1979年5月、京都府長岡京市の山中で、ワラビ採りに出かけた主婦2人が遺体となって発見された。「長岡京ワラビ採り殺人事件」「長岡京主婦2人殺害事件」と呼ばれるこの事件は、被害者のポケットに残されていた不可解なメモによって、現在も多くの人の記憶に残っている。
レシートの裏に書かれていたとされる「オワレている たすけて下さい この男の人わるい人」という言葉。現場に残された包丁、事件直前・直後の目撃情報、そして当時の京都新聞が連日伝えた捜査の進展。数々の手掛かりが浮上したにもかかわらず、犯人は特定されないまま、1994年5月に公訴時効が成立した。
【事件の概要】ワラビ採りに出かけた主婦2人に何が起きたのか

長岡京ワラビ採り殺人事件が発生したのは、1979年(昭和54年)5月23日。現場となったのは、京都府長岡京市の山中である。
この日、主婦2人がワラビ採りに出かけた。しかし、2人は帰宅せず、そのまま行方が分からなくなった。
家族が帰宅しないことを心配するなか、捜索が行われたものの、すぐには所在を確認できなかった。事件は単なる行方不明ではなく、やがて重大な殺人事件として明らかになる。
5月25日、山中で2人の遺体を発見事件発生から2日後の5月25日、京都府長岡京市の山中で、行方不明となっていた主婦2人が遺体で発見された。
国立国会図書館のレファレンス協同データベースには、当時の『京都新聞』の紙面を調査した記録が残されている。
そこには、5月25日朝刊の「主婦2人 2晩帰らず 長岡京」という記事と、同日夕刊の「長岡京の不明主婦 2人とも殺されていた 山中で遺体発見」という見出しが記録されている。
この記録から分かるのは、行方不明の報道から遺体発見の報道までが、わずか2日間のうちに展開されたという事実だ。
ワラビ採りという日常的な行動の延長で起きた事件だっただけに、地域社会に与えた衝撃は大きかった。
【事件の経緯と捜査の進展】京都新聞の当時の報道から読み解く
長岡京事件を検証するうえで重要な資料が、事件直後の新聞報道である。
とりわけ国立国会図書館が所蔵する『京都新聞』の縮刷版とマイクロフィルムについては、1979年5月24日夕刊から31日までの関連記事を調べたレファレンス記録が公開されている。
この記録には、事件発生直後から捜査の焦点がどのように移っていったのかが、掲載日・掲載面・記事見出しとともに残されている。
事件発生から公訴時効までの主要年表| 時期 | 出来事・報道 | 確認できる内容 |
|---|---|---|
| 1979年5月23日 | 事件発生 | 主婦2人がワラビ採りに出かけた後、行方不明となる。 |
| 1979年5月25日 | 遺体発見 | 京都新聞朝刊が行方不明を報道。同日夕刊で2人の遺体発見を報じる。 |
| 1979年5月26日 | 凶器と不審者の捜査 | 不審者の洗い出しや、事前に包丁が用意されていた可能性を報道。 |
| 1979年5月28日 | メモと包丁の製造元 | 包丁の製造元判明と、被害者のポケットに残された「たすけて」のメモを報道。 |
| 1979年5月29日 | 目撃情報と鉛筆捜査 | 急ぎ足で下山する男の目撃情報や、鉛筆を探す捜査について報道。 |
| 1979年5月30日 | 販売ルートの追跡 | 包丁の販売ルートや犯人が複数人だった可能性をめぐる記事を掲載。 |
| 1979年5月31日 | 重要参考人に関する報道 | 若い男2人が重要参考人として報じられ、任意の事情聴取が見込まれた。 |
| 1994年5月 | 公訴時効成立 | 当時の殺人罪に適用されていた15年間の公訴時効が成立。 |
| 2004年 | 公訴時効制度の改正 | 死刑に当たる罪の公訴時効期間が15年から25年に延長された。 |
| 2010年4月27日 | 殺人罪の公訴時効廃止 | 死刑に当たる殺人罪などについて公訴時効が廃止された。ただし本事件には遡及適用されない。 |
| 2026年 | 現在の状況 | 犯人を特定する刑事裁判はなく、法的には公訴時効が成立した事件である。 |
この年表で特に注目したいのは、事件発生から1週間程度の間に、捜査の対象が複数の方向へ広がっていた点だ。
包丁の入手経路、被害者が残したメモ、周辺住民による目撃情報、そして重要参考人とされた人物への事情聴取。それぞれの捜査線が同時進行していたことが、当時の新聞記事の見出しから読み取れる。
