若い頃のリリー・フランキーをひと言で表すなら、既存の進路や肩書にとらわれず、自分の興味を追い続けた自由な表現者です。
現在は映画やドラマで個性的な役柄を演じる俳優として知られていますが、もともとの活動の中心はイラストと文章でした。俳優として注目されるよりもずっと前から、雑誌のイラスト、コラム、ラジオ番組の構成など、幅広い仕事を手がけています。
特に興味深いのは、俳優として本格的に知られるようになったのが比較的遅かったことです。19歳でイラストレーターとしてデビューし、35歳で映画俳優としての活動を始めました。
つまり、現在の俳優としてのイメージだけでは、若い頃から積み重ねてきた仕事の全体像は見えてきません。
【プロフィール】本名・生年月日・出身地・学歴を整理

まずは、リリー・フランキーの基本プロフィールを確認します。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 芸名 | リリー・フランキー |
| 本名 | 中川雅也(なかがわ・まさや) |
| 生年月日 | 1963年11月4日 |
| 出身地 | 福岡県北九州市小倉 |
| 年齢 | 2026年11月2日時点で62歳 |
| 出身高校 | 大分県立緑丘高校 |
| 最終学歴 | 武蔵野美術大学卒業 |
| 大学の学科 | 造形学部芸能デザイン学科 |
| 主な職業 | 俳優、イラストレーター、作家、エッセイスト、絵本作家 |
| 代表作 | 『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』『おでんくん』 |
本名や出身地、生年月日は映画情報データベースのKINENOTEなどに掲載されています。新潮社の著者プロフィールでも、1963年生まれで福岡県出身、武蔵野美術大学卒業と紹介されています。
リリー・フランキーという名前の由来は?リリー・フランキーという芸名は、大学時代のエピソードとも関係しています。
武蔵野美術大学の卒業生インタビューによると、大学1年生の頃、クラシック音楽をギターで弾くことが得意な友人がいました。
その友人が大学の授業後に自宅へ遊びに来て、ギターを弾いたまま泊まることが多かったそうです。
周囲の学生が、友人を「ローズ」、本人を「リリー」と呼ぶようになったことが、リリーという呼び名の始まりでした。
このエピソードからも、現在の芸名につながる呼び名が、芸能活動を始める前の学生生活ですでに生まれていたことが分かります。
なお、このインタビューで説明されているのは「リリー」という呼び名の由来であり、「フランキー」という部分の由来まで説明されているわけではありません。
【学生時代】15歳で一人暮らし!武蔵野美術大学で過ごした青春
リリー・フランキーの若い頃を知るうえで、特に注目したいのが高校時代と大学時代です。
2026年9月にFNNプライムオンラインが紹介したテレビ大分の特集では、本人が大分で過ごした高校時代を振り返っています。
15歳で福岡を離れ、大分で一人暮らしリリー・フランキーは高校進学と同時に福岡を離れ、大分県別府市で下宿生活を始めました。
通っていたのは大分県立緑丘高校です。
当時の生活について、本人は次のように語っています。
「いきなり15歳で一人暮らしになるんですよ」
初めて親元を離れた生活は、決して順調ではありませんでした。
朝、自分で起きることができず、高校1年生の頃は欠席が多かったといいます。
転機になったのは高校2年生のとき。担任になった村上先生という女性教師が、下宿先まで起こしに来てくれるようになりました。
先生に手を引かれて学校へ向かったこともあったそうです。
加えて、好きな人ができたことも生活を変えるきっかけになりました。
本人は、好きな人に恥ずかしくないように勉強しようと思ったと振り返っています。
こうした高校時代のエピソードからは、現在の落ち着いた雰囲気とはまた違う、15歳の少年らしい不器用さが伝わってきます。
武蔵野美術大学を選んだ理由は東京への憧れ高校卒業後は上京し、武蔵野美術大学へ進学しました。
進学先は造形学部芸能デザイン学科。現在の空間演出デザイン学科につながる学科です。
武蔵野美術大学の卒業生インタビューでは、進学理由について、東京へ行きたかったという思いが大きかったことを明かしています。
当時、出身地の炭鉱町は閉山後に活気を失っており、本人は15歳や18歳という年齢なりに、地元を離れて新しい世界を見たいと考えていたそうです。
