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T-BOLANメンバー4人の現在は?年齢・担当楽器と2026年武道館ラストまで徹底解説

高峰 弦 高峰 弦 • 更新: • 公開: • 読了約 23 分
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2026年11月現在、T-BOLAN(ティーボラン)は、森友嵐士、五味孝氏、上野博文、青木和義のオリジナルメンバー4人による35年の物語に幕を下ろしています。2026年8月10日、初の日本武道館ワンマンライブを開催し、バンド活動を終了しました。

1990年の結成から1991年のメジャーデビュー、森友嵐士の心因性発声障害による活動休止、1999年の解散、2012年の再結成、2017年の完全復活。そして青木和義の活動休止や楠瀬タクヤのサポート参加など、T-BOLANには幾度もの転機がありました。4人の年齢や担当楽器、プロフィール、解散に至った背景まで、現在の状況とともに振り返ります。

【T-BOLANのメンバーは4人】年齢・担当楽器とプロフィール

tbolanメンバー

T-BOLANの中心となるメンバーは、結成時から活動をともにしてきた森友嵐士、五味孝氏、上野博文、青木和義の4人です。

それぞれが異なる音楽的役割を担い、森友の歌声を中心に、五味のギター、上野のベース、青木のドラムが組み合わさることで、T-BOLAN独自のロックサウンドが生まれました。

以下は、2026年11月2日時点の年齢と基本プロフィールです。

メンバー 生年月日・年齢 担当楽器 出身地
森友嵐士 1965年10月30日・61歳 ボーカル 広島県
五味孝氏 1965年12月9日・60歳 ギター 東京都
上野博文 1965年5月23日・61歳 ベース 栃木県
青木和義 1966年11月13日・59歳 ドラム 岐阜県
森友嵐士(もりとも・あらし)|ボーカル

1965年10月30日生まれ、2026年11月現在61歳。広島県出身のロックボーカリストです。

T-BOLANの顔ともいえる存在で、「離したくはない」「Bye For Now」「マリア」などの代表曲で力強くも繊細な歌声を届けてきました。作詞・作曲にも携わり、バンドの音楽的な方向性を形づくった中心人物です。

森友のキャリアを語るうえで欠かせないのが、1994年に発症した心因性発声障害です。歌うことが困難になり、治療とリハビリに専念するため音楽活動を休止しました。この問題はバンドの活動休止、そして1999年の解散につながる大きな要因となりました。

その後、長い時間をかけて音楽活動への復帰を目指し、2009年11月にソロアーティストとして活動を再開。2012年にはT-BOLANの再結成も実現しました。

2026年10月には公式ファンクラブでもソロ活動情報が告知されています。バンドとしての活動終了後も、森友自身の音楽活動は続いています。

五味孝氏(ごみ・たかし)|ギター

1965年12月9日生まれ、2026年11月2日時点で60歳。東京都出身のギタリストです。

T-BOLANではギターを担当し、バンドのロックサウンドを支えてきました。代表曲の数々において、森友のボーカルを引き立てるギターアレンジや演奏が重要な役割を果たしています。

12歳からギターを始めたとされ、T-BOLANの解散後もスタジオワーク、ツアーサポート、セッション、プロデュースなど幅広い音楽活動を展開。2010年には自身のインストゥルメンタルユニット「electro53」を結成しています。

2026年の日本武道館公演にも、五味にとって特別な意味がありました。日刊スポーツなどの取材によると、少年時代から憧れていた日本武道館で最後を迎えたいという五味の思いが、最終公演の場所を決めるきっかけになったといいます。

上野博文(うえの・ひろふみ)|ベース

1965年5月23日生まれ、2026年11月現在61歳。栃木県出身のベーシストです。

T-BOLANではベースを担当。ギターやドラムとともに楽曲の土台をつくり、バンドのグルーヴを支えてきました。

上野の歩みには、音楽活動を揺るがす大きな健康上の試練がありました。2015年3月にくも膜下出血で倒れ、厳しい闘病とリハビリを経験。それでも懸命な回復を遂げ、再びステージに戻りました。

