば、藤井は同校の附属中学校を卒業した後、2018年4月に高校へ進学しました。
名大附属高校の教育環境と偏差値名古屋大学教育学部附属中・高等学校は、一般的な高校とは異なる教育環境を持っています。
学校公式の紹介によると、国立大学法人唯一の併設型中高一貫校であり、名古屋大学と同じキャンパス内に立地しています。大学との連携教育や探究学習、少人数教育などを特色としています。
2026年度の受験情報サイトでは、同校の偏差値はおおむね55~60程度の目安で紹介されています。
ただし、偏差値は模試の運営会社や集計方法によって異なります。例えば、みんなの高校情報では60、進研ゼミの合格可能性判定模試では55~59とされています。学校が公式に定めている数値ではありません。
また、藤井は高校から新たに外部受験して入学したのではなく、附属中学校から内部進学しています。そのため、高校受験の偏差値だけで本人の入学難度を評価するのは適切ではありません。
藤井聡太が通っていた学校の特徴同校は学力だけでなく、主体性や探究心を重視する教育方針を掲げています。名古屋大学との連携という環境もあり、一般的な高校生活とは異なる学びの機会が用意されていました。
藤井にとっても、将棋だけでは得られない経験を積める場所だったと考えられます。後年の取材では、高校生活について、棋士だけでは経験できないことがあったという趣旨の振り返りも紹介されています。
高校を自主退学したからといって、学校生活そのものを否定していたわけではありません。将棋に時間を集中させるという進路選択と、それまでに得た学校での経験は分けて考える必要があります。
藤井聡太の学歴を小学校から整理すると、愛知県瀬戸市で過ごした少年時代から、将棋の才能を伸ばしながら中高一貫校へ進んだ経緯が見えてきます。
小学校は瀬戸市立效範小学校藤井が通っていた小学校は、愛知県瀬戸市にある瀬戸市立效範小学校(こうはんしょうがっこう)です。
小学生時代には、すでに将棋に強い関心を持っていました。5歳頃から将棋教室に通い、詰将棋や対局を通じて実力を磨いています。
CBCなどの取材では、幼少期の藤井を知る将棋教室の恩師や小学校時代の担任が当時の様子を振り返っています。将棋教室の恩師・文本力雄氏によれば、藤井は対局で負けると涙を流すこともありましたが、泣いた後は気持ちを切り替えていたそうです。
また、学校の担任の証言では、勉強にも優れた面があり、物事を理解して簡潔にまとめる力が印象的だったとされています。
中学校は名古屋大学教育学部附属中学校2015年4月、藤井は名古屋大学教育学部附属中学校へ進学しました。
同校は高校までの一貫した教育環境を持つ学校です。中学在学中も将棋の実力は急速に伸び、2016年10月には14歳2か月でプロ棋士となりました。
中学2年生でプロ入りを果たした藤井は、2017年には公式戦29連勝という新記録を達成します。学校生活とプロ棋士としての活動を並行する、非常に忙しい中学生でした。
高校は附属高校へ内部進学2018年4月、藤井は名古屋大学教育学部附属高等学校へ進学しました。
中学校から高校へ進む際には、将棋に専念する道も選択肢にありましたが、当時は学業と将棋を両立する進路を選びました。
高校在学中も公式戦で活躍を続け、2020年には棋聖と王位を獲得。高校3年生になる頃には、将棋界のトップ棋士として大きな注目を集める存在になっていました。
【時系列で検証】藤井聡太が2021年1月末に高校3年で自主退学した経緯
藤井聡太の高校中退が公になったのは、2021年2月16日です。
日本将棋連盟が発表した内容によると、藤井は2021年1月31日付で名古屋大学教育学部附属高校を自主退学していました。当初は3月1日に卒業式を迎える予定だったため、卒業まで残り約1か月という時期の決断でした。
ここで重要なのは、退学が突然決まったわけではないという点です。本人は前年の秋には意思を固め、学校側と複数回の話し合いを行っていました。
高校中退までの主な出来事| 時期 | 学校・将棋界の出来事 | 意味・背景 |
|---|---|---|
| 2009年 | 瀬戸市立效範小学校に在学 | 小学生時代から将棋の実力を伸ばす |
| 2015年4月 | 名古屋大学教育学部附属中学校へ進学 | 中高一貫教育の環境に入る |
| 2016年10月 | 14歳2か月でプロ入り | 史上最年少で四段に昇段 |
| 2018年4月 | 名古屋大学教育学部附属高校へ進学 | 将棋と高校生活の両立を選択 |
| 2020年7月 | 棋聖を獲得 | 17歳11か月で初タイトル |
| 2020年8月 | 王位を獲得 | 18歳1か月で最年少二冠 |
| 2020年秋 | 高校退学の意思を固める | 将棋への専念を決断し学校と協議 |