ただし、新聞の見出しに登場する「可能性」や「重要参考人」という言葉は、犯人が確定したことを意味しない。
【最大の謎】レシート裏の「オワレている たすけて下さい」メモとは
被害者のポケットに残されていたメッセージこの事件が長年にわたって語り継がれてきた大きな理由の一つが、被害者の所持品から発見されたと報じられたメモである。
後年の事件資料などで紹介されている文面は、次のとおりだ。
オワレている
たすけて下さい
この男の人 わるい人
メモは、スーパーのレシートの裏に鉛筆で書かれていたと伝えられている。
「オワレている」という言葉が示すように、書き手が何者かから追われている、あるいは身の危険を感じている状況だった可能性が考えられる。
さらに「たすけて下さい」という表現からは、第三者に助けを求めようとした意思がうかがえる。
ただし、メモが書かれた正確な時間や場所、書き手がどのような状況に置かれていたのかまでは、公開されている新聞の書誌情報だけでは確定できない。
なぜレシートの裏に書いたのかレシートという日常的な紙片が、事件の重要な手掛かりとして残された点も注目される。
一般に、メモは紙と筆記具があれば残せる。しかし、追われているような緊迫した状況で、どのように紙を取り出し、どの程度の時間をかけて文字を書いたのかは分かっていない。
事件後の紹介記事では、ポケットの中で書いた可能性や、相手に気付かれないように書き残した可能性などが論じられてきた。
しかし、こうした説明は状況を推測したものであり、確定した犯行の再現ではない。
メモの存在そのものと、メモが書かれたときの具体的な状況は、別々に考える必要がある。
メモをめぐる捜査は鉛筆にも及んだ国立国会図書館の記録によれば、1979年5月29日夕刊には「エンピツ捜しに全力 足取り解明へ」という記事が掲載されている。
メモに使用された筆記具も、捜査上の重要な対象だったことが分かる。
文字が残っていても、使用された鉛筆や筆記具の由来を確認できなければ、誰が、どこで、どのような状況で書いたのかを解明することは難しい。
この事件では、メモの内容だけでなく、それを生み出した物証にも捜査の目が向けられていた。
【包丁の入手経路と目撃情報】犯人につながる手掛かりはあったのか
包丁は事前に用意されていた可能性もう一つの重要な捜査対象が、事件で使用された包丁である。
京都新聞の当時の紙面を調べた国立国会図書館の記録には、5月26日夕刊の「長岡京2主婦殺害事件 事前に包丁用意」という見出しがある。
さらに5月28日朝刊には「包丁の製造元判明」、5月30日朝刊には「包丁は横流し品? 販売ルート限定」という記事が掲載されている。
これらの見出しから、捜査当局が凶器の製造元だけでなく、どのような流通経路を経て現場に持ち込まれたのかも調べていたことが分かる。
凶器の製造元が判明したとしても、購入者や実際に使用した人物まで特定できるとは限らない。製造元、販売業者、購入者、使用者は、それぞれ別の捜査対象だからだ。
当時の報道からは販売ルートの追跡が行われたことを確認できるが、包丁の流通経路から犯人を確定したという結果は確認できない。
急ぎ足で下山した男の目撃情報事件直後の捜査では、現場周辺で目撃された人物の情報も注目された。
京都新聞の5月29日朝刊には「急ぎ足で下山の男 農作業中の人が目撃」という見出しが掲載されている。
山中で事件が起きた場合、犯行時間帯の前後に現場周辺を通過した人物の確認は重要な捜査になる。
しかし、山を歩いていたことや、急いで下山していたことだけで、その人物が事件に関係していたと断定することはできない。
目撃された人物が誰だったのか、事件との関係があったのかについて、公開された記録から確定的な結論を導くことは難しい。
若い男2人が重要参考人として報じられた5月31日になると、京都新聞朝刊は「重要参考人に若い男2人 一両日にも取り調べ」と報道した。
同日夕刊にも「2人、疑惑深まる 近く任意調べ」という記事が掲載されている。
事件直後の捜査が、具体的な人物に関する確認へ進んでいたことを示す報道である。
しかし、重要参考人とは捜査上の位置付けであり、逮捕された人物や有罪判決を受けた人物と同じではない。
当時の報道に登場した2人について、事件の犯人として有罪が確定した事実はない。したがって、現在になって彼らを犯人と断定することはできない。