さらに2025年9月7日、T-BOLANの公式発表を通じて、ステージ4の肺がんと診断されたことが明らかになりました。2025年7月初旬に体調不良を感じて受診し、検査によって判明したものです。

当時の発表では、放射線治療などを経て投薬治療を受けており、経過は良好と説明されていました。上野本人も、治療を続けながらラストツアーのステージに立ち、演奏することを目標にしていると伝えていました。

くも膜下出血からの復帰に続き、肺がんと向き合いながら音楽を続ける姿は、T-BOLANの最後の旅を象徴する出来事の一つとなりました。

青木和義(あおき・かずよし)|ドラム

1966年11月13日生まれ、2026年11月2日時点で59歳。岐阜県出身のドラマーです。

T-BOLANの前身となるバンドの結成にも関わった人物であり、森友嵐士との出会いはバンドの歴史の出発点となりました。

ドラム担当としてリズムセクションを支え、1991年のメジャーデビューから1999年の解散、2012年の再結成まで、オリジナルメンバーの一人として活動してきました。

しかし、2021年8月27日、本人の公式ブログを通じてT-BOLANの活動休止を発表します。理由は、地元岐阜で代々受け継いできた家業を守るためでした。

青木は音楽活動と家業を両立していましたが、新型コロナウイルスの影響による度重なるツアーの中止などを受け、今後の人生を見つめ直したと説明しています。

バンドから完全に縁を切ったという発表ではなく、本人が選択したのは、T-BOLANの表舞台での活動を当面休止することでした。青木の存在は、その後のT-BOLANの歴史においても重要な意味を持ち続けています。

【1990年から2026年まで】T-BOLANの結成・デビュー・解散・再結成の歴史

T-BOLANの歴史は、単純に1990年に結成され、1991年にデビューしたというだけではありません。メンバー同士の出会い、ボーカルの病気による活動休止、再結成、そして再び訪れた活動終了という、いくつもの転換点がありました。

1987年から1990年|前身バンドからT-BOLAN結成へ

森友嵐士と青木和義の関係は、T-BOLANという名前が生まれる以前にさかのぼります。

1987年、青木が森友を誘い、前身となるバンド「プリズナー」を結成。その後「BOLAN」として活動し、1988年にはインディーズデビューを果たしました。

しかし、音楽性の違いなどから森友は一度BOLANを離れます。その後、別々の音楽活動を続ける中でギターの五味孝氏、ベースの上野博文と出会いました。

そして1990年、森友と青木が再び組み、五味と上野を迎え入れたことで、現在まで知られるT-BOLANの4人がそろいます。

1991年|「悲しみが痛いよ」でメジャーデビュー

1991年7月10日、シングル「悲しみが痛いよ」でメジャーデビューを果たしました。

同年12月にリリースした「離したくはない」はロングヒットとなり、バンドの知名度を大きく押し上げます。

その後も「じれったい愛」「Bye For Now」「すれ違いの純情」「マリア」など、現在も歌い継がれる楽曲を次々と発表しました。

森友の公式プロフィールによると、T-BOLANは15枚のシングルと10枚のアルバムをリリースし、総売上枚数は1,700万枚を記録しています。短期間でこれほどの実績を残したことが、90年代のロックシーンにおける存在感を物語っています。

1994年から1999年|森友の発声障害と解散

人気絶頂期の1994年、森友が心因性発声障害を理由に音楽活動を休止します。

1995年にはバンドの表立った活動が停止。1999年12月、T-BOLANは解散を迎えました。

ここで重要なのは、解散の背景にメンバー間の不仲があったということではなく、ボーカルが歌えなくなったことによって、バンドとしての活動継続が困難になったという点です。

2012年から2017年|オリジナルメンバーで再結成、完全復活へ

解散後、森友は2009年にソロ活動を再開。長いリハビリを経て、再び歌えるようになりました。

2012年6月には、オリジナルメンバー4人による再結成を発表します。東日本大震災後の被災地で、ファンから再結成を望む声を直接聞いたことも、森友が決断するきっかけになりました。