| 2021年1月31日 | 高校を自主退学 | 退学届を提出 |
| 2021年2月16日 | 日本将棋連盟が退学を公表 | 本人のコメントも発表 |
| 2026年 | 九段・複数タイトル保持者として活動 | プロ棋士としてさらなる実績を重ねる |
2021年2月16日、日本将棋連盟を通じて藤井本人が発表したコメントには、退学を決断した理由が明確に示されていました。
「タイトルを獲得できた事で将棋に専念したい気持ちが強くなりました。秋に意思を固め、数回学校と話し合いをした上、1月末日付で退学届けを提出いたしました。一層精進していく所存ですので、今後ともよろしくお願い申し上げます」
このコメントから読み取れるのは、本人がタイトル獲得をきっかけに将棋への集中を強く望み、時間をかけて退学を決断したということです。
また、学校側との話し合いを複数回行ったうえで退学届を提出しています。単に学校へ通わなくなったという話ではなく、本人と学校が協議した結果としての自主退学でした。
【退学理由の真相】将棋専念・対局日程・出席日数不足説を比較
藤井聡太の高校中退について、特に検索されているのが「なぜ卒業直前に辞めたのか」という疑問です。
本人が説明した理由は将棋への専念です。ただし、当時の生活を詳しく見ると、タイトル戦や公式戦の増加によって、学業との両立が難しくなっていた事情も浮かび上がります。
理由1:タイトル獲得によって将棋への専念を決意2020年の藤井は、将棋界にとって大きな転換点となる活躍を見せました。
7月には棋聖戦五番勝負で勝利し、17歳11か月で初タイトルを獲得。さらに8月には王位戦七番勝負も制し、18歳1か月で二冠を達成しました。
高校3年生でありながら、将棋界のトップタイトルを複数保持する棋士になったのです。
タイトル保持者になると、通常の公式戦に加えてタイトル防衛戦なども視野に入ります。対局準備、研究、移動、対局後の振り返りなど、将棋に必要な時間は増えていきます。
こうした状況の変化が、将棋に専念したいという本人の意思を強めた背景にあります。
理由2:平日の対局と通学の両立が難しくなった自主退学の背景を詳しく解説しているのが、棋士の田丸昇氏によるJBpressの記事です。
同記事では、公式戦の多くが平日に行われることや、愛知県在住の藤井が東京・大阪の将棋会館へ移動する必要があったことが紹介されています。
対局によっては前日から現地に宿泊し、終局が遅くなれば当日も宿泊することがあります。加えて、2日制のタイトル戦では、対局だけでなく地方への往復移動も含めて数日間を要します。
こうした日程は通常の高校の授業時間と相性がよくありません。
特に藤井の場合、単に対局の日だけ学校を休めばよいという問題ではありませんでした。事前研究、移動、対局、終局後の検討まで含めると、学業に割ける時間を確保することが難しくなっていきます。
タイトル戦で勝ち進むほど対局機会が増え、さらに将棋の研究時間も必要になるという構造的な問題があったのです。
理由3:出席日数不足説はどこまで本当なのかインターネット上では「藤井聡太は出席日数が足りなくなったため高校を辞めた」という説も広まっています。
この説には、対局日程と通学の両立が難しかったという背景があります。
田丸昇氏のJBpressの記事では、藤井の出席日数不足は高校入学当初から懸念されていた問題だったと説明されています。また、退学を決める前に学校側と複数回話し合い、レポート提出などによる対応は認められず、卒業するには留年を選ぶ必要があったという経緯も紹介されています。
ただし、ここで区別したいのは、出席日数不足が本人の公式コメントで示された退学理由ではないという点です。
本人が日本将棋連盟を通じて公表した理由は、あくまで「将棋に専念したい」という意思でした。
したがって、出席日数の問題は、対局と通学の両立を難しくした具体的な背景として捉えるのが適切です。実際の出席日数や学校の詳細な判定資料が公表されているわけではありません。
理由4:成績不振や学校とのトラブルが原因だった?高校中退という言葉から、成績不振や学校との人間関係を疑う人もいます。
しかし、藤井の自主退学について、成績不振が原因だったと裏付ける日本将棋連盟の発表や確かな公表資料はありません。
また、本人のコメントにも、学校との対立や人間関係の問題は示されていません。むしろ、秋から数回にわたって学校と話し合いを行ったことが明らかになっています。
高校中退という結果だけを見て、学力不足や学校生活の失敗と結び付けるのは正確ではありません。
藤井のケースでは、プロ棋士としての活動が大きく発展した時期に、限られた時間をどのように使うかという進路上の判断が行われたと理解できます。
【AI研究と大学進学】藤井聡太は高校中退後、何を選んだのか?
