NBAで活躍する八村塁選手の出身高校は、宮城県仙台市にある明成高校(現・仙台大学附属明成高等学校)です。高校時代には男子バスケットボール部の中心選手として活躍し、2013年から2015年までウインターカップ3連覇という輝かしい実績を残しました。
富山県の富山市立奥田中学校から宮城県の明成高校へ進学した八村選手は、在学中にU-17世界選手権の得点王にも輝いています。その後、アメリカのゴンザガ大学に進み、2019年にはNBAドラフト全体9位で指名されました。2026年現在も、日本バスケットボール界を代表する選手の一人として知られています。
【出身高校を特定】八村塁が通った明成高校はどんな学校?現在の校名も解説

八村塁選手が高校時代を過ごしたのは、宮城県仙台市にある私立の明成高校です。現在の正式名称は仙台大学附属明成高等学校。高校バスケットボールの全国大会で実績を重ねてきた学校として知られています。
明成高校から仙台大学附属明成高校へ校名変更八村選手が入学した2013年当時、学校名は明成高等学校でした。卒業後の2020年度から仙台大学の附属高校となり、学校名も仙台大学附属明成高等学校へ変更されています。
この変更は、単なる名称変更ではありません。学校法人朴沢学園の沿革によると、2020年度から仙台大学の附属高校として新たな体制に移行し、スポーツ創志科、福祉未来創志科、食文化創志科、普通科の4学科体制へ再編されました。
したがって、八村選手の学歴を調べる際には、当時の学校名である「明成高校」と、現在の「仙台大学附属明成高校」の両方を理解しておくと混乱しません。
明成高校男子バスケットボール部の強さ明成高校の男子バスケットボール部は、全国高校バスケットボール界で優勝実績を持つ強豪です。
八村選手が在籍していた2013年から2015年にかけては、全国高校選抜優勝大会(現在のウインターカップ)で3年連続優勝を達成しました。
加えて、2015年には全国高校総体(インターハイ)でも学校史上初の男子優勝に貢献しています。冬の全国大会だけでなく、夏の全国大会でも結果を残したことから、当時の明成高校が全国屈指の実力を持っていたことが分かります。
【圧巻の3連覇】八村塁の高校時代の成績と2013〜2015年のウインターカップ
八村選手の高校時代を語るうえで欠かせないのが、ウインターカップ3連覇です。
高校1年生から全国大会の主力として活躍し、2年生ではエースとしてチームをけん引。3年生になると、相手チームから徹底的に警戒される存在になりました。
2013年:高校1年生で全国優勝を経験2013年の第44回大会は、八村選手にとって初めてのウインターカップでした。
高校入学時から197cmという恵まれた体格を持っていた八村選手は、1年生ながら先発メンバーに抜てきされます。当時の背番号は14番。明成高校のセンターが着用してきた番号でした。
決勝では福岡大学附属大濠高校と対戦し、明成高校が92対78で勝利。八村選手は決勝で32得点を記録したほか、大会全体でも5試合137得点を挙げ、チームの優勝に大きく貢献しました。
まだ高校1年生だった選手が全国大会の優勝に貢献したことは、当時の高校バスケットボール界でも大きな注目を集めました。
2014年:背番号8を背負い、2連覇を達成高校2年生となった2014年、八村選手は背番号を14番から8番へ変更しました。
J SPORTSの大会回顧記事によると、佐藤久夫監督が「八村だから8番!」という趣旨で背番号を決めたことが紹介されています。
この年の決勝も、前年と同じ福岡大学附属大濠高校との対戦でした。明成高校は69対69の接戦から勝ち越し、最終的に71対69で勝利します。
試合終盤には八村選手が相手の攻撃をブロックし、その後の攻撃でこぼれ球を押し込んで決勝点を記録。最終的に31得点を挙げ、チームを大会2連覇へ導きました。
U-17世界選手権での活躍を経て、国内だけでなく海外の大学関係者からも注目される存在になっていた時期です。
2015年:高校最後の大会で3連覇を達成高校3年生の2015年は、八村選手にとって高校生活最後のウインターカップでした。
決勝の相手は茨城県の土浦日本大学高校。八村選手は準決勝で足首を負傷していたものの、決勝では両チーム最多となる34得点を記録しました。
明成高校は78対73で勝利し、見事に3大会連続の全国優勝を達成します。
また、八村選手自身も3大会連続で大会ベスト5に選ばれました。これは田臥勇太選手以来17年ぶりの記録として報じられています。
高校最後の全国大会で結果を残したことは、アメリカの大学バスケットボールへ進む八村選手にとって、大きな実績となりました。
ウインターカップ3連覇の成績一覧| 開催年 | 学年・背番号 | 決勝の対戦相手 | 決勝結果 | 八村塁の主な活躍 |
|---|---|---|---|---|
| 2013年 | 1年・14番 | 福岡大附大濠 | 92対78で優勝 | 32得点。大会通算137得点 |
| 2014年 | 2年・8番 | 福岡大附大濠 | 71対69で優勝 | 31得点。終盤のブロックと決勝点 |
| 2015年 | 3年・8番 | 土浦日本大学 | 78対73で優勝 | 34得点。3連覇に貢献 |
この3年間を振り返ると、単に身長や身体能力に恵まれていたというだけではありません。1年生ではインサイドを中心にプレーし、2年生以降は外角のシュートや多彩な攻撃にも対応するようになりました。
チームの中心選手として役割を広げながら、3年間すべてで結果を残したことが、八村選手の高校時代の大きな特徴です。
【身長・背番号・プロフィール】高校時代の八村塁はどれほどすごかった?
