阪神甲子園球場は、兵庫県西宮市甲子園町にある、日本を代表する歴史ある野球場です。阪神タイガースの本拠地として知られる一方、春と夏の全国高等学校野球選手権大会の舞台としても親しまれ、プロ野球と高校野球の両方に深く関わってきました。所有・管理・運営を担うのは阪神電気鉄道株式会社で、1924年8月1日の開場から2024年8月1日に100周年を迎え、2026年には開場102周年を数えています。
甲子園球場の魅力は、長い歴史だけではありません。黒土と天然芝のグラウンド、アルプススタンド、外壁を覆うツタ、伝統を受け継ぐスコアボードなど、独自の特徴が数多くあります。また、2017年5月5日から7日の対広島戦では、こどもの日に合わせた「ゴールデンウィークこどもまつり」で、日本人選手や審判員の名前をひらがなで表示する初の企画が実施されました。2026年現在の球場の姿や大銀傘の拡張計画も含め、その歴史と背景を詳しく解説します。
【まず基本】阪神甲子園球場の所在地・所有者・管理者はどこ?

阪神甲子園球場は、兵庫県西宮市甲子園町に位置する野球場です。阪神間を代表するスポーツ施設であり、阪神タイガースの本拠地として、また高校野球の全国大会の開催地として全国的に知られています。
正式な所在地とアクセス阪神甲子園球場の正式な所在地は、次のとおりです。
〒663-8152 兵庫県西宮市甲子園町1番82号
最寄り駅は阪神電気鉄道の甲子園駅です。駅から球場までは徒歩圏内で、プロ野球の公式戦や高校野球の開催日には、多くの観客が阪神電車を利用して訪れます。
球場が甲子園地区に建設された背景には、阪神電気鉄道による沿線開発構想がありました。単に野球を開催する施設を造るだけではなく、沿線への旅客誘致や地域の発展も視野に入れた事業だったのです。
所有・管理・運営は阪神電気鉄道株式会社阪神甲子園球場の所有者は、阪神電気鉄道株式会社です。同社の公式資料では球場の所有が明記されており、球場公式サイトの施設概要でも、球場管理を担う会社として阪神電気鉄道株式会社が記載されています。
また、阪神電気鉄道の公式ニュースリリースでは、同社が阪神甲子園球場を運営する事業主体として紹介されています。
ここで間違えやすいのが、阪神タイガースとの関係です。タイガースは甲子園球場を本拠地とするプロ野球球団ですが、球場そのものの所有者や管理者とは異なります。
つまり、球場の所有・施設管理・運営を担う阪神電気鉄道と、そこで主催試合を開催する阪神タイガースは、関係の深い存在でありながら役割が異なります。
【100年史】阪神甲子園球場はどのように誕生した?開場から現在までの歴史
阪神甲子園球場の歴史は、1923年に始まります。当時、全国規模の野球大会の人気が高まるなか、従来の鳴尾球場では高校野球の観客を収容しきれなくなっていました。
そこで阪神電気鉄道の三崎省三専務らが中心となり、大規模な野球場の建設を推進します。
1924年に「甲子園大運動場」として開場1923年11月28日に球場建設が決定し、1924年3月11日に起工式が行われました。建設地には、武庫川下流にあった枝川と申川の改修によって生まれた土地が活用されました。
そして、1924年8月1日、ついに竣工式が開催されます。球場は「甲子園大運動場」と命名され、阪神間の小学校から集まった約2,500人の児童による体育大会も行われました。
ちなみに「甲子園」という名称は、1924年が十干十二支の組み合わせで「甲子」に当たる年だったことに由来します。「甲」と「子」はそれぞれ十干と十二支の最初に位置する文字で、縁起のよい組み合わせとされました。
つまり、甲子園という名前は、最初から野球にちなんで付けられたものではありません。開場した年の干支が、そのまま地域と球場の名称になったのです。
高校野球と阪神タイガースが歴史を築く開場から間もない1924年8月13日には、第10回全国中等学校優勝野球大会が開催されました。現在の全国高等学校野球選手権大会につながる大会です。
1925年には選抜大会も開催され、春と夏の高校野球が甲子園に定着していきました。