藤井聡太の進路については、高校中退だけでなく、大学進学やAI研究との関係にも関心が集まっています。
特に「将棋に専念する」という言葉と、AIを活用した研究スタイルには関係があります。ただし、AI研究を理由に高校を辞めたという説明と、将棋研究にAIを使っているという事実は区別する必要があります。
大学進学は当初から考えていなかった?藤井は高校3年生だった2020年7月、初タイトルの棋聖を獲得した直後に今後の進路について語っています。
日刊スポーツのインタビュー報道によると、当時の藤井は大学進学について「今のところ考えていない」とし、卒業後は将棋に集中したいという意向を示していました。
つまり、2021年の高校中退が発表される前から、大学進学よりも棋士としての成長を優先したいという考えを持っていたことになります。
ただし、当時の発言は2020年7月時点の進路方針です。その後、2021年1月に高校を卒業せず自主退学するという決断に至りました。
2026年現在、日本将棋連盟の公式プロフィールには棋士としての経歴や実績が掲載されていますが、大学進学を経たという公表情報は確認できません。
藤井聡太はAI研究者だったのか?藤井の将棋研究を語るうえで、AIは欠かせない存在です。
将棋AIは膨大な局面を解析し、候補手や形勢判断を提示する技術です。現在のプロ棋士にとって、研究を効率化する重要なツールとなっています。
藤井自身もプロデビュー前後から将棋AIを研究に取り入れてきました。
2017年のマイナビ将棋情報局のインタビューでは、中学校でAI研究をしたと聞いたという質問に対し、大学の先生からAIについて話を聞く機会があったことなどを説明しています。
これは、藤井が大学などの研究機関でAI研究者として活動していたという意味ではありません。将棋やAIに関する知識に触れ、興味を持っていたことを示すエピソードです。
また、2025年に報じられた羽生善治との対談でも、藤井はAIの示す情報をそのまま受け取るのではなく、自分なりに解釈して将棋の考え方に取り入れることの重要性を語っています。
AIの評価値だけに依存するのではなく、そこから得られる情報を自分の思考力と組み合わせる姿勢が特徴です。
高校を辞めた後も将棋の実績は伸び続けた藤井の高校中退は、学業を終えられなかったという出来事だけではありません。その後の棋士としての歩みを見ると、将棋に時間を集中させるという選択が、そのキャリアの大きな転換点になったことが分かります。
2021年には九段に昇段し、竜王を獲得。2023年には名人を獲得するとともに、史上初の八冠独占を達成しました。
その後もタイトル戦で活躍し、日本将棋連盟の2026年の棋士プロフィールでは、九段として竜王・名人をはじめとする複数のタイトルを保持しています。
2002年7月19日生まれの藤井は、2026年11月時点で24歳です。高校を卒業しなかったという学歴上の事実と、棋士として積み重ねてきた実績は、別々の尺度で評価する必要があります。
【プロの結論】藤井聡太の高校中退から分かる進路選択の本質
藤井聡太の高校中退を理解するうえで重要なのは、単に高校を卒業しなかったという結果ではなく、どのような状況でその決断に至ったかという点です。
高校卒業よりも優先したかったもの藤井は中学生でプロ棋士になり、高校在学中に二冠を達成しました。
一般的な高校生とは異なり、対局日程は本人の学校生活に合わせて組まれるものではありません。タイトル戦や公式戦が重なれば、移動や研究のために数日単位で時間を確保する必要があります。
高校を卒業するまでの残り約1か月をどう過ごすかという問題だけでなく、卒業後も続く棋士としての活動を考えた場合、留年して学業を継続することが最適な選択とは限りません。
本人は将棋に専念するという意思を明らかにし、学校との協議を経て自主退学を選びました。
学歴と実力は同じ基準では測れない藤井の事例は、学歴がそのまま本人の能力や将来性を示すわけではないことを考える材料になります。
