2026年現在、元内閣総理大臣の細川護熙(ほそかわ・もりひろ)さんは、88歳を迎えた現在も、陶芸や書、水墨画、襖絵などの創作活動を続けています。1998年に60歳で政界を引退してから約28年。政治の第一線を離れた後は、神奈川県湯河原町の自邸「不東庵」を拠点に、芸術と向き合う生活を送ってきました。
2026年9月には、京都・龍安寺に奉納する全92面の大作「雲龍図」が披露され、同年8月には高市早苗首相の政治姿勢について月刊誌に寄稿するなど、政治と文化の両面で存在感を示しています。妻の細川佳代子さんや陶芸家として活動する長男・細川護光さん、熊本藩細川家の歴史、2022年の原発反対書簡をめぐる論争まで、現在につながる歩みを整理します。
- 現在の年齢は88歳。 湯河原の「不東庵」を拠点に芸術活動を継続。
- 2026年9月、6年をかけた龍安寺の障壁画「雲龍図」全92面が披露された。
- 永青文庫の理事長は、2023年6月から長男の細川護光さんが務めている。
- 妻は細川佳代子さん。夫婦の間には一男二女がいる。
- 細川ガラシャとは系譜上のつながりがあるが、単純な直系男系ではない。
- 2022年の元首相5人による脱原発書簡では、福島の甲状腺がんに関する表現が批判を招いた。
【2026年最新】細川護熙の現在は?88歳でも続く芸術家としての活動

細川護熙さんは、1938年1月14日生まれ。2026年11月現在、88歳です。
かつて第79代内閣総理大臣を務めた人物ですが、現在の生活の中心は政治ではありません。陶芸、書、水墨画、油絵、漆芸、襖絵など、幅広い芸術表現に取り組んでいます。
特に2026年は、長年取り組んできた大規模な作品が完成・公開されたこともあり、芸術家としての活動が改めて注目されました。
2026年9月、龍安寺に全92面の「雲龍図」が完成2026年の細川護熙さんの活動で、特に大きな話題となったのが京都市右京区にある龍安寺の障壁画です。
2026年9月11日、報道機関に披露されたのは、細川さんが約6年をかけて制作した水墨画「雲龍図」。
作品の規模は次のとおりです。
- 作品名:雲龍図
- 制作期間:約6年
- 作品数:全92面
- 横に並べた場合の延長:約112メートル
- 描かれた龍:誕生から老年までの9つの姿
この作品は、襖絵42面、舞良戸44面、その他6面で構成されています。
もともとは2022年、龍安寺開基の細川勝元の550年遠忌法要に合わせて40面の襖絵を奉納したことが始まりでした。その後、方丈全体を飾るために追加制作を依頼され、最終的に92面の大作へと発展しました。
制作を終えたのは2025年5月。翌2026年9月に全体が披露されました。
毎日新聞によると、作品では龍の誕生から成長、老いまでを表現しています。細川さんは中国・13世紀の画家、陳容を手本にしたことも明かしています。
政治家として国の方向性を議論していた人物が、今度は寺院の空間全体を使って日本の伝統的な美意識を表現している。その転身を象徴する仕事です。
2026年3月には熊本で書の作品展も開催2026年3月28日から4月5日までは、熊本の水前寺成趣園まつりに合わせて、細川護熙さんの「書の世界」特別展示が開催されました。
会場は出水神社の社務所で、墨書作品を中心に約30点を展示。
同展示の公式案内によると、細川さんは40代後半から書に関心を深め、熊本県知事時代にも揮毫を重ねてきました。
現在も湯河原の不東庵で、書をはじめとする幅広い制作を続けています。
2026年には新刊も刊行新潮社の著者プロフィールには、細川さんの著作として、2026年8月26日発売の『志度寺 千四百年の歴史の玉手箱』も掲載されています。
陶芸や絵画だけでなく、歴史や文化に関する著作活動も続いていることが分かります。
【陶芸家・茶人としての暮らし】不東庵で続ける第二の人生
細川護熙さんの現在を語るうえで欠かせない場所が、神奈川県湯河原町にある自邸「不東庵」です。
政治家としての活動を終えた後、自然に囲まれた環境で制作に向き合う生活を始めました。
