庄司永建(しょうじ・えいけん)は、テレビドラマ『西部警察』の二宮武士捜査係長役をはじめ、映画や時代劇など幅広い作品で活躍した日本の俳優です。1923年7月6日に山形県新庄市で生まれ、上智大学を卒業。1948年に俳優としての活動を始め、2015年9月15日に92歳で亡くなりました。
本名は庄司永建(しょうじ・ながたけ)。フリーアナウンサーの庄司麻由里の父としても知られています。2007年2月には長年連れ添った妻を胃がんで亡くし、その後も俳優活動や故郷・山形の文化を伝える活動を続けました。2014年には娘とともに『爆報!THE フライデー』にVTR出演したことも話題になりました。
【基本プロフィール】庄司永建の読み方・本名・生年月日・出身地は?

庄司永建は、映画やテレビドラマで長年活躍した俳優です。名前の読み方については、芸名と本名で異なるため、検索時に混乱する人も少なくありません。
俳優としての名前は庄司永建(しょうじ・えいけん)。一方、本名も漢字では同じ庄司永建ですが、読み方はしょうじ・ながたけです。
つまり、別の漢字の本名を使っていたわけではなく、同じ表記に異なる読み方が存在します。訃報を伝えたスポーツニッポンや日刊スポーツも、俳優名を「しょうじ・えいけん」、本名を「ながたけ」と紹介しています。
| 項目 | プロフィール |
|---|---|
| 俳優名 | 庄司永建 |
| 俳優名の読み方 | しょうじ・えいけん |
| 本名 | 庄司永建 |
| 本名の読み方 | しょうじ・ながたけ |
| 生年月日 | 1923年7月6日 |
| 出身地 | 山形県新庄市 |
| 学歴 | 上智大学卒業 |
| 職業 | 俳優 |
| 主な活動期間 | 1948年~2015年 |
| 没年月日 | 2015年9月15日 |
| 没年齢 | 92歳 |
| 娘 | フリーアナウンサー・庄司麻由里 |
庄司永建の出身地は山形県新庄市です。
故郷とのつながりは、単なる出生地という関係にとどまりません。俳優として東京を中心に活動する一方、晩年には山形の民話を語り継ぐ活動にも取り組みました。
新庄市の広報誌によると、庄司は俳優業のほか、新庄市を首都圏でPRする「新庄藩江戸家老」の筆頭家老を務め、最上地域の出身者による交流団体などでも活動していました。
2014年には、地域文化の振興に貢献した功績が認められ、新庄市から教育・文化分野の市表彰を受けています。
学歴は上智大学卒業庄司永建の学歴については、上智大学卒業と紹介されています。人物紹介資料では、上智大学文学部新聞学科を卒業したとの情報も掲載されています。
大学卒業後は、民衆芸術劇場附属養成所を経て劇団民藝に入り、俳優の道へ進みました。
学業を経て演劇の世界に進み、その後は映画会社の作品やテレビドラマに出演していくという経歴は、戦後の日本の俳優文化が形成されていく時代背景とも重なります。
【経歴・年表】上智大学卒業から劇団民藝、『西部警察』までの歩み
庄司永建の俳優人生は、1948年の劇団民藝への参加から始まります。映画、舞台、テレビドラマと活動の場を広げ、1970年代後半からは刑事ドラマで広く知られるようになりました。
主な経歴を時系列で整理すると、次のようになります。
| 年月・年代 | 出来事 | 内容・意義 |
|---|---|---|
| 1923年7月6日 | 誕生 | 山形県新庄市に生まれる |
| 大学時代 | 上智大学 | 大学を卒業し、演劇の道へ進む |
| 1948年 | 俳優デビュー | 民衆芸術劇場附属養成所を経て劇団民藝に入る |
| 1950~1960年代 | 映画出演 | 『ここに泉あり』『あいつと私』『黒部の太陽』などに出演 |
| 1970年 | 劇団民藝を退団 | フリーとして活動を開始 |
| 1979年~ | 『西部警察』 | 二宮武士捜査係長役で知名度を高める |
| 1983年 | 『特捜最前線』 | 第343話「汚職官僚の妻!」に出演 |
| 1989年 | 『水戸黄門』第18部 | 第27話で幸右衛門を演じる |
| 2007年2月 | 妻との死別 | 長年連れ添った妻を胃がんで亡くす |
| 2012年 | 『平清盛』 | 80代後半でも大河ドラマに出演 |
| 2014年 | 新庄市表彰・テレビ出演 | 教育・文化分野で表彰。娘との番組出演も記録される |
| 2015年9月15日 | 死去 | 膵臓がんのため92歳で亡くなる |
