高円宮妃久子さまの実家は、実業家の鳥取滋治郎氏と母・二三子さんの家庭です。宮内庁の公式プロフィールには、久子さまについて「故鳥取滋治郎(とっとりしげじろう)第1女子」と記載されています。1953年7月10日に東京都でお生まれになり、1984年12月6日に高円宮憲仁親王とご結婚されました。
一方、久子さまの父方のルーツをたどると、香川県にゆかりを持つ鳥取家の歴史が見えてきます。父親の鳥取滋治郎氏は東邦物産や三井物産系の企業で要職を務めた実業家で、母親の二三子さんも海外生活や国際交流に深く関わった人物でした。東京都生まれという事実と、香川県にある鳥取家の歴史は、分けて理解する必要があります。
【実家の正体】久子さまは東京都生まれ、鳥取家のルーツは香川県

久子さまの実家について調べると、東京都と香川県という二つの地名が登場します。これは情報の矛盾ではありません。出生地と父方の家系の歴史が、それぞれ異なる場所に関係しているためです。
久子さまの出生地は東京都久子さまは1953年7月10日、東京都でご誕生になりました。宮内庁のプロフィールでは、父親が鳥取滋治郎氏であることが明記されています。
また、ニコンイメージングジャパンが2021年に紹介した高円宮妃久子さまのプロフィールでも、鳥取滋治郎・二三子夫妻の第一女子として生まれたことが説明されています。
つまり、久子さまの出生地は東京都であり、鳥取家の歴史的なルーツがある香川県で生まれたわけではありません。
鳥取家と香川県三豊市の関係父方の鳥取家は、香川県にゆかりのある旧家として知られています。特に注目されるのが、現在の香川県三豊市豊中町笠田笠岡に残る鳥取家住宅です。
この地域の鳥取家は、江戸時代に庄屋を務めた家として伝えられ、明治時代以降も村長を輩出した家系です。大地主として地域に根を張ってきた歴史があり、一般的な商家や農家とは異なる地域社会での役割を持っていました。
鳥取家住宅の主屋や新座敷、土蔵など12件は、2021年10月14日に国の登録有形文化財となっています。文化財として評価されたのは、建物そのものだけでなく、明治から昭和にかけて形成された屋敷構えや地域の暮らしを伝える価値です。
なお、文化財として登録された住宅は鳥取家の本家そのものではなく、明治8年に分家した鳥取柔三郎の屋敷です。本家は近くに残ると紹介されています。このため、文化財の建物をそのまま久子さまが幼少期を過ごした生家と考えるのは正確ではありません。
「鳥取」という姓と鳥取県は関係がある?もう一つ、間違えやすいのが鳥取県との関係です。
久子さまの父方の鳥取家は香川県にゆかりのある家系であり、姓が同じだからといって鳥取県出身という意味ではありません。香川県の文化財紹介資料でも、鳥取家の姓と鳥取県は関係がないことが説明されています。
したがって、「久子さまの実家は鳥取県にある」という理解は誤りです。正しくは、東京都生まれで、父方の家系が香川県にゆかりを持つということです。
【父親の経歴】鳥取滋治郎氏は東邦物産・三井物産系で活躍した実業家
久子さまの実家を語るうえで欠かせない人物が、父親の鳥取滋治郎氏です。
鳥取氏は一般に知られる芸能人や政治家ではありませんが、商社の経営に携わった実業家でした。久子さまが幼少期から海外と接点を持ち、後にケンブリッジ大学へ進学された背景にも、父親の国際的な仕事が関係しています。
東邦物産の専務として知られる鳥取滋治郎氏講談社のデジタル版『日本人名大辞典+Plus』を掲載するコトバンクでは、鳥取滋治郎氏を東邦物産専務として紹介しています。
集英社のイミダスも、鳥取氏について三井物産や東邦物産などで役員を歴任した人物と説明しています。
また、フジテレビの皇室担当解説委員による2023年の記事には、1973年に欧州三井物産の社長室で撮影された鳥取夫妻の写真が掲載されています。鳥取氏が海外の三井物産系拠点で活動していたことを伝える資料です。
ここで注意したいのは、三井物産本体の社長だったという意味ではないことです。三井物産系の海外拠点や東邦物産での役職と、三井物産本体の経営トップという肩書は区別する必要があります。
鳥取滋治郎氏の経歴を整理公開されている人物辞典や報道資料を整理すると、鳥取氏の経歴には次のような特徴があります。
- 商社での活動:三井物産系の企業や東邦物産などで役員を歴任。
