「久米宏ビール」と検索すると、多くの人が思い浮かべるのが、2004年3月26日に放送されたテレビ朝日系『ニュースステーション』最終回のラストシーンです。18年半にわたってメインキャスターを務めた久米宏さんが、番組の最後に自らビールを取り出し、「今日はご褒美をあげようと思って」と語って乾杯。グラスのビールを一気に飲み干し、「本当にお別れです。さよなら!」と番組を締めくくりました。
この場面が2026年に改めて注目されているのには理由があります。久米宏さんは2026年1月1日、肺がんのため81歳で亡くなりました。訃報とともに公開された妻・久米麗子さんの追悼コメントには、最終回のビールを思い起こさせる言葉もありました。なぜ最後にビールを飲んだのか。その一杯に込められた意味と、民放への最後のメッセージを振り返ります。
【久米宏ビールとは?】ニュースステーション最終回で披露された伝説の乾杯

久米宏さんのビールが話題になる理由は、単にテレビ番組の最後にお酒を飲んだからではありません。長年続いた報道番組の終幕を、キャスター自身が視聴者と一緒に乾杯するという、異例の演出で締めくくったことにあります。
舞台となったのは、テレビ朝日系の報道番組『ニュースステーション』。1985年10月にスタートし、久米さんがメインキャスターとして18年半にわたって番組を牽引しました。
最終回は2004年3月26日。番組終盤、久米さんはスタッフやスポンサー、視聴者への感謝を伝えた後、自分自身の18年半を振り返ります。そして、席を立ってスタジオの冷蔵庫からビール瓶を取り出しました。
そこで口にしたのが、印象的な一言です。
「これ、僕のご褒美です。」
久米さんはビール瓶を開け、グラスに注いで視聴者に乾杯を呼びかけました。仕事中の人や運転する人には、お茶や水にするよう気遣う言葉も添えています。
そして、自ら立ち上がってグラスのビールを一気に飲み干しました。最後の言葉は「じゃ、乾杯。本当にお別れです。さよなら!」。スタジオの拍手とともに、18年半続いた番組の歴史に幕が下りました。
この一連の流れが、現在も「久米宏のビール一気飲み」「最後の乾杯」として語り継がれています。
【18年半の軌跡】最終回までの経歴と関係者を時系列で整理
最終回のビールを理解するには、久米宏さんがどのようなキャリアを歩み、なぜ『ニュースステーション』が特別な番組になったのかを知る必要があります。
久米さんはTBSのアナウンサーとしてキャリアをスタートさせ、音楽番組やバラエティー番組で人気を獲得。その後、フリーアナウンサーとなり、ニュース番組の新しいスタイルを切り開きました。
主な転換点と、最終回に関係する人物・組織をまとめました。
| 時期 | 人物・組織 | 出来事・関係性 |
|---|---|---|
| 1967年 | 久米宏・TBS | アナウンサーとしてTBSに入社。 |
| 1978~1985年 | 久米宏・ザ・ベストテン | 人気音楽番組の司会を務め、幅広い視聴者に知られる存在となる。 |
| 1979年 | 久米宏 | TBSを退社し、フリーとして活動。 |
| 1985年10月 | テレビ朝日・ニュースステーション | メインキャスターに就任。新しい報道番組のスタイルを確立していく。 |
| 2004年3月26日 | 久米宏・渡辺真理 | 最終回を放送。久米さんがビールで乾杯し、最後の挨拶を行う。 |
| 2026年1月1日 | 久米宏・久米麗子 | 久米さんが肺がんのため81歳で死去。 |
| 2026年1月13日 | オフィス・トゥー・ワン | 所属事務所が訃報を公表。妻・麗子さんの追悼コメントも発表される。 |
テレビ朝日は訃報に際し、久米さんが1985年10月から2004年3月まで18年を超えて出演し、日本のテレビ報道に新しいスタイルを切り開いたと評価しました。
また、最終回で重要な役割を果たしたのが、サブキャスターの渡辺真理さんです。久米さんの独特な進行を支え、最後の場面でも隣で番組を締めくくる存在でした。
久米さんと渡辺さんの掛け合いも、最終回の印象を強めた要素の一つです。
【なぜビールがご褒美だった?】久米宏が語った18年半の重み
久米宏さんがビールを「ご褒美」と表現した背景には、長期間にわたって報道番組の中心に立ち続けたことへの自負がありました。
小学校時代の通知表を引き合いに出した理由最終回の挨拶で、久米さんは小学校時代の通知表に触れています。通信欄には、1年生から6年生まで「落ち着きがない」「飽きっぽい」「持続性がない」「協調性がない」といった評価が繰り返し書かれていたと振り返りました。
その話の後に、久米さんは当時の先生に向けて、18年半も番組を続けたことを伝えます。
このくだりが面白いのは、単に自分の功績を誇っているわけではない点です。かつて持続性がないと評された自分が、毎晩の報道番組を長年続けた。その事実を、少しユーモラスに、しかし確かな誇りを持って語っているのです。
批判や抗議も番組を支えたという考え方もう一つ重要なのが、視聴者から寄せられた厳しい批判への感謝です。