陶芸を始めたのは60歳を過ぎてから細川さんが本格的に陶芸を始めたのは、政界引退後の1999年です。
きっかけの一つは、白洲正子さんの娘婿である牧山圭男さんの個展を訪れたことでした。
作品に興味を持った細川さんは、陶芸に関する書籍や雑誌を読み、奈良の陶芸家・辻村史朗さんに自ら連絡して弟子入りを申し込みました。
熊本日日新聞の2024年のインタビューでは、当時の修業について詳しく語っています。
細川さんは奈良の工房に泊まり込み、約1年半にわたってろくろを回しました。朝から夕方まで作陶に取り組む日々だったといいます。
政治家としての経歴を持つ人物が、60歳を過ぎてから経験のない世界に入り、師匠のもとで一から技術を学んだことは興味深い転換です。
その後、陶芸だけでなく、茶碗や水指、陶仏など、さまざまな作品を手がけるようになりました。
茶人としての現在と茶室「一夜亭」細川さんは陶芸家としてだけでなく、茶の湯にも深い関わりを持っています。
不東庵には「一夜亭」と呼ばれる茶室があり、茶碗や茶杓など、茶の湯に関わる道具も自ら制作してきました。
2016年の秋水美術館の展覧会資料でも、細川さんの作品として茶碗、水指、陶仏、茶杓、掛け軸などが紹介されています。
また、細川家には歴代当主が茶の湯を大切にしてきた伝統があります。
特に細川忠興は、千利休の高弟として知られる「利休七哲」の一人です。細川家の茶文化は、戦国時代から続く家の文化的な背景でもあります。
細川さんの茶人としての暮らしは、単に茶道の作法を実践するというよりも、茶碗を作り、茶室を整え、道具と空間を含めて茶の湯の美意識を表現する生活に特徴があります。
現在の主な活動を整理| 活動分野 | 主な内容 | 近年の動き |
|---|---|---|
| 陶芸 | 茶碗、水指、陶仏など | 湯河原の不東庵を拠点に制作 |
| 書 | 墨書、書作品 | 2026年3月に熊本で約30点を展示 |
| 水墨画 | 龍などの題材 | 龍安寺の雲龍図を制作 |
| 襖絵・障壁画 | 寺院の空間を飾る大作 | 2026年9月に全92面を披露 |
| 茶の湯 | 茶碗・茶杓・茶室 | 一夜亭を設け、茶文化と関わる |
| 著作 | 芸術・歴史・文化 | 2026年8月に新刊刊行 |
細川さんの特徴は、政治家から陶芸家に転身しただけではなく、複数の芸術分野を横断しながら創作を続けていることです。
【経歴と政界引退の理由】第79代総理大臣から陶芸家への転身
細川護熙さんは、もともと政治家を志していた人物です。
東京都で生まれ、上智大学法学部を卒業後、朝日新聞社の記者を経験。その後、熊本県を政治活動の拠点として国政に進出しました。
第79代内閣総理大臣に就任細川さんの政治家としての経歴は、次のように整理できます。
- 1963年:上智大学法学部卒業、朝日新聞社に入社
- 1971年:参議院議員に初当選
- 1983年:熊本県知事に就任
- 1991年:熊本県知事を退任
- 1992年:日本新党を結成し代表に就任
- 1993年:衆議院議員に初当選、第79代内閣総理大臣に就任
- 1994年:内閣総理大臣を辞任
- 1998年:60歳で政界を引退
1993年8月9日に発足した細川内閣は、非自民・非共産の8党派による連立政権でした。
1955年以来続いていた自民党中心の政治体制が崩れた時期であり、細川さんは政権交代を象徴する存在として大きな注目を集めました。
内閣発足直後の世論調査では70〜80%という高い支持率を記録しています。
政権の中心課題は政治改革でした。小選挙区比例代表並立制の導入につながる政治改革関連法案が成立したことは、細川内閣の大きな実績です。
1994年の首相辞任と1998年の政界引退は別の出来事ここは混同されやすいポイントです。
細川さんは1994年4月、東京佐川急便をめぐる政治資金問題などで追及を受け、首相を辞任しました。
しかし、その時点で政治家を完全に辞めたわけではありません。
その後も衆議院議員として活動し、1998年5月に議員辞職。60歳を節目として政界から身を引きました。