しかし、2014年4月26日の公演をもって、T-BOLANは再び活動休止に入ります。

2016年12月31日には豊洲PITで一夜限りのカウントダウンライブを開催。上野の復帰への歩みもあり、2017年の再始動を発表しました。同年夏には完全復活を果たし、アコースティックツアーなど新たな活動を展開します。

2021年から2026年|青木の活動休止、最後の全国ツアー、武道館で完結

2021年8月27日、青木が家業への専念を理由にT-BOLANの表舞台での活動を休止します。その後はサポートメンバーを迎えながら活動を継続しました。

2025年7月10日、メジャーデビュー記念日に、全国47都道府県を巡る「T-BOLAN LAST LIVE TOUR 2025-2026 終章 SING THE BEST HIT JOURNEY 47」を最後のライブツアーとすることを発表。

2026年3月26日には、ツアーの最終地点となる日本武道館公演を8月10日に開催し、その日をもってバンド活動を終了すると発表しました。

主な転換点を整理すると、次のようになります。

【青木和義の活動休止】楠瀬タクヤがサポートドラマーとして参加した理由

T-BOLANの現在を理解するうえで、青木和義の活動休止と、その後に参加したサポートドラマーの存在は欠かせません。

オリジナルメンバーは4人ですが、2021年以降のライブでは、青木に代わってサポートドラマーが演奏を支える体制となりました。

青木が活動休止を選んだのは家業を守るため

青木が2021年8月27日に発表した活動休止の理由は、家業への専念です。

本人の公式ブログでは、岐阜で代々受け継いできた家業とドラマーとしての活動を両立してきたものの、コロナ禍によるツアー中止などを受け、今後の人生を見つめ直したと説明しています。

また、数年前から音楽やドラム演奏を楽しめる店を立ち上げており、今後はその運営にも携わる意向を示しました。

この決断は、長年の音楽活動を否定するものではありません。青木自身の生活基盤と家業を守るための選択でした。

楠瀬タクヤが青木のポジションを引き継ぐ

青木の活動休止後、T-BOLANのライブではサポートドラマーが参加するようになりました。

2025年から2026年のラストライブツアーでは、楠瀬タクヤがドラムを担当。森友嵐士も2026年5月の日刊スポーツのインタビューで、楠瀬が青木の場所を守ってくれていると語っています。

ただし、楠瀬タクヤはT-BOLANのオリジナルメンバーとして加入したわけではありません。あくまでライブを支えるサポートメンバーです。

この区別は、メンバー構成を調べる際に混同しやすいポイントです。

青木がステージに立たなくなっても、T-BOLANのメンバーが4人であるという森友の認識は変わっていませんでした。

青木がいないステージにも残り続けた4人の関係

2026年5月24日付の日刊スポーツのインタビューで、森友は青木との出会いがT-BOLANの歴史の始まりだったと振り返っています。

森友によると、青木との出会いがあり、その後、五味と上野に出会ったことで、1991年のメジャーデビューにつながりました。

加えて、ステージに青木がいなくても、メンバーの心の中には青木がいるという趣旨の思いを語っています。

これは単なる懐古ではありません。オリジナルメンバーが築いてきた関係と、ライブで演奏を支えるサポートメンバーの役割を分けて考えていたことが分かります。

【2026年8月10日】T-BOLANが日本武道館で活動を終了した理由と経緯

2026年8月10日、T-BOLANは東京・日本武道館で「T-BOLAN LAST LIVE FINAL CHAPTER 2026.08.10 NIPPON BUDOKAN This Journey Never Ends」を開催しました。

この公演は、単なるツアーの最終日ではありません。1991年のメジャーデビューから35年にわたって続いたT-BOLANのバンド活動を締めくくる、最初で最後の日本武道館ワンマンライブでした。

ラストライブを決めた背景には何があったのか

活動終了の発表に先立つ2025年7月10日、T-BOLANは最後の全国ツアーを行うことを公表しました。

その理由として公式メッセージで語られたのは、時間には限りがあるという実感と、今できることに全力を尽くしたいという思いです。

また、メンバー間で何度も話し合いを重ね、自分たちの意思でツアーに「ラスト」という名前を刻むことを決めたと説明しています。

報道では、森友が抱えてきた発声障害や、メンバーそれぞれの身体的な負担も背景として取り上げられました。理想とするライブのクオリティーを維持しながら、長期にわたる活動を続けることが難しいという判断も伝えられています。

