「万博おばあちゃん」の愛称で知られる山田外美代さん。2005年の愛知万博から2025年の大阪・関西万博まで、世界各地の国際博覧会に足を運び続け、ついに「万博を訪れた最多日数」686日というギネス世界記録を打ち立てた人物だ。
2026年11月現在、山田さんは77歳。愛知県瀬戸市を拠点に、瀬戸市万博交流大使、大阪市此花区万博交流大使、横浜市瀬谷区の「せや・花咲く未来 応援大使」などを務めている。加えて、2027年開催のGREEN×EXPO 2027に向けた活動にも参加しており、2025年の万博閉幕後もその歩みは続いている。
山田さんはどのような人物なのか。愛知万博での皆勤から上海万博、大阪・関西万博での184日間の来場、686日の世界記録、そして2026年の新たな活動まで、経歴と実績を時系列で整理する。
【プロフィール】山田外美代の読み方・年齢・出身地は?万博おばあちゃんの正体

山田外美代さんの名前は、「やまだ・とみよ」と読む。
テレビや新聞で「万博おばあちゃん」と紹介されることが多いため、芸能人や万博関連の著名人と考える人もいるが、山田さんは一般市民として万博に通い続けてきた人物だ。
その活動が国際的に評価され、博覧会関係者や自治体から大使などの役職を委嘱されるようになった。
山田外美代の基本プロフィール| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 氏名 | 山田外美代 |
| 読み方 | やまだ・とみよ |
| 生年月日 | 1949年4月12日 |
| 年齢 | 77歳(2026年11月現在) |
| 出身地 | 石川県白山市(旧鶴来町) |
| 現在の居住地 | 愛知県瀬戸市 |
| 愛称 | 万博おばあちゃん |
| 主な活動 | 国際博覧会への来場、国際交流、万博PR |
| 主な実績 | 万博を訪れた最多日数686日 |
| 記録達成日 | 2025年10月13日 |
出身地については、2025年9月の日刊スポーツのプロフィール紹介で、石川県白山市(旧鶴来町)生まれと報じられている。
幼少期には父親の仕事の都合で愛知県瀬戸市に移り住んだ。現在も瀬戸市を生活の拠点としている。
年齢については、1949年4月12日生まれのため、2026年11月時点では77歳となる。2025年の大阪・関西万博開催中に報道された76歳という表記は、当時の年齢であり、2026年現在とは異なる。
万博おばあちゃんと呼ばれるようになった理由山田さんが全国的に知られるようになった最大の理由は、2005年の愛知万博にある。
当初は数日間だけ会場を訪れるつもりだったが、各国のパビリオンや展示、スタッフとの交流に魅了された。
その結果、愛知万博の開催期間185日間を一日も欠かさず来場するという驚くべき記録を達成した。
その後も海外の博覧会に通い続け、上海、麗水、ミラノ、アスタナ、ドバイなどを訪問。各国のスタッフや関係者との交流を重ねるうちに、「万博おばあちゃん」という愛称が広く知られるようになった。
万博グッズ約4万点を集めたコレクション2025年4月のMBS・TBS NEWS DIGの密着取材では、山田さんの自宅に世界各国の万博グッズが約4万点保管されていることも紹介された。
2015年のミラノ万博で入手したソーラー充電器、2008年のサラゴサ万博の切手集、2010年の上海万博のファッションメガネなど、訪問した博覧会の記憶が品物として残されている。
これらは単なる記念品ではない。訪問先で出会った人々や文化を思い出すための記録でもある。
山田さんの経歴を理解するうえで、万博は一時的な趣味ではなく、長年にわたって生活の中心に置かれてきた活動だと分かる。
【経歴・年表】愛知万博から上海万博まで!皆勤を続けた驚きの歩み
山田外美代さんの万博人生は、2005年に突然始まったように見える。しかし、実際には1970年の大阪万博にも足を運んでいる。
大阪観光局が公表した2025年10月13日更新の記録資料には、1970年から2025年までの訪問履歴がまとめられている。
特に注目されるのは、愛知、上海、麗水、大阪の各博覧会で全日来場を達成したことだ。
山田外美代の主な万博来場歴| 年 | 博覧会 | 来場実績・主な出来事 |
|---|---|---|
| 1970年 | 大阪万博 | 1日来場 |
| 2005年 | 愛知万博 | 185日間、全日来場 |
