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木村次郎右衛門は何歳まで生きた?116歳54日の世界記録と長寿の秘訣を徹底解説

土谷 雅人 土谷 雅人 • 更新: • 公開: • 読了約 19 分
目次

木村次郎右衛門(きむら・じろうえもん)は、1897年(明治30年)4月19日に生まれ、2013年(平成25年)6月12日に116歳54日で亡くなった日本人男性です。ギネス世界記録に「史上最も長生きした男性」として認定され、2026年現在も男性の歴代最高齢記録を保持しています。

20歳から65歳まで郵便局で45年間働き、退職後も90歳頃まで農作業を続けた木村氏。晩年はヨーグルトやサツマイモ、梅干しを食べ、夜には牛乳を飲む生活を送っていました。長寿の心得として残した「食べ物に好き嫌いはない。食細くして命永かれ」という言葉も広く知られています。

では、116歳54日という驚異的な長寿は、どのような人生と生活習慣から生まれたのでしょうか。生年月日や郵便局での経歴、妻・木村八重との家族生活、食生活、クリスチャン・モーテンセンとの記録比較まで、人物像を詳しく振り返ります。

【2026年現在】木村次郎右衛門は何をしていた人物?現在の記録と基本プロフィール

木村次郎右衛門

木村次郎右衛門は、京都府京丹後市で暮らした元郵便局員です。

2026年現在、本人はすでに亡くなっています。しかし、116歳54日という男性の歴代最高齢記録は現在もギネス世界記録に掲載されています。

単に長く生きたというだけではありません。19世紀に生まれ、明治・大正・昭和・平成という4つの時代を経験し、日本の社会や暮らしが大きく変わる様子を見届けた人物でもあります。

木村次郎右衛門の基本プロフィール
項目 詳細
氏名 木村次郎右衛門
読み方 きむら・じろうえもん
生年月日 1897年4月19日
没年月日 2013年6月12日
出身地 京都府
享年 116歳54日
本名 三宅金治郎
職業 元郵便局員
勤務期間 約45年間
妻 木村八重
居住地 京都府京丹後市
主な記録 史上最も長生きした男性

講談社の『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』でも、1897年生まれの元郵便局員として紹介されています。

2026年現在も男性の最高齢記録を保持

木村氏が亡くなってから10年以上が経過しましたが、男性の歴代最高齢記録は更新されていません。

ここで注意したいのは、木村氏の記録が「男女を含む人類全体の最高齢記録」ではないことです。

木村氏が保持するのは、確認された男性の最長寿記録です。男女を含めた人類全体の最高齢記録は、フランスのジャンヌ・カルマンが保持する122歳164日です。

この違いを理解すると、木村氏の記録が世界の長寿史においてどのような位置を占めているのかが分かります。

【生涯と経歴】1897年生まれから郵便局45年間の勤務、家族との暮らしまで

木村次郎右衛門の人生は、明治時代の京都で始まりました。

1897年4月19日、三宅家の6人兄弟姉妹の3番目として生まれ、金治郎と名付けられます。その後、木村家の跡取りとして婿入りし、9代目の次郎右衛門を名乗るようになりました。

郵便局員として45年間勤務

木村氏の職業人生を語るうえで欠かせないのが、郵便局での勤務です。

京都郵便局通信生養成所を卒業した後、郵便局員として働き始めました。

20歳から65歳までの約45年間、通信業務に携わり、1920年代には日本統治下の朝鮮で政府の通信部門に勤務した経験もあります。

当時の通信業務は、現在のようにスマートフォンやインターネットで情報を瞬時に伝えられる環境ではありません。郵便や電信が人々の暮らしや行政を支える重要な社会基盤でした。