一方、1935年12月10日には大阪野球倶楽部、通称・大阪タイガースが誕生します。これが現在の阪神タイガースです。翌1936年には球団の結成記念試合が行われ、甲子園とタイガースの結び付きも深まっていきました。
1929年にはアルプススタンドが建設され、1931年には内野からアルプススタンドまで屋根を覆う大鉄傘が完成。球場は野球場としての機能だけでなく、大規模なスポーツ観戦施設として発展しました。
戦争による変化と戦後の復活戦争は甲子園球場にも大きな影響を与えました。1943年には金属供出によって大鉄傘が取り外され、1945年の西宮大空襲では球場も被害を受けます。同年10月にはアメリカ軍に接収されました。
1947年1月にグラウンドとスタンドの接収が解除されると、同年3月には選抜大会、8月には夏の大会が復活します。高校野球の聖地としての歩みが再び始まりました。
1951年には内野スタンドに銀傘が復活。1956年にはナイター設備が完成し、同年5月12日の阪神対巨人戦で初めてナイター試合が開催されました。
球場名の変更と大規模リニューアル1964年2月14日、正式名称が「甲子園球場」から「阪神甲子園球場」に変更されます。
その後も時代に合わせて改修が続き、1991年には1947年に設置されたラッキーゾーンが撤去されました。2007年10月には大規模リニューアル工事が始まり、2010年3月に全体工事が完了しています。
この改修では歴史と伝統の継承、安全性の向上、快適性の改善が重視されました。2009年にはツタの再植樹や銀傘の架け替えも行われ、2019年にはスコアボードが一面化・大型化されています。
【球場の特徴】黒土・天然芝・アルプススタンド・銀傘の魅力
阪神甲子園球場を訪れた人が印象に残るのは、グラウンドの美しさと独特のスタンド構造です。歴史的な外観を残しながら、設備面では現代のスポーツ施設として改良が続けられています。
黒土と白砂を組み合わせたグラウンド甲子園のグラウンドを象徴するのが、内野の黒土と白砂です。
球場建設時、阪神間の土は白っぽく、野球のボールが見えにくいという問題がありました。そこで各地の土を取り寄せて検討し、熊内の黒土に淡路島の赤土を混ぜるなど、土の色や粘り具合を調整する工夫が行われました。
現在も黒土と白砂のブレンドは、グラウンドキーパーの経験と技術によって管理されています。雨天後の状態や選手のプレーへの影響も考慮しながら、日々の整備が続けられています。
外野を彩る天然芝甲子園球場は天然芝を採用していることでも有名です。開場当初のグラウンドは全面が土でしたが、1928年から1929年にかけて外野に芝生が張られました。
さらに1982年からは、ティフトンをベースにペレニアル・ライグラスを重ねる芝の二毛作が実現。季節に合わせて芝を維持する仕組みが整えられました。
天然芝は見た目の美しさだけではなく、選手がプレーする環境や地球環境にも関わる重要な要素です。散水、除草、施肥、刈り込みなど、継続的な管理によって甲子園らしい緑のグラウンドが保たれています。
アルプススタンドと外壁のツタ甲子園の名物として知られるアルプススタンドは、1929年に建設されました。その名称は、漫画家・岡本一平が新聞に掲載したイラストに由来します。高くそびえる観客席をアルプスの山並みにたとえた表現が、現在まで定着しました。
もう一つの象徴が、球場外壁を覆うツタです。1924年12月、コンクリートだけの壁面を緑化するために植えられました。
2006年のリニューアル工事では一度伐採されましたが、歴史と伝統を継承するために再生事業が進められ、2009年3月に再植樹が完了しています。
阪神甲子園球場の基本スペック球場公式サイトの施設概要に掲載されている主な数値は次のとおりです。
- 収容人員:47,359人
- 内野収容人員:28,356人
- 外野収容人員:19,003人
- グラウンド面積:約13,000平方メートル
- 総面積:約38,500平方メートル
- 本塁から中堅:118メートル
- 本塁から両翼:95メートル
なお、47,359人は施設概要に記載された収容人員であり、実際の入場券発売数は開催試合や席種によって変わります。
【関係図・年表】阪神電鉄・阪神タイガース・高校野球と甲子園球場の関係