五味孝氏が憧れた日本武道館が最後の舞台に

2026年3月26日、8月10日の日本武道館公演が最終ステージになると正式に発表されました。

この会場の決定には、ギターの五味孝氏の思いが関係しています。日刊スポーツやテレビ朝日の報道によると、少年時代から憧れていた日本武道館で最後を迎えたいという五味の言葉が、ファイナルの場所を決めるきっかけになったといいます。

2025年9月から始まった全国47都道府県を巡るラストライブツアーは、武道館公演を除いて全58公演。その旅の最後に、メンバーが長年憧れていた舞台が選ばれました。

森友は公演発表時、次のようなメッセージを寄せています。

「悔いを残さないために、自分たちの意思で“ラスト”を選びました。」

これは誰かに活動を終わらされたのではなく、自分たちで終わりを決めたという、バンドの意思を象徴する言葉です。

武道館公演で披露された代表曲

WOWOWの公演情報によると、ラストライブではT-BOLANの代表曲を中心に25曲が披露されました。

「悲しみが痛いよ」「Bye For Now」「じれったい愛」「マリア」「離したくはない」など、1990年代のヒット曲に加え、「Be Myself」「My life is My way」「Re:I」「Heart Of Gold」なども演奏曲に含まれています。

特に「離したくはない」や「Bye For Now」は、T-BOLANの歴史を語るうえで欠かせない楽曲です。ファンにとっても、長年親しんできた音楽と最後のステージを重ね合わせる機会になりました。

WOWOWは日本武道館公演を収録した番組を放送・配信し、その後も過去のライブ映像を含む特集を展開しています。バンド活動そのものは終了しましたが、作品やライブ映像を通じて、その音楽に触れられる機会は続いています。

【T-BOLANメンバー4人の絆】青木がいなくても変わらなかったバンドの本質

T-BOLANの歴史を振り返ると、メンバーの役割は単純な演奏技術だけでは説明できません。

森友がボーカル、五味がギター、上野がベース、青木がドラムという4人の組み合わせは、1991年のメジャーデビューから長く続きました。

森友が語った「この4人で正解だった」という思い

2026年5月の日刊スポーツのインタビューでは、森友がオリジナルメンバー4人への思いを詳しく語っています。

森友は、青木との出会いがバンドの始まりであり、五味と上野との出会いを経てT-BOLANの4人がそろったと説明しました。

加えて、青木が実際のステージにいない現在も、4人で一つという思いは変わらないと語っています。

「だから、4人で1つ。その思いは今も変わらない。」

この発言は、T-BOLANのメンバー構成を理解するうえで非常に重要です。

ライブの演奏体制としては楠瀬タクヤらサポートメンバーの力を借りていても、バンドの歴史をつくったオリジナルメンバーは4人のままです。

技術だけでは測れない4人の相性

森友は同じインタビューで、バンドとは単に演奏が上手なミュージシャンを集めれば成立するものではないという考えも語っています。

メンバー同士の相性や、それぞれが持つ個性、誰と組み合わせることで本来の魅力が発揮されるのか。そうした関係性まで含めてT-BOLANというバンドが成立していたということです。

特に青木と上野の組み合わせについては、森友が青木を生かすためのベースが上野だったという趣旨の説明をしています。

この考え方からは、4人の絆が単なる長年の友情だけでなく、音楽的な信頼関係にも支えられていたことが伝わります。

活動終了は4人の関係が終わったという意味ではない

2026年8月10日の日本武道館公演によって終了したのは、T-BOLANというバンドの活動です。

それは、メンバー同士の関係や、これまでにつくり上げた音楽まで消えてしまうという意味ではありません。

森友は2025年のラストツアー発表時にも、今回の旅を単なる別れではなく、ファン一人ひとりに会いに行く「約束の旅」と表現していました。

1990年代に出会ったファンと再びライブで会いたいという願いを実現し、最後には憧れの日本武道館で物語を閉じる。その過程そのものが、T-BOLANの35年を象徴しています。

【よくある質問】T-BOLANのメンバーに関するFAQ

Q1:T-BOLANのメンバーは誰ですか?