木村氏は、そうした通信の仕事に長年携わっていたのです。

1962年、65歳で定年退職しました。

妻・木村八重との結婚と家族生活

木村氏の妻は、木村八重です。

八重は歌手・三嶋一聲の妹として知られています。木村氏は八重と家庭を築き、子どもたちを育てました。

家族とのつながりは、木村氏の人生を語るうえで大切な要素です。

晩年は孫の妻と暮らし、家族に見守られながら日常生活を送っていました。

また、長男が近衛兵を務めたことを誇りに思っていたというエピソードも伝えられています。

退職後も90歳頃まで農作業を継続

1962年に郵便局を退職した後も、木村氏は仕事から完全に離れたわけではありません。

90歳頃まで畑仕事を続けていました。

農作業は、日常的に体を動かす機会になります。畑の手入れや収穫など、暮らしのなかに自然な身体活動が組み込まれていたことが特徴です。

また、生前には120歳まで生きることを目標にしていたと伝えられています。

木村次郎右衛門の生涯と主な出来事
年月・年齢 出来事 内容
1897年4月19日 誕生 三宅家に金治郎として生まれる
青年期 木村家へ婿入り 9代目次郎右衛門を名乗る
20歳頃 郵便局勤務 通信関係の仕事に従事
1920年代 朝鮮で勤務 政府の通信部門で働いた経験を持つ
1962年 定年退職 65歳で郵便局を退職
退職後 農業に従事 90歳頃まで畑仕事を続ける
2011年4月 男性長寿世界一 ギネス世界記録で認定
2012年12月17日 世界最高齢者 男女を含む存命人物の最高齢となる
2012年12月28日 男性歴代最高齢 モーテンセンの記録を更新
2013年4月19日 116歳の誕生日 男性として初めて116歳に到達
2013年6月12日 死去 116歳54日で生涯を終える

この年表から見えてくるのは、木村氏が郵便局を退職した後も、長く活動的な生活を続けていたことです。

その人生は、仕事、家族、地域での暮らしが一体となったものでした。

【世界最高齢男性の記録】クリスチャン・モーテンセンを超えた116歳54日

木村次郎右衛門の名前が世界的に知られるようになった最大の理由は、男性の歴代最高齢記録です。

ギネス世界記録によると、木村氏は2012年12月28日、115歳253日で、それまでの記録を更新しました。

クリスチャン・モーテンセンとの記録比較

木村氏が更新したのは、デンマーク生まれでアメリカに移住したクリスチャン・モーテンセンの記録です。

モーテンセンは1882年8月16日に生まれ、1998年4月25日に115歳252日で亡くなりました。

長年にわたり男性の歴代最高齢記録を保持していましたが、木村氏がその記録を超えました。

比較項目 木村次郎右衛門 クリスチャン・モーテンセン
生年 1897年 1882年
出身 日本 デンマーク
主な居住地 京都府京丹後市 アメリカ
没年月日 2013年6月12日 1998年4月25日
最終年齢 116歳54日 115歳252日
記録上の関係 男性歴代最高齢 旧男性最高齢記録保持者

木村氏は、モーテンセンの記録をわずか1日上回った段階で歴史を塗り替えました。

2012年12月17日には世界最高齢者に

木村氏の記録には、もう一つ重要な転換点があります。

2012年12月17日、世界最高齢者だったディナ・マンフレディーニが亡くなったことに伴い、木村氏が男女を含めた存命人物の世界最高齢者となりました。

さらに同月28日には、男性の歴代最高齢記録も更新します。

つまり、木村氏は存命人物の世界最高齢者と、男性の歴代最高齢者という2つの大きな記録を持つ人物になったのです。

116歳の誕生日を迎えた初の男性

2013年4月19日、木村氏は116歳の誕生日を迎えました。

確認された記録において、男性が116歳に到達したのは世界で初めてでした。

その後、同年6月12日に亡くなり、最終的な年齢は116歳54日となりました。

ギネス世界記録は現在も木村氏を「史上最も長生きした男性」として掲載しています。

この記録は単なる年齢の自己申告ではありません。長寿研究では、生年月日と生存期間を示す複数の資料を照合が必要です。110歳以上の人々の年齢認証を専門的に行う研究機関も存在します。