| 2008年 | サラゴサ万博 | スペインを訪問 |
| 2010年 | 上海万博 | 184日間、全日来場 |
| 2012年 | 麗水万博 | 93日間、全日来場 |
| 2015年 | ミラノ万博 | イタリアを訪問、日本館サポーターに就任 |
| 2017年 | アスタナ万博 | カザフスタンを訪問、万博大使に就任 |
| 2019年 | 北京国際園芸博覧会 | 中国を訪問 |
| 2021年 | ドバイ万博 | UAEを訪問、日本館サポーターに就任 |
| 2023年 | ドーハ国際園芸博覧会 | カタールを訪問 |
| 2025年 | 大阪・関西万博 | 184日間、全日来場 |
※訪問日数は大阪観光局の公表資料に基づく主要実績。ドバイ万博は2020年開催予定から延期され、2021年に開幕した。
2005年の愛知万博で185日間の皆勤を達成山田さんの人生を大きく変えたのが、2005年3月25日から9月25日まで開催された愛知万博(愛・地球博)だった。
開催期間は185日間。
山田さんは自宅から会場へ通い、全185日間の来場を達成した。
当時、万博に足を運ぶきっかけの一つになったのは、健康維持のための散歩だったと報道されている。
会場を歩き、海外パビリオンのスタッフと話し、各国の文化や食事、生活習慣を知る。その経験が次の来場への意欲につながった。
特に大きかったのが、人との出会いだ。
万博では、さまざまな国や地域からスタッフが集まる。会場を繰り返し訪れるうちに顔を覚えてもらい、国境を越えた交流が生まれていった。
愛知万博の皆勤は、単に185日間会場に通ったという数字以上の意味を持っていた。
2010年の上海万博でも184日間の皆勤愛知万博の終了後も、山田さんの万博通いは終わらなかった。
次の大きな目標となったのが、2010年5月1日から10月31日まで中国で開催された上海万博だ。
上海万博の会期は184日間。
山田さんは現地に滞在し、開幕から閉幕まで毎日会場を訪れた。
この実績は上海万博の関係者にも知られ、会場への全日来場を証明する記録も受け取っている。
愛知万博での皆勤に続き、海外でも同様の実績を達成したことは、山田さんの活動が一過性ではないことを示している。
2012年の麗水万博でも93日間すべて来場2012年の韓国・麗水(ヨス)万博でも、会期93日間の全日来場を達成した。
その後もミラノ、アスタナ、ドバイ、北京、ドーハなど、世界各地の博覧会へ足を運んでいる。
ここで重要なのは、すべての博覧会で皆勤したわけではないという点だ。
訪問した各会場のうち、愛知、上海、麗水、大阪などでは会期全日来場を達成している。一方、その他の博覧会では複数日または短期間の訪問もある。
この違いを理解すると、686日という数字がどのように積み重なったのかが見えてくる。
【ギネス世界記録】686日はどう達成された?648日から更新した偉業の全貌
山田外美代さんの名前を世界的に広めたのが、ギネス世界記録への認定だ。
記録名は「Most days visiting Expos」、日本語では「万博を訪れた最多日数」。
最終的な記録は686日。達成日は2025年10月13日。
ギネス世界記録の公式記録ページにも、記録保持者としてTomiyo Yamadaの名前が掲載されている。
最初の認定は2025年9月5日の648日山田さんが最初にギネス世界記録へ認定されたのは、2025年9月5日だった。
この時点での累計来場日数は648日。
大阪・関西万博の開催期間中に記録が認定され、会場では認定式も行われた。
当初の記録は、1970年の大阪万博から2025年の大阪・関西万博まで、世界8カ国11会場を訪れた実績を積み上げたものだった。
認定後も大阪・関西万博への来場を継続したため、記録はさらに伸びていく。
2025年10月13日に686日へ更新2025年10月13日は、大阪・関西万博の閉幕日だった。
山田さんは開幕日の4月13日から閉幕日の10月13日まで、全184日間の来場を達成。
これによって、それまでの648日から38日増え、累計686日となった。
大阪観光局が公表した更新資料でも、686日への更新と認定日が10月13日であることが確認できる。
| 記録の段階 | 日付 | 累計来場日数 |
|---|---|---|
| 最初のギネス認定 | 2025年9月5日 | 648日 |