つまり、1994年は首相辞任、1998年が政界引退です。
なぜ60歳で政治を辞めたのか細川さんの政界引退は、政治資金問題による1994年の首相辞任とは分けて考える必要があります。
1998年の引退は、本人が60歳を人生の節目として選んだ転身でした。
2025年7月の文藝春秋PLUSのインタビューでも、60歳で政界を引退した背景と、その後の第二の人生について語っています。
政治の世界で培った経験を生かし続けるのではなく、以前から関心を持っていた芸術の世界に本格的に取り組む道を選んだのです。
なお、2014年には東京都知事選挙に脱原発を掲げて立候補しています。得票数は956,063票で、舛添要一さんに敗れました。
そのため、1998年以降は政治活動を一切しなかったという理解も正確ではありません。ただし、現在の主な活動の中心が芸術であることに変わりはありません。
【永青文庫・妻・長男】細川家の現在と家族構成
細川護熙さんの現在を理解するには、家族と細川家の文化財継承についても知っておく必要があります。
細川家は、かつて熊本藩を治めた旧大名家であり、現在も歴史資料や美術工芸品の保存・公開に取り組んでいます。
永青文庫の理事長は細川護光さん細川護熙さんについて調べると、「永青文庫理事長」という肩書きが紹介されていることがあります。
しかし、2026年現在の正式な役職は異なります。
2023年6月から永青文庫の理事長を務めているのは、長男の細川護光さんです。細川護熙さんは理事を務めています。
永青文庫の公式役員資料にも、護光さんが理事長、護熙さんが理事として掲載されています。
永青文庫は、細川家に伝来した歴史資料や美術工芸品を保管・修復し、調査研究や展示公開を行う公益財団法人です。
単なる一族の資料保管施設ではなく、日本の歴史や文化を後世に伝える役割を担っています。
長男・細川護光は陶芸家として活動長男の細川護光(ほそかわ・もりみつ)さんは、1972年生まれの陶芸家です。
大学時代に陶芸への関心を持ち、父親と同じく作陶の道に進みました。
1999年には伊賀の土楽窯で福森雅武さんに師事。その後、父親と湯河原の不東庵で制作に取り組み、2006年には熊本県南阿蘇村に窯を築きました。
信楽、唐津、高麗などの技法や作風に取り組み、茶碗を中心に幅広い作品を制作しています。
2023年6月には永青文庫の理事長にも就任しました。
父親が政治から芸術へと活動の軸を移したのに対し、護光さんは陶芸家としての仕事と、細川家の文化財を守る役割を担っています。
長男の妻は料理研究家・細川亜衣さん護光さんの妻は料理研究家の細川亜衣さんです。
旧姓は米沢で、2009年に護光さんと結婚しました。
結婚後は熊本へ移住し、料理家として活動。料理教室や食に関する企画などにも携わってきました。
陶芸家と料理研究家という組み合わせからも、細川家の次世代が工芸や食文化を大切にしていることがうかがえます。
妻・細川佳代子さんは社会貢献活動で知られる妻の細川佳代子さんは、ボランティアや国際的な社会貢献活動に長く取り組んできた人物です。
1971年に細川護熙さんと結婚し、政治家として活動する夫を支える一方、福祉や国際支援にも関わってきました。
特に知られているのが、次の2つの活動です。
- スペシャルオリンピックス日本:1994年の設立に携わり、会長や名誉会長を務めてきた。
- 世界の子どもにワクチンを 日本委員会(JCV):1994年に創設した国際ワクチン支援団体。
JCVの公式資料でも、佳代子さんは創設者として紹介されています。また、スペシャルオリンピックス日本の公式沿革にも、設立時の会長として名前が記録されています。
細川護熙の子供は何人?家族構成まとめ細川護熙さんと佳代子さんの間には、一男二女の3人の子供がいます。
| 家族 | 人物・関係 | 主な活動 |
|---|---|---|
| 本人 | 細川護熙 | 元首相・陶芸家・芸術家 |
| 妻 | 細川佳代子 | ボランティア・国際支援 |
| 長男 | 細川護光 | 陶芸家・永青文庫理事長 |