1948年、庄司は民衆芸術劇場附属養成所を経て劇団民藝に入りました。これが本格的な俳優活動の出発点です。
劇団での経験を積みながら映画にも出演し、1950年代から1960年代にかけて着実にキャリアを築いていきます。
1970年には劇団民藝を退団し、フリーの俳優として活動するようになりました。その後は映画会社の作品に加え、テレビの連続ドラマや時代劇にも出演する機会を広げています。
故郷・山形との関係を生涯にわたって維持庄司の経歴で見逃せないのが、俳優業と並行して続けた地域文化への貢献です。
新庄市の2014年の広報資料では、庄司は山形を代表する民話の語り部として「民話のふるさと新庄」を全国に発信し、地域文化の振興に尽力した人物として紹介されています。
俳優として東京で活動しながら、故郷の文化を伝える役割も担っていた点に、庄司の人物像の特徴があります。
【出演作品一覧】『西部警察』『特捜最前線』『水戸黄門』の役柄を解説
庄司永建の出演作品は、刑事ドラマ、時代劇、映画、大河ドラマなど多岐にわたります。
なかでも広く知られているのが『西部警察』の二宮武士捜査係長役です。ただし、庄司の俳優人生をこの一作だけで捉えると、長年にわたる幅広い活動を見落としてしまいます。
『西部警察』二宮武士捜査係長役庄司の代表作として最初に挙げられるのが、テレビ朝日系の刑事ドラマ『西部警察』シリーズです。
演じたのは、捜査係長の二宮武士警部補。石原裕次郎演じる大門圭介を中心とする捜査陣の一員として登場しました。
『西部警察』は激しいアクションや大規模な捜査シーンで知られる作品ですが、庄司が演じた二宮係長は、組織の中間管理職としての存在感を持つ人物でした。
作品の紹介資料でも、庄司は二宮係長役とともに、印象的な台詞「どうにかならんのかね、大門くぅ~ん」で知られる俳優として紹介されています。
渡哲也や舘ひろしらが出演した同シリーズで、物語に違った温度感を与える役柄を担ったことが、長く記憶される理由の一つです。
『特捜最前線』第343話「汚職官僚の妻!」庄司は1983年放送の刑事ドラマ『特捜最前線』にも出演しています。
出演したのは第343話「汚職官僚の妻!」。役柄は小杉弁護士です。
同作は警視庁特命捜査課を舞台に、社会問題や人間関係が絡む事件を描いた刑事ドラマです。『西部警察』とは異なる作品世界でも、庄司はゲスト出演者として物語を支えました。
一話ごとに異なる人物や事件を描く刑事ドラマでは、限られた登場時間で人物像を伝える演技が大切です。庄司のように舞台と映画を経験した俳優が、脇役として多くの作品に呼ばれた背景には、こうした演技の蓄積がありました。
『水戸黄門』第18部では幸右衛門役時代劇での出演作として押さえておきたいのが、TBS系『水戸黄門』第18部です。
庄司は1989年の第27話「妻が守った夫の武士道―掛川―」に幸右衛門役で出演しました。
TBSチャンネルの公式番組情報によると、このエピソードは掛川を舞台に、山内一豊の妻の逸話を背景として、人のよい侍とその妻をめぐる物語が展開します。
庄司が演じた幸右衛門は、妻に支えられながら生きる侍です。『西部警察』の捜査係長とは異なる時代劇の人物を演じており、同じ俳優が作品ごとに違う顔を見せていたことが分かります。
映画・ドラマの代表的な出演作品映画情報データベースのallcinemaや映画.comなどに掲載された出演記録から、代表的な作品を整理すると以下のようになります。
主な映画出演作
- 『足摺岬』(1954年)
- 『ここに泉あり』(1955年)
- 『裸女と拳銃』(1957年)
- 『その壁を砕け』(1959年)
- 『あした晴れるか』(1960年)
- 『あいつと私』(1961年)
- 『帝銀事件 死刑囚』(1964年)
- 『日本列島』(1965年)
- 『黒部の太陽』(1968年)
- 『釣り人の詩』(1978年)
- 『ミンボーの女』(1992年)
- 『駅伝』(2000年)
主なテレビドラマ出演作
- 『花の生涯』(1963年)
- 『西部警察』(1979年~1982年)
- 『西部警察 PART II』(1982年~1983年)
- 『松本清張のゼロの焦点』(1983年)
- 『西田敏行の泣いてたまるか』(1986年~1987年)
- 『水戸黄門』第18部(1989年)
- 『君と出逢ってから』(1996年)
- 『33分探偵』(2008年)
- 『コード・ブルー-ドクターヘリ緊急救命-』(2008年)