- 海外勤務:欧州の三井物産系拠点で活動したことが写真資料から確認できる。
- 経営経験:東邦物産専務などの要職を務めた人物として紹介されている。
- 家庭:1952年に鳥取二三子さんと結婚し、翌1953年に長女の久子さまが誕生。
鳥取氏の経歴を理解するうえで重要なのは、単に裕福な家庭だったという点ではありません。海外の商取引や国際的な人脈に接する機会が多い家庭環境だったことです。
久子さまが後に英国で学び、通訳や翻訳の仕事に携わられたことを考えると、幼少期から国際社会に触れる環境が身近にあったことは、生い立ちを理解する重要な要素になります。
【鳥取家の家系図】父・母・久子さまの家族関係を整理
久子さまの家系を理解するには、父方の鳥取家と母方の家族を分けて見ると分かりやすくなります。
父方は香川県にゆかりを持つ鳥取家で、父親は商社経営に携わった鳥取滋治郎氏。母方は外交官の家庭と海外生活に縁の深い家系です。
鳥取家と高円宮家の関係一覧| 人物・家系 | 久子さまとの関係 | 確認できる経歴・背景 |
|---|---|---|
| 鳥取滋治郎氏 | 父親 | 東邦物産専務などを歴任した実業家。三井物産系の海外拠点でも活動。 |
| 鳥取二三子さん | 母親 | 1927年生まれ。外交官だった父とともにフランスで暮らした経験を持つ。 |
| 鳥取家 | 父方の家系 | 香川県にゆかりがあり、地域の旧家として知られる。 |
| 高円宮憲仁親王 | 夫 | 1984年12月6日に久子さまとご結婚。2002年11月21日に薨去。 |
| 承子女王 | 長女 | 1986年3月8日生まれ。早稲田大学卒業、日本ユニセフ協会に勤務。 |
| 典子さん | 次女 | 1988年7月22日生まれ。2014年10月5日に千家国麿氏とご結婚。 |
| 絢子さん | 三女 | 1990年9月15日生まれ。2018年10月29日に守谷慧氏とご結婚。 |
母親の鳥取二三子さんも、久子さまの生い立ちを語るうえで重要な人物です。
二三子さんは1927年生まれで、外交官だった父親とともに幼少期をフランスで過ごしました。フランス文化に親しみ、1952年に鳥取滋治郎氏と結婚した後も、ニューヨーク、ロンドン、パリなどで海外生活を送りました。
1976年に日本へ帰国した後は、フランス語婦人会に入会。その後、会長や役員を長く務め、日本とフランスの友好親善に尽力しました。
その活動はフランス政府からも評価され、2013年にはレジオン・ドヌール勲章オフィシエを受章しています。
母方については、外交官の家庭や国際交流との関係が報道で確認できます。一方、インターネット上には鷹司家や曽我家などを含む詳細な家系図も流通していますが、宮内庁の公式プロフィールが公表しているのは父親との続柄などが中心で、母方の全祖先を網羅した公式系図ではありません。個々の遠縁関係を確定した事実として扱うには、別途、家系資料による裏付けが必要です。
【久子さまの生い立ち】聖心女子学院からケンブリッジ大学へ
久子さまは、幼少期から国際的な環境の中で成長されました。父親の海外勤務に伴う生活の変化と、英国での高等教育が、その後の活動につながっています。
聖心女子学院で学んだ少女時代久子さまは初等科から中等科まで聖心女子学院で学ばれたと、関連書籍の著者紹介などで紹介されています。
その後、1967年に父親の転勤に伴って家族で英国へ渡りました。海外勤務が多かった父親と、フランス文化に親しんだ母親のもとで育った久子さまにとって、英国での生活は自然な国際経験の延長にあったと考えられます。
ケンブリッジ大学ガートン・カレッジへの進学宮内庁の公式プロフィールによると、久子さまは1972年に英国のケンブリッジ大学ガートン・カレッジへ入学し、1975年に卒業されました。さらに1979年には同大学から修士号を授与されています。
大学で学ばれた経験は、その後の通訳・翻訳の仕事にもつながりました。
久子さまは結婚前から語学力と国際感覚を備えた社会人として活動されていたのです。皇族になる前のキャリアを理解すると、単に実家の家柄だけで現在の活動を説明できないことが分かります。
また、鳥取家の国際的な家庭環境と久子さま自身の学歴は、父親の商社勤務、母親の海外経験、英国での教育という三つの要素が重なった結果として見ることができます。
【1984年の結婚】高円宮憲仁親王との出会いと三人の娘