| 大阪・関西万博閉幕 | 2025年10月13日 | 686日 |
| 記録更新分 | 2025年9月5日以降 | 38日 |
山田さんの記録を語る際、単純な来場回数だけに注目するのは十分ではない。
ギネス世界記録の公式インタビューでは、山田さんが各国のスタッフとの交流を大切にしてきたことが紹介されている。
一度訪れた会場で知り合ったスタッフから、次の万博でも再会しようと声をかけられる。その約束が、次の博覧会へ向かう動機になっていた。
また、2025年の大阪・関西万博では、暑さや混雑、行列など、毎日通うことの負担もあったという。
それでも会場に通い続けた背景には、友人との再会や、パビリオン関係者との交流があった。
山田さんが長年積み重ねてきたものは、来場日数だけではない。世界各地に広がった人間関係も、その大きな成果といえる。
【大阪・関西万博】184日間の皆勤と全パビリオン制覇!家族と挑んだ最後の記録
2025年の大阪・関西万博は、山田さんにとって特別な舞台となった。
2005年の愛知万博から20年。万博が日本に戻ってくるタイミングで、再び全日来場に挑戦したからだ。
会場近くに一時移住して毎日来場山田さんは大阪・関西万博の全日来場を目指し、家族とともに愛知県瀬戸市の自宅を離れて大阪市内の会場近くに一時移住した。
2024年12月には、夫と息子とともに大阪での生活を始めたことが報じられている。
毎日遠距離を移動する負担を減らし、会場に通いやすい環境を整えるためだった。
2025年4月13日の開幕日から会場に通い、10月13日の閉幕日まで184日間を皆勤した。
この記録は山田さん一人だけではない。大阪観光局の資料によると、家族3人で全日来場を達成している。
5月28日には全パビリオンの参観を制覇大阪・関西万博で注目されたもう一つの実績が、全パビリオンの参観制覇だ。
山田さんは2025年5月28日に、会場内の全パビリオンを訪問した。
開催期間中の早い段階で全パビリオンを回り、その後も会場への来場を続けたことになる。
単に入場するだけでなく、展示や各国の文化に触れ、関係者との交流を楽しむ姿勢が山田さんらしい。
此花区の万博広報大使として情報発信にも参加大阪・関西万博では、来場者としてだけでなく、広報活動にも参加していた。
2025年4月7日付で、大阪市此花区の「此花区万博広報大使」に就任。
此花区役所の公式LINEでは「万博TIMES」というコラムを週1回配信し、会場で感じた魅力や発見を伝える役割を担った。
万博を楽しむ個人から、万博の魅力を地域に伝える発信者へと活動の幅を広げたのである。
閉幕後の2025年10月29日には、大阪観光局から感謝状も贈られた。
大阪観光局は、184日間にわたって毎日会場に通い、パビリオン関係者との交流を続けた山田さんの功績を評価している。
【2026年最新】山田外美代の現在は?瀬戸市・此花区・瀬谷区の大使活動
2026年の山田外美代さんは、万博会場に通う活動から、万博で生まれた交流や経験を次の地域へつなぐ活動へと軸足を広げている。
特に注目したいのが、2026年に相次いで発表された大使への再任・新任だ。
1.瀬戸市万博交流大使に6回目の任命2026年3月17日、山田さんは愛知県瀬戸市の「瀬戸市万博交流大使」に再任された。
委嘱状は瀬戸市役所で川本雅之市長から手渡された。
名古屋テレビ(メ~テレ)の報道によると、山田さんが初めて同大使に任命されたのは2011年。今回で6回目の任命となった。
山田さんは、大好きなものを続けてきたことへの思いを語り、今回も気持ちよく委嘱を受けたという。
瀬戸市にとって山田さんは、2005年の愛知万博を知る人物であり、国際博覧会を通じて地域の魅力を発信できる存在でもある。
2027年の横浜グリーンエクスポに向けても、瀬戸市のPR活動に取り組む予定だ。
2.大阪市此花区万博交流大使に就任2026年4月1日、大阪市此花区は山田さんに「此花区万博交流大使」を委嘱した。
任期は2026年4月1日から2027年3月31日まで。
これは、2025年の大阪・関西万博での広報活動を引き継ぎ、万博のレガシーを地域に残していくための取り組みでもある。
此花区の公式発表では、山田さんがセルビア共和国との交流にも貢献したことが紹介されている。
2027年にはセルビアでベオグラード国際博覧会が開催される予定であり、万博をきっかけに生まれた国際交流を続けていくことも期待されている。