受験した大学は武蔵野美術大学だけ。合格できなければ働こうと思っていたというエピソードも残っています。
学科選びにも独特の感覚がありました。
一般的な職業に直結しにくく、舞台美術などを学べる芸能デザイン学科に興味を持ったのです。
大学時代はゲームに熱中し、留年も経験大学生活は、本人いわく遊びに明け暮れる日々でした。
特に熱中していたのがテレビゲームです。
卒業制作では、なんと『スーパーマリオブラザーズ』を題材にしました。
ゲームをプレイする様子を録画して流すという、当時の美大生らしい独創的な作品だったそうです。
ゲームに熱中したこともあり、留年を経験しています。
それでも最終的には卒業。大学時代の経験について、本人は考えたり、友人と語り合ったりする時間が、その後の人生の基礎になったと振り返っています。
大学卒業後は約5年間、定職に就かない生活大学卒業後も、すぐに一般企業へ就職したわけではありません。
武蔵野美術大学のインタビューでは、卒業後の約5年間を無職で過ごした時期として回想しています。
経済的には厳しく、雀荘に一週間滞在し、そこで食事をしながらイラストの仕事を受けていたこともあったそうです。
大学時代には周囲に人が集まっていたものの、仕事が安定しない時期には友人が離れていったとも語っています。
この経験は、後に雑誌やラジオなど、さまざまな仕事を引き受けていく生き方にもつながっています。
【19歳でデビュー】若い頃のイラストレーター・文筆家としての経歴
リリー・フランキーの芸術的なキャリアは、俳優としてではなく、イラストレーターとして始まりました。
2024年のほぼ日の糸井重里との対談で、本人はデビュー時期を明かしています。
「イラストレーターでデビューしたのが先で、19歳でした」
しかも、イラストとほぼ同じ時期に、大学生でありながら文章を書く仕事も受けていたといいます。
最初から順調だったわけではない若い頃の仕事は、経済的に決して恵まれたものではありませんでした。
同じ対談では、初期のイラストの仕事について、1点描いて3,000円程度の仕事が月に1件あるような状況だったと振り返っています。
本人は当時、創作活動で生活できるとは考えていなかったそうです。
それでもイラストを描き、文章を書き続けました。
ここで重要なのは、リリー・フランキーが最初から俳優や人気作家を目指していたわけではないことです。
目の前にある仕事を引き受けながら、表現できる領域を少しずつ広げていきました。
雑誌文化の中で存在感を高める1990年代から2000年代初頭にかけては、雑誌を中心にイラストやコラムなどを多数手がけました。
2026年8月の集英社オンラインのインタビューでは、多いときには週刊誌や月刊誌で45本の連載を抱え、月に100本を超える原稿やイラストを制作していたと紹介されています。
文章だけでなく、イラスト、漫画、ラジオ番組の構成など、仕事の幅は非常に広いものでした。
本人も、当時の雑誌には小さなコラム欄であっても、自分の意見を発信できる場所があったと振り返っています。
現在のように誰もがSNSで発信できる環境とは異なり、編集者との出会いや雑誌の誌面が、才能を見いだされる重要な場所だったのです。
絵本作家としても『おでんくん』を生み出すイラストレーターとしての代表的な仕事の一つが、絵本『おでんくん』です。
独特のキャラクターデザインと親しみやすい世界観を持ち、後にアニメ化されました。
俳優としてのリリー・フランキーしか知らない人にとっては意外可能性がありますが、もともと絵を通して独自のキャラクターや世界観を生み出してきた人物です。
こうしたイラストレーターとしての経験が、後の作家活動にもつながっています。
【作家・俳優として飛躍】『東京タワー』から映画界での評価まで
リリー・フランキーの知名度を大きく押し上げたのが、作家としての成功と、遅咲きの俳優デビューでした。
『東京タワー』が2006年の本屋大賞を受賞2005年に発表された長編小説『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』は、本人の家族や母親との記憶をもとにした自伝的な作品です。
母と息子の関係、故郷での生活、上京後の日々、母親の老いなどを描いた内容が多くの読者の共感を集めました。
2006年には第3回本屋大賞を受賞。
本屋大賞の公式発表でも、同作が第1位に選ばれています。