久子さまは1984年、三笠宮家の三男である憲仁親王とご結婚されました。これにより高円宮家が創設され、鳥取家から皇室へと新しい家族の歴史が始まりました。
1984年12月6日にご結婚宮内庁の公式記録によると、1984年8月1日に皇室会議が開かれ、同年9月17日に納采の儀が行われました。そして、1984年12月6日にご結婚されています。
当時、久子さまは通訳・翻訳の経験を持ち、英国での留学経験もある女性でした。実業家の家庭に生まれ、海外生活を通じて国際感覚を身につけた人物が皇室に入られたことは、久子さまの経歴を考えるうえで大きな転換点です。
1984年の結婚当日、フジテレビの皇室担当解説委員による取材記事では、両親が報道陣の質問に答えた様子も紹介されています。
「やはり感激いたします。」
これは、娘を送り出す際に母親の二三子さんが語った言葉です。また、父親の滋治郎氏は、娘に対して「無事にお務めをするように」と伝えたと報じられています。
皇室への結婚という特別な出来事の中にも、娘の新しい生活を案じる両親の気持ちが表れていました。
久子さまと憲仁親王の三人の娘久子さまと憲仁親王の間には、三人の娘が誕生しています。
- 長女・承子女王:1986年3月8日生まれ。英国留学を経て早稲田大学を卒業し、日本ユニセフ協会に勤務。
- 次女・典子さん:1988年7月22日生まれ。2014年10月5日に千家国麿氏とご結婚。
- 三女・絢子さん:1990年9月15日生まれ。2018年10月29日に守谷慧氏とご結婚。
次女の典子さんと三女の絢子さんは、結婚に伴い皇族の身分を離れられています。長女の承子女王は引き続き皇族として活動されています。
2002年11月21日には憲仁親王が薨去されました。その後、久子さまは夫が担っていた日本サッカー協会や日本アマチュアオーケストラ連盟などの役職を引き継ぎ、皇室の公務と社会活動を続けられています。
【2026年現在】久子さまの活動と鳥取家との関係
2026年11月現在、久子さまは高円宮家の妃殿下として活動を続けられています。宮内庁の公式プロフィールには、日本赤十字社名誉副総裁、日本サッカー協会名誉総裁、バードライフ・インターナショナル名誉総裁など、複数の役職が掲載されています。
2026年も国内外で幅広く活動宮内庁が公表している2026年の活動記録を見ると、久子さまはスポーツ、文化、国際交流など幅広い分野で公務に臨まれています。
- 2026年6月:北極フロンティア関連の開会式やスペシャルオリンピックス日本夏季ナショナルゲームの開会式にご臨席。
- 2026年6月10日~22日:スウェーデン、アメリカ、メキシコを訪問。
- 2026年9月:ケニアを訪問し、日本サッカー殿堂の掲額式典などにもご臨席。
- 2026年10月18日:香川県高松市のあなぶきアリーナ香川で、フェンシング競技をご観戦。
- 2026年10月19日:いけばなインターナショナル合同会議などにご臨席。
- 2026年10月20日:SGECのPEFC承認10周年記念国際フォーラムにご臨席。
特に注目したいのは、2026年10月に香川県を訪問されていることです。父方の鳥取家に香川県との歴史的なつながりがあるため、久子さまと香川県の関係に関心を持つ人にとっても興味深い出来事です。
ただし、この訪問はフェンシング競技へのご臨席という公務であり、実家への私的な帰省や親族訪問と同じ意味ではありません。
鳥取家の実家と現在の久子さまの立場は別の問題久子さまの実家を調べる人の中には、父親の家柄が現在の皇室での立場に関係しているのではないかと考える人もいます。
しかし、久子さまが皇族となられた直接の経緯は、1984年に憲仁親王とご結婚されたことです。
鳥取家は香川県にゆかりのある旧家であり、父親は商社の要職を歴任した実業家でした。母親も国際交流に尽力した人物です。こうした家庭背景は久子さまの生い立ちを理解するうえで重要ですが、鳥取家が皇族の家系だったという意味ではありません。
また、2026年現在の久子さまの活動は、実家の家柄だけでは説明できません。国際交流、スポーツ振興、文化活動、環境保全など、長年にわたって取り組まれてきた公務の積み重ねが現在の役割につながっています。
【よくある質問】久子さまの実家に関する疑問(FAQ)
Q1:久子さまの実家はどこにありますか?