【長寿の秘訣】食生活と「食細くして命永かれ」に隠された考え方

木村次郎右衛門の長寿を語る際、必ず登場する言葉があります。

それが「食べ物に好き嫌いはない。食細くして命永かれ」です。

この言葉には、木村氏が日常生活で大切にしていた食事への姿勢が表れています。

朝食はヨーグルト・サツマイモ・梅干し

木村氏の食生活で知られているのは、朝食の内容です。

晩年の食習慣として、次のような食品が紹介されています。

- ヨーグルト
- サツマイモ
- 梅干し
- ジャガイモ
- 牛乳

特に朝はヨーグルトやサツマイモ、梅干しを食べ、夜には牛乳を飲むことを習慣としていました。

ジャガイモも好物だったと伝えられています。

注目したいのは、特別な高級食材や珍しい健康食品に頼っていたわけではないことです。

身近な食品を日々の食事に取り入れていた点に特徴があります。

食べる量は自分で決める

木村氏は食べ物の好き嫌いが少なく、食べる量も自分で決めていたとされています。

報道では腹八分目を心がけていたことも紹介されています。

「食細くして命永かれ」という言葉は、食事を極端に制限するという意味ではありません。

大切なのは、食べ過ぎを避け、自分の身体に合わせて適量を食べるという考え方です。

また、AFP通信が2013年に報じた内容では、木村氏は喫煙せず、飲酒もほどほどにしていたとされています。

規則正しい生活と食事時間

木村氏の生活リズムも特徴的でした。

毎朝5時30分頃に起床し、午後8時頃には就寝する習慣を送っていました。

高齢になってからも、日々の生活に一定のリズムがあったことが分かります。

ダイヤモンド・オンラインの長寿に関する記事でも、朝のヨーグルトや夜の牛乳、少食を心がける食生活が紹介されています。

ただし、ヨーグルトや牛乳を飲めば誰でも長生きできるという意味ではありません。

木村氏の食習慣は、116歳まで生きた人物の生活記録として参考になるものであり、個人の長寿の原因を一つの食品だけで説明することはできません。

【日常生活を解説】90歳までの農作業と新聞・大相撲を楽しむ晩年

木村次郎右衛門の長寿を考えるうえでは、食事だけでなく、日々の過ごし方にも目を向ける必要があります。

毎朝5時30分に起床、夜8時に就寝

木村氏の生活は、早寝早起きが基本でした。

毎朝5時30分頃に起き、夜8時頃に就寝するという規則正しい生活です。

高齢になって外出が難しくなってからも、自宅での生活リズムを保っていました。

天眼鏡を使って新聞を読む

晩年の木村氏は、新聞を読む習慣を続けていました。

視力が衰えていたため、天眼鏡を使いながら新聞に目を通していたといいます。

新聞を読む時間は1~2時間程度で、長い日には3時間に及ぶこともありました。

新聞を読むことは、単に情報を得るだけでなく、日常生活のなかで頭を使う時間にもなっていたと考えられます。

国会中継と大相撲を欠かさず視聴

テレビでは、国会中継や大相撲を楽しんでいました。

社会の動きや政治への関心を持ち続け、相撲中継も視聴する生活でした。

足腰が弱ってからは、外出が通院などに限られていたものの、自宅で新聞やテレビに接する習慣を保っていたのです。

「苦にするな嵐のあとに日和あり」

木村氏が大切にしていた言葉として、もう一つ知られているのが次の言葉です。

苦にするな嵐のあとに日和あり

苦しいことがあっても、その後には穏やかな日が訪れるという意味を持つ言葉です。

「食細くして命永かれ」と合わせて見ると、木村氏の人生観には、身体をいたわる姿勢と、物事を深刻に受け止めすぎない前向きな考え方があったことがうかがえます。

【長寿の理由を検証】木村次郎右衛門の生活と京丹後市の長寿環境

116歳54日という記録を前にすると、誰もが「なぜ、そこまで長生きできたのか」と考えるでしょう。

木村氏の生活を振り返ると、いくつかの特徴が見えてきます。

1. 少食を心がけていた

木村氏の代表的な健康習慣は、食事を取り過ぎないことでした。

好き嫌いなく食べながら、量は自分で調節するという姿勢です。

食べる量を意識し、日常的に無理のない食習慣を続けていたことは、長寿の生活を考えるうえで興味深い点です。

2. 長年にわたって身体を動かしていた

郵便局を退職した後も90歳頃まで農業を続けていたことは、見逃せません。

日常的に身体を動かす仕事が長期間続いていたことは、木村氏の生活の大きな特徴です。

ただし、農作業だけが116歳まで生きた直接的な原因だったと断定することはできません。

3. 家族とのつながりがあった

晩年は孫の妻と暮らしていました。

家族が近くにいる生活は、日常的な見守りや安心感につながる可能性があります。

ダイヤモンド・オンラインの記事でも、木村氏の主治医が、丹後地域における親や祖父母との同居、家族同士の支え合いに言及したことが紹介されています。

4. 京丹後市という地域の背景

木村氏が暮らした京都府京丹後市は、長寿者が多い地域として知られています。

京丹後市では、京都府立医科大学と連携し、2017年度から京丹後長寿コホート研究に取り組んできました。

この研究では、地域の高齢者を対象に、健康アンケート、血液検査、CT、歩行速度、動脈硬化、腸内細菌など、2,000項目以上に及ぶ生活習慣や健康状態に関する調査が行われています。