此花区が進める万博レガシーの継承は、展示物や施設を残すだけではない。人と人との交流を継続することも、その重要な要素となっている。
3.「せや・花咲く未来 応援大使」に就任2026年の新たな活動として、特に注目されるのが横浜市瀬谷区での役割だ。
横浜市瀬谷区は2026年8月31日、山田さんを「せや・花咲く未来 応援大使」に委嘱すると発表した。
そして9月12日、相鉄ライフ三ツ境で開催されたイベントにおいて、実際に就任セレモニーが行われた。
この大使制度は、2027年に開催されるGREEN×EXPO 2027の機運を高め、瀬谷区の魅力を発信することを目的としている。
山田さんは、世界各地の万博を経験してきた立場から、博覧会の魅力や人と人をつなぐ力を伝える役割を担う。
また、同じ9月12日には、大阪市此花区と横浜市瀬谷区による連携に関する共同宣言の記念セレモニーも開催された。
大阪・関西万博の開催地と、次の大きな国際イベントの開催地域が、山田さんを通じてつながった形だ。
2026年現在の主な役職まとめ| 役職・活動 | 時期・状況 | 主な目的 |
|---|---|---|
| 瀬戸市万博交流大使 | 2026年3月に6回目の任命 | 瀬戸市の魅力・万博交流の発信 |
| 此花区万博交流大使 | 2026年4月1日就任 | 万博レガシーと国際交流の継承 |
| せや・花咲く未来 応援大使 | 2026年9月12日就任 | GREEN×EXPO 2027の機運醸成 |
| いしかわ観光特使 | 公表プロフィールに記載 | 石川県の観光PR |
| 白山市観光特使 | 公表プロフィールに記載 | 出身地ゆかりの地域のPR |
【次の挑戦】GREEN×EXPO 2027で再び皆勤を目指す?横浜で広がる活動
山田外美代さんの次の注目舞台となるのが、2027年のGREEN×EXPO 2027(横浜グリーンエクスポ)だ。
正式名称は「2027年国際園芸博覧会」。2027年3月19日から9月26日まで、横浜市の旧上瀬谷通信施設で開催される国際園芸博覧会である。
テーマは「幸せを創る明日の風景」。
花や緑、園芸文化、農、食、環境との共生などを軸に、未来の暮らしを考える博覧会となる。
なぜ山田さんが瀬谷区の応援大使に選ばれたのか山田さんがこれまで訪問してきた国際博覧会には、各国の文化や環境問題、技術、暮らし方など、さまざまなテーマがあった。
その経験は、花や緑、環境との共生を掲げるGREEN×EXPO 2027とも親和性が高い。
また、万博を通じて国際交流を続けてきた山田さんの存在は、開催地の地域住民に博覧会の魅力を伝えるうえでも大きな意味を持つ。
横浜市瀬谷区が応援大使に起用した背景には、山田さんが持つ実体験と発信力がある。
2027年も全日来場に挑戦する可能性2026年9月の神奈川新聞の報道では、山田さんが瀬谷区内に滞在し、GREEN×EXPO 2027でも皆勤を目指す意向が紹介されている。
実現すれば、愛知万博、上海万博、麗水万博、大阪・関西万博に続く、新たな全日来場への挑戦となる。
ただし、2026年11月時点で、実際の来場日程や具体的な滞在計画の詳細がすべて公表されているわけではない。
GREEN×EXPO 2027の会期は192日間。大阪・関西万博の184日間より長い会期となる。
これまでの実績を考えると、山田さんがどのような形で参加するのかは、大きな注目点だ。
此花区と瀬谷区の連携にも注目2026年6月には、此花区と瀬谷区による万博連携PRのキックオフイベントも開催された。
大阪・関西万博で生まれた交流を、2027年の横浜へ引き継ぐ取り組みだ。
山田さんは両地域の大使として関わっており、二つの自治体を結びつける存在となっている。
ここで重要なのは、万博が閉幕した後も交流が続いていることだ。
国際博覧会は開催期間が終われば会場の展示やイベントは終了する。しかし、そこで知り合った人々や地域間のつながりは、開催後も残すことができる。
山田さんの2026年の活動は、まさにその継承を象徴している。
【プロの結論】山田外美代の本当の功績は686日だけではない
山田外美代さんの実績を評価する際、ギネス世界記録686日という数字は非常に分かりやすい。
しかし、山田さんの活動を長期的な視点で見ると、数字だけでは説明できない価値が浮かび上がる。
1.継続することで個人の趣味が社会的な実績になった最初は数日間の予定だった愛知万博への来場が、185日間の皆勤につながった。