新潮社の紹介では200万人を超えるベストセラーとして扱われ、武蔵野美術大学のプロフィールでは220万部を超える作品として紹介されています。
この作品によって、イラストレーターやコラムニストとして知られていたリリー・フランキーの名前が、一般の読者にも広く浸透しました。
35歳で映画『盲獣VS一寸法師』に出演俳優デビューも、一般的な俳優のキャリアと比べると遅いタイミングでした。
2024年2月のスポニチの報道によると、35歳のときに石井輝男監督から映画への出演を誘われたことがきっかけです。
作品は『盲獣VS一寸法師』。
当時は演技経験がほとんどなく、本人も映画の撮影現場を見られることに興味を持って出演を引き受けたと振り返っています。
もともとインタビューなどでも顔写真を掲載されることに抵抗があり、イラストで代用してもらっていたほどでした。
表に出ることを積極的に求めていたわけではなく、裏方の仕事を中心に活動していた人物が、映画をきっかけに俳優の世界へ入ったのです。
『ぐるりのこと。』で俳優として高い評価を獲得俳優としての評価を大きく高めた作品が、2008年公開の映画『ぐるりのこと。』です。
橋口亮輔監督の作品で、木村多江とともに主演を務めました。
この作品での演技が評価され、第51回ブルーリボン賞新人賞を受賞。
当時45歳での受賞は、同賞の新人賞として最高齢の記録として紹介されています。
その後も映画への出演が続きました。
特に2013年公開の『凶悪』と『そして父になる』では、存在感のある演技を披露し、第37回日本アカデミー賞で助演男優賞を受賞しています。
2018年の是枝裕和監督作品『万引き家族』では主演を務め、作品は第71回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞しました。
【若い頃と現在を比較】2026年最新の活動と写真の見方
若い頃と現在のリリー・フランキーを比較すると、最も大きな変化は外見だけではありません。
活動の中心がイラストや文章から映画・ドラマへと広がり、現在では複数の表現分野を横断する存在になっています。
年代別の経歴・転換点一覧| 時期 | 出来事・活動 | 注目ポイント |
|---|---|---|
| 15歳 | 大分県で高校生活を開始 | 親元を離れて一人暮らし |
| 大学1年 | リリーという呼び名が生まれる | 武蔵野美術大学での学生生活 |
| 19歳 | イラストレーターとしてデビュー | 文章を書く仕事も開始 |
| 大学卒業後 | 約5年間の無職時代 | 創作活動を続けながら模索 |
| 35歳 | 『盲獣VS一寸法師』に出演 | 映画俳優として活動開始 |
| 2005~2006年 | 『東京タワー』発表・本屋大賞受賞 | 作家として全国的に知られる |
| 2008~2009年 | 『ぐるりのこと。』で評価 | ブルーリボン賞新人賞 |
| 2013年 | 『凶悪』『そして父になる』 | 映画賞で高い評価 |
| 2018年 | 『万引き家族』 | カンヌ国際映画祭パルムドール受賞作で主演 |
| 2026年 | 映画・ドラマへの出演を継続 | 国際共同製作作品にも参加 |
リリー・フランキーの昔の画像を探す場合、写真の撮影時期と掲載された媒体を確認することが大切です。
参考になる公開資料には、次のものがあります。
- 武蔵野美術大学の卒業生インタビュー:学生時代の回想と本人の写真を掲載。
- FNNプライムオンラインの2026年9月の特集:高校時代を過ごした大分の母校や思い出の場所を紹介。
- 集英社オンラインの2026年8月のインタビュー:1990年代から2000年代初頭のイラストレーター・ライター時代を振り返る。
- シネマトゥデイの2008年のインタビュー:『ぐるりのこと。』公開当時の本人の写真を掲載。
特に武蔵野美術大学のインタビューは、学生時代の話だけでなく、大学卒業後の生活や創作活動についても本人が詳しく語っている点が貴重です。
ただし、昔の写真といっても、大学時代の写真、20代の仕事中の写真、30代以降のインタビュー写真では意味が異なります。掲載年を確かめながら比較すると、年齢による変化をより正確に把握できます。
2026年も俳優として新作に出演2026年の活動にも注目すべき作品があります。
映画『FUJIKO』
2026年6月5日に公開された映画『FUJIKO』では、佐々岡誠役を担当しました。
片山友希、YOU、うじきつよし、竹下景子、イッセー尾形らと共演しています。