久米さんは、番組に対して激しい抗議や厳しい批判があったことを認めています。その中には番組側に非があったものもあれば、理由が分からないと感じたものもあったと振り返りました。
しかし、そうした批判を寄せる人が大勢いたからこそ、番組が長く続いたのだと語っています。
つまり、ビールは単なる長年の仕事に対する慰労ではありません。視聴者から支持されるだけでなく、反発や批判を受けながらも番組を続けてきた、その18年半への自己評価だったのです。
元プロデューサーが明かしたビール演出の裏側2026年5月に公開された新潮QUEの追悼記事では、『ニュースステーション』の元プロデューサーで、テレビ朝日映像社長の若林邦彦氏が最終回のビール演出について振り返っています。
若林氏によると、ビールの準備をした人物はいたものの、ほとんどのスタッフは事前に知らされていなかったといいます。
この証言から見えてくるのは、最終回の演出が大掛かりな全員参加のセレモニーではなかったということです。久米さん自身が最後の場面をどう締めくくるか。その判断が、番組の最後に強い印象を残しました。
長年の仕事を終える瞬間に、形式的な挨拶や盛大な花束贈呈ではなく、自分でビールを開けて乾杯する。こうした飾らない演出こそ、久米さんらしさを象徴していました。
【渡辺真理との最後の掛け合い】ビール一気飲みが名場面になった理由
最終回のビールシーンを振り返る際、忘れてはならないのが渡辺真理さんの存在です。
久米さんが「自分へのご褒美」としてビールを取り出すと、隣にいた渡辺さんも反応。日刊スポーツなどの報道では、ビールが一つしかないことに渡辺さんが突っ込む場面も紹介されています。
このやり取りには、長年一緒に番組を進行してきた二人ならではの空気がありました。
報道番組の最終回という特別な日でありながら、最後まで普段のスタジオに近い掛け合いが残っている。久米さんが一方的に感動的な挨拶をするのではなく、渡辺さんの反応も含めて番組らしいエンディングが成立していました。
ビール瓶を飲み干したのか、グラスを飲み干したのかネット上では「ビール瓶を一気飲みした」という表現を見かけることがありますが、映像で確認できる流れは、冷蔵庫からビール瓶を取り出し、栓を開けてグラスに注ぎ、そのグラスを飲み干すというものです。
したがって、正確には瓶ごと飲んだのではなく、グラスに注いだビールを一気に飲んだ場面です。
また、久米さんは視聴者にも乾杯を呼びかけながら、仕事中や運転中の人にはお酒ではなくお茶や水を勧めています。単に豪快な飲みっぷりを見せるだけではなく、テレビの向こう側にいる視聴者を意識した言葉が添えられていたことも印象的です。
【民放への最後のメッセージ】乾杯の前に語った報道への信念
久米宏さんの最終回で、ビールと同じくらい重要なのが、乾杯の前に語った民間放送へのメッセージです。
久米さんは、まずテレビ朝日、広告代理店の電通、スポンサー、番組スタッフ、視聴者に感謝を伝えました。
そのうえで、民間放送はスポンサーの支援がなければ番組を成立させにくい、脆弱で危険な仕組みを持っていると指摘。それでも自分は民間放送を愛していると語りました。
その理由として挙げたのが、戦前・戦中の報道と戦後の民放の歴史的な違いです。
「日本の民放は、戦争を知りません。」
「これからもそういうことがないことを祈っております。」
久米さんが伝えたかったのは、民放が戦後に誕生したという歴史的背景を踏まえ、国民を戦争へと誤った方向に導くような役割を二度と担ってはならないという願いでした。
スポンサーに支えられる民放だからこそ必要な独立性ここには、民間放送の構造に対する久米さんの認識が表れています。
民放は広告収入によって番組を制作・放送する仕組みです。スポンサーや広告代理店との関係は事業の基盤である一方、報道機関としての判断が経済的な事情に左右される危険性も抱えています。
久米さんは、その脆弱さを理解したうえで、民放という仕組みそのものを否定しませんでした。むしろ、民放を愛しているからこそ、報道機関として守るべき責任を最後に訴えたのです。
最終回のビールが個人としての18年半を締めくくるものだったとすれば、民放へのメッセージは、テレビの未来に向けた言葉でした。
この二つを続けて語ったことによって、最終回は単なる人気キャスターの引退番組を超え、報道番組としての姿勢を問い直すエンディングになりました。
【2026年1月の訃報】久米麗子さんが明かした最期と追悼コメント
2004年の最終回から約22年後の2026年1月13日、久米宏さんの所属事務所オフィス・トゥー・ワンが訃報を発表しました。
発表によると、久米さんは2026年1月1日、肺がんのため満81歳で亡くなりました。通夜と葬儀は遺族の意向により、近親者のみで執り行われたとされています。
妻・久米麗子さんのコメントが呼び起こした最終回の記憶訃報とともに注目を集めたのが、妻・久米麗子さんによる追悼コメントです。
麗子さんは、久米さんの最期について次のように伝えました。