| 長男の妻 | 細川亜衣 | 料理研究家 |
| 長女 | 非公表の詳細が多い | 公開情報は限定的 |
| 次女 | 非公表の詳細が多い | 公開情報は限定的 |
長男以外の子供については、芸能活動などで広く知られる人物ではなく、詳細なプロフィールも多く公開されていません。
そのため、家族の活動を理解する際には、長男の護光さんと妻の佳代子さんを中心に見ると分かりやすいでしょう。
【熊本藩細川家の第18代当主】細川ガラシャとの家系図と歴史的なつながり
細川護熙さんには、元首相という経歴以外に、旧熊本藩主細川家の当主という顔があります。
細川家は戦国時代から続く名門で、歴代当主には政治や軍事だけでなく、茶の湯、和歌、能楽、絵画などの文化芸術に関わった人物も少なくありません。
細川家の第18代当主細川家では、戦国時代の武将・細川藤孝(幽斎)を初代と数える系譜があります。
その子である細川忠興は、関ヶ原の戦いでの功績などによって小倉藩主となり、後に細川家は熊本藩主家として歴史を重ねました。
細川護熙さんは、この系譜に連なる第18代当主です。
家系の文化的な特徴として、歴代当主が芸術を重んじてきたことが挙げられます。
永青文庫の展示資料でも、16代護立、17代護貞、18代護熙、そして次世代の護光へと続く文化芸術の営みが紹介されています。
細川ガラシャと細川護熙はどうつながる?歴史上の人物として知られる細川ガラシャは、明智光秀の娘で、本名は玉と伝えられています。
夫は細川忠興です。
忠興は茶人としても知られ、千利休の高弟「利休七哲」の一人に数えられています。
このため、細川家とガラシャは歴史的にも深い関係があります。
ただし、細川護熙さんとガラシャの関係については、少し注意が必要です。
護熙さんは系譜上、ガラシャにつながる子孫ですが、ガラシャから連続する単純な父系直系ではありません。
細川家では歴代の家督継承に養子が入った時期があり、実際の血縁関係と当主としての系譜は必ずしも一致しません。
護熙さんについては、父方祖母の系譜を介してガラシャや明智光秀につながる女系の血縁関係も伝えられています。
したがって、「細川ガラシャの直系男系子孫」と表現するのは正確ではありません。
細川家と近衛家のつながりも深い護熙さんの母は、五摂家筆頭の近衛家につながる近衛温子さんです。
その父は、昭和初期に内閣総理大臣も務めた近衛文麿です。
つまり細川護熙さんは、熊本藩主細川家だけでなく、近衛家にも血縁的なつながりを持っています。
このような家系背景は、永青文庫を通じた歴史資料や文化財の継承にも関係しています。
【2022年の原発反対書簡】フォン・デア・ライエン宛ての発信と批判の経緯
細川護熙さんの政治的な発信で、現在も議論の対象となる出来事が2022年の原発反対書簡です。
政界を引退した後も、細川さんは原発政策などについて意見を表明してきました。
その代表的な出来事が、EUの欧州委員会委員長に宛てた書簡です。
2022年1月27日、元首相5人が連名で書簡を送付2022年1月27日、細川護熙さんは、次の元首相経験者4人と連名で、欧州委員会のウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長に書簡を送りました。
- 細川護熙
- 小泉純一郎
- 菅直人
- 鳩山由紀夫
- 村山富市
書簡の主な目的は、EUが原発を気候変動対策に関する投資対象として位置づける方針に反対し、原発をEUタクソノミーから除外するよう求めることでした。
脱原発と脱炭素を両立できるという立場から、欧州のエネルギー政策に働きかけたものです。
問題となったのは福島の甲状腺がんに関する記述書簡の中でも大きな批判を受けたのが、東京電力福島第一原発事故後の子供たちの健康について触れた部分でした。
特に次の表現が問題になりました。
「多くの子供たちが甲状腺がんに苦しみ」
この記述に対して、日本政府や福島県から反論が出ました。