【未解決事件の犯人像と真相】単独犯か複数犯か、何が分かっていないのか
単独犯説と複数犯説が並存した理由長岡京ワラビ採り殺人事件では、犯人が1人だったのか、それとも複数人だったのかという点も長く議論されてきた。
興味深いのは、1979年5月28日夕刊に「単独犯の可能性」という見出しがある一方、5月30日朝刊には「犯人は2人?」という推理記事が掲載されていることだ。
つまり、事件発生直後から、犯行人数について一つの見方に絞られていたわけではない。
捜査初期には、限られた物証や目撃証言をもとに、複数の可能性を検討することがある。報道に複数の仮説が登場したからといって、そのすべてが警察の正式な結論だったとは限らない。
犯人像を確定できない4つの理由事件をめぐる情報を整理すると、犯人像の特定を難しくしている要素は大きく4つある。
1つ目は、メモの解釈に限界があること。 メモは重要な手掛かりだが、それだけで犯人の氏名や人数、被害者との関係を確定することはできない。
2つ目は、包丁の流通経路と使用者の特定が別問題であること。 製造元や販売ルートを追跡しても、最終的な購入者や使用者の特定に至るとは限らない。
3つ目は、目撃情報の証拠価値に限界があること。 現場付近で目撃された人物が、実際に事件へ関与していたかどうかは、ほかの証拠との照合が必要になる。
4つ目は、捜査上の参考人と犯人を混同できないこと。 重要参考人として報じられた人物であっても、それだけで犯罪への関与が証明されたことにはならない。
ネット上で広がった犯人像や関連事件の説について長岡京事件は、インターネット上で繰り返し取り上げられている。その過程で、特定の人物が犯人だったという説や、別の事件との関連を疑う話なども紹介されてきた。
しかし、犯人が誰だったのか、どのような動機で犯行に及んだのか、被害者と面識があったのかという点は、裁判所によって認定されていない。
また、当時の新聞に掲載された推理記事と、警察による捜査情報は性質が異なる。
ネット上で広く紹介されている説であっても、当時の新聞紙面、警察発表、公的な資料による裏付けがなければ、確定した事件の真相として扱うことはできない。
特に、事件直後に名前が挙がった人物や参考人について、後年の憶測をもとに実名を挙げたり、犯人と決め付けたりすることは避けるべきだ。
【1994年の公訴時効と2010年の法改正】なぜ現在も起訴できないのか
1994年5月、15年間の公訴時効が成立長岡京ワラビ採り殺人事件の法的な転換点は、1994年5月に訪れた。
事件当時、死刑に当たる殺人罪の公訴時効期間は15年だった。1979年5月に発生した本事件は、犯人が起訴されないまま、その期間を迎えた。
公訴時効とは、法律で定められた期間が経過すると、その犯罪について検察官が公訴を提起できなくなる制度である。
ここで注意したいのは、時効成立が犯人の無実を証明するものではないということだ。
犯人が判明したわけでも、裁判で無罪が確定したわけでもない。刑事裁判によって事実関係を審理する機会が失われたという、手続上の問題なのである。
2004年の法改正で殺人罪の時効は15年から25年へその後、2004年の刑法等の改正により、死刑に当たる犯罪の公訴時効期間は15年から25年へ延長された。
ただし、この改正には経過規定があり、施行前に発生した犯罪については従前の制度が適用されることになっていた。
長岡京事件は、それ以前の1994年にすでに公訴時効が完成していたため、この改正によって訴追可能な事件へ戻ることはなかった。
2010年4月27日、殺人罪などの公訴時効を廃止2010年4月27日、刑法及び刑事訴訟法の一部を改正する法律が成立・公布された。
この法改正によって、殺人罪など、人を死亡させた犯罪のうち法定刑に死刑があるものについて、公訴時効が廃止された。
警察庁が公表している犯罪被害者施策の資料にも、改正の経緯と適用範囲が説明されている。
重要なのは、2010年の改正が過去のすべての未解決殺人事件に無条件で適用されたわけではないという点だ。
改正法の施行前に発生した事件でも、その時点で公訴時効が完成していなければ、新しい規定が適用される。一方、すでに時効が完成していた事件には遡及適用されない。
長岡京事件は1994年に時効成立、法改正は2010年。この時間的な順序が、現在の法的状況を決定している。
現在の法的状況を整理2026年現在、殺人罪の公訴時効は原則として廃止されている。しかし、それは2010年の改正時点で時効が完成していなかった事件などに適用される制度である。
長岡京事件については、1994年に時効が完成しているため、現在の制度によって殺人罪で新たに起訴することはできない。
この点は、現在も公訴時効のない未解決殺人事件と、本事件を区別するうえで欠かせない。
【2026年最新情報】ワラビ採り事件の現在と残された課題
犯人を特定する刑事裁判は存在しない2026年11月時点で確認できる公開資料では、長岡京ワラビ採り殺人事件について、犯人の特定や有罪判決、新たな刑事裁判の開始を示す公的発表は確認できない。
事件は、犯人が特定されないまま公訴時効が成立した未解決事件として位置付けられている。
2026年に公開・更新された事件記録でも、メモ、包丁、目撃情報、当時の新聞報道、時効成立という主要な経過が整理されている。
ただし、事件記録の更新と警察による新たな捜査発表は同じものではない。ネット上で新しい解説記事が公開されたことを、事件に新展開があったという意味に受け取るべきではない。
国立国会図書館に残る新聞資料の重要性現在、この事件を歴史的に検証するうえで価値が高い資料の一つが、国立国会図書館のレファレンス協同データベースである。
同館の調査記録には、1979年5月25日から31日までの京都新聞の関連記事について、朝刊・夕刊の別、掲載面、記事見出しが整理されている。
所蔵資料としては、京都新聞の縮刷版とマイクロフィルムが挙げられている。
この記録をたどると、事件直後の報道が、行方不明者の捜索から遺体発見、凶器の追跡、メモの発見、目撃情報、参考人の事情聴取へと移っていったことが分かる。
なお、レファレンス記録は新聞記事の掲載情報を確認するための資料であり、紙面の全文や警察の捜査記録そのものではない。記事の具体的な内容を検証するには、実際の縮刷版やマイクロフィルムを確認する必要がある。
未解決事件として残る意味長岡京事件が今も注目される理由は、単に犯人が分からないからではない。
被害者が残したと伝えられる短いメモ、包丁の入手経路を追った捜査、下山する男の目撃情報、そして重要参考人に関する報道。それぞれが具体的な手掛かりとして存在しながら、事件全体の真相を解明するまでには至らなかった。
また、事件から15年で時効が成立した後、2010年に殺人罪の公訴時効が廃止されたという法制度の変化も、この事件の歴史的な位置付けを理解するうえで重要である。
時効が成立したからといって、事件の記録や被害者の存在まで過去のものになるわけではない。新聞資料や公的記録を保存し、何が分かっていて、何が分かっていないのかを後世に伝えることには意味がある。
【プロの結論】長岡京ワラビ採り事件を検証するための3つの判断基準
この事件を正確に理解するためには、情報を読む際に次の3つの基準を意識することが重要だ。
第一に、当時の報道と後年の推理を分けること。
1979年の京都新聞には、捜査の進展や重要参考人に関する記事だけでなく、犯人が複数人だった可能性を論じる推理記事も掲載されていた。新聞に掲載されたという理由だけで、すべてを警察の公式見解と解釈してはいけない。
第二に、手掛かりの存在と犯人の特定を混同しないこと。
レシート裏のメモが存在したこと、包丁の製造元が判明したこと、下山する男が目撃されたことは、それぞれ重要な情報である。しかし、これらが一つにつながり、特定人物の犯行を証明したわけではない。
第三に、2010年の時効廃止と1994年の時効成立を正しく理解すること。
現在の殺人事件に公訴時効がないからといって、1994年にすでに時効が成立した長岡京事件まで訴追可能になったわけではない。法律の改正時期と経過措置を理解することが、事件の現在を正確に把握する鍵となる。
この3点を押さえると、長岡京事件は単なる謎解きの題材ではなく、未解決事件の報道、物証の評価、そして公訴時効制度の変遷を考えるための重要な事例として見えてくる。
【ワラビ採り事件】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:ワラビ採り事件はいつ、どこで発生したのですか?
A1:1979年5月23日、京都府長岡京市の山中で発生しました。ワラビ採りに出かけた主婦2人が帰宅せず、5月25日に遺体で発見されました。
Q2:「オワレている たすけて下さい」というメモは本物ですか?
A2:1979年5月28日の京都新聞夕刊には、被害者のポケットから「たすけて」と記されたメモが見つかったという報道があります。後年の事件資料では、スーパーのレシート裏に書かれた「オワレている たすけて下さい この男の人 わるい人」という文面が紹介されています。ただし、メモだけで犯人の氏名や犯行人数まで特定されたわけではありません。
Q3:犯人は1人だったのですか、それとも2人だったのですか?
A3:確定していません。当時の京都新聞には単独犯の可能性を伝える記事と、複数犯の可能性を論じる記事の両方が掲載されました。犯行人数について裁判所が認定した事実はありません。
Q4:包丁の製造元や購入者は判明したのですか?
A4:1979年5月28日の京都新聞朝刊には包丁の製造元判明、30日朝刊には販売ルートに関する記事が掲載されています。ただし、製造元の判明と実際の購入者・使用者の特定は別問題であり、犯人の確定には至っていません。
Q5:長岡京ワラビ採り事件の公訴時効はいつ成立しましたか?
A5:1994年5月です。事件当時の殺人罪の公訴時効期間は15年でした。犯人が起訴されないまま時効が成立しました。
Q6:2010年に殺人罪の時効が廃止されたのに、なぜ再び起訴できないのですか?
A6:2010年の法改正は、施行時点で公訴時効が完成していない事件には適用されますが、すでに時効が成立していた事件には遡及適用されません。本事件は1994年に時効が成立しているため、現在の制度によって起訴可能になることはありません。
長岡京ワラビ採り殺人事件は、1979年5月23日に京都府長岡京市で発生し、2日後の25日に主婦2人の遺体が発見された事件である。
事件直後の京都新聞には、包丁の製造元、販売ルート、被害者が残したメモ、急ぎ足で下山する男の目撃情報、若い男2人の重要参考人報道など、捜査の経過を伝える記事が残されている。
なかでも「オワレている たすけて下さい」というメモは、事件を象徴する手掛かりとして知られるようになった。しかし、メモや包丁、目撃情報が犯人の特定につながったわけではない。
1994年5月には公訴時効が成立。その後、2010年に殺人罪の公訴時効は廃止されたものの、すでに時効が完成していた本事件には適用されなかった。
2026年現在も、犯人を特定する刑事裁判は存在しない。
事件の全容を理解するために必要なのは、センセーショナルな犯人説を追いかけることだけではない。当時の京都新聞、国立国会図書館の新聞資料、法務省や警察庁の公的資料を照らし合わせ、確実に分かっている事実と、今も解明されていない問題を区別することだ。
レシートの裏に残された短いメッセージは、事件の真相を直接語るものではない。しかし、被害者が残したとされる言葉と、そこから始まった捜査の記録は、未解決事件を後世に伝えるうえで忘れてはならない資料である。
時効成立によって刑事訴追の道は閉ざされた。それでも、事件の記録を正確に保存し、2人の被害者に何が起きたのかを問い続けることの意味は失われていない。
主な資料照合先
- 国立国会図書館「レファレンス協同データベース」:1979年5月25日~31日の京都新聞関連記事の掲載日・掲載面・見出し。
- 警察庁「犯罪被害者白書」:2010年の公訴時効制度改正と適用範囲。
- 法務省「刑事訴訟法における公訴時効に関する改正」:2004年・2010年の改正と経過措置。
- 日本事件データベース:2026年の事件情報整理と捜査経過の概要。