同作は9月5日からNetflixで国内独占配信が始まり、ニューヨーク・アジアン映画祭では最優秀作品賞を受賞しました。
映画『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』
2026年9月11日公開の映画で、リリー・フランキーは黒井役を演じています。
監督・脚本は塚本晋也。ベトナム戦争を経験したアレン・ネルソンの人生を描いた作品です。
リリー・フランキーは全編英語での演技に挑戦し、第83回ベネチア国際映画祭のコンペティション部門にも出品されました。
ドラマ『ポリティカルパン』
2026年11月4日放送予定の第5話にゲスト出演することが、フジテレビから発表されています。
石原さとみ主演、野木亜紀子脚本のドラマで、リリー・フランキーは橋本さとし、青木柚、根本真陽らとともにゲストとして参加します。
2027年公開予定の主演映画
加えて、2027年1月16日から日本・フィリピン合作映画『ひとりで死ぬのはイヤだから』が全国順次公開される予定です。
リリー・フランキーは、孤独死を目撃した55歳の会社員・ヨージを演じます。
2026年秋時点でも主演作を控えており、俳優としての活動は続いています。
【プロの結論】リリー・フランキーの魅力は若い頃から変わらない創作姿勢
リリー・フランキーの経歴を振り返ると、若い頃から現在まで一貫しているものが見えてきます。
それは、特定の職業や肩書に自分を閉じ込めない姿勢です。
19歳でイラストレーターとして仕事を始め、文章やラジオの構成にも携わり、絵本を生み出し、長編小説で本屋大賞を受賞。そして35歳から俳優としても活動しました。
一般的には、職業を一つに絞って専門性を高めることがキャリア形成の王道と考えられがちです。
しかし、リリー・フランキーの場合は、異なる分野で積み重ねてきた経験そのものが、俳優としての個性にもつながっています。
特に注目したいのは、俳優としての成功が、イラストレーターや文筆家としての活動を否定するものではなかった点です。
むしろ、それぞれの経験が重なり合い、現在の独特な表現力を形づくっています。
また、昔の写真だけで人物像を判断するよりも、本人が語った学生時代のエピソードや当時の仕事、作品の発表時期を合わせて見ることが、経歴を理解するうえで役立ちます。
【よくある質問】リリー・フランキーの若い頃に関するFAQ
Q1:リリー・フランキーの本名と生年月日は?
A1:本名は中川雅也(なかがわ・まさや)です。1963年11月4日生まれで、出身地は福岡県北九州市小倉です。2026年11月2日時点では62歳です。
Q2:リリー・フランキーは学生時代、どこの大学に通っていた?
A2:武蔵野美術大学造形学部芸能デザイン学科を卒業しています。高校時代は大分県立緑丘高校に通い、15歳で親元を離れて別府市で生活していました。
Q3:リリー・フランキーは若い頃から俳優だった?
A3:いいえ。19歳でイラストレーターとしてデビューし、文章を書く仕事も始めています。俳優として映画に出演したのは35歳の頃です。
リリー・フランキーの若い頃は、15歳での一人暮らし、武蔵野美術大学での自由な学生生活、19歳でのイラストレーターとしてのデビューなど、興味深い出来事に満ちています。
大学卒業後の厳しい生活や、35歳で初めて映画に出演した経験も、現在のキャリアを理解するうえで欠かせません。
『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』で作家として成功し、『ぐるりのこと。』『凶悪』『そして父になる』『万引き家族』などで俳優としても評価を確立しました。
2026年には『FUJIKO』『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』などの映画に出演し、11月のドラマ出演や2027年公開予定の主演映画も控えています。
若い頃の写真だけでは分からない、長い創作活動の積み重ね。そこにこそ、リリー・フランキーという表現者の本当の魅力があります。
主な取材・参照資料: 武蔵野美術大学の卒業生インタビュー、テレビ大分・FNNプライムオンライン(2026年9月)、ほぼ日(2024年)、集英社オンライン(2026年8月)、新潮社、本屋大賞公式発表、フジテレビ公式番組情報、映画『FUJIKO』公式サイト、映画.com、スポニチアネックス。