地域の食文化や生活習慣と健康長寿との関係を医学的に調べる取り組みです。

京丹後の食生活では、豆類、ごま、海藻、野菜、魚、きのこ、芋類などの食材が重視されています。

こうした地域の食文化や、農業・漁業などを通じて身体を動かす暮らしは、長寿を考える際の重要な研究対象です。

ただし、地域の長寿傾向と木村氏個人の116歳という記録を、そのまま因果関係で結び付けることはできません。

木村氏の長寿から学べること

木村氏の生活を振り返ると、少食、規則正しい睡眠、長期間の身体活動、家族との生活、社会への関心という複数の特徴が重なっています。

長寿を一つの習慣だけで説明するのではなく、生活全体の積み重ねとして捉えることが大切です。

【よくある誤解を解消】木村次郎右衛門の年齢・記録・長寿の疑問

木村次郎右衛門について検索されることの多い疑問を整理します。

Q1:木村次郎右衛門の生年月日はいつですか?

A1:1897年(明治30年)4月19日です。京都府で生まれ、三宅家では金治郎と名付けられました。

Q2:木村次郎右衛門は何歳まで生きましたか?

A2:116歳54日です。2013年6月12日に亡くなりました。

Q3:木村次郎右衛門は2026年現在も世界最高齢ですか?

A3:本人は2013年に亡くなっています。ただし、男性の歴代最高齢記録保持者として、ギネス世界記録に現在も掲載されています。

Q4:木村次郎右衛門の長寿の秘訣は何ですか?

A4:少食、好き嫌いのない食事、規則正しい生活、90歳頃まで続けた農作業などが知られています。「食細くして命永かれ」という言葉も有名です。

Q5:木村次郎右衛門は郵便局で何年間働きましたか?

A5:20歳から65歳までの約45年間です。1962年に退職しました。

Q6:木村次郎右衛門の妻は誰ですか?

A6:木村八重です。歌手・三嶋一聲の妹として紹介されています。

Q7:木村次郎右衛門の男性最高齢記録は何歳ですか?

A7:116歳54日です。2012年12月28日にクリスチャン・モーテンセンの115歳252日を超え、男性の歴代最高齢となりました。

Q8:木村次郎右衛門は120歳まで生きましたか?

A8:いいえ。120歳を目標にしていたと伝えられていますが、実際には116歳54日で亡くなりました。

【プロの結論】木村次郎右衛門の116歳54日が現代に伝えるもの

木村次郎右衛門の人生を振り返ると、世界記録の数字以上に印象的なのは、日々の暮らしを長く大切にしていたことです。

1897年に生まれ、郵便局員として45年間働き、退職後も90歳頃まで農作業を続けました。晩年は家族と暮らし、新聞を読み、テレビで国会中継や大相撲を楽しんでいました。

その食生活は、ヨーグルトやサツマイモ、梅干し、牛乳など、身近な食品を中心としたものでした。

そして、人生の心得として残したのが「食細くして命永かれ」という言葉です。

木村氏の116歳54日という記録から学べるのは、特定の食品を食べれば長生きできるという単純な話ではありません。

食事の量を意識すること、日々の生活リズムを保つこと、身体を動かすこと、家族や社会とのつながりを持つこと。こうした生活の積み重ねに目を向けることが大切です。

また、京丹後市が長寿研究を継続していることからも分かるように、木村氏の人生は個人の記録にとどまらず、地域の健康長寿を考えるきっかけにもなっています。

116歳54日。

この数字は、明治から平成までを生き抜いた一人の男性が残した、世界の長寿史に刻まれる記録です。

「苦にするな嵐のあとに日和あり」という言葉とともに、木村次郎右衛門の生涯は、これからも長寿と人生のあり方を考える貴重な手がかりとして語り継がれていくでしょう。

主な根拠資料: ギネス世界記録の公式記録・訃報、講談社『日本人名大辞典+Plus』、京丹後市の長寿研究関連資料、ダイヤモンド・オンラインの生活習慣に関する記事、AFP通信の報道。

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コンテンツディレクター 土谷 雅人
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