もちろん、高校卒業資格には進学や就職などで役立つ価値があります。誰もが藤井と同じように学校を辞めるべきだという話ではありません。
一方、本人がすでにプロとして活動し、明確な目標と実績を持っている場合には、一般的な進路モデルとは異なる判断が必要になることもあります。
藤井の場合は、14歳でプロ入りし、18歳で二冠を達成するという特殊なキャリアがありました。学校生活とプロ棋士としての活動を両立すること自体が難しい段階に達していたのです。
藤井聡太の高校中退を調べる際の判断基準ネット上の情報を読む際には、次の3つを区別すると、事実関係を理解しやすくなります。
- 本人が発表した事実:2021年1月末の自主退学と、将棋に専念したいという意思。
- 報道で説明された背景:平日の対局、遠方への移動、出席日数の確保の難しさ。
- 根拠が示されていない噂:成績不振や学校とのトラブルを退学の原因とする説。
この3つを混同しないことが、藤井聡太の高校中退の経緯を正しく理解するポイントです。
藤井聡太の高校に関するよくある質問(FAQ)
Q1:藤井聡太の出身高校はどこですか?
A1:名古屋大学教育学部附属高等学校です。愛知県名古屋市千種区にある国立大学法人の併設型中高一貫校で、藤井は附属中学校から内部進学しました。
Q2:藤井聡太はいつ高校を中退しましたか?
A2:2021年1月31日付で自主退学しました。日本将棋連盟が同年2月16日に公表しています。当時は高校3年生で、3月1日に卒業式を迎える予定でした。
Q3:藤井聡太が高校を中退した本当の理由は何ですか?
A3:本人が発表した理由は、タイトルを獲得したことで将棋に専念したい気持ちが強くなったためです。対局日程や移動によって通学との両立が難しかったことも、背景として報じられています。
Q4:藤井聡太は出席日数が足りなくて高校を辞めたのですか?
A4:出席日数不足が問題になっていたことは、棋士の田丸昇氏によるJBpressの記事で説明されています。ただし、本人が公式に示した退学理由は将棋への専念であり、具体的な出席日数は公表されていません。
Q5:藤井聡太は高校の成績が悪かったのでしょうか?
A5:成績不振が退学の原因だったと裏付ける公表資料はありません。本人や日本将棋連盟が示した説明は、将棋に専念したいという進路上の判断です。
Q6:藤井聡太は大学に進学しましたか?
A6:2020年7月のインタビューでは、大学進学は今のところ考えておらず、将棋に集中したいと話していました。2026年現在も、大学進学を経たという公表情報は確認されていません。
Q7:藤井聡太はAI研究をするために高校を中退したのですか?
A7:AI研究を高校中退の直接的な理由として本人が説明した事実はありません。将棋AIを研究に活用していることは知られていますが、退学について本人が公表した理由は将棋に専念したいという意思です。
藤井聡太の出身高校は、名古屋大学教育学部附属高等学校です。瀬戸市立效範小学校、名古屋大学教育学部附属中学校を経て高校へ進学し、2021年1月31日付で自主退学しました。
退学を決断したのは高校3年生の時期です。2020年に棋聖と王位を獲得して二冠となり、将棋に専念したいという気持ちが強くなったことが、本人の説明した理由でした。
平日の対局や遠方への移動による出席日数の問題も背景として報じられていますが、成績不振や学校とのトラブルが原因だったとする確かな根拠はありません。
2026年現在、藤井は九段として複数のタイトルを保持し、将棋界の第一線で活躍しています。
高校を卒業しなかったという経歴だけに注目するのではなく、14歳でプロ入りし、二冠を獲得した18歳の時点で将来を見据えた決断をしたという経緯まで理解することが大切です。
藤井聡太の高校中退は、学歴を捨てたという単純な話ではありません。自分が進むべき道と時間の使い方を考え、将棋という専門分野に集中するために選んだ、大きな人生の転換点だったのです。