八村選手の高校時代について検索されることが多いのが、身長と背番号です。特に身長については、紹介される資料によって数値が異なるため、測定時期を分けて見る必要があります。
高校入学時は197cm、3年時には201cmに成長J SPORTSの2013年大会回顧記事では、八村選手の高校入学時の身長は197cmと紹介されています。
2014年12月の全国大会時には198cmと報道され、2015年の日本代表候補資料でも198cmと記載されています。その後、2015年末から2016年にかけての報道では201cmと紹介されました。
つまり、高校在学中に身長が約4cm伸びたことになります。高校入学時点ですでに大型選手でしたが、身体の成長とトレーニングによって、さらに競技能力を高めていきました。
高校時代の背番号は14番から8番へ八村選手の高校時代の背番号は、学年によって変化しています。
- 高校1年生:14番
- 高校2年生:8番
- 高校3年生:8番
1年生の14番は、明成高校のセンターが着用していた番号でした。しかし、2年生になると佐藤久夫監督の判断で8番に変更されます。
この変更には、八村選手を従来のセンターという枠に収めず、より幅広いポジションで活躍する選手として育てる意図も感じられます。
高校時代の主なプロフィール- 氏名:八村塁
- 生年月日:1998年2月8日
- 出身地:富山県富山市
- 出身中学校:富山市立奥田中学校
- 出身高校:明成高校(現・仙台大学附属明成高校)
- 高校時代の身長:197cmから201cmへ成長
- 高校時代の背番号:14番、8番
- 大学:ゴンザガ大学
- NBAドラフト:2019年、全体9位指名
なお、現在のFIBA公式プロフィールでは身長205cmと掲載されています。高校時代の記録と現在の登録身長は、測定時期や登録情報が異なるため、同じ数値として扱わないことが大切です。
【奥田中学校から世界へ】八村塁が高校時代に獲得したU-17世界選手権得点王
八村選手の競技人生を振り返ると、明成高校への進学以前から、すでに大きな成長の兆しがありました。
バスケットボールを始めたのは富山市立奥田中学校八村選手は富山県富山市で育ち、富山市立奥田中学校に進学しました。
小学生時代は野球をしていましたが、中学校への進学を機にバスケットボールを始めています。中学1年生から競技に取り組み、中学3年生の全国大会では準優勝を経験しました。
競技を始めてから短期間で全国レベルに到達したことは、八村選手の身体能力や競技への適応力を示すエピソードです。
2014年のU-17世界選手権で大会得点王高校2年生だった2014年、八村選手はU-17世界選手権に日本代表として出場しました。
FIBAの公式大会記録によると、八村選手は7試合で合計158得点、1試合平均22.6得点を記録。参加選手の中で得点ランキング1位となり、大会得点王に輝きました。
特に注目されたのは、世界の強豪国を相手に得点を重ねたことです。フランス戦では27得点、イタリア戦では35得点、アメリカ戦でも25得点を記録しました。
日本代表はチームとして厳しい結果に終わりましたが、八村選手は個人として世界トップクラスの得点力を示しました。
この実績は、国内の高校バスケットボール選手という枠を超え、海外の大学から注目されるきっかけになりました。
高校時代から海外の大学が注目していたU-17世界選手権での活躍をきっかけに、八村選手にはアメリカのNCAAディビジョン1に所属する複数の大学から関心が寄せられました。
当時の報道では、奨学金を伴う勧誘を受けたことも紹介されています。日本の高校に在籍しながら、アメリカの大学バスケットボールの強豪校からスカウトされるという、異例のキャリアを築き始めていました。
【恩師・佐藤久夫監督】八村塁を育てた明成高校の指導とチーム力
八村選手の高校時代を語る際に欠かせない人物が、明成高校男子バスケットボール部の監督を務めた佐藤久夫氏です。
佐藤氏は2005年から明成高校を率い、八村選手をはじめとする多くの選手を育成しました。
八村塁を高校1年生から主力に抜てき八村選手は明成高校に入学してすぐに主力として起用されました。
高校バスケットボールでは、通常、1年生が強豪校の先発メンバーに定着するのは簡単ではありません。しかし、八村選手は大型選手としての身体能力に加え、試合で成長する可能性を評価され、早い段階から重要な役割を担いました。
佐藤監督の指導のもと、インサイドプレーだけにとどまらない多様な技術を身につけ、全国大会で活躍できる選手へ成長していきます。