「大好きなサイダーを一気に飲んだあと、旅立ちました。」
加えて、ニュースステーション最終回でビールを飲み干した姿に重ね合わせ、最後まで久米さんらしさを通したと振り返りました。
このコメントによって、2004年のビールの乾杯は、単なる過去のテレビ名場面ではなく、久米さんの人生を象徴する記憶として改めて注目されることになりました。
妻が語った久米宏という表現者麗子さんは、久米さんについて、常に新しいことに挑戦し、純粋な心で世の中の疑問を見つめる人だったと表現しています。
また、若いスタッフと冗談を交わす時間を大切にし、自分の思いを多くの人に偽らず発信できることが、本人にとって最大のモチベーションだったと伝えました。
この言葉は、最終回でスタッフや視聴者への感謝を繰り返した久米さんの姿とも重なります。
ビールを飲んで番組を締めくくった久米さんと、最期にサイダーを飲んだという久米さん。飲み物は違っても、麗子さんがそこに見たのは、最後まで自分らしく生きた一人の表現者の姿だったのでしょう。
【久米宏の最終回動画】2026年に名場面を見返す方法と注目ポイント
久米宏さんの最後の乾杯を映像で見たい人には、テレビ朝日が2026年1月13日に公開した追悼記事が参考になります。同記事には、2004年3月26日放送の『ニュースステーション』最終回における最後の挨拶の動画が掲載されています。
動画を見る際は、ビールを取り出す瞬間だけでなく、その直前の挨拶から続けて確認すると、演出の意味がより伝わります。
動画で注目したい3つの場面1. 18年半という時間を振り返る場面
小学校時代の通知表を引き合いに出し、自分が長期間番組を続けたことを語る場面です。久米さんのユーモアと、自分の仕事に対する誇りが表れています。
2. 批判してきた視聴者への感謝
厳しい批判や抗議を受けたことを振り返り、それが番組の長期継続につながったと語る場面です。報道番組と視聴者の関係を考えるうえでも重要な発言です。
3. 最後の乾杯と別れの挨拶
ビールをグラスに注ぎ、視聴者に乾杯を呼びかけた後、一気に飲み干して番組を終える場面です。「本当にお別れです。さよなら!」という言葉まで見届けることで、演出全体の意味が伝わります。
なお、テレビ朝日の追悼記事に掲載されているのは最終回の最後の挨拶を中心とした映像です。最終回全編の公式配信と、最後の乾杯部分の映像は区別して考える必要があります。
【久米宏のビールに関するよくある質問(FAQ)】
Q1:久米宏さんがビールを飲んだのはいつですか?
A1:2004年3月26日放送のテレビ朝日系『ニュースステーション』最終回です。18年半にわたる番組の最後に、ビールで乾杯しました。
Q2:久米宏さんはなぜビールを飲んだのですか?
A2:本人が「これ、僕のご褒美です」と語っています。長年番組を続けた自分へのご褒美であり、番組を支えてくれた視聴者への感謝を表す場面でもありました。
Q3:久米宏さんはビール瓶を一気飲みしたのですか?
A3:いいえ。ビール瓶からグラスに注ぎ、そのグラスを一気に飲み干しました。
Q4:ニュースステーションの最終回で久米宏さんが言った最後の言葉は?
A4:「じゃ、乾杯。本当にお別れです。さよなら!」です。この挨拶で番組は終了しました。
Q5:渡辺真理さんも最終回に出演していましたか?
A5:はい。サブキャスターとして出演していました。久米さんの最後のビールの場面でも掛け合いがあり、最終回を印象づける存在となりました。
Q6:久米宏さんは2026年に亡くなったのですか?
A6:はい。所属事務所の発表によると、2026年1月1日に肺がんのため81歳で亡くなりました。訃報は1月13日に公表されました。
Q7:久米麗子さんは最終回のビールについて何とコメントしましたか?
A7:久米さんが最期に大好きなサイダーを一気に飲んだことを明かし、ニュースステーション最終回でビールを飲み干した姿と重ね合わせました。最後まで本人らしさを貫いたという追悼の言葉でした。
久米宏さんのビールの乾杯は、2004年3月26日の『ニュースステーション』最終回で生まれた、テレビ史に残る名場面です。
18年半にわたって報道番組の第一線に立ち続けたことへの自負。厳しい批判を寄せた視聴者への感謝。そして、民間放送が守るべき報道の責任。久米さんは、これらを一つの最後の挨拶に込めました。
その後、2026年1月1日に81歳で亡くなり、妻の久米麗子さんが最期のサイダーについて語ったことで、最終回のビールは再び多くの人の記憶を呼び起こしました。
この場面を振り返るとき、注目したいのは一気飲みという派手な動作だけではありません。18年半を支えた人々への感謝を伝え、批判を受け止め、最後には民放の未来に願いを託したことです。
久米宏さんの「ご褒美」は、一人のキャスターが仕事を終えた瞬間であると同時に、報道番組に携わる人々へ向けた最後のエールでもありました。あの乾杯が2026年になっても語り継がれるのは、そこに久米さんの仕事観と表現者としての生き方が凝縮されているからです。