- 『特上カバチ!!』(2010年)
- 『平清盛』(2012年)
- 『Woman』(2013年)
これらは確認できる代表的な出演記録であり、全出演作品を網羅したリストではありません。長い活動期間を考えると、作品データベースに掲載されていない舞台や単発出演なども含め、俳優としての仕事はさらに広がっていました。
【家族・妻・娘】庄司麻由里との親子共演と2007年の別れ
庄司永建の家族について検索する人が多い理由の一つは、娘がフリーアナウンサーとして知られる庄司麻由里だからです。
また、2007年に妻を亡くしたことや、晩年に娘とテレビ番組へ出演したことも、庄司の人生を振り返るうえで重要な出来事です。
娘はフリーアナウンサーの庄司麻由里庄司永建の娘は、フリーアナウンサーの庄司麻由里(しょうじ・まゆり)です。
庄司麻由里の公式プロフィールによると、1961年12月29日生まれ。TBSのドラマ『家族ゲーム』で女優としてデビューし、その後、アナウンサーへ転向しました。
1989年にはNHK衛星放送のキャスターに選ばれ、テレビやラジオでリポーター、司会者、キャスターとして活動しています。
特に知られているのが、TBSの情報番組『はなまるマーケット』です。1996年の番組開始当初から2014年3月の最終回まで、約17年半にわたって「はなまるアナ」を務めました。
父親が俳優、娘がアナウンサーという異なるメディア分野での活動は、庄司家の特徴的なつながりです。
2014年『爆報!THE フライデー』で親子共演庄司永建と庄司麻由里の親子関係を知るきっかけとして挙げられるのが、TBSのバラエティー番組『爆報!THE フライデー』です。
経歴資料では、庄司は2014年11月に娘の麻由里とともにVTR出演したと紹介されています。番組では、当時90代を迎えていた庄司の元気な姿が取り上げられました。
放送日については、庄司麻由里のテレビ出演記録を掲載するORICONでは2014年11月14日の放送として記録されています。一部の人物紹介では11月15日と記載されていますが、番組出演記録に基づけば11月14日が確認できる日付です。
この親子共演は、ドラマで父娘役を演じたという意味ではありません。実の父と娘が番組のVTRに一緒に登場したものです。
90歳を超えても元気な姿を見せていた庄司にとって、この番組出演は、俳優としての過去だけでなく、家族との関係を知る機会にもなりました。
妻は2007年2月に胃がんで死去庄司永建の私生活で大きな転機となったのが、2007年2月の妻との死別です。
人物紹介資料によると、庄司は長年連れ添った妻を胃がんで亡くしました。
妻の名前や詳しい結婚時期、闘病生活の詳細などについては、広く公表された情報が限られています。そのため、家族の私生活をめぐる具体的なエピソードを必要以上に付け加えることはできません。
ただ、妻との別れから約7年後の2014年にも、庄司がテレビ番組に出演して元気な姿を見せていたことは、記録に残っています。
なお、妻の死因と庄司本人の死因は異なります。妻は胃がん、庄司本人は膵臓がんです。この違いは、ネット検索で情報を調べる際にも注意したい点です。
【晩年・死因・没年月日】庄司永建は2015年9月15日に92歳で死去
庄司永建は、2015年9月15日に亡くなりました。死因は膵臓がんで、享年92歳です。
2015年9月16日の日刊スポーツ、翌17日のスポーツニッポンなどが訃報を報じています。東京都世田谷区の病院で亡くなったことも伝えられました。
妻の胃がんと本人の膵臓がんは別の出来事庄司永建の死因について、特に混同しやすいのが妻の病気との違いです。
2007年2月に亡くなった妻の死因は胃がんとされます。一方、2015年9月15日に亡くなった庄司本人の死因は膵臓がんです。
訃報を掲載した日刊スポーツとスポーツニッポンの両紙も、本人の死因を膵臓がんと報じています。
したがって、庄司永建の死因を胃がんとする情報は、妻の病歴との混同に注意が必要です。
亡くなるまで故郷・新庄との関係を大切にした庄司は晩年も、俳優としての活動だけでなく、山形県新庄市の地域文化に関わり続けました。
新庄市が2015年に発行した広報誌の追悼記事では、庄司について、ドラマ『西部警察』や映画『ミンボーの女』などで活躍した俳優として紹介しています。
加えて、民話の語り部として地域文化の伝承に努めたことや、新庄市のPR活動に携わったことも記されています。