A1:森友嵐士(ボーカル)、五味孝氏(ギター)、上野博文(ベース)、青木和義(ドラム)の4人です。2026年8月の活動終了まで、オリジナルメンバー4人という構成がバンドの基本でした。

Q2:T-BOLANのメンバーは2026年現在何歳ですか?

A2:2026年11月2日時点で、森友嵐士は61歳、五味孝氏は60歳、上野博文は61歳、青木和義は59歳です。

Q3:青木和義はなぜT-BOLANを離れたのですか?

A3:2021年8月27日、地元岐阜の家業を守るため、T-BOLANの表舞台での活動を休止すると発表しました。メンバーとしての歴史を否定した脱退発表ではありません。

Q4:楠瀬タクヤはT-BOLANの正式メンバーですか?

A4:いいえ。楠瀬タクヤは青木和義の活動休止後、ライブを支えたサポートドラマーです。オリジナルメンバーは森友、五味、上野、青木の4人です。

Q5:T-BOLANはいつ解散しましたか?

A5:1999年12月に一度解散し、2012年に再結成しました。その後2017年に完全復活し、2026年8月10日の日本武道館公演をもってバンド活動を終了しました。

Q6:T-BOLANが2026年に活動を終了した理由は何ですか?

A6:メンバーが話し合いを重ねた結果、理想とするライブのクオリティーを維持しながら長期的な活動を続けることが難しいと判断したためです。自分たちの意思で最後のツアーと日本武道館公演を選びました。

Q7:T-BOLANの最後のライブはいつ、どこで開催されましたか?

A7:2026年8月10日、東京都の日本武道館で開催されました。公演名は「T-BOLAN LAST LIVE FINAL CHAPTER 2026.08.10 NIPPON BUDOKAN This Journey Never Ends」です。

T-BOLANのメンバーは、森友嵐士、五味孝氏、上野博文、青木和義の4人です。それぞれがボーカル、ギター、ベース、ドラムを担当し、1990年の結成から日本のロックシーンを彩ってきました。

1991年のメジャーデビュー後、「離したくはない」「Bye For Now」「じれったい愛」「マリア」など数々のヒット曲を生み出しました。しかし、森友の心因性発声障害によって活動が困難となり、1999年に一度解散します。

2012年の再結成、2017年の完全復活を経て、青木の活動休止や上野の病気という試練にも向き合いながら、最後の全国ツアーへと進みました。

そして2026年8月10日、日本武道館で35年のバンド活動に終止符を打ちました。

今回の活動終了を理解するうえで大切なのは、オリジナルメンバー4人の関係と、実際のライブ参加メンバーを混同しないことです。青木は活動休止中でしたが、森友にとってT-BOLANは青木を含めた4人のバンドでした。楠瀬タクヤは、その歴史を受け継ぐステージを支えたサポートドラマーです。

また、2026年の活動終了は、1999年の最初の解散とは異なります。再結成と完全復活を経て、最後の全国ツアーを自ら選び、憧れの日本武道館で完結させたという意味があります。

35年間の歩みを知ると、T-BOLANの魅力はヒット曲の数やCD売上だけでは測れません。困難を乗り越えて再び集まり、ファンとの約束を果たすために最後までステージに立った4人の関係こそが、バンドの本質だったのです。

バンド活動は終了しましたが、「離したくはない」「Bye For Now」「マリア」をはじめとする楽曲は、これからも聴き継がれていきます。T-BOLANの35年は、2026年8月10日を最後に閉じたのではなく、その音楽を聴く人たちの記憶の中で新たな形へと受け継がれていきます。

主な情報確認先: T-BOLAN公式ファンクラブ、森友嵐士公式プロフィール・公式発表、日刊スポーツ、TBS NEWS DIG、WOWOW、音楽ナタリー。

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コンテンツディレクター 高峰 弦
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