佐藤久夫監督が築いた全国屈指のチーム佐藤氏の指導力を示すのは、八村選手個人の育成だけではありません。
明成高校は2013年から2015年までウインターカップ3連覇を達成。佐藤氏が監督を務めた期間には、ウインターカップ通算5度の優勝とインターハイ優勝1度という実績も残しています。
2014年の大会では、八村選手だけでなく、納見悠仁選手ら同世代の選手たちもチームの中心として活躍しました。個人能力の高い選手を集めるだけでなく、それぞれの役割を生かすチームづくりが優勝につながったと考えられます。
2023年に佐藤久夫氏が逝去八村選手を育てた佐藤久夫氏は、2023年6月8日に73歳で亡くなりました。
訃報は日刊スポーツなどの報道で伝えられ、八村選手をはじめ、数多くの選手を育てた指導者として紹介されました。
2019年に八村選手がNBAドラフトで指名された際にも、佐藤氏と八村選手の関係が報じられています。
明成高校で培われた基礎や競技に対する姿勢は、その後のアメリカでの挑戦にもつながる重要な土台となりました。
【ゴンザガ大学からNBAへ】八村塁が明成高校卒業後に選んだ進路
明成高校で全国大会3連覇を達成した八村選手は、卒業後、日本国内の大学ではなくアメリカのゴンザガ大学へ進学しました。
ゴンザガ大学への進学を決めた理由八村選手がアメリカへの進学を選んだ理由には、NBA選手になるという明確な目標がありました。
2016年のスポーツナビ掲載インタビューでは、アメリカは世界で最もバスケットボールのレベルが高いと考えており、強い環境でプレーすることがNBAへの近道になるという趣旨を本人が語っています。
また、アメリカでの経験を将来の日本バスケットボール界にも生かしたいという思いも明かしていました。
ゴンザガ大学はNCAAディビジョン1に所属する強豪校です。八村選手はここで英語力を磨きながら、大学レベルの競争に適応していきました。
ゴンザガ大学での3年間の成績ゴンザガ大学の公式選手記録を見ると、八村選手は大学1年目から3年目にかけて、着実に出場機会と得点力を伸ばしています。
- 2016〜2017年(1年目):28試合出場、平均2.6得点
- 2017〜2018年(2年目):37試合出場、平均11.6得点
- 2018〜2019年(3年目):37試合出場、平均19.7得点
特に3年目は全37試合に先発出場し、平均19.7得点、平均6.5リバウンドを記録しました。所属するウェスト・コースト・カンファレンスの最優秀選手にも選ばれ、全米の注目を集める存在になりました。
2019年NBAドラフトで日本人初の全体9位指名2019年6月、八村選手はNBAドラフトでワシントン・ウィザーズから全体9位で指名されました。
これは日本人選手として初めてのNBAドラフト1巡目指名であり、トップ10入りという歴史的な出来事でした。
明成高校での全国大会3連覇、U-17世界選手権での得点王、ゴンザガ大学での成長。その積み重ねが、NBAという世界最高峰の舞台への道を切り開いたのです。
【プロの結論】八村塁の高校時代が現在のキャリアにつながった3つの理由
八村選手の高校時代を振り返ると、単にウインターカップで3回優勝したというだけでは、その価値を十分に理解できません。
重要なのは、明成高校での3年間が、国内で勝つ力と海外で戦う力の両方を育てた点です。
1. 高校1年生から全国レベルの試合経験を積んだ八村選手は入学直後から主力として起用され、1年生でウインターカップ優勝を経験しました。
早い段階から全国トップクラスの選手と対戦する機会を得たことは、技術面だけでなく、試合のプレッシャーに対応する力を養ううえでも大きかったと考えられます。
2. 国内大会と国際大会の両方で結果を残したウインターカップ3連覇という国内での実績に加え、2014年にはU-17世界選手権で得点王を獲得しました。
日本の高校バスケットボールで勝つことと、海外の選手を相手に得点を重ねることは、必ずしも同じ能力だけで達成できるものではありません。
八村選手は両方の舞台で結果を残し、海外進学に必要な競争力を示しました。
3. 高校時代からNBAを見据えた進路選択をしていた高校卒業後の進学先としてゴンザガ大学を選んだ背景には、NBAという具体的な目標がありました。
国内の実績だけに満足せず、より高いレベルの環境に身を置くことを選択した点も、八村選手のキャリアを理解するうえで重要です。
明成高校での経験は、海外挑戦に向けた準備期間であり、NBAドラフト全体9位という結果につながるキャリアの出発点でもありました。
八村塁の高校に関するよくある質問(FAQ)
Q1:八村塁の出身高校はどこですか?