2014年には教育・文化分野の市表彰を受けており、俳優としての実績だけでなく、故郷への貢献も評価されていました。
92歳で亡くなるまで、俳優として培った表現力を地域文化の伝承にも生かしていたことは、庄司の人生を理解するうえで欠かせない要素です。
【2026年に振り返る】庄司永建について知っておきたい事実と誤解
庄司永建について調べると、名前の読み方、妻の死因、本人の死因、娘とのテレビ出演など、複数の情報が検索結果に並びます。
特に、同じ漢字で異なる読み方を持つ本名と俳優名、そして妻と本人の病歴は、正しく整理しておきたい情報です。
誤解されやすいポイントを整理- 「えいけん」と「ながたけ」は別人ではない:俳優名と本名の読み方の違いです。
- 本人の死因は胃がんではない:胃がんで亡くなったのは妻で、庄司本人は膵臓がんでした。
- 『爆報!THE フライデー』はドラマ共演ではない:娘の庄司麻由里とVTR出演したものです。
- 『西部警察』だけが代表作ではない:『特捜最前線』『水戸黄門』や映画作品にも出演しています。
- 俳優業以外にも活動していた:故郷・山形の民話の伝承や新庄市のPRにも貢献しました。
庄司永建のキャリアを振り返ると、評価すべき要点は大きく3つあります。
第一に、長期にわたる俳優活動です。1948年に劇団民藝で俳優としての活動を始め、2015年に亡くなるまで、映画やテレビドラマに出演し続けました。約67年という長い活動期間は、戦後の日本の映像作品の変遷を体現するものです。
第二に、ジャンルを限定しない演技の幅です。『西部警察』の二宮武士捜査係長、『特捜最前線』の小杉弁護士、『水戸黄門』の幸右衛門など、作品によって異なる役柄を演じました。特定のキャラクターだけに依存せず、さまざまな制作現場で必要とされた俳優だったことが分かります。
第三に、故郷への文化的な貢献です。山形の民話を語り継ぎ、新庄市のPRや地域交流にも携わりました。2014年の市表彰は、その活動が地域社会から評価されていたことを示しています。
俳優としての知名度だけでなく、地域文化の伝承者としての側面まで含めて評価することで、庄司永建という人物の全体像が見えてきます。
庄司永建に関するよくある質問(FAQ)
Q1:庄司永建の読み方と本名は何ですか?
A1:俳優名は「しょうじ・えいけん」です。本名も漢字では同じ庄司永建ですが、読み方は「しょうじ・ながたけ」です。
Q2:庄司永建の生年月日と出身地はどこですか?
A2:1923年7月6日生まれで、山形県新庄市出身です。上智大学を卒業しています。
Q3:庄司永建の娘は誰ですか?
A3:フリーアナウンサーの庄司麻由里です。TBS『はなまるマーケット』で17年半にわたって「はなまるアナ」を務めました。2014年には父娘で『爆報!THE フライデー』にVTR出演しています。
Q4:庄司永建の妻と本人の死因は何ですか?
A4:妻は2007年2月に胃がんで亡くなりました。庄司本人は2015年9月15日に膵臓がんのため92歳で亡くなっています。
Q5:庄司永建の代表作は何ですか?
A5:『西部警察』の二宮武士捜査係長役が代表的です。そのほか『特捜最前線』第343話の小杉弁護士役、『水戸黄門』第18部第27話の幸右衛門役、『ミンボーの女』などがあります。
庄司永建は、1923年7月6日に山形県新庄市で生まれ、上智大学卒業後、1948年に俳優としての道を歩み始めました。
『西部警察』の二宮武士捜査係長役で広く知られ、『特捜最前線』『水戸黄門』などのテレビドラマや映画にも多数出演。劇団民藝で培った経験を生かし、長年にわたって日本の映像作品を支えました。
私生活では2007年2月に妻を胃がんで亡くしましたが、その後も活動を続け、娘の庄司麻由里と2014年に『爆報!THE フライデー』にVTR出演しています。
2015年9月15日、膵臓がんのため92歳で死去。晩年には故郷・新庄市の民話を伝える活動にも取り組み、地域文化への貢献も評価されました。
庄司永建の功績を知るには、『西部警察』の名脇役という一面だけでなく、映画・時代劇での出演歴、娘との親子関係、そして山形の文化を伝えた活動まで見ることが大切です。俳優としての長い歩みと故郷への思いは、2026年現在も彼の残した足跡として記録されています。
主な照合資料: 新庄市公式広報、庄司麻由里公式プロフィール、TBSチャンネル、スポーツニッポン、日刊スポーツ、ORICON、allcinema、映画.com。