その後、上海や麗水、大阪へと活動の範囲を広げ、20年にわたって継続した。
特別な肩書きや大きな組織を背景にした活動ではなく、個人の関心と行動が出発点だったことに特徴がある。
2.万博の価値を展示物ではなく人間関係で伝えた博覧会の魅力は、各国のパビリオンや展示物だけではない。
実際に現地のスタッフと話し、異なる文化や考え方に触れ、再会を約束する。
山田さんが長年続けてきたのは、そうした交流を大切にすることだった。
世界各地で出会った人々との関係が次の訪問につながり、結果的に686日という記録を生み出した。
3.閉幕後の地域活性化にも活動を広げた2026年に複数の自治体から大使に任命されたことは、山田さんの役割が変化していることを示している。
大阪・関西万博の来場者としての実績を、此花区のレガシー継承へつなげる。
瀬戸市の経験を、横浜のGREEN×EXPO 2027へつなげる。
こうした地域間の橋渡しは、単なる来場記録とは異なる社会的な功績だ。
山田さんの事例から分かるのは、国際イベントの価値は開催期間中だけで決まるものではないということだ。人との交流を続けることで、閉幕後にも新たな地域活動を生み出せる。
【よくある質問】山田外美代に関するFAQ
Q1:山田外美代の読み方は?
A1:山田外美代は「やまだ・とみよ」と読みます。「万博おばあちゃん」の愛称で知られています。
Q2:山田外美代は2026年現在何歳?
A2:1949年4月12日生まれの77歳です。2026年4月12日に77歳になりました。
Q3:山田外美代の出身地はどこ?
A3:石川県白山市(旧鶴来町)です。幼少期に愛知県瀬戸市へ移り、現在も瀬戸市を生活の拠点としています。
Q4:山田外美代のギネス世界記録686日とは?
A4:「万博を訪れた最多日数」という記録です。1970年の大阪万博から2025年の大阪・関西万博まで、国際博覧会を訪れた累計日数が686日となり、2025年10月13日に達成しました。
Q5:愛知万博と上海万博では本当に皆勤した?
A5:はい。2005年の愛知万博では全185日間、2010年の上海万博では全184日間、会場を訪れました。2012年の麗水万博でも全93日間来場しています。
Q6:大阪・関西万博にも毎日通った?
A6:はい。2025年4月13日の開幕から10月13日の閉幕まで、全184日間来場しました。家族3人での皆勤も達成しています。
Q7:山田外美代は2026年現在どのような活動をしている?
A7:瀬戸市万博交流大使、此花区万博交流大使、「せや・花咲く未来 応援大使」などを務めています。2027年のGREEN×EXPO 2027に向けた地域PRや交流活動にも参加しています。
Q8:2027年のGREEN×EXPO 2027にも毎日通う?
A8:2026年9月の報道では、瀬谷区内に滞在して皆勤を目指す意向が紹介されています。開催期間は2027年3月19日から9月26日までの192日間です。
山田外美代さんは、2005年の愛知万博をきっかけに世界各地の国際博覧会へ足を運び、2025年10月13日に累計686日のギネス世界記録を達成した人物だ。
愛知万博185日、上海万博184日、麗水万博93日、大阪・関西万博184日という皆勤実績は、その継続力を象徴している。
そして2026年、77歳となった山田さんは、瀬戸市、此花区、瀬谷区の大使として新たな役割を担っている。
次の舞台は2027年のGREEN×EXPO 2027だ。
686日という記録は、過去20年間の積み重ねによって生まれたもの。しかし、山田さんの活動は記録達成で終わってはいない。
世界の人々との交流を続け、万博の魅力を次の世代や地域へ伝えていく。その姿勢こそが「万博おばあちゃん」と呼ばれる山田外美代さんの最大の功績ではないだろうか。
2027年の横浜で、山田さんがどのような新しい出会いを生み出すのか。今後の活動にも注目したい。
主な根拠資料・確認先
- ギネス世界記録公式の686日認定記録・本人インタビュー:
- 大阪観光局の686日更新資料・プロフィール・来場履歴:
- 大阪市此花区の2026年4月公式委嘱発表:
- 横浜市瀬谷区の2026年大使就任発表:
- 愛知県の公式プロフィール、2026年の瀬戸市大使再任報道:
- 生年月日・出身地に関する報道:
- GREEN×EXPO 2027の公式開催概要: