東京都豊島区南大塚は、JR山手線の大塚駅南側に広がる、商業施設と住宅地が共存する地域です。南大塚という地名の由来や住所、交通アクセスを調べると、旧豊島区立大塚中学校や豊島区立巣鴨北中学校との関係が気になる人も少なくありません。
ここで押さえておきたいのが、旧豊島区立大塚中学校の所在地です。同校は南大塚にあった学校ではなく、東京都豊島区西巣鴨三丁目に存在しました。そして2001年(平成13年)4月、旧豊島区立朝日中学校と統合し、豊島区立巣鴨北中学校として新たなスタートを切っています。2026年現在の地域情報と学校の歴史を分けて整理すると、地名と学校名の混同が解消できます。
【まず確認】豊島区南大塚とはどんな街?所在地と町域の基本情報

南大塚は、東京都豊島区の東部に位置する正式な町名です。住所表記では「東京都豊島区南大塚」に続いて一丁目、二丁目、三丁目と記されます。
大塚駅の南側を中心に広がり、北側は北大塚、北東側は巣鴨、東側は文京区千石、南側は文京区大塚、西側は東池袋に接しています。
豊島区の地域史資料によると、南大塚は一丁目から三丁目までの町域で構成され、住宅地、商業地、公共施設などが集まっています。大塚駅に近い三丁目には駅前商業エリアがあり、二丁目には地域文化施設や公共施設が立地しています。一丁目には住宅地や生活に身近な施設が見られます。
2026年の南大塚の人口と世帯数豊島区が公表した2026年6月1日現在の町丁別人口統計では、南大塚の各丁目の人口は次のとおりです。
- 南大塚一丁目:6,947人
- 南大塚二丁目:5,963人
- 南大塚三丁目:5,153人
3つの町丁目を合計すると、南大塚の住民登録者数は18,063人です。これは豊島区の住民基本台帳に基づく数値であり、2026年6月1日時点の状況を示しています。
南大塚は駅前の商業地域という印象だけで語れる街ではありません。駅周辺の利便性を備えながら、少し離れると住宅地や地域施設が広がる、生活圏としての性格も持っています。
【地名の由来】南大塚という名前はいつ生まれた?大塚駅との意外な関係
南大塚という地名を理解するうえで興味深いのが、「大塚」という名称の歴史です。
豊島区の地域史資料「わが街ひすとりぃ」によると、「塚」は土を高く盛った場所を意味します。ただし、大塚という地名の具体的な由来には諸説があり、確定した説はありません。
加えて、現在の大塚駅周辺と、もともとの大塚という地名の位置関係には歴史的な違いがあります。
大塚駅が開業した1903年、周辺は巣鴨村だった1903年(明治36年)、山手線の大塚駅が開業しました。当時、駅周辺は巣鴨村に属していました。つまり、現在の南大塚という住所が最初から存在していたわけではありません。
豊島区の歴史資料では、駅名に「大塚」が採用された一方、駅周辺の所在地は巣鴨や西巣鴨と呼ばれていた経緯が説明されています。
その後、1932年(昭和7年)の東京市の区制施行によって豊島区が誕生しても、この地域は巣鴨や西巣鴨の地名で呼ばれていました。
1969年の住居表示で南大塚が誕生大きな転換点となったのが、昭和44年(1969年)の住居表示です。
大塚駅の南側に位置する地域が「南大塚」、北側が「北大塚」と整理され、現在につながる町名が定着しました。
そのため、南大塚という名称は、古くから存在した地名をそのまま引き継いだものというより、大塚駅を基準とした位置関係を反映して成立した町名と理解すると分かりやすくなります。
また、現在の文京区には大塚一丁目から六丁目までの町名があります。豊島区南大塚と文京区大塚は、同じ東京23区内にありながら行政区も異なる別の住所です。
「大塚駅があるから大塚という住所なのだろう」と考えると混乱しやすいのですが、駅名、歴史的な地名、現在の住居表示を分けて考えることが大切です。
【2026年の地域情報】南大塚の交通アクセス・商店街・生活環境
南大塚の特徴の一つが、複数の鉄道路線を利用できる交通環境です。JR山手線の大塚駅を中心に、東京メトロ丸ノ内線や都電荒川線も生活圏に入ります。
南大塚への主な交通アクセス- JR山手線・大塚駅:南大塚の主要な玄関口。南口から町内の商業施設や住宅地へアクセスできる。
- 東京メトロ丸ノ内線・新大塚駅:南大塚二丁目方面などへの移動に便利。
- 都電荒川線・大塚駅前停留場:地域内の移動や都電沿線へのアクセスに利用できる。
- 都電荒川線・向原停留場:南大塚三丁目周辺から利用しやすい交通拠点の一つ。
具体的な距離感を把握する例として、南大塚地域文化創造館(東京都豊島区南大塚2-36-1)があります。施設の公式交通案内では、JR大塚駅南口から徒歩約5分、都電荒川線の大塚駅前停留場から徒歩約5分、東京メトロ新大塚駅から徒歩約8分とされています。
このように、南大塚は目的地や丁目によって最寄り駅を使い分けられる地域です。
商店街と地域の文化的な魅力南大塚の生活を支えているのが、駅周辺に広がる商店街です。
豊島区が紹介する大塚地域の商店会には、南大塚商店街振興組合、サンモール大塚商店街振興組合、大塚駅南口盛和会などがあります。日常の買い物や飲食、地域の交流を支える存在です。
また、JR大塚駅南口には「TRAMパル大塚」という駅前広場があります。2017年に完成したこの広場は、地下駐輪場の上部を活用した憩いの空間です。
周辺では大塚音楽祭、東京大塚阿波踊り、大塚バラ祭り、天祖神社の祭礼など、地域に根差した行事も行われています。都電沿線のバラや駅前の緑も、大塚らしい街並みを形づくっています。
地域の歴史を感じられる場所としては、南大塚三丁目の天祖神社も挙げられます。大塚駅から徒歩約3分の場所にあり、南大塚や北大塚を含む周辺地域の氏神様として親しまれています。
駅前の商業機能と、昔から続く地域のつながりが共存している点が、南大塚の特徴です。
【混同注意】旧豊島区立大塚中学校は南大塚ではなく西巣鴨三丁目にあった
今回のテーマで特に重要なのが、旧豊島区立大塚中学校の所在地です。
学校名に「大塚」と入っているため、南大塚にあった学校と考えられがちですが、実際の所在地は東京都豊島区西巣鴨三丁目でした。
現在の豊島区立巣鴨北中学校の所在地も東京都豊島区西巣鴨3-17-1です。旧大塚中学校の校舎が統合後の学校の校舎として使用されたことから、学校の歴史をたどる際には南大塚と西巣鴨を混同しないことが重要です。
南大塚と旧大塚中学校・巣鴨北中学校の関係一覧| 名称 | 所在地・位置 | 関係・現在の状況 |
|---|---|---|
| 豊島区南大塚 | 東京都豊島区南大塚一丁目〜三丁目 | 大塚駅南側に広がる正式な町名 |
| 旧豊島区立大塚中学校 | 東京都豊島区西巣鴨三丁目 | 旧朝日中学校との統合前の学校。統合校の校舎として使用された |
| 旧豊島区立朝日中学校 | 旧朝日中学校の校地 | 2001年の統合相手。2001年3月まで存続 |
| 豊島区立巣鴨北中学校 | 東京都豊島区西巣鴨3-17-1 | 2001年4月に開校した統合新校。現在も同地に所在 |
この関係を整理すると、南大塚という町名と旧大塚中学校の所在地は別のものだと分かります。
特に注意したいのは、学校名に含まれる地名が必ずしも学校の所在地を示しているとは限らないことです。学校の正式な所在地を確認する場合は、学校名だけで判断せず、住所や沿革を照合する必要があります。
【統合の経緯】大塚中学校と朝日中学校はなぜ2001年に統合した?
豊島区立大塚中学校と豊島区立朝日中学校の統合は、単純な校名変更ではありません。豊島区全体で進められていた学校の適正規模化や、児童・生徒数の減少という教育環境の変化が背景にありました。
豊島区の公的な地域史資料「としまひすとりぃ」には、両校の統合に至る経緯が詳しく記録されています。
1997年時点で大きな開きがあった生徒数統合計画を考えるうえで重要なのが、1997年(平成9年)5月1日時点の生徒数です。
- 朝日中学校:93人、3学級
- 大塚中学校:389人、12学級
朝日中学校は豊島区内でも特に小規模な学校となっていた一方、大塚中学校は比較的生徒数が多い学校でした。
この規模の違いは、統合後の学校運営や校名、校舎の扱いをめぐる話し合いにも影響しました。
1999年に統合推進協議会が発足1999年(平成11年)4月、両校の統合に向けた統合推進協議会が設置されました。
協議の中では、両校を対等な立場で統合するのか、それとも大塚中学校への吸収統合とするのかについて意見が出されました。
校名についても、長年親しまれた大塚中学校の名前を残してほしいという意見と、新しい学校名で出発してほしいという意見がありました。
最終的には対等統合の原則に基づき、同年11月の第5回協議会で「巣鴨北中学校」という新校名が決まりました。
新校名に巣鴨が採用された理由は、新しい学校が旧巣鴨村の北部に位置していたことにあります。全国的にも知られる巣鴨という地名を取り入れ、両校の旧校名とは異なる名称で新たな学校として出発することになりました。
朝日中学校では統合前に生徒数がさらに減少統合に向けた動きが進む中、朝日中学校の生徒数には大きな変化が生じました。
統合時の転校を避けたい生徒や保護者の希望を受け、1999年度から通学区域の指定校変更申請が認められました。その結果、朝日中学校に入学した生徒はわずか3人となりました。
2000年度には1・2年生がゼロとなり、3年生の1学級20人だけが在籍する状況になりました。
朝日中学校は2001年3月まで存続しました。最後の3年生と保護者が、慣れ親しんだ朝日中学校で卒業式を迎えたいと希望したためです。
統合計画の背景には学校規模の適正化という教育行政上の課題がありましたが、実際には生徒の進学や卒業、保護者の思いなど、学校生活に直結する問題も存在していました。
2001年4月1日、巣鴨北中学校が開校こうした経緯を経て、2001年(平成13年)4月1日、旧大塚中学校と旧朝日中学校の統合新校として豊島区立巣鴨北中学校が開校しました。
統合後の学校は、改修された旧大塚中学校の校舎を使用しました。つまり、大塚中学校という名称はなくなりましたが、その校地と校舎は新しい学校の歴史へ引き継がれたのです。
豊島区の公式学校沿革にも、2001年4月1日に旧大塚中学校と旧朝日中学校の統合新校として、旧大塚中学校校舎に開校したことが記されています。
【旧大塚中学校の校舎と制服】バルコニーの特徴から現在の巣鴨北中学校まで
旧豊島区立大塚中学校には、学校の歴史を振り返る際に語られる校舎の特徴がありました。
各階に設けられたバルコニー旧大塚中学校の校舎は、教室から直接出入りできるバルコニーを各階に備えていたことが特徴とされています。
一般的な学校校舎とは少し異なる開放的な構造で、学校の特徴的な建築要素として知られていました。
ただし、このバルコニーは永久に残されたものではありません。昭和末期には撤去されたとされ、旧校舎の特徴を語るうえでの歴史的な要素となっています。
伝統的な学生服・セーラー服から紺色ブレザーへ旧大塚中学校では、制服にも変化がありました。
かつての伝統的な学生服とセーラー服から、紺色のブレザーへと制服が変更されたことが知られています。この変更もバルコニーの撤去と同じ昭和末期の時期に行われたとされています。
校舎の構造と制服という二つの変化は、旧大塚中学校の歴史を知るうえで興味深いポイントです。
現在の巣鴨北中学校は2019年度から新校舎を使用2001年の統合後、巣鴨北中学校は旧大塚中学校の校舎を引き継いで運営されてきました。
その後、校舎の改築が行われ、現在の学校長あいさつによると、令和元年度(2019年度)から新しい校舎の使用が始まりました。
現在の巣鴨北中学校は、東京都豊島区西巣鴨3-17-1にあります。
つまり、学校の歴史を整理すると、旧大塚中学校の校舎を使用して2001年に巣鴨北中学校が開校し、その後、同じ学校の歴史を引き継ぎながら校舎が新しくなったという流れです。
旧校舎のバルコニーや制服の記憶と、現在の教育施設は、同じ学校の歴史の中に位置づけられています。
【豊島区南大塚に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:豊島区南大塚は東京都の何区にありますか?
A1:東京都豊島区の東部にあります。南大塚一丁目から三丁目までの町域で構成され、JR山手線の大塚駅南側に位置しています。
Q2:旧豊島区立大塚中学校は南大塚にありましたか?
A2:いいえ。旧豊島区立大塚中学校の所在地は豊島区西巣鴨三丁目です。南大塚という町名とは異なる住所にありました。
Q3:大塚中学校と朝日中学校が統合したのは何年ですか?
A3:2001年(平成13年)4月1日です。統合後は豊島区立巣鴨北中学校となり、旧大塚中学校の校舎を使用して開校しました。
Q4:現在の巣鴨北中学校はどこにありますか?
A4:東京都豊島区西巣鴨3-17-1です。2019年度から新校舎が使用されています。
Q5:南大塚への交通アクセスは?
A5:JR山手線の大塚駅、東京メトロ丸ノ内線の新大塚駅、都電荒川線の大塚駅前停留場などが利用できます。目的地によって最寄り駅を選ぶと便利です。
Q6:豊島区南大塚と文京区大塚は同じ場所ですか?
A6:異なる場所です。豊島区南大塚は大塚駅の南側にある町名で、文京区大塚は別の行政区に属する町名です。住所を確認するときは区名まで含めて区別する必要があります。
豊島区南大塚を正しく理解するためには、現在の町名と過去の学校名を混同しないことが大切です。
南大塚は、1969年の住居表示によって成立した豊島区の正式な町名であり、現在は一丁目から三丁目までの地域に約1万8,000人が暮らしています。大塚駅や新大塚駅、都電荒川線を利用でき、商店街や地域文化施設、天祖神社などがある生活圏です。
一方、旧豊島区立大塚中学校は南大塚ではなく西巣鴨三丁目に所在していました。2001年4月に旧朝日中学校と統合し、巣鴨北中学校として開校した経緯があります。
この統合には、1990年代の生徒数減少、学校規模の格差、通学区域の変更、校名をめぐる協議など、複数の要因が関係していました。単に学校名を変更したのではなく、地域の教育環境を再編する取り組みだったことが分かります。
また、旧大塚中学校のバルコニーや制服変更といった特徴は、現在の巣鴨北中学校へと続く学校の歴史を知る手掛かりになります。
【プロの結論】 南大塚について調べるときは、町名の由来、実際の所在地、学校の統合履歴という3つの視点を分けることが重要です。「大塚」という共通の名称だけで場所を判断すると、南大塚と西巣鴨のように異なる住所を混同する原因になります。
2026年現在も、南大塚は豊島区の地域を構成する正式な町名であり、巣鴨北中学校は2001年の統合によって生まれた学校として歴史を引き継いでいます。地名と学校の沿革を正確に押さえることが、豊島区の地域情報を理解するための基本となります。
主な根拠資料
- 豊島区「としまひすとりぃ」平成史・朝日中学校と大塚中学校の統合経緯。
- 豊島区立巣鴨北中学校の公式沿革・学校概要・学校長あいさつ。
- 豊島区「町丁別の世帯と人口」(2026年6月1日現在)。
- 豊島区の地域史資料「わが街ひすとりぃ」と都市づくりビジョン。
- 南大塚地域文化創造館・TRAMパル大塚の公式施設情報。