甲子園球場を正しく理解するには、球場の所有者、プロ野球球団、高校野球大会の関係を整理することが大切です。それぞれが異なる役割を担いながら、100年以上にわたって甲子園の歴史を築いてきました。
主要な関係者と歴史的な転換点| 時期 | 主体・出来事 | 甲子園球場との関係 |
|---|---|---|
| 1923年 | 阪神電気鉄道 | 球場建設を決定し、沿線開発の一環として事業を推進。 |
| 1924年 | 甲子園大運動場 | 8月1日に開場。現在の阪神甲子園球場の原点。 |
| 1935年 | 大阪野球倶楽部 | 現在の阪神タイガースの前身となる球団が誕生。 |
| 1936年以降 | 阪神タイガース | 甲子園を舞台にプロ野球の歴史を築く。 |
| 1947年 | 高校野球大会 | 戦後に春・夏の大会が復活し、聖地としての役割を再開。 |
| 1964年 | 阪神電気鉄道 | 球場の正式名称を阪神甲子園球場に変更。 |
| 2007~2010年 | 球場リニューアル | 安全性や快適性を高め、ツタや銀傘などの伝統も継承。 |
| 2017年 | 阪神タイガース | こどもまつりで選手名・審判名のひらがな表示を初実施。 |
| 2024年 | 阪神甲子園球場 | 8月1日に開場100周年を迎える。 |
| 2025~2028年予定 | 阪神電気鉄道・大林組 | アルプススタンドへの銀傘拡張工事を進める。 |
阪神電気鉄道株式会社:球場の所有・管理・運営を担う事業主体です。球場施設の維持や改修、観戦環境の改善などに関わっています。
株式会社阪神タイガース:プロ野球球団の運営主体です。一軍の本拠地として阪神甲子園球場を使用し、公式戦やファン向けイベントを開催しています。
高校野球関係者:春の選抜高等学校野球大会、夏の全国高等学校野球選手権大会を通じて、甲子園の歴史を支えてきた重要な存在です。
阪神甲子園球場:これらの活動を受け入れる施設であり、プロ野球、高校野球、アメリカンフットボールの甲子園ボウル、コンサートなど、幅広いイベントの舞台となっています。
この関係を理解すると、甲子園球場が単なる阪神タイガースの本拠地ではなく、鉄道会社が長期的に維持・発展させてきた地域のスポーツ文化の拠点であることが分かります。
【こどもの日企画】甲子園球場で選手名や審判名をひらがな表示する理由とは?
阪神甲子園球場には、野球ファンの間でも印象的な企画があります。それが、ゴールデンウィークの「こどもまつり」で実施される、スコアボードの選手名をひらがなで表示するサービスです。
普段は漢字やカタカナで表示される選手名が、期間限定でひらがなになるため、初めて見た人には少し不思議に感じられる可能性があります。
2017年5月5日~7日の広島戦で甲子園史上初の試みこの企画が初めて実施されたのは、2017年5月5日(金・祝)から7日(日)までの対広島東洋カープ3連戦です。
阪神タイガースが開催した「ゴールデンウィークこどもまつり」の特別演出として導入されました。
球団公式ニュースでは、来場した子どもたちに活躍した選手の名前を少しでも見やすく、覚えやすくしてもらうことが企画の目的として紹介されています。
つまり、選手名をひらがなにした理由は、子どもたちに野球選手をより身近に感じてもらうためです。
日本人選手と審判員はひらがな、外国人選手はカタカナ2017年の初回企画では、日本人選手の名前だけでなく、審判員の名前もひらがなで表示されました。一方、外国人選手については通常と同じカタカナ表記が採用されています。
この違いは、選手や審判の名前をすべて同じ文字種に統一することが目的ではなく、日本人選手の漢字表記を子どもたちが読みやすい形にする企画だったことを示しています。
また、選手名だけでなく審判員の名前も対象になった点は、試合に関わる人々を子どもたちに分かりやすく伝えるという、こどもまつりらしい工夫でした。
2018年以降も恒例企画として継続2017年の反響を受け、選手名のひらがな表示は翌2018年以降もゴールデンウィークのこどもまつりで継続されました。
阪神タイガースの公式発表をたどると、2018年には前年に話題となった企画として再実施が案内され、2023年にも5月2日から4日の対中日戦で実施されています。