A1:久子さまは東京都生まれです。父方の鳥取家は香川県にゆかりのある旧家として知られています。ただし、現在の実家の具体的な住所や私的な住居の詳細は、宮内庁の公式プロフィールでは公表されていません。
Q2:久子さまの父親・鳥取滋治郎氏は何をしていた人ですか?
A2:東邦物産専務などを務めた実業家です。三井物産系の企業でも役員を歴任し、海外拠点での活動も確認されています。
Q3:久子さまの母親は誰ですか?
A3:鳥取二三子さんです。外交官の父親とともにフランスで暮らした経験があり、結婚後も海外生活を送りました。帰国後はフランス語婦人会などで活動し、2013年にはフランス政府からレジオン・ドヌール勲章オフィシエを受章しました。2023年7月18日に96歳で亡くなられています。
Q4:久子さまは香川県出身ですか?
A4:いいえ。出生地は東京都です。香川県との関係は、父方の鳥取家が香川県にゆかりを持つことによるものです。
Q5:久子さまには子供が何人いますか?
A5:三人の娘がいらっしゃいます。長女が承子女王、次女が典子さん、三女が絢子さんです。典子さんと絢子さんはそれぞれ2014年、2018年に結婚されています。
Q6:久子さまは2026年現在も公務をされていますか?
A6:はい。2026年も宮内庁の活動記録に、国内の式典やスポーツ大会、海外訪問などへのご臨席が掲載されています。
久子さまの実家について、最も確かな出発点は宮内庁の公式プロフィールです。久子さまは鳥取滋治郎氏の第一女子として1953年に東京都で生まれ、母親は鳥取二三子さんです。
父親の滋治郎氏は東邦物産や三井物産系の企業で要職を務めた実業家であり、母親の二三子さんは海外生活とフランスとの友好親善に深く関わった人物でした。父方の鳥取家には香川県の旧家としての歴史もあります。
こうした背景を整理すると、久子さまの生い立ちには、地域に根を張った家系、商社を通じた国際的な仕事、海外文化に親しんだ家庭環境という三つの特徴が見えてきます。
一方、鳥取家の家柄と皇室との関係を混同しないことも大切です。久子さまは1984年12月6日に憲仁親王とご結婚され、皇室に入られました。その後、三人の娘を育て、2002年に夫を亡くされた後も、国際交流やスポーツ、文化、環境保全などの分野で活動を続けてこられました。
久子さまの実家を理解する際の判断基準は、「出生地」「父方の家系」「母方の背景」「皇室との婚姻関係」を分けて確認することです。この四つを整理すれば、香川県との関係や鳥取家の歴史、父親の商社での経歴、現在の高円宮家の姿まで、混同せずに理解できます。
2026年現在も続く久子さまの公務を見れば、実家の背景はその人生を形づくった一つの要素であり、現在の活動を支えているのは、ご自身が長年積み重ねてこられた経験と社会への取り組みであることが分かります。
主な参照資料・裏付け
- 宮内庁「高円宮家」公式プロフィール・婚姻関係・お子様の記録。
- フジテレビ「FNNプライムオンライン」2023年7月27日、鳥取二三子さんの生涯と家族についての皇室担当解説委員による記事。
- 集英社「イミダス」、鳥取滋治郎氏の商社経歴と久子さまの略歴。
- 文化庁「国指定文化財等データベース」、鳥取家住宅の登録記録。
- 鳥取家住宅の歴史・香川県との関係に関する文化遺産資料。
- 宮内庁「高円宮家のご活動・ご日程」2026年の活動記録。