問題の中心は、福島県で甲状腺がんが見つかったことと、それが原発事故による放射線の影響であると結び付けることは別の問題だという点です。
政府と福島県が示した見解2022年2月、当時の山口壯環境相は、福島県や国連の専門家による調査などを踏まえ、放射線の影響とは考えにくいという評価が示されていると説明しました。
また、内堀雅雄福島県知事も、書簡の表現について懸念を示しました。
福島県が特に問題視したのは、元首相という影響力の大きい人物たちの発信によって、福島の子供たちに対する偏見や差別が広がる可能性です。
国会でもこの問題が取り上げられ、岸田文雄首相は、書簡の該当部分について適切ではないとの見解を示しました。
外務省もEU側に対して書簡の記述に関する説明を行っています。
2022年の書簡をどう評価すべきかこの問題は、脱原発という政策的な主張と、原発事故による健康影響についての科学的な説明を分けて考える必要があります。
原発政策に反対すること自体は政治的な意見表明です。
一方、健康被害に関する説明では、実際に確認された事象と、その原因についての科学的評価を区別する必要があります。
今回の批判は、脱原発という主張そのものだけでなく、福島の子供たちに関する表現が科学的な評価と整合しているか、そして風評や偏見を広げないかという点に集中しました。
細川さんたちの書簡に対しては、政府・福島県側の批判だけでなく、脱原発の立場から書簡を支持する意見もあり、社会的な議論が続きました。
2026年も政治的な発信を継続細川さんは2026年にも政治的な意見を発信しています。
2026年8月9日、文藝春秋PLUSに掲載された「高市総理よ、日本を壊すな」では、改正皇室典範や高市早苗首相の政治姿勢について批判的な見解を示しました。
特に男系男子による皇位継承にこだわる制度のあり方について、女性差別の問題を指摘しています。
また、日中関係の悪化や国民生活に関わる政策課題についても意見を述べました。
このように、細川さんは政治家を引退した後も、政治的な発言を完全にやめたわけではありません。
現在は芸術活動を生活の中心に置きながら、必要と考える問題については元首相としての立場から発信を続けています。
【細川護熙の現在の評判】政治家と芸術家、2つの顔への評価
細川護熙さんの現在の評価は、政治家としての実績と、引退後の芸術活動を分けて考えると理解しやすくなります。
芸術家としては長年の制作実績が評価されている細川さんは、60歳を過ぎてから陶芸を本格的に学び、師匠のもとで修業を積みました。
その後、個展を国内外で開催し、茶碗や書画、襖絵などへ制作の幅を広げています。
2026年の龍安寺「雲龍図」全92面の完成は、長年にわたる制作活動の大きな節目となりました。
特に注目したいのは、作品が単なる元首相の余技として扱われる規模を超えていることです。
京都・奈良の寺院への襖絵奉納など、長期間にわたる制作を継続している点は、芸術家としての活動を評価する際の重要な材料になります。
政治家としての評価は実績と課題の両面がある政治家としては、55年体制の終焉後に成立した非自民連立政権の首相として知られています。
政治改革関連法の成立は重要な実績ですが、政権の短命化や政治資金問題、連立内部の意見対立など、課題も残しました。
また、2014年の東京都知事選挙や2022年の原発反対書簡など、引退後も政治的な発信が評価・批判の対象になっています。
現在の細川護熙を知るための判断基準ネット上の情報を読む際は、次の3点を区別すると人物像を正確につかめます。
1. 現在の活動と過去の肩書きを分ける。 元首相としての経歴と、現在の芸術家としての活動は別のものです。
2. 永青文庫の役職を確認する。 現在の理事長は長男の護光さんで、護熙さんは理事です。
3. 政治的な主張と科学的な事実を分ける。 原発反対の立場と、福島の健康影響に関する科学的評価は同じ問題ではありません。
細川護熙さんの現在を評価するうえでは、こうした区別が欠かせません。
【よくある質問】細川護熙の現在に関するFAQ
Q1:細川護熙は2026年現在、何歳ですか?
