ベーブ・ルースがヤンキー・スタジアムに姿を見せた最後の日は、1948年6月13日です。
この日は、スタジアム開場25周年を記念する式典が開催され、ルースの背番号「3」が永久欠番に指定されました。
当時すでに重い病気を抱えていたルースでしたが、かつて自分が活躍した球場に再び姿を現し、ヤンキースのユニフォームを着て式典に参加しました。
MLB公式映像の記録によれば、当日の観客は49,641人。背番号3の永久欠番を祝うこの日が、彼のヤンキー・スタジアム最後の登場となりました。
「The Babe Bows Out」に残された最後の姿この日の姿を象徴する写真が、写真家ナット・ファインによる「The Babe Bows Out」です。
写真には、背番号3のユニフォームを着たルースが後ろ姿で写っています。
正面からではなく、背番号を中心に捉えた構図が、野球界を代表するスター選手の別れを象徴する作品として知られるようになりました。
この写真は1948年6月14日付の新聞に掲載され、後にピューリッツァー賞を受賞しています。アメリカ野球研究協会(SABR)も、この写真と最後の登場を詳しく記録しています。
アメリカ野球殿堂に残るベーブ・ルースの功績- 生年月日:1895年2月6日
- 出身地:アメリカ・メリーランド州ボルティモア
- MLB通算本塁打:714本
- アメリカ野球殿堂:1936年の最初の選出者5人の一人
- 死亡年月日:1948年8月16日
- 享年:53歳
ルースは1936年、アメリカ野球殿堂の最初の選出者5人の一人に選ばれました。
1920年から1934年までヤンキースでプレーし、714本の通算本塁打を記録。1927年にはシーズン60本塁打を達成しています。
彼の存在は、野球を投手中心の競技から強打者のホームランが観客を魅了する競技へと変えていく時代の象徴でもありました。
【誤解を検証】ベーブ・ルースの死因と闘病をめぐる3つの疑問

ベーブ・ルースの最期には、死亡原因だけでなく、がんの診断時期や本人への告知など、混同されやすい論点があります。
2024年の医学論文と米国国立公文書館の歴史記事を照らし合わせると、次のように整理できます。
誤解1:肺炎だけで亡くなった?肺炎は死亡直前の病状を説明する重要な要素です。しかし、死後の病理解剖では上咽頭がんの広範な転移が確認されています。
したがって、肺炎だけを死因として扱うと、約2年間にわたる闘病と全身へのがんの進行が見えなくなります。
誤解2:がんの診断は本当に1946年だった?一般的な紹介では1946年にがんが発見されたと説明されています。
ただし、医学論文の詳細な経過では、1946年9月に症状が始まり、11月に入院、1947年1月6日の手術で採取した組織の検査によってがんが確認されています。
つまり、1946年は病気の発症と発見に至る経緯、1947年1月は病理検査による確認という違いがあります。
誤解3:本人は自分ががんだと知らなかった?これは現在も興味深い歴史的論点です。
1940年代は、患者本人にがんの診断を伝えず、家族に説明する医療慣行が珍しくありませんでした。
医学論文によれば、ルースの妻は本人が正式に告知されていなかったと説明しています。一方で、本人が実験的な抗がん剤治療の意味を理解していたことや、メモリアル病院への入院時の反応などから、自分の病状を察していた可能性も指摘されています。
加えて、当時の新聞報道は、死亡直前の1948年8月12日になっても病状を「喉の疾患」と表現していました。がんとの闘いが広く報じられたのは、死亡翌日の8月17日以降です。
この経緯からは、当時の医療における患者への情報開示と、著名人の病状を報じるメディアの姿勢という二つの問題も読み取れます。
【ベーブ・ルースの死因】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:ベーブ・ルースは何歳で亡くなりましたか?
A1:1948年8月16日に53歳で亡くなりました。1895年2月6日に生まれ、最期はニューヨークのメモリアル病院で迎えています。
Q2:ベーブ・ルースの死因は肺炎と上咽頭がんのどちらですか?
A2:死亡直前には肺炎を伴う呼吸状態の悪化があったと報告されています。一方、死後の病理解剖では、原発巣が上咽頭にある悪性腫瘍と、肝臓・肺・骨髄・副腎への転移が確認されました。肺炎と転移性上咽頭がんは、直接的な死亡時の病状と、その根本にあった病気という違いがあります。
Q3:ベーブ・ルースはどのようながん治療を受けましたか?
A3:1947年に頭部と首への放射線治療を受けたほか、同年6月から実験的な抗がん剤テロプテリンを使用しました。一時的に腫瘤が消失するなどの改善が見られましたが、1948年に再発し、追加の放射線治療を受けました。
ベーブ・ルースは、1948年8月16日、53歳で亡くなりました。
その最期を理解するうえで押さえておきたい事実は、次の3点です。
1. 直接的な死の経過は肺炎。 死亡直前には発熱や低酸素状態など、深刻な症状が現れていました。
2. 根本にあった病気は転移性上咽頭がん。 死後の病理解剖によって、肝臓、肺、骨髄、副腎などへの転移が確認されました。
3. 1947年の実験的治療では一時的な改善があった。 放射線治療とテロプテリンによって症状が軽減したものの、翌年に再発しました。
特に注目すべきなのは、彼が当時の実験的な抗がん剤治療に協力し、その経験が医学研究の記録に残されたことです。
米国国立公文書館の2024年公開記事は、ルースの人生と野球界への影響を振り返っています。また、2023年にオンライン公開された医学論文は、彼の病気の経過、治療内容、死後の病理解剖を医学的な観点から詳しく検証しています。
ホームラン714本という偉大な記録だけでは語り尽くせないベーブ・ルースの人生。最後の闘病にも、当時の医学が直面していた課題と、その後のがん治療につながる研究の歴史が刻まれています。
彼の死因を「肺炎」あるいは「がん」の一言だけで捉えるのではなく、肺炎という最期の病状と、全身に転移した上咽頭がんという根本疾患の両面から理解することが、歴史的事実に即した答えです。