A1:宮城県仙台市にある明成高校です。現在の正式名称は仙台大学附属明成高等学校です。八村選手が在学していた2013〜2016年当時は、明成高校という校名でした。
Q2:八村塁の高校時代の成績は?
A2:2013年から2015年までウインターカップ3連覇を達成しました。自身も3大会連続でベスト5に選出され、2015年の決勝では34得点を記録しています。
Q3:八村塁の高校時代の身長は何cmでしたか?
A3:高校入学時は197cmと紹介され、2014年には198cm、2015年末から2016年にかけては201cmと報道されています。現在のFIBA公式プロフィールでは205cmです。
Q4:八村塁の高校時代の背番号は何番ですか?
A4:高校1年生では14番、2年生と3年生では8番でした。8番への変更には、佐藤久夫監督の「八村だから8番!」という判断があったとJ SPORTSが紹介しています。
Q5:八村塁の出身中学校はどこですか?
A5:富山県富山市にある富山市立奥田中学校です。中学1年生からバスケットボールを始め、全国大会での準優勝を経験しました。
Q6:八村塁が高校時代に獲得した世界大会のタイトルは?
A6:2014年のU-17世界選手権で大会得点王に輝きました。FIBA公式記録では7試合合計158得点、平均22.6得点を記録しています。
Q7:明成高校からどこの大学へ進学しましたか?
A7:アメリカのゴンザガ大学です。NBA選手になるために世界最高レベルの環境でプレーすることを目指し、2016年に進学しました。2019年にはNBAドラフト全体9位でワシントン・ウィザーズから指名されています。
八村塁選手の出身高校は、宮城県仙台市の明成高校(現・仙台大学附属明成高校)です。
高校時代には、2013年から2015年までウインターカップ3連覇を達成。1年生から主力として活躍し、背番号14から8番へと変わりながら、全国の舞台で実績を積み重ねました。
加えて、2014年のU-17世界選手権では平均22.6得点で大会得点王を獲得。富山市立奥田中学校から明成高校、ゴンザガ大学へと進んだキャリアは、2019年のNBAドラフト全体9位指名という歴史的な結果につながっています。
2020年の校名変更によって、現在は仙台大学附属明成高校という名称になっていますが、八村選手が全国にその名を知らしめた場所は、当時の明成高校です。
高校時代の3連覇は、単なる優勝記録ではありません。恩師・佐藤久夫監督の指導のもとで基礎を身につけ、国内外の舞台で成長し、世界最高峰のNBAへ進むための土台を築いた3年間でした。
八村塁選手のキャリアを理解するうえで、明成高校時代は欠かすことのできない原点といえます。
主な事実確認資料
- 仙台大学附属明成高校公式サイト:学校沿革・2020年度の校名変更
- J SPORTS:2013年・2014年ウインターカップの大会回顧
- バスケットボールキング:3大会連続優勝・ベスト5の記録
- FIBA公式記録:2014年U-17世界選手権の得点ランキング
- 日本バスケットボール協会:2015年男子日本代表候補選手資料
- ゴンザガ大学公式サイト:大学3年間の出場記録・得点成績
- スポーツナビ:八村選手本人の大学進学に関するインタビュー
- 日刊スポーツ・仙台大学公式発表:佐藤久夫氏の指導歴と2019年NBAドラフトの記録