さらに2024年は、4月26日から28日の対東京ヤクルトスワローズ戦で開催されました。こどもまつりのビジョン演出では、選手名のひらがな表示に加えて、選手の子どものころの習い事を紹介する企画も行われています。
なお、2020年は新型コロナウイルス感染拡大に伴う公式戦開幕延期の影響で実施されませんでした。2021年は無観客開催という状況でも、企画が実施されています。
ひらがな表示は公式の選手名が変わったという意味ではないここで押さえておきたいのは、ひらがな表記が選手の正式名称や登録名を変更するものではないという点です。
あくまでゴールデンウィークこどもまつりの期間に限って、球場のスコアボードで行われる特別な表示演出です。通常の試合で使用される選手名表記とは異なります。
また、こどもの日当日だけに必ず実施されるわけでもありません。対象日は開催年の主催試合の日程に合わせて設定されるため、5月5日以外のゴールデンウィーク期間に実施される場合もあります。
この企画の本質は、漢字をひらがなに置き換えることそのものではなく、子どもたちが野球の試合を理解し、選手の名前を覚え、応援を楽しむきっかけをつくることにあります。
【2026年現在】阪神甲子園球場はどう変わる?100周年後の大銀傘プロジェクト
2024年8月1日に開場100周年を迎えた阪神甲子園球場は、2026年現在も新たな設備整備を進めています。なかでも大きな注目を集めているのが、アルプススタンドまで銀傘を拡張する「大銀傘プロジェクト」です。
100周年記念事業「KOSHIEN CLASSIC」阪神甲子園球場は、2022年8月から2024年12月まで、開場100周年記念事業を展開しました。
記念事業のコンセプトは「KOSHIEN CLASSIC ~感謝を、伝統を、次の100年へ~」です。
2024年には球場正面の記念装飾や100周年記念イベント、少年少女200人による100球ファーストピッチなど、節目を祝う取り組みが行われました。
また、2024年3月には、スコアボードで使用されてきた伝統的な書体を受け継ぐ「甲子園フォント」の制作も発表されました。長く親しまれてきた球場独自の文字文化をデジタルフォントとして残す試みです。
戦前の大鉄傘を復活させる銀傘拡張計画大銀傘プロジェクトの背景には、戦前の球場に存在した大鉄傘の歴史があります。
1931年にはアルプススタンドまで屋根が延び、内野からアルプスにかけて観客席を覆っていました。しかし、1943年に太平洋戦争下の金属供出によって取り外されてしまいます。
戦後は内野スタンドに銀傘が復活し、改修によって段階的に規模や構造が進化してきました。今回の計画では、現在の銀傘をアルプススタンドまで拡張し、かつての大鉄傘に連なる屋根を再び実現することを目指しています。
目的は、特に高校野球の応援団が集まるアルプススタンドの観戦環境を改善することです。歴史的な景観を継承しながら、暑さや日差しへの対策を含めた快適性の向上を図ります。
2026年11月現在の工事状況と完成予定阪神甲子園球場の公式プロジェクト情報によると、拡張工事は2025年10月から本格的に始まり、2028年3月の完成を予定しています。
2025年10月から2026年3月までは、銀傘を支える基礎・躯体工事として杭の打設などが進められました。
2026年11月から2027年3月にかけては、建屋・内装工事を行う予定です。照明塔の撤去や仮設照明の設置も計画されています。
さらに2027年11月から2028年3月には、銀傘の架設や照明設備の設置、外構・内装工事を進め、竣工する予定です。
2026年10月21日には、阪神電気鉄道株式会社や設計・施工を担当する大林組などの関係者が参加し、本体工事の安全祈願祭が行われました。球場公式の大銀傘プロジェクト特設サイトでも、同月23日に工事進捗が公表されています。
つまり、2026年11月現在の甲子園は、100周年を終えた完成形ではなく、次の100年に向けた大規模な進化の途中にあります。
なお、工事期間中は球場外周の一部で通行規制が行われます。2026年10月26日から2027年3月11日までは、1塁側・3塁側の外周が通行止めとなる予定です。観戦やイベント参加で訪れる場合は、球場公式の最新案内を確認する必要があります。
【よくある誤解】阪神甲子園球場について知っておきたいポイント
甲子園は野球だけを開催するために造られた球場ではない甲子園球場は高校野球やプロ野球のイメージが強いものの、開場当初から野球以外のスポーツも楽しめる施設として設計されていました。
その歴史を象徴する出来事が、1938年1月9日に開催された全日本選抜スキー・ジャンプ甲子園大会です。外野スタンドに木造のやぐらを設け、新潟県などから雪を運び込んで競技を実施しました。
こうした記録からも、甲子園が多目的なスポーツ施設として構想されたことが分かります。
阪神タイガースが球場を所有しているわけではない阪神タイガースは甲子園球場を本拠地として使用していますが、球場の所有者は阪神電気鉄道株式会社です。
球団のホームスタジアムであることと、施設そのものの所有権は別の問題です。球場の管理や改修について調べる場合は、阪神電気鉄道や阪神甲子園球場の公式発表を確認すると整理しやすくなります。
ひらがな表示は常時実施されるサービスではない選手名のひらがな表示は、こどもまつりに合わせて実施される期間限定の企画です。通常の公式戦すべてで行われるわけではありません。
また、毎年の開催日程や演出内容は変わります。過去の5月5日から7日という日程を、そのまま翌年以降の開催日と考えないようにしましょう。
【阪神甲子園球場】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:阪神甲子園球場の所在地はどこですか?
A1:兵庫県西宮市甲子園町1番82号です。最寄り駅は阪神電気鉄道の甲子園駅で、駅から徒歩でアクセスできます。
Q2:阪神甲子園球場の所有者・管理者は誰ですか?
A2:所有者は阪神電気鉄道株式会社です。同社が球場の管理・運営も担っています。阪神タイガースは球場を本拠地として使用するプロ野球球団です。
Q3:阪神甲子園球場はいつ100周年を迎えましたか?
A3:2024年8月1日です。1924年8月1日に甲子園大運動場として開場し、2026年には開場102周年を迎えています。
Q4:甲子園球場で選手名をひらがな表示するのはなぜですか?
A4:ゴールデンウィークこどもまつりの企画で、来場した子どもたちが選手の名前を読みやすく、覚えやすくするためです。2017年5月5日から7日の対広島戦で初めて実施されました。
Q5:審判員の名前もひらがなで表示されますか?
A5:2017年の初回企画では、日本人選手とともに審判員の名前もひらがなで表示されました。外国人選手は通常どおりカタカナ表記でした。
Q6:阪神甲子園球場の銀傘拡張工事はいつ完成しますか?
A6:アルプススタンドまで銀傘を拡張する工事は、2025年10月に本格着工し、2028年3月の竣工を予定しています。2026年11月現在も工事が進められています。
阪神甲子園球場は、1924年8月1日に「甲子園大運動場」として誕生して以来、プロ野球と高校野球の歴史を支えてきた日本を代表するスポーツ施設です。
兵庫県西宮市甲子園町に位置し、阪神電気鉄道株式会社が所有・管理・運営を担っています。黒土と天然芝、アルプススタンド、ツタに覆われた外壁、銀傘など、長い年月をかけて育まれた特徴が現在も受け継がれています。
また、2017年のゴールデンウィークこどもまつりで始まった選手名・審判名のひらがな表示は、子どもたちに野球を身近に感じてもらうための工夫でした。球場の伝統を守るだけでなく、新しい世代にも野球の楽しさを伝える取り組みとして、甲子園らしい魅力を持っています。
2024年の開場100周年を経て、2026年現在はアルプススタンドまで銀傘を広げる大規模プロジェクトが進行中です。2028年3月の完成に向けて、観戦環境と歴史的景観の両立が目指されています。
甲子園球場を理解するうえで大切なのは、単に阪神タイガースの本拠地や高校野球の開催地として見るのではなく、地域、鉄道、スポーツ、文化が一体となって育ててきた施設として捉えることです。100年を超えても進化を続ける甲子園は、これからの世代にも受け継がれていく日本野球の象徴です。