A1:1938年1月14日生まれで、2026年11月現在88歳です。湯河原の不東庵を拠点に、陶芸や書、水墨画、襖絵などの制作を続けています。
Q2:細川護熙は現在も陶芸家として活動していますか?
A2:はい。1999年頃から本格的に陶芸を学び、現在も芸術活動を続けています。2026年には龍安寺の障壁画「雲龍図」全92面が披露されました。
Q3:細川護熙は永青文庫の理事長ですか?
A3:現在は違います。2023年6月に長男の細川護光さんが理事長に就任しました。護熙さんは理事を務めています。
Q4:細川護熙の妻は誰ですか?
A4:妻は細川佳代子さんです。1971年に結婚し、スペシャルオリンピックス日本の設立や、世界の子どもにワクチンを日本委員会の創設など、社会貢献活動に取り組んできました。
Q5:細川護熙の子供は何人ですか?
A5:妻の佳代子さんとの間に一男二女の3人がいます。長男は陶芸家の細川護光さんで、料理研究家の細川亜衣さんと結婚しています。
Q6:細川護熙は細川ガラシャの直系子孫ですか?
A6:細川ガラシャは細川忠興の妻で、護熙さんは細川家の系譜を通じてつながる子孫です。ただし、養子による家督継承があるため、単純な直系男系の子孫ではありません。
Q7:細川護熙が政界を引退したのはなぜですか?
A7:1998年、60歳を人生の節目として政界を引退しました。1994年の首相辞任とは別の出来事です。引退後は芸術活動に本格的に取り組むようになりました。
Q8:細川護熙は現在も政治活動をしていますか?
A8:現職の政治家ではありませんが、政治的な発信は続けています。2022年には元首相4人とEUに原発反対書簡を送り、2026年8月にも皇室典範などについて意見を発表しました。
2026年現在の細川護熙さんは、88歳になっても創作活動を続ける芸術家です。
1998年に60歳で政界を引退した後、湯河原の不東庵を拠点に陶芸を始め、書、水墨画、油絵、漆芸、襖絵などへ活動を広げてきました。
2026年9月に披露された龍安寺の「雲龍図」全92面は、その長年の取り組みを象徴する作品です。
また、家族に目を向けると、妻の佳代子さんは社会貢献活動に携わり、長男の護光さんは陶芸家として活動するとともに、2023年から永青文庫の理事長を務めています。
一方、細川家第18代当主としての歴史的な役割も見逃せません。細川ガラシャや明智光秀につながる系譜、熊本藩主家としての伝統、永青文庫を通じた文化財の保存など、現在の活動には長い歴史的背景があります。
政治面では、2022年の原発反対書簡をめぐる批判や、2026年の皇室典範に関する発信など、引退後も議論を呼ぶ場面がありました。
細川護熙さんの現在を理解する鍵は、元首相という過去の肩書きだけで人物を捉えないことです。
政治、芸術、家族、歴史という複数の側面を見れば、政界引退後も自分の関心を追求し、細川家の文化を次世代へつなぐ人生